また作中でも言われていますが、独自解釈が色濃いのでご注意ください。
「喜多、バンドのオーディション受かったんだって? 良かったね」
「うん、ありがとさっつー! ……色々大変だったんだけどね……」
「あはは、お疲れ。一時期は本当に参ってたみたいだし、どっかお祝いでもしに行こっか?」
色々あった……本当に色々あったオーディションも何とか終わった、翌週の放課後。
かの鬼畜生による
彼女からの、いつもなら一も二もなく飛び付くはずのお誘い。夏休みになれば会うことも少なくなるし、私も遊びに行きたいのは山々なんだけど。
「あー……ごめん、今日は用事というか、やりたいことがあって。また今度誘ってくれない?」
「やりたいこと?」
「うん、そのオーディションのやり残しって言うのかな。水木君に、どうしても聞いておきたいことがあるの」
私達を言葉の氷柱で突き刺し、散々に弄んでくれたあんちくしょう。けれど、その評は間違いなく一面の事実を映し出してもいて。
机の下でぎゅっと拳を握った私を他所に、前の席に腰掛けた友人は怪訝な顔をした。
「つるんでるのは知ってるけど……"あの"水木に?」
「……さっつー」
“あの"という言い回しに、どこか仄暗い含みを感じてしまう。確かに水木君は人付き合いも愛想も悪い、はっきり言えば逸れ者。でも、いざ付き合ってみれば良い所だってたくさんある。実際要求は厳しいし、冗談が分かり辛くて怖いし、たまにマジで本気の時もあるから厄介なんだけど。
なんにせよ、”あの"呼ばわりされるような謂れはない、と思う。馴染みがある友達だからこそ、目の前の彼女にそんなこと言ってほしくなかった。
「あーいや、私だって喜多の友達を悪く言いたくは無いんだよ? けど、聞こえてくる噂が噂なもんでさあ」
「噂?」
細めた視線と共にさっつーを咎めれば、彼女は気まずそうに頬を掻きつつ目を逸らした。
あくまで噂だよ? と念押ししつつ、躊躇いがちにさっつーが語る所によると、曰く──
⚫︎ 顔だけは良いクズのバンドマン。
澄ました顔で女を両脇に侍らせていた。
⚫︎ 女を泣かせて、頬を張られていたのを見た。
浮気の常習犯なんだろう。
⚫︎ 他校の生徒を恫喝していた。
⚫︎ 普段はダウナーだが時折狂ったように笑い出す。
恐らくドラッグを常用している。
……どうしよう。
「事実の一端に尾鰭が付きまくってる……!」
「えっ、事実なん?!」
「違うに決まってるでしょ!」
まるで非行少年のような荒唐無稽な噂ぶり。今時の学生でそんなヤツいる訳ないじゃない! ……と、言いたいけど、絶妙に根も葉もないって訳じゃないのが良くない。思わず頭を抱えた私に驚くさっつーも、同じクラスメイトのことを何だと思っているのよ。
彼の名誉を取り戻すべく、私は憤慨とともに立ち上がった。
「水木君はいつも後藤さんを引っ付けてるだけだし、常習犯なのはセクハラで、
「事実じゃん。むしろ噂よりヤベー奴じゃん。あとツンデレクソ野郎って何?」
声を大にして力説した私に、むしろさっつーは困惑とともに身を引いた。あ、あれ? おかしい、水木君を庇ったつもりがどうして。
後ずさった彼女の背にとん、と軽くぶつかったのは。
「その奇矯な罵倒を広めるのはやめて頂けませんか?」
「うわっ!? いつの間に背後に」
「自身を大声で中傷されれば、誰でも抗議に行くものでしょう」
噂をすれば影。さっつーの肩を柔らかく受け止め、僅かに細めた目をこちらに差し向けたのは当の水木君だった。いやまあ、同じクラスメイトのことでぎゃあぎゃあと騒いでいれば気付かない訳もないか。
「あ、あはは……ごめんね水木君。ほら、さっつーも」
「ごめんごめん。けど実際、どのくらい事実だったりする?」
「あっ、こら!」
苦笑いしながら謝った私達だけど、さっつーはニヤリと悪様な笑みを浮かべた。
また性懲りもなく……。さっつーを諌める横で、水木君はふむ、と顎に手を当てる仕草を見せた。
「喜多さんが腕に抱き付いて来たことはありましたね。頰を張られたのも彼女からです」
「事実じゃん。というか喜多」
唐突に真顔でキラーパスを飛ばしてきやがる水木君。さっつーから刺さる視線も幾分冷やかな呆れが混じったもので。
「ちがっ……!? 人聞きの悪い物言いはやめて南ちゃん!」
「それはこちらの台詞です郁代さん」
「名前で呼ばないで!」
な、なんてこと言うの! 確かに表面上の出来事を切り取ればそうだけど、前後の文脈を考えれば噂とは全然違うじゃない!
……それはそれで、私が悪い側なのは考えないものとする。
私の身を乗り出した抗議にもまるで馬に念仏。むしろ仏頂面のまま僅かに首を傾げ、私のウィークポイントを容赦なく抉ってくる。ぐぬぬ、こうなったら実力行使と腕を伸ばすも、事もなさげに片手でパシパシと私をあしらうツンデレクソ野郎。
「あっはは。なんか思ってたより大分愉快なヤツなんだな、水木って」
「貴女が仰った噂話が不愉快極まるだけです」
「いや、やっぱりイメージ変わったよ。少なくとも、入学して最初の頃からはね」
「……それは、そうなのかもしれませんね」
そんなやり取りを側で見ていたさっつーは、腕を頭の後ろに組んで笑い声を上げた。他人事のように……! 水木君のムカつく態度にむくれる私を他所に、彼女は感慨深いとばかりにうんうん頷く。
最初のライブを経て深く知り合う前の、無感動と冷たい倦怠を纏った「特別」な少年。あの赤橙の階段で、オーディションの講評で見せた冷徹な演奏家の顔。それらは確かに彼の一面なんだろう。でも、私の特訓に最後まで付き合ってくれたこと。そして講評とは別に、最後に見せたあの微笑。
水木君が変わったというなら、その温かみを引き出したのは。
「やはり後藤さんの弾き語りか。彼女は最高です」
「ええ……」
「なあ喜多、「弾き語り」ってマジでドラッグか何かの隠語だったりする?」
それはそれとして、後藤さん……というか、彼女のネガティブな弾き語りに執着する謎の感性だけは理解できそうになかった。
それを思い返しているのか、薄く俯きながら瞳を爛々と輝かせ、両手を戦慄かせるジャンキー。明らかに尋常ではないその様子に、私達は率直にドン引きした。
「それで。御友人のお誘いを蹴ってまで、僕に聞きたいこととは一体なんでしょうか」
気を利かせて……単にこの弾き語り狂に関わりたくなかっただけかもしれないけど。とにかく教室を後にしたさっつーを見送りつつ、目の前の男の子と向き合う。
彼が僅かに姿勢を崩して、近くの椅子に腰掛ける姿は太々しいほど整っている。淡々とした口調で問いかけてくるこのツンデレクソ野郎に、私はどうしても聞きたいことがあった。
「水木君は、この間のオーディションで私に「リードギターに見合っていない」って言ってたわよね」
「はい。直裁に言えば、バッキングもボーカルも存在感がなかった」
「うぐっ……そ、それで、私も考えたんだけど」
もっとも、それは貴女の力量不足だけではなく、後藤さんと山田先輩の瑕疵でもあるのですが。そう私達をフォローするようでむしろバッサリ切り捨てた水木君。彼が直言したように、今の私は結束バンドのなかではバッキングとしても、ボーカルとしても力が足りない。もちろんあの地獄のような特訓を経たとはいえ、キャリアの短さはどうしようもないけど、でも。
「私、後藤さんの作った詩の意味が、あんまり分からなくて。それで、歌に力が込められてないんじゃないかって思うの」
『ギターと孤独と蒼い惑星』。デモ音源を聴いた時の水木君には怖いくらいブッ刺さっていたらしいし、カッコいい曲だとは思う。でも、なんというか……歌詞の場面も飛び飛びなら、何かの比喩なんだろうけど、抽象的な言葉達。私にはいまいちピンとこないのも事実だった。
「技術的な問題です。
「それもやってるけど、ライブには間に合わないじゃない! 本番までにできることは何でもやっておきたいのよ!」
「……まあ、声に籠る情感はボーカルの大きな武器ではあるようですが」
が、水木君はそんなこと考えても無駄無駄、と言わんばかりに身も蓋もなく一蹴した。そ、そう言えばこの男、見た目によらず体育会系というか、発想が監視と処罰に偏重した奴だった……!
とはいえ、噴き上がった私には流石に思う所もあったのか。多少面倒臭そうにしながらも、彼はこちらを見上げた。
「水木君は、後藤さんが作った歌詞を深く理解してるみたいだから。私にもその意味を教えて欲しいのよ」
「……」
その深く黒々とした、端正な瞳を見つめ返す。お世辞にも人当たりがいいとは言えないし、言動も風変りというか極端な彼だけど、音楽には良くも悪くも一切手を抜かない。ましてや、後藤さんについてなら。そんな妙な信頼があった。
水木君は私のお願いに、……困ったような、落ち着かないような、何とも言い難い表情をした。
「嫌という訳ではないのですが。何と言いますか、敢えて言葉にするのも無粋ではありませんか?」
「そう? 大袈裟に言ったけど、歌の感想を言い合うなんてよくある話じゃない?」
彼は彼なりに、後藤さんの曲に強い思い入れがあるんだろう。でもこの時の私は、そんなに深刻に捉える必要はないと思っていた。どういう所に水木君が感動して、思い入れがあるのか。それを感情移入の補助線にしたかった。
まあ、ただの感傷と言ってしまえばそれまでか。そう彼は腰を上げて。
「後藤さんの詩は、僕のような逸れ者や負け犬の類のもの。確かに、貴女には少々縁遠い話なのかもしれませんね」
一歩だけ私から距離を離して、水木君は背中越しにそう呟く。そのまま側の机に浅く腰掛け、俯きがちに脚を組むことで……自らを逸れ者、負け犬と称した演奏家が私と再び相対した。
二人だけしかいない、灰色の教室。
影になって見えない表情。グレースケールの視界が演奏家の冷徹で歪む。オーディションの時のように、いつぞやのあの階段のように。真夏のはずなのにしんと空気が冷え込んでいく。
……って、ちょっとちょっと!
「待って待って怖い怖い! そんな深刻な雰囲気出さないでよ!」
「……僕を何だと思っているのですか」
「鬼! 悪魔! 水木南!」
「罵倒を返答にしないでください」
明らかに様子がおかしい黒い少年。恐怖を覚えた私が割り込むと、彼は不服そうに目を細めた。けど私にやらかした所業を思えば、鬼畜扱いも仕方ないと思う。というか、どうして物理的な冷気を感じるまでに雰囲気を凍らせられるのか。こういう所、ホント油断ならないのよね……。
毒気が抜かれたらしい水木君は、はあ、と呆れ混じりに嘆息した。
「しかし、ある程度は真剣にならざるを得ませんよ。今から話すのは、おそらく後藤ひとりという人間の根幹に関わる
「後藤さんの、根幹……」
後藤さんの詩は逸れ者や負け犬の類のもの。そしてあの詩が彼女の根幹に関わっている。濡羽色に輝く黒髪を軽く揺らして、水木君はそう断言した。
私が自分を負け犬と呼ぶのは中々想像できない。強いて言えば、ベースを間違って買ったまま悲嘆に暮れていたあの頃はそうだったのかも。
「そして僕が話せるのは飽くまで僕の解釈であって、後藤さん自身の意図とは異なります。そこは予めご承知置きください」
表層を追うだけでは見通せない、あの言葉達の深い部分。今の私と後藤さんとの断絶。その先に、彼女と水木君の「特別」があるのだとしたら。
頷いた私に軽く鼻を鳴らして、彼は語り始めた。
「まず前提として、後藤さんが音楽を始めたきっかけとは何だと思いますか?」
「えっと、前話した時は世界平和を訴えたくて、なんて言ってたけど」
「『みんなにちやほやされたい』だそうです。可愛いですよね」
「露骨な承認欲求!」
彼はなぜかほっこり微笑ましげに、その残念な事実を容赦なく暴露した。もう、冒頭の真剣味からのこの寒暖差!
何処からか『勝手にバラさないでください!?』という悲痛な空耳。そして可愛いって、その感想もどうなの?
「逆に言えば」
というこちらの喧々諤々を無視して、水木君は静かに語りを進める。
「後藤さんは、常日頃から「認められていない」と感じている」
「……えっ?」
「それは単に「周囲から低く見られている」ということではありません」
そうではなくて、何となく漠然と、この場所にはいられない。そこに存在することを許されていない。そう感じている。
──突然降る夕立 あぁ、傘もないや
──息も出来ない 情報の圧力
傾きかけた西日がその表情を影で隠して。その奥、黒曜石の湿った輝きだけが私を見据える。後藤さんがギターを始めたきっかけ。俗っぽくて、ともすればしょうもなく思えた発想。彼の視線はその暗い影を照らし出した。
「そ、……そんなことない! 後藤さんは私の友達で、仲間だもの!」
「貴女の彼女への友情を疑う訳ではありません」
彼は脚を組み直す。
「けれど、貴女とてSNSを頻繁に更新したり、タレントの話題を集めたり、流行に遅れまいと懸命に努力している。それは何故ですか?」
私の反論に、彼は一度は頷いた。でも黒曜石の鋭い切先は、その影が私の中にもあることを抉り出す。
私が流行を追うのはもちろんそれが楽しいから。でも普通でしかない私は、そうしないとみんなと一緒に過ごせない。そんな不安を全く感じたことがないと言えば嘘になる。
もしそれができなかったのなら、……できなかったのなら。私はみんなとはいられない、そう感じてしまってもおかしくはないのかもしれない。
「実際、割と真剣に疑問なのですが。お互い大して興味もない話題で愛想笑いし合って、何が面白いのです?」
「なんてこと言うの!? そういう何気ないやり取りこそが楽しかったりするんだから!」
そんな雰囲気を自らぶち壊す、真顔で放たれた暴言。確かにそういう人付き合いとか、人に合わせるのって疲れることもあるけど! 私のツッコミにも、まあこの場自体そうといえばそうですね、とまた身も蓋もないことを呟く水木君。身を襲う脱力感に、思わずため息が漏れる。
「何にせよ、それはそういうものなのです。自分自身への不信は拭い難く染み付いている」
水木君は気を取り直すように指を組む。俯きがちに表情を隠しながら、私の目を覗き込む瞳の深淵。その奥底には、未だ黒曜石の鋭い切先が見え隠れする。
──空気を握って 空を殴るよ
──めまいの螺旋だ わたしは何処にいる
孤独とは集団の中でこそより残酷に暴き出される。どうしようもない身の置き場のなさ。自分で自分を見放していく無力感。そしてそれをお飾りの嘘で慰める惨めさ。
「彼女の歌は……というより、ロックとは少なからず、それらの暗い感情が基盤を成している」
後藤さんの孤独を、彼女が抱える影を、水木君は滔々と語りあげる。それ自体はむしろありきたりで……濃淡はあれど、私も、誰もが抱えている弱さだとでも言うかのように。
「けれどただそれだけの、醜い自己憐憫の歌であったのなら、僕はそれを態々好き好んだりはしない」
影を纏った少年が見出したのは、別のもの。
開いた窓から樹木がざわめく、木の葉が冷やした涼やかな風。濡羽色の髪が揺れて、彼の顔が真っ直ぐ見えた。
「後藤さんにはひとつだけ、誰にも負けないものがあった」
「それが、ギター」
「彼女は自分を変えようと決心した。ひとりぼっちで隠していたそれを、いよいよ曝け出すとき」
──半径300mmの体で必死に鳴いてる
──音楽にとっちゃここが地球だな
彼はこくりと頷く。誰もが抱える、凡庸でそれ故に残酷な孤独を抱えた後藤さん。けれど彼女にはギターという「特別」があった。だとしたら、彼女が歌うギター。音楽にとっての地球、「蒼い惑星」とはどんな存在なんだろう。
そこで水木君は立ち上がって、……視線を外して、片手を腰に置いてぐしゃぐしゃと頭を掻いた。顰めっ面に日差しが掛かって、その頬を僅かに赤く照らしている。
「えっと、大丈夫?」
「いえ、問題ないです。……何というのかな。言語化が難しい」
数瞬黙り込んだ水木君は一度下を向いて、そして決心するように深呼吸した。刺す日差しには、橙色が増していく。
「何かに必死で没頭すると、我を忘れる。その感覚は分かりますか?」
「えっと、無我夢中とか、そんな感じ?」
「ピアノに鍵盤を弾かされている感覚。あるいは、他者と一体となる感覚。ひとつになること」
When all is one, and one is all.
To be a rock, and not to roll.
彼が口遊んだ洋楽のフレーズ。主体の変形。
途切れ途切れに語られた、抽象的というか、哲学的でよくわからなかったはずの断片。けれど、私にはひとつだけ心当たりがあった。
「あの最初のライブ、みたいに」
「……まあ、……。そういうことです」
岩は転がって僕達を何処かへ連れて行くように。
何ともつかない、その時はそれどころではなくて、回想で思い返して漸く……それでも、掴みどころのないもの。でも、最高にドキドキして、ワクワクしていたあの「特別」。
一度は手酷く貶したこともあるからだろうか。僕が言うのも何ですが、と気恥ずかしそうに、躊躇いがちに水木君は頷いた。
──だけどさ この手でこの鉄を弾いたら
──何かが変わって見えた ような
──なんでこんな熱くなっちゃってんだ 止まんない
『みんなが私と、私がみんなと一緒になって掻き鳴らして、掻き鳴らして。ひとりぼっちだった私が、みんなと──』
後藤さんもそうだった。あのライブを思って、熱に浮かされたように声を蕩かせていた。心を震わせていた。彼もまた震えていた。ここからが後藤ひとりの詩の、その核心だと。
「他者とひとつになること。思うにそれは、究極の存在承認に他ならない」
「存在の、承認……」
「ひとりぼっちの
或いは、言い表せない「何か」に。
深い橙色を映して、湿りを帯びた黒い瞬き。
「彼女の希望は、「蒼い惑星」はそこにある」
──蒼い惑星 ひとりぼっち
──一瞬でいいから、聞いて 聴けよ
そう荒々しく、切実に叫ばずにいられないのは、少女はそこでしか生きられないからだ。それさえあれば、他に何も要らないからだ。
「ひとりぼっちの後藤ひとりが、ギターだけを頼りに叫んでいる。『私はここにいる』のだと、それでも『
──何かになりたい、なりたい。何者かでいい
──馬鹿な私は歌うだけ
だから、『ギターと孤独と蒼い惑星』。
彼は、その揺れる瞳を閉じた。
後藤ひとりという人間の根幹。彼が語った物語は、一人の不器用な少女が放った渾身の叫びだった。その理解者が真剣に対峙するに足る、身を切り、血を流すように吐き出された言葉だったんだ。
水木君が語る「蒼い惑星」。ありふれた孤独のなかから、彼らが見出した「特別」な希望。止めようもなく心が揺れて、声も出せない。
「まあこんな与太話、彼女が知ったことではないでしょうが。所詮、牽強付会の後知恵だ」
そして全部を台無しにしてそっぽを向いた逸れ者のぼやき。こ、この野郎っ……!
「毎回毎回ちゃぶ台返しするのやめてよ!」
「先程も言いましたが、これは飽くまで僕の解釈。所詮人間など、自分が知っていることしか知らない」
心臓に悪い!
彼の語りに圧倒されていた分、梯子を外されて涙目になってしまった。当の語り手本人は、その私の感慨こそを煙たがるように盛大に顔を顰めていたんだけど。
まるで映画のクレジットが流れる余韻に浸る最中、突然スクリーンをぶち破られた気分だ。思わずむくれて彼を睨んでしまう。
「僕が知っているのは歌詞と彼女の
頬を膨らませた私にも、水木君は露骨に面倒臭さそうに吐き捨てるばかり。
断片を繋ぎ合わせるための憶測、論理の飛躍は数知れず。結論先取や独断、そして偏見ありきの
……なんて、謙遜というか、自虐というか。
いつも飄々としていて、時に居丈高に思えるようなことも平然と言い放つ。けれど一方、水木君は自分を「負け犬」と貶したり、自身の演奏のこともまるでどうでもいいように語ったりする。
「でも、適当って訳じゃないんでしょ?」
「まさか。彼女が全身全霊を掛けて作った詩に、そんな怠慢が為せるものか」
かと思えば食い気味に、ぎょろりとこちらへ差し向けられた心底不服そうな黒い眼。
やっぱりよく分からない。こういう極端な落差は、一体どういうことなのかしら。
「……あれ?」
ふと、引っ掛かった。
後藤さんの歌詞の解釈を軽んじている訳じゃない。彼女の詩を誰より深く読み込んでいたことはわかってる。でもそれが独断と偏見に基づくものでしかなくて、後藤さんの歌詞の意図とは違うものなら。
「畢竟、あれは僕が抱く思いでしかないのであって。そんなものをあまり真面目腐って聞かれても、なんというか、その」
私が向ける視線が変わった、その事に気付いたらしい。水木君はなんとも気まずそうに、苦々しく、赤々と輝く夕陽から顔を背けた。
それって、もしかして。
「……惚気?」
夕暮れの教室に沈黙が満ちる。
完全に表情を影で隠した男の子。踵を返そうとする彼のその腕を、だがこの喜多ちゃんが逃すはずはない。
「放してください郁代さん。だから無粋だと言ったんですよ」
「名前で呼ばないで南ちゃん! というかそんなの最初から知ってたわよ! 水臭いのよこのツンデレクソ野郎!」キターン!
「だからその罵倒表現は一体何なのですか」
私を名前呼びして混ぜっ返そうとする南ちゃん。でも今の私を誤魔化そうったってそうはいかないわ!
そう! こんな
日頃ムカつくあんちくしょうへの意趣返し。いつも弱みを見せない彼が溢した人間味への興味。そういうのは勿論ある。
ただ、水木君の後藤さんへの奇妙な執着は知ってるけど、後藤さんをからかったり、そのヘンテコな振る舞いを愛でたり(?)するのがほとんど。彼が彼女への想いを言葉にしたことなんて、私が知る限りほとんどなかった。
一人の少女が歌に託した孤独と希望。それを掬い上げて弾き鳴らすこと。丁寧に編み上げて、自らの言葉にすること。ひとつになって存在を認めること。あの「特別」な演奏に、私が心惹かれてやまないのは。
それがきっと、愛と呼ばれるものだから。
ひとつだけ、引っかかったことがある。
『所詮人間など、自分が知っていることしか知らない』
だとしたら。水木君も、後藤さんと同じ孤独と希望を知っていたのなら。あの階段の、冷たい激情を露わにした姿を思い出す。
『僕は失敗した人間だ』
彼は何を間違えたのだろう。……何をなくしたのだろう。