君の弾き語りが聴きたい   作:待ってください

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『小さな海』

「歌詞の相談、ですか」

 

「う、うん……。その、い、幾つか書いてみたんですけど、どれも上手く嵌まらなくて」

「大分行き詰っておられるようですね。雑談の延長でよろしければ、頭の整理には付き合いますよ」

 

 昼休み、ここ最近すっかりお馴染みになった廊下の隅の薄暗い物置。菓子パンをかじる水木くんの様子も、心なしか気遣わしげに見える。実際、弁当箱を広げた今も鈍い眠気に目がしぱしぱした。

 

 作詞担当、ということで一週間考えに考えたものの──ボーカルの喜多さんの気持ちになり切っていたら、なぜか盛り塩をされたり、除霊師を呼ばれかけたりもした──いい歌詞はまるで浮かんでこなかった。

 中学の頃書いていた作詞ノートも、呪詛みたいな暗い歌詞ばかりで使い物にならない。結局出来上がったのは気分転換に作ったサインだけ。

 

 最近はバイト中でも考え込んで、周りに迷惑をかけてしまったり。……いつも迷惑を掛けているとは、か、考えないようにしよう。

 

「その、せ、青春ソングは身体が拒否反応を起こすので、応援ソングを書こうと思ったんです」

「拒否反応。……いえ、続けてください」

「その、無責任に現状を肯定する歌は、好きじゃなくて。ど、どうしても、薄っぺらくなってしまって……」

 

 本当は一人で書ききってみんなに良い顔をしたかったけど、私も少し疲れてしまった。

 他の人に相談しようと思うと、喜多さんはまだまだ音楽について知識がないし、虹夏ちゃんやリョウさんは学校が違う。なのでその相手は必然的に小さく首を傾げる彼、水木くんということになるんだけど。

 

「そう難しく考える必要もないと思いますがね」

「へっ?」

 

「『♪押し入れより愛を込めて』。完成度高かったですし、あの方向性で良いのでは?」

言うと思った! 私は真面目に相談してるんです!

 

 これだから、これだから水木くんは!

 

 水木くんの音楽センスを疑うわけじゃない。むしろ、すごいピアノの技量を持っている。……やっぱり、ピアノ(キーボード)でドラムパートをそれっぽく再現できちゃうのはなんかおかしいと思う。

 そんな彼は、でもなぜか私のクソな弾き語りをこそ好み、執着するという奇癖を持っていた。

 

 うっすら不服そうな水木くんだけど、そんな顔をしたいのはこちらのほうだ。雑談の延長とはいえ、真剣に悩んでいるのに。

 

「しかし、ロックバンドの歌詞なんて適当とは言いませんが、流行に沿ったものばかりでもないでしょう」

 

 『Elephant Talk』は言うまでもなく、『Thela Hun Ginjeet』*1もそもそも歌詞と呼べるか怪しい。もう少し古い例だと「トーキング・ヘッズ」の『Psycho Killer』もそうか。

 

「最近聴かされたものだと、「SEX MACHINEGUNS」の『エレクトリックアンマー Part1』。アレもなかなか難儀な歌詞でしたね」

 

 私を宥める気があるのかないのか。山田先輩には困ったものだ、別にああいう曲が趣味という訳ではないのですが。なんて白々しくぼやいているけど……。

 

 確かに、そういう遊戯的・実験的な歌詞があるのは事実だ。水木くんが例に出した『Psycho Killer』なんて、本人たちが「シャレで作った曲で、何で売れたのかわからない」って言っているくらいだし。

 そこまでではなくても韻を踏むことを重視して、歌詞の意味そのものは二の次だったりすることは意外と多い。……いやでも、水木くんが挙げたのは流石に極端過ぎやしないかなあ?

 

 やっぱり歌詞は曲の重要な構成要素だし、私は結束バンドの作詞担当。人気者でキラキラした喜多さんが歌うような歌詞を書かなきゃ、ダメなんだ。

 

「わ、私は結束バンドに相応しい、青春! みたいな曲を考えてるんです!」

エレクトリックアンマー(電気あんま)も青少年に特有だと思いますが」

「~~っ!!!」

「痛い痛い」

 

 そんな気も知らないで、仏頂面のまま軽口を叩く水木くん。あえて触れないようにしていたのに、軽口というかセクハラじゃないですか!

 声にならない鳴き声と一緒にバシバシ彼の肩を叩いても、あんまり応えた様子もない。くつくつと小さく喉を鳴らしつつ、私にされるがままに任せている。その一見情感の薄い、でも穏やかに細められた眼が今は癪で仕方なかった。

 

「水木くんに相談した私がバカでした! こうなったらすっごい大作書いて、水木くんもぎゃふんと言わせてやります!」

「ごめんなさい、流石に口が滑りました。けれど歌詞に、音楽に正解も不正解もないはずです」

 

「貴女がそこにいないのなら、貴女の歌詞として正しくない。そうではありませんか?」

「それは、……」

 

 無理に明るい歌詞なんて書かなくていい。私を宥めあやすように目を合わせた水木くん。黒曜石の湿った輝きについ甘えてしまいたくなって、でも。

 

 ……自身への不信が、拭いがたく脳裏を焦がす。

 そんなこと言ったって、私の暗い歌詞を好き好む物好きなんて。弁当箱を茶巾に収めて、すっくと立ち上がる。

 

「そんなの、水木くんが私のクソな弾き語りを聴きたいだけじゃないですか」

 

 そのまま階段を大股に駆け上る。私の弾き語りなんて、きっと水木くんだって物笑いの種にしているだけだ、そうに決まってる。寝不足と興奮で尖った神経では、そんな風にしか考えられなかった。

 

 わ、私だって。あ、あんなクソなのじゃなくて、立派な曲を作るんだ。そして結束バンドのみんなをあっと言わせて、水木くんも見返してやるんだ。

 

「……後藤さん」

 

 ……でも、階段の上から振り返って見た、こちらを見上げる少年の顔。

 どうしてだろう、とても寂しそうで、胸が締め付けられるようで。胸の靄に急き立てられて、もう水木くんの顔も見れないまま、私は教室へ駆け戻った。

 

 

 

 

 

 腹が、減った。

 

 六月、雨が降り出しそうな梅雨の曇り空。

 下北沢のとある喫茶店のカレーのサンプルを前に、私は動くことが出来なくなっていた。

 

 郁代の多弦ベースを買い取ったせいで、我が懐が寒々しいものとなって久しい。

 まあ、勘違いとはいえ、あの子もなかなか勘がいい。次期my new gearにしても良いくらいの上物だったこともあり、買い取ったことに後悔はない。ないが、その代金(と諸々のツケ)で財布の中身は既に空っぽになってしまっていた。おかしい、この前給料日だったはずなのに。

 

 流石にふた月。()()()()()()糊口を凌ぐ生活もそろそろ限界が近い。

 伊地知家に行ってもいいんだけど、まず間違いなく虹夏の説教とお弁当のおかずカットは加わるだろう。今後のQOLを考慮すれば、できればそれは最終手段としたい所だ。

 

 もちろん、実家に帰ればいくらでも食べるものはある。それどころか、あの甘い人達はローンを完済して余りある金額をポンと手渡してくるはずだ。だからこそ、あそこに寄り付きたくはないのだが。

 

 水木あたりにタカるか、いやあいつスマホ持ってないんだっけ、使えん。そんなことを思いながらロインを起動した丁度その時、通知が鳴る。

 誰かと思えば相手は「ぼっち」、作詞ができたから見て欲しい、と。

 

 ぼっちか。……ぼっちかあ。

 

 水木のようなクソ野郎ならいざ知らず、小動物……UMA? ともかく、そういうイメージを連想させる気弱な後輩、ぼっちこと後藤ひとり。

 

 そんな彼女からタカるような行為には、さしもの私も良心の呵責を覚えた。虹夏からは「クズ」などと中傷されるが、全く失礼な話だ。こんなに後輩を労わる先輩はそうは居るまい。

 そうは自負するものの、視界は立ち眩みに霞むし、足にも力が入らなくなってきた。いよいよエネルギーの枯渇が危険水域に入ってきたらしい。

 

 そこにぼっちからのロインの続き。

 

『あの、ちょっと自信がないので』

『できればアドバイスなど頂けますでしょうか……?』

 

 よし、考え方を変えよう。

 

 確かに後輩に一方的にタカるのは良くない。でもぼっちは作詞へのアドバイスを求めているのだから、これはギブアンドテイクだ。タカりじゃない。人間関係、求めてばかりじゃ切ないよね。

 

 腹は決まった。

 

 店の場所をぼっちに送り、私は年季が入っていそうな木製のドアを開く。あまり学生が入らないような雰囲気のお店なので、ぼっちは苦手……いや、面白い反応を返してくれそうだ。

 

 

 

「お待たせしました。カレーセットです。コーヒーは食後にお持ちしますね」

 

 うおォン、私は人間火力発電所だッ。

 

 久方振りに食べるまともな炭水化物に、香辛料の発汗・食欲増進作用。額に浮かぶ汗も気にせず、一心不乱にカレーを貪る。店にやってきたぼっちが懸念(期待)通りに挙動不審さを見せたことも、今の私には大した問題ではない。

 

 ……ふう。ごちそうさま、ぼっち。

 

 その幸福な満腹感に浸りながら一息ついていると、隣に座ったぼっちが気まずそうに、おずおずと鞄からノートを取り出して来た。

 窓際のカウンター席のガラスに映った彼女の顔。目の周りに一際深く隈を作り、今にも泣き出しそうに張り詰めている。ぼっちがベソをかいてるのはよく見かけるけど、これはちょっと様子が違う。

 

「ぼっち。ノート見せて」

「は、はいっ。お願い、します」

 

 ギブは受け取った。ならば今度はテイクのほうだ。

 

 

 

 食後に出されたコーヒーを一口。

 

「……お、おお……これは」

「え、ええと……。精一杯、書いてきたんですが」

 

 私の好みではないけど、他のバンドでもこういうのはあるし、アリといえばアリ。出してきたのが郁代辺りなら、少し手直しして決定稿としてもいい。それくらいの完成度はある。ただ……。

 

「このサインはロックバンドとして、ちょっと子供っぽ過ぎるんじゃない?」

「そ、そっちじゃないです! 歌詞を読んでください!」

 

 ハハハ、ナイスジョーク。

 

 それはそれとして、ぼっちが書いて来た歌詞。

 実際、悪くはない。まさにメジャーバンドが歌うようなティーンエイジャーへの応援歌。しかも今パッとアレンジが浮かんでくるくらいには、言葉選びのセンスもあると思う。

 

 でもそれはイソスタグラムを開いた程度で精神にダメージを受ける、日陰者を拗らせたぼっちの本心からの詩ではなかった。言葉だけが上滑りして、彼女の心に根差していない。なまじ出来がいいからこそ、私はむしろ良くないものを感じた。

 

「この歌詞で、ぼっちは満足?」

「っ……それは」

 

 一瞬、息を呑んで目を見開くぼっち。隣に座る彼女は、いつにも増して背を丸くして俯いた。自身でも内心しっくりと来てなかったんだろう。

 

 窓の外から、雨粒の音が聞こえ始めた。

 

「……喜多さんらしい曲を、け、結束バンドに相応しい、売れ筋な曲を書くんだって。今度こそ、水木くんを見返してやるんだって」

「……」

「そ、そんなこと考えてたら、どんどん、私の言葉じゃなくなっていって。そもそも、私の言葉ってなんだっけって……訳わかんなくなっちゃって」

「そっか」

 

 熱いコーヒーをもう一口、ほろ苦い過去の思い出。

 以前所属していたバンド、ザ・はむきたすの作詞。野暮ったくて私の趣味とは違ったけど、あの子の精一杯の気持ちが籠っていた。売れるためだから仕方ないと無理矢理に笑っていた彼女が、今のぼっちにも少し重なって見えた。

 

「私は昔、違うバンドに居たんだ。……そのバンドの青臭いけど真っ直ぐな歌詞が好きだった」

「……」

「でもいつの間にか、売れるために歌詞を流行りのそれにして。歌詞やバンドの内容がどんどん薄っぺらくなっていって。それが嫌になって、バンドもやめちゃったんだ」

 

 その時のゴタゴタはあまり思い出したくはない。その後風の噂で、あのバンド自体も程なく解散したと聞いた。そうやって、バンド活動そのものに嫌気がさしていた頃。

 

『暇ならベースやってくんない?』

『だってあたし、リョウのベース好きだし』

 

 虹夏の真っ直ぐな言葉に動かされて、私はまたバンドを始めたのだ。

 

「個性を捨てたバンドなんて死んだも同然だよ。他人がどう思うかなんてつまんないこと考えなくていいから、ぼっちの好きなよう書いてよ」

 

 雨脚は強まって、夕立は紫陽花の葉を強く叩く。

 大きく目を見開いたぼっちは、けれど所在なさげに縮こまってしまった。

 

「でも、私なんかが好きなように書いても。そんな、どんよりとして暗い歌詞なんて。……水木くんくらいしか、聴いてくれないんじゃないですか」

 

 私の黒歴史を暴いて喜ぶ、水木くんくらいしか。

 

 俯いたままテーブルの鈍色を映す瞳。図星を突かれた動揺、不安。拭い難い自身への不信。そしてぼっちが頼り、隠れ家にしてきた少年への疑念が映っていた。

 

「ぼっちは水木のこと、そう思ってるんだ」

「だ、だって、そうじゃないですか。……確かに水木くんは友達、だけど。でも、でも、……私のあんなクソな弾き語りを、ヘタクソなギターを好き好んで聴きたいだなんて」

 

「水木くんは、変です。意地悪です……! 性根が、歪んでるんですっ!」

「ぼっち。……ぼっち」

 

 顔を青褪めさせて、小さく声を荒らげたぼっち。その肩を抱き寄せると、彼女は腕の中で嗚咽を堪えるように深く息を吐いた。

 ぼっちは水木のことを信頼しているように見えたけど、だからと言って思うところがない訳じゃない。あいつがなんであんなに好意を向けてくるのか、分からなくて怖いんだ。あのツンデレクソ野郎め。まったく、今度うな重でも奢らせてやろうか。

 

「アレも大概クソ野郎だけど。そこまで腐った奴じゃないって、ぼっちも知ってるでしょ」

「……」

「大丈夫。水木はぼっちのことが本当に大好きなだけだから」

 

 でも、STARRYで弾き語りを聴く穏やかな横顔。それを知っている身としてちょっとだけ。本当にほんの少しだけ、かわいそうになった。

 

『凄腕のギタリストであるかと思えば、みんなの前ではその腕を全く発揮できない。観客に背を向け、震えている癖に──』

 

 そう。逃げなかったよね、最後の最後。

 

 水木南。最近関わるようになった後輩達の中でも、ぼっちとは違った意味で一際の変わり者。まあ、この子達はそれぞれどこか一筋縄では行かないところがあるんだけど。

 私自身、嫌っている訳ではない。あのクソ生意気な態度に虹夏は手を焼いているようだが、個人的にはそういう威勢の良さは望むところ。言うだけの能力や才覚もある。

 

「私に言わせればあんな奴、虚勢を張って強がってるだけの、ただのいいカッコしいなんだけど」

「えーっ!?」

 

 しかし、その才能を腐らせている煮え切らない態度には不満を覚える。

 

 あいつがピアノから離れるに離れられないことは、見ていて直ぐに分かる。既に終わったことだと割り切っているのなら、今更店長と問答なんてしない。ぼっちのことを助けたり、郁代に逆上したりもしない。

 

 だというのに、何に義理立てしているのやら。「音楽はやめた」なんて嘯いて、ぼっちや郁代を羨ましそうに眺めている。そして二人に求められたからと言って、中途半端に未練たらしく、顔を背けながら鍵盤に手を置き続けている。

 

 くだらない虚勢を張るだけの半端者。

 

 そんな奴がほとんど練習期間も置かず、本職も唸らせるリズムパートを披露しやがる。才能とは理不尽だ、ベーシスト舐めてんのか。

 

 とはいえ、だ。目を剥いたぼっちへスマホを差し出す。

 

「これ見て」

「あっ、はい。……これって、水木くん!?」

「金賞だってさ。過去のを見ても何度も入選してる。ごくごく小さい頃からね」

 

 去年のとある全国コンクールの結果と論評。クラシックとしての毀誉褒貶の激しさが伺えるが、演奏家としての才能の開花に疑いはなかった。

 

『凍り付くような端正な容姿。精緻で冷たい鍵捌き。まるで、機械仕掛けのご令嬢だ』

 

 幼少から結果を残し続けた水木は、そんな風にも評されたピアニストだった。

 この間の件であまりに腹が立って、エゴサして弱みを握ってやろうと思ったら案の定。あれだけのピアノの腕前で、何処にも名前が出てないなんてあり得ない。ここまでの実績は流石に予想外だったけど。

 

「そして水木の実家の話。笑うに笑えない話ばかりだった」

「か、課題曲以外聞けなかったとか、GPSとか、女装とか……」

 

 本人は冗談めかしたつもりだったんだろうけど、あいつは本当にギャグのセンスが無い。

 

 妙に芝居掛かった、慇懃無礼で突き放した態度。情動が薄い、というよりそれを表に出すのを忌避する姿勢。年齢に似合わない規律的で整った仕草。

 断片的で小出しにされたそれらすべてが、水木の過去を暗示していた。

 

 あの郁代に課した規律・訓練にしても、敢えて厳しくしたつもりもなかったのかもしれない。ただ自身に課された課題をそのまま出しただけなんだろう、その異様さにも気付けないまま。

 

 正しい演奏。水木はそれにこだわっていた。

 

「そうでなければ()()()()()。あいつはずっと、そんな場所で生きてたんじゃないかな」

 

 いや正しい演奏とか何様だという話だし、普通は早々に破綻するものだと思う。けれどなまじ才能があったからなのか、水木はそれを呑んでしまった。結果を出せてしまった。

 そんなもの、いつまでも続くはずがないのに。

 

「あいつ自身、言ってたよね。『僕は失敗した人間だ』って」

「……水木くん」

 

 去年の全国コンクール金賞の演者が、そのすぐ後にピアノをやめるなんて尋常じゃない。そして郁代が加わるきっかけになった、水木の身も凍るような独白。

 側から聞いていても支離滅裂だったし、全部を聞き取れた訳でもない。ただ、あいつが何か「失敗」したことだけは確かなのだろう。

 

 水木は多分、最後の最後で折れてしまったのだ。それがどれだけ理不尽なものだったとしても、果たすべきだった何かに背を向けてしまった。

 だからあいつは、自身に音楽をやる資格はないと思っている。

 

 そして、あの日ゴミ箱の中で怯えるぼっちは、それでもギターを手放さなかった。ステージから逃げなかった。

 

 

「何度も失敗して、弱音を吐いて、べそをかいて、それでもめげずにギターを弾いてる」

「水木はきっと、そんなぼっちが大好きなんだよ」

 

 

 頑張ったって爪弾き。それでも、爪弾き。

 

 手折れてしまった演奏家の成れの果て。そんな水木が最後の最後のその後に見つけた小さな海。それがぼっちの弾き語りだったのかもしれない。

 

 言葉もなく、青い瞳が揺れている。激しい雨の音が、少しずつ穏やかになっていく。

 

「み、水木くんは、最初から、私をからかったりする訳じゃないって、言ってました。……私の黒歴史を暴いて喜んでるなんて、……本当は、本当は、思ってません」

 

 そんなだったら、あんな優しい顔、しないから……。

 

 震えながら言葉を溢すぼっちの、手元のノートに落ちた雨粒。ぼっちが作る小さな海。

 

「でも、分かんないよ。私馬鹿だから、言ってくれなきゃ、分かんないよ」

「水木が悪い。あいつはツンデレクソ野郎だから」

「……はい。水木くんは、つ、ツンデレクソ野郎ですっ!」

 

 灯台下暗し。自分が最も理解しているはずの個性こそ、時に見失ってしまう。身近で最も信頼しているはずの相手こそ、時に疑ってしまう。

 ごしごしと裾で目元を拭ったぼっち。目は真っ赤だけど、どこかスッキリした顔をしていた。あまり見ることがなかったぼっちの笑顔。

 

 どうも私自身バンドが嫌になった経験があるからか、柄でもなくあいつに入れ込んでしまった。まったく我ながら良い先輩である。喉の渇きを覚えて、コーヒーを流し込む。……温くなっちゃったな。

 

 外の雨も上がった。

 

「まあ、単にネタとして面白がってるのも勿論あるけどね。実際私から見ても面白いし、ぼっち」

「お、面白……!? 台無しじゃないですか! リョウさんもひどい!」

「でさ、ぼっちが書くような暗いネタ歌詞を郁代に歌わせるの、それはそれで面白くない?」

 

 顔を赤くして憤ったぼっちがちょっと微笑ましくて、その頭をくしゃくしゃと撫でる。怒りを維持できずポワポワと蕩けた様子は、こう言うとアレだけどじゃれてくるペットのよう。

 ほれほれ愛い奴め、なるほど水木が入れ込む気持ちも分かる。

 

「そんな風に、バラバラの人間の個性がひとつになって音楽になるんだよ。この間(あのライブ)もそうだったよね」

「はい。……はいっ!」

「ぼっちのそういうところは、私も好きなんだ。だから心配しなくて大丈夫」

「……は、はい。ありがとうございます」

 

 除け者や逸れ者、落伍者や負け犬が、それでもつまらない現実という岩を揺らがす。それこそがロックンロールなのだから。

 少々乱れた髪を手櫛で整えて、ぽんぽんと軽く撫で付けてやる。ぼっちは頬を赤らめたまま、こそばゆそうにはにかんだ。

 

 

 それにしても、『機械仕掛けのご令嬢』ね。また随分と冷酷で悪趣味な揶揄である。

 

 最初の夜のあの演奏。激しい転調と変拍子、そしてアドリブの応酬にも関わらず、水木が差配する旋律の秩序は堅固に維持されていた。その冷徹なまでの精確性を以て「機械仕掛け」とするのは、まあ理解できない訳ではない。

 

 しかしアイツの真骨頂はむしろ──冷徹・精緻な演奏技術をその根として、滅茶苦茶に跳ね回るあのギターを慰め、抱擁し、演奏の中心へ導く。ぼっちの荒々しい演奏にその身を焦がす情熱的な献身。

 凍てつく鉄の技量と、血潮の熱が斑らに入り混じる。冷たいのに熱い音楽。そんなアイツにあの形容はそぐわないようにも思う。

 

 

 まあ、どうでもいいや。あのクソ野郎にこれ以上思考のリソースを割くのも癪に触る。

 

「本当にごめん。来月返すから」

「あっ、はい。い、いつでも大丈夫ですから」

 

 というか今はそんな余裕もないんだけど。ああまで先輩風を吹かせておきながら、喫茶店の出口でぼっちに深く頭を下げている。この現状は正直、身につまされるものがある。いや、夕食分はテイクしたつもりだが……。

 怒りというより困惑におろおろと視線を右往左往していたぼっち。けれど最後には。

 

「あ、あの。……次は、私らしい歌詞、書いてきます!」

「うん。期待してる」

 

 その青い瞳に炎が揺らめくのが、私にも見えた。

 

 

 

 

「あ、あの、リョウさん。み、水木くんは、本当は……!」

「ぼっち。それ、抱えてたら辛い?」

「えっ? ……つ、辛くは、ないですけど」

「なら、聞かないでおくよ。それは多分、水木自身にしか乗り越えられない問題で、部外者が簡単に触れていいものじゃないんじゃない?」

「……はい」

「ぼっちが一人で抱えるのが辛くなったら、何時でも打ち開けて。虹夏でもいいけど」

 

 あのクソ野郎め。

*1
『Thela Hun Ginjeet』

 『Discipline』に収録される楽曲のひとつ。タイトルは「Haat in the Jungle」(「Jungle」はニューヨークの隠語。ニューヨークの銃器、の意)のアナグラム。拳銃を持った二人組に出くわしてここはなんて恐ろしいところだ、だってアイツら警官だったんだぜ? (大意)というナンセンスな歌詞はある意味『Elephant Talk』にも通じるところがある。

 歌詞というか、間奏中にエイドリアン・ブリューの体験談を読み上げているだけなのだが。

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