君の弾き語りが聴きたい   作:待ってください

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今回は幕間の短編集です。


『エレファント・トーク』

 

「という訳で水木、ドラムセット運んで」

「お断りします」

 

 第二回バンドミーティング、アー写撮影の出発前。

 あたしをからかうのもそこそこに、ひそひそ意味深に耳打ちしたリョウ。そのまま水木君に向けてドラムを指差すも、当然彼は一蹴した。

 

「そもそも、ドラムスティックの何がご不満なのですか。可愛い(顔映ゆし)のに」

「断るのはともかくドラマーを無礼(なめ)るなよ」

「まあ聞け。その辺をちょっと見て回るだけだし、何もタダでやれとは言ってない」

 

 じっとりと視線を送るも、まるで動じない無礼者。

 その肩に馴れ馴れしく腕を置いて、リョウは何のつもりか水木君にウザ絡みしていた。嫌そうに振り解く彼にも構わず、どこからともなく取り出したそれは……タッパー?

 

「って、ウチの昨日の残りじゃん。なんでリョウが持ち出してるのさ」

「ほら、一口やろう」

「……貰えるものは貰っておく主義ですが。流石にあんな重労働をたかがおかず程度で──」

 

 いつの間にか、ウチの冷蔵庫を漁っていたらしいリョウ。取っておいた昨日の肉じゃがの残りが水木君に差し出されていた。いや別にいいけど、彼が訝しむ通り、そんなの交渉材料にもならないんじゃ。

 

「ふっ、ガキが」

「えっ。あ、あの、水木君?」

 

 そう思ったあたしを他所に、芋を一欠け口に運んだ彼はピタリと動きを止めた。何故かドヤ顔を決めるリョウはいつものこととして、水木君は顔を俯かせたまま、その眼を煌々と輝かせる。

 

「──一週間。夕食分のおかずを提供して頂けるのなら、この話お受けしましょう」

 

 ええっ!? なんで!?

 

「今日分だけで十分だ、吹っかけ過ぎだろ」

「割りに合いませんね。5日」

「3日。これ以上はビタ一文まけない」

「……まあいいでしょう。それとは別に、この肉じゃがは頂きますが」

 

 話について行けないあたしを置いて、そのまま謎の交渉に入り始めた二人。というかリョウはともかく水木君、お前それでいいのか……。

 幾らかの火花を散らしたやり取りの末、彼はタッパーを抱えてくるりとこちらに背を向けた。どうやら交渉妥結のどさくさ紛れに、残り全部食べてしまうつもりらしい。

 

「パンチこそ控えめなものの、出汁やジャガイモの甘さの下に醤油とみりんが沁みた、穏やかで優しい味だ。まるで、灯りがついた家で「おかえり」と待ってくれる人のような、ほろりと崩れる朗らかな口当たりだ」

 

「まあ、僕にそんな人は存在しなかったので想像ですが」

 

 口数こそ少なくはないものの、普段はクールというかエキセントリックというか、色んな意味で何考えてるかイマイチ掴み辛い水木君。そんな彼をして、その謎の食レポにはやけに具体的かつ重い感情が籠っていた。

 味わってくれるのは良いんだけど、そこに仄かな闇を仕込むのはやめてくれない?

 

「あっ、テメェ! ……チッ、ガメツイ野郎め」

「なんかよく分かんない内に話が進んでるんだけど、本当に大丈夫?」

 

 あっという間に肉じゃがを平らげてしまった水木君。

 それはいいとして、あのドラムセットを運ぶってことだよね。頼むあたしが言うのも変だけど(言い出したのはリョウなんだけど)、あの大荷物を抱えるのはいくら男の子の水木君でもちょっと厳しくない?

 

 そう心配したあたしに、ある程度選別はさせて下さい、と断り置きしつつ。

 

「伊地知先輩。──粗食は心を削るんですよ」

 

……水木君は、表情を暗い影で隠した。

 

 

「食事など所詮栄養補給だと侮っていた、そんな時期が僕にもありました。実家でもデリバリーが常でしたしね。……ですが」

 

 油が酸化しかけ、ご飯も張りと艶を失った半額弁当。しょっぱいだけで碌な具材もなく、安くて早いのみが取り柄の即席麺。一日二日ならまだしも、一人暮らしを続ける限りそれが毎日三食延々と続く。

 

 まるで味気のない、栄養というより熱量の確保。そんな行為を続けているうち、僕は一体何をしているのだろう。いや、こんなものを摂取してまで、僕は何のために存在しているのだろう。そんな根本的な疑問を抱いてしまうようになった。

 

 おそらくもう少しすれば、そのような人間的な問いも摩耗していたのではないだろうか。

 

 

粗食は、心を削るんですよ……!

「ええ……」

 

 水木君は深刻な声色でそう独白した。その目尻には僅かに光るものすら見える。その前から闇が滲んでいるし、そんな半泣きにならなくても。

 あとわかるとか言ってこくこくと頷くリョウ、お前別に一人暮らしじゃないだろ。

 

「というか、一人暮らしだったんだね水木君。育ち盛りなんだからもっとちゃんとしたもの食べなきゃダメだよ」

「お母さんみたいなこと言ってる」

「分かってはいるのですが、生活費が……」

 

 余計な茶々を入れてくるリョウは放っとくとして、彼は意気消沈して溜息をつく。なんでも実家との折り合いが悪いそうで、親戚からの最低限の援助と奨学金、後はバイトで何とかやりくりしているんだとか。

 

 後で聞いたんだけど、お姉ちゃんも彼の事情は聞いていたらしく、シフトを多めに回したり、パブリック・アドレスのお手伝いをさせて給料に色を付けたりしていたようだ。

 機械音痴のせいで最初は苦労したともいうけど。

 

「全くもう。おかずの件は分かったけど、水木君も自炊とかしてみたら?」

「……善処します」

 

 この後、あたしは時々彼におかずを分けてあげるようになった。とくに見返りを求めた訳じゃないけど、お返しにちょっと高めなお菓子を差し入れてくれたりもして。

 家計も大変だろうに悪いな、とは思いつつ、生意気な後輩が素直に感謝と敬意を表してくれるのは、……結構嬉しかったりもするね、えへへ。

 

 それはそれとして、この後水木君はリョウによる罠の毒牙にかかる訳なんだけど。

 

 ああそれと。

 

「リョウは水木君にあげる分おかずカットね」

「!?」

 

 喜多ちゃんのベースを買い取ってあげた分、盛ってあげようと思ってたんだけどナー。でも二人分も余計には作れないから仕方ないよね。

 

 

 

 

 

「ねえねえ、あたしも郁代ちゃんって呼んでいい?」

「!?」

 

 ギター特訓の成果の披露、ついでに僕への折檻も終わり、彼女達が全体練習に入る間際。

 山田先輩がそう呼ぶなら、という伊地知先輩の何気ない問い。しかし喜多さんはびくりと身体を硬直させた。

 

「……い、いやー誰だろうなーそんなシワシワネームの人? イクヨちゃーん出ておいでー?」

「郁代がぼっちみたいなこと言い出した」

「えっ、いや無理にとは言わないけど……何事?」

 

 身体や顔の輪郭線を下手くそな素描画のようにブレさせ、喜多さんは自身以外の「イクヨ」なる人物を探し始める。山田先輩がそう呼ぶ通り、それは彼女のことなのだが。

 明らかに挙動不審なもう一人の人外。いや、しかしこれは。

 

「おお、喜多さんがまるで後藤さんのように。これも規律・訓練(ディシプリン)の成果ですかね」

「何の成果?!」

「私達を何だと思ってるんですか!」

 

 以前、後藤さんの変形はあの悪魔的技量の代償なのではないかと述べた。ならば喜多さんもまた同様、劇的な成長の対価として、既に後戻りできない身体になり果ててしまったのだろう。

 おお、可哀想に……。彼女へ憐憫の視線を向ける僕に、なぜか後藤さんのほうが憤慨していた。

 

「あーあ! ずっと隠してたのに! この名前嫌なんですよ! 古臭いし、ダジャレみたいでしょう! 「来たー! 行くよー!」ってアホかあ!」

幾世(いくよ)にも使われる素敵な名前ではないですか」

「名前で呼ばないで!」

「名前を呼んだつもりはありませんが」

 

 それはさておき、自暴自棄になったまま喚き散らした喜多郁代女史。確かに多少の言葉遊びは含めたものの、割と本心からのフォローにもまるで耳を貸してくれない。まあ、こういうのは本人の認識次第ではあるのだろうが。

 

 ギターボーカルをお披露目した疲労もあったのだろう。彼女は顔を茹で蛸のように染め上げ、パイプ椅子にもたれ掛かって伸びてしまった。

 

「郁代が弱ってるの新鮮。……いや、水木絡みだと割と散々な目に遭ってるか」

「あんまり意地悪しないの。でもごめんね? そんなコンプレックスがあったとは」

「私の名前は喜多キタです……」

 

 ぷしゅー、と空気が抜けてしまった喜多さん。その額に手を当てていた山田先輩は彼女に肩入れする訳でもないのだろうが、僕に胡乱な視線を向けた。

 

「けど、他人のことは言えないんじゃない? ねえ、()()()()

「そこに言及してしまいますか。伊地知先輩が名前弄りのきっかけを作るから」

「うわ、すごい嫌そうな顔してる。あたしに言われたって困るよ」

 

 ミナミ。女性名と言えなくもない僕のファーストネーム。過去幾度となく繰り返された鬱陶しい記憶に、自ずと眉間に皺が寄る。山田先輩め、面倒な話題を蒸し返してくれたものだ。

 伊地知先輩に責任転嫁して混ぜっ返せば、彼女もおそらく僕と同じ程度には嫌そうな顔をした。

 

「『名を体を表す』。実際、顔とスタイルだけはいいからなコイツ」

「他人を外面だけのように仰らないでください。我ながら特段容姿が良いわけでもないですし、そこを褒められた記憶もありませんよ」

 

 これで野郎だからな、使えん、という先輩の現金な呟き。別に自身が不細工とまでは思っていないものの、体躯も標準の域を出ないか、むしろ貧弱な部類だろうに。そして事実、幾らかでも記憶にあるのはご令嬢だの何だのといった散々な形容ばかり。

 

 そう吐き捨てた僕に、けれど彼女達は愕然とした表情を浮かべた。

 

「絶対嘘だ……。水木くんみたいな美少女、そうそう居るわけないです!」

「念のため確認しとくけど、本当に女の子じゃないんだよね? 一族の謎の因習とか世継ぎがいなかったとかで、男の子のように振る舞うことを強いられてたりはしないんだよね?」

「世を忍ぶ男装の麗人。ほう、金の匂いがする」

 

「皆さんも大概失礼ですよね。特に伊地知先輩はフィクションの影響を受け過ぎです」

 

 結束バンドの面々が捲し立てた案の定の反応。どうせそんな所だと分かっていたが、それでも脱力は禁じ得ない所だ。特に伊地知先輩、所作に育ちの良さが染み出している、などと妙な憶測をするのはやめて頂きたい。こちとら半ば勘当された身である。

 

「というか水木君がおかしいのよ! 何その目付き悪い癖に無駄にぱっちりした二重瞼! 長い睫毛! 艶やかな黒髪! 白くてすべすべの肌! こっちは毎日努力してるのに! ズルいわ! 化粧水何使ってるか教えてください!」

「知りませんよ。畢竟、貴女が仰るように日々努力して()()()り他ないのでしょう」

 

「名前で呼ばないで! 余裕綽々みたいな態度がムカつく!」

「流石に過剰反応では?」

 

 好き勝手言いながら絡んでくる三人に苦戦していると、更に色々な意味で真っ赤な少女が捲し立ててくる。強いて一般論を述べれば、適度な運動と十分な睡眠、そしてバランスの良い食事(伊地知先輩のおかず)だろうか。

 それにしても、最早揶揄でも何でもない音の並びにすらコンプレックスを刺激されるらしい。理不尽な怒りに肩を戦慄かせる彼女には悪いが、正直そろそろ面倒臭い。

 

「伊地知先輩、店長から服を借りて来てください! こうなったらメイクから仕上げて、SNSで晒し上げてやる!」

「はあ。……メ()()()品、か」

「〜〜ッ!!」

「はいはい、二人ともそのくらいにしときなさい。水木君がムカつくのは分かるけど」

 

 とうとう実力行使に出た喜多さんから迫る両手を、パシパシと片腕で捌く。これでは思わず揶揄が口から溢れるのも致し方無かろう。流石に見かねた伊地知先輩が割って入ってくれたはいいが、「ムカつくのは分かる」とは失礼な。

 精神的な疲労と共に、胸に生まれた靄。それを絞り出すように努めて溜息を吐いた。

 

「……まったく」

「ええと、なにか嫌な思い出でもあるんですか?」

「いえ、くだらない昔話です。……母は、どうやら娘が欲しかったようでしてね

 

 不機嫌から滲み出た悪態。不安そうにこちらを見上げる後藤さんに失笑してしまった。特段隠し立てする話でもないのだが、やはり胸中に黒い感情を覚えるのは如何ともし難い。

 

 ──その母の意向だろう。幼い頃、僕は女物を着せられ、私的な集まりで披露させられることが度々あった。当時はそういうものだと思っていたし、流石に長ずるにつれて女装の機会も無くなったものの、その母親達の会合には当然、年齢の近い子供達が居合わせた訳で。

 幼さ故の残酷さでそれを揶揄する同級生は少なくなかったし、そうでなくとも、僕を敬して遠ざけるには十分だっただろう。

 

 脳裏から響く無邪気な声。……南ちゃん、か。

 

「ええ……」

「ゴメン、あたし達が悪かった。それ割と本気で笑えない奴だから」

「お前はどうしてそう冗談が下手クソなんだ」

「また理不尽を仰る」

 

 まあ、今となっては単なる笑い話である。そう鼻を鳴らした僕を他所に、後藤さんと伊地知先輩は顔を青褪めさせた。しかし山田先輩、「冗談というのはみんなでゆかいに笑えることをいうのだ」とは流石に不条理ではないか。

 

「その、ご、ごめんね水木君」

「いいえ。別に今更、悪意ある誹謗と友人同士の揶揄い合いとを区別できないほど潔癖でもありませんよ」

 

 所在無さそうに肩を窄ませた喜多さんにも、先ほどまでの剣幕は見る影もない。しかし所詮は過去の話であるし、そして彼女達が度を越した揶揄をぶつけて来ることはない。……そう思う程度には、結束バンドの面々とは深い仲になってしまっている。

 

「ねえ、郁代さん?」

「名前で呼ばないで南ちゃん!」

 

 そうである以上、変な遠慮をされるほうが不本意だ。そう言い切ったはずの僕に、けれど郁代さんは心底不服そうに気炎を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

「お前ら、お待ちかねの給料日だぞー」

 

 6月の頭のある日。店長さんが私達バイトを集めてほくそ笑んだ。その手の内には五つ重なった封筒が見える。そ、そうか、今日は初めての給料日。私がバイトを始めて……もう一月も経ったんだ。

 

「これ、ぼっちちゃんの分。来月はもうちょっとシフト入ってね」

「は、はいっ……。ありがとうございます」

 

 私は風邪をひいて水木くんにシフトを代わってもらった分、あんまり金額は多くはない。けど、それでも初めての給料! 一万円! わ、私の汗と涙の結晶!

 な、何に使おうかな……! 新しいスコア? 漫画なんて全巻セット大人買いもできるし、いやいやお母さん達に感謝もしなきゃ!

 

「一人一万円、ライブ代として徴収しまーす!」

 

 ……なんて儚い希望は、虹夏ちゃんに無情にも奪われた。

 

「聴いてください。新曲、『さよなら諭吉』」

 

 そういえば、ライブのノルマのためにバイトをしているんだった……。現実の厳しさに思わずゴミ箱の中へ逃れた私。絶望に濁った視界のなか、ただただギターをかき鳴らすことしかできない。

 

「伊地知先輩、なんてことを。おお、可哀想に……」

「そんな顔しといて信用皆無じゃクソ野郎。あたしだって心苦しいんだよー!」

 

 新曲の着想を引き出して頂いたことには感謝しますが。だなんて地味にひどいことを呟きつつ、なぜかほっこりした顔で虹夏ちゃんを非難する水木くん。

 た、他人事だと思って! 水木くんは私の代わりにシフトに入って、たっぷり御給金をもらっている癖に!

 

「水木くんの裏切り者……!」

「確かに水木君はたっぷり稼いで、ノルマもないってんだから。まったくいい御身分だよネー」

「使い途ないなら奢れ」

 

 ゴミ箱の中から水木くんに怨念を送れば、虹夏ちゃんやリョウさんも同調して、彼にじっとりした目を向けた。

 みんなにとっても、ライブ代一万円は決して小さな負担じゃない。結束バンドのメンバーじゃないからとはいえ、一人勝ちみたいな彼には羨ましいと思わずにいられなかった。

 

 そんな私達の僻みに呆れた半目を返した水木くん。彼は額面上はそれなりの額ですね、と開き直ったように諸手を返す。

 

「用途は学費と生活費です。将来を考えると、少しでも貯金もしておきたい所だ」

 

 実際の所、家賃こそ親戚の援助が出ているものの、それ以外の食費や光熱費、奨学金以外の雑費は自身で賄わなければならない。さらには大学への進学費用もある程度は自身で確保しておく必要がある。

 

 ──だからこそ、あんな絶望的な粗食にも耐えなければならない訳です。

 

 苦学生水木南の、ヘドロのように濁り切った瞳。そこには私達への呆れなんてどうでもいいくらい、これからの食生活への悲嘆が込められていた。

 

「ごめん、あたし達が悪かった」

「世知辛い……!」

「草、食べる?」

「せめて差し入れは人間の食べ物にして下さい」

 

 深々と頭を下げた虹夏ちゃん。私も非難の気持ちはすっかりゴミ箱の奥に引っ込んでしまった。齧っていた草を差し出したリョウさんには、水木くんも不本意そうに突っ込んでいたけど。

 

「ま、まあまあ。こうしてバイトしてればひとまずライブはできるでしょうし」

「それがねぇ、喜多ちゃん……」

 

 淀んだ雰囲気を見かねた喜多さんが、苦笑いしながらみんなを宥める。けれど、虹夏ちゃんはげんなりした顔で肩を落とした。

 

「えーっ?! アルバムってそんなにお金掛かるんですか!?」

「駆け出しバンドはスカンピンなんだよー」

「夏休みは海の家とか、バイト増やさないといけませんかね?」

 

 アルバム制作もピンキリではあるものの、それなりのクオリティでレコーディングを行うなら決して少ない金額とはいかない。MV撮影も素人が撮る訳じゃない以上、それなりにお金が必要なはずだった。

 

今の貴女方(ガバロックバンド)がそんなことを考えても無駄な気もしますが」

「そこ! 一々水を差すようなこと言わない!」

 

 うーん、相変わらず身も蓋もない水木くん。

 その一方で私はと言えば、不測の事態にゴミ箱の中で愕然とする。私がこれ以上バイトを増やすなんて、無理! 社会が怖い! なら……!

 

「や、やっぱり結婚資金を……。これ以上バイトなんてしたら、「お客様を不快にさせたで賞」で死刑になっちゃう!」

「「賞」で死刑になるのか……。それはそれとして、ありがたく」

「大丈夫ですよ後藤さん。そんな制度があるなら、僕は伊地知先輩に四、五回ほど処刑されています」

 

「ありがたく頂くな! あとマジふざけんなよ水木!」

 

 お母さんが貯めてくれていた結婚資金が詰まった貯金箱。それをリョウさんへ差し出した私に、水木くんはまるで杞憂、と言わんばかりに肩を竦めた。

 

 ……そのあんまりな言い様に、顔を真っ赤にして憤慨した虹夏ちゃん。リョウさんはともかく、それはそれであまり大丈夫ではないのでは?

 

「冗談はいいとして、ぼっち」

「あっ、えっあっ!? 結婚資金はダメでも、ぎ、ギターを担保にお金は借りられるはずなので……!」

「そうじゃなくて。曲、作って来たんだけど」

 

 へっ……? 思わずギターを差し出した私に、違う違うと手を横に振るリョウさん。彼女が手元のタブレットを弄ると、アップテンポのインストルメンタルが流れて来た。

 わ、わあっ……! ギターが前面に出たポップな曲調が、凄くカッコいい! 虹夏ちゃんや喜多さんも気に入ったみたいだ。

 

「おっ、いいじゃん。後は作詞だね、頼んだよぼっちちゃん!」

「私もやってみたいですっ」

「作詞は意外と難しいんだ。音楽経験が豊富な人が向いてる」

 

 喜多さんが興味深そうに身を乗り出すのを、リョウさんはやんわりと宥めた。作詞は一見簡単に見えるけど、韻を踏んだり、フレーズに乗せて語感よく言葉を積み上げないといけない。

 音楽経験に乏しい喜多さんには、リョウさんが言う通りまだちょっと大変だとは思う。

 

「後は……水木とかね」

「『Discipline』のような詩でよければ」

「ふざけんな」

 

 あのライブから、明らかにリョウさんが意識する相手。彼女の好敵手へと流し目で放たれたその煽りにも、水木くんにはなしの礫だった。

 ……いや『Discipline』*1って。確かに名曲といえば名曲だけど。

 

「水木くん、ディシプリン・クリムゾンなんて聴くんですね……」

「以前、とあるお節介焼きに紹介されて、衝撃を受けましてね。一時期はあのポリリズムをなんとかモノにしようと躍起になったものです」

 

 所詮門外漢の手慰みに過ぎませんでしたが、なんて溢しながら目を遠くした水木くん。その表情は穏やかで、でもなぜか、痛みに耐えるようだった。泣きたいのを噛み堪えるような微笑みだった。

 

『僕のピアノが、貴女や喜多さんのどこかに残るというのなら。……それは、望外の慰めなんですよ』

 

 あの階段で夕陽を眺める水木くんのように。

 

 郷愁、雨が降る時の土の匂い。どこか遠くに彼が居るような気がして。

 

「じゃあ後藤さん、すごい仕事任されてるのね!」

「ええ、彼女なら『Elephant Talk』*2にも並ぶ名曲を書いていただける筈です」

「それAから適当に単語並べてるだけの奴だろ」

 

 ぼうっとしていた私に、キラキラ、キタキタと満面の笑みを咲かせた喜多さん。そしてなぜか自分のことのように薄く()()()()をして──あの微笑みは奥に引っ込んでしまった──水木くんも頷く。

 

 あっ、ああっ! 彼の趣味とかやる気ゼロの発言ですっかり抜け落ちてたけど、私にとっても結構な難問じゃないかぁ!!

 

 

 ……というか私達一応シモキタ系なんで、そろそろプログレから離れません?

 

 相変わらず期待してくれてるんだか、してくれないんだか。胸の中のモヤモヤに私はゴミ箱に隠れて、小さく頬を膨らませた。

 

 

 そして、一 週 間 後

 

「何も思いつかない……」

 

 自作のサインばかりが書かれたノート。それを前に、私は頭を抱えていたのだった。

 

*1
『Discipline』

 1980年代に再結成したキングクリムゾンのアルバム及びその表題曲。再結成以前の重厚長大で叙情的な曲調から、ミニマルなフレーズの反復やポリリズムを多用したニューウェーブ的な方向性に大きく転換。

 あまりに前期と作風が異なるため、『Discipline』『Beat』『Three of a Perfect Pair』の三作の時期を指して特に「ディシプリン・クリムゾン」と俗称することもある。

 ちなみに歌詞はない。

*2
『Elephant Talk』

 『Discipline』に収録されるディシプリン期キングクリムゾンの代表曲のひとつ。ギターシンセを効かせまくった、象の鳴き声のようなギタープレイが特徴。また「Arguments」「Babble」「Chatter」など、会話に関連する単語をただ羅列しただけの意味のない(あるいは意味が解体した)歌詞も見どころ。

 「Elephant Talk」とは「無駄話」を意味する。




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