「後藤さん、大丈夫?」
「あっ、はい。大丈夫です……」
江ノ島で思い出を作った夏休みも終わり、新学期が始まったその初日の放課後。
全身ピンクジャージの女生徒が生徒会室前で倒れた、と噂を聞いて慌てて保健室に向かえば案の定。私達結束バンドのリードギター、後藤さんが頭に包帯を巻いてベッドで休んでいた。ひとまず大したことはなさそうでよかったけど……傍の机に置かれた紙切れに目が行く。
「ところで後藤さん、個人ステージ出たいのね? 私も出たいと思ってたの!」
一月後に開かれる文化祭。その個人ステージへの参加票には、「結束バンド」と書かれていた。察するに、多分彼女も早速参加票を出そうとしていたけど、足を滑らせたか何かで頭を打ってしまったらしい。
「えっ、あ、あの、でも、虹夏ちゃんやリョウさんは他校ですよね?」
「他校の生徒が出ちゃダメなんて書いてないし。先輩達も賛成してくれるわよ!」
「で、でも、もし大失敗したら、その後の学校生活耐えられる気がしないし……」
文化祭でライブするなんて「特別」な経験、私としては是非ともやってみたい所なんだけど。参加票を書いたはいいものの、やっぱり怖いものは怖い。そんな風に、躊躇いがちに目を逸らした後藤さん。
……失敗。そう呟いて、彼女はその目に真剣な光を灯した。
「……喜多さんは、何か。取り返しがつかない失敗をしたら、どうしますか?」
「えっ?」
珍しく私と目線を合わせて、静かにこちらを見上げた後藤さん。取り返しのつかない失敗? ……あっ。
「昨日あの後、もしかして水木君とまた何かあったの?!」
「あっ、そ、そうじゃなくてっ」
私達が江ノ島に思い出作りに行った諸悪の根源こと、水木君。彼のことを持ち出すと、後藤さんは慌ててぶんぶんとかぶりを振った。
まったく、あんちくしょうが後藤さんを冷たく袖にしたせいで、彼女は夏休みを一人寂しく過ごす羽目になったのだ。……結束バンドメンバーの非は考えないものとする。江ノ島には行ったんだからセーフよ。
それに恒例のギター練習も「良い区切りだから」なんて水臭いこと言ってブッチする始末。後藤さんの怪我がなければ、この後文句の一言でも付けてやろうと思っていた。
「水木くんとは、何もなくて!」
「ホントに? また意地悪されてない?」
「は、はい、大丈夫です。水木くんとは、な、なにも、なにも、……」
それはともかく、私の懸念は外れたようだったけど。
それとは別に不意に語尾を途切れさせ、後藤さんは恥ずかしげに俯いてしまった。前髪に隠れたその表情は、ぽふっと真っ赤に染まった頬に、困惑に下がった眉尻。けれどちらと覗いた口元と目元に浮かぶ喜色は、まさに恋する乙女のそれ。
あー! その顔! 「取り返しのつかない失敗」ってそういうこと!
「やりやがったあの野郎! ついにセッション(意味深)したのね!」キターン‼︎
「うわーっ、ち、違います違いますっ!? セッション(意味深)言わないでください!?」
バンバンと机を叩いてずいと顔を向ければ、後藤さんはやけに眩しそうに両腕をかざしながらこちらを遮った。あの煮え切らないツンデレクソ野郎も夏休みの最後の最後、ついに観念したのね! 私に面倒臭い惚気を垂れるくらいなら、後藤さん本人にもっと優しくしてあげなさい!
どこまで行ったのか、喜多ちゃんとしては非常に気になる所だけど、彼女の質問の意図はそういうことではないらしい。
彼とのことはまた追々聞くとして。うーん、取り返しのつかない失敗……。
「それでも、謝るしかないんじゃないかしら。謝って、今できることを精一杯、頑張るしか」
「今、できること……」
「私が言えた義理じゃないけどね」
そう言いながら、私が結束バンドに入った経緯を思い返す。今にしてみれば……水木君とのあのやり取りがなければ、本気でセッションを練習したあの特訓がなければ。後藤さんや伊地知先輩はともかく、リョウ先輩が私のことを本心で受け入れてくれていたかは怪しいと思う。
私の時みたいに、一人でうじうじ考えるより、思ったこと全部吐き出すほうが上手くいくかもしれない。どうせあのツンデレクソ野郎だって、何かつまらないことを考えていたに決まっているんだから。
静かに俯いて、その瞳の青を揺らす後藤さん。その傍でクーラーの風に揺れる参加票。……そうだ、いいこと思いついたわ!
「水木君も文化祭に出ちゃえばいいのよ! みんなで出れば、後藤さんも怖くないでしょ?」
「ええっ!? で、でも水木くんは」
「大丈夫! あんなんでも腕前だけは折り紙付きだし、フフフ。出演届さえ出しちゃえばこっちのモンよ……!」
赤信号みんなで渡れば怖くない、じゃないけど。結束バンドの時以上に目を剥いた後藤さんに、自分でも持っていた参加表を取り出して見せる。くふふ、と小さくほくそ笑み。
ジッサイ悪い手じゃないと思うのだ。鬼や悪魔の類の特訓を仕込んでくれやがった意趣返しもあるし、彼も彼で、やめたと言いつつ練習にも付き合ってくれたし。案外、後藤さんもお願いすればあっさり押し切れちゃうんじゃないかしら。
「だ、ダメですっ! それは……!」
なんて考えていると、後藤さんは血相を変えてこちらへ顔を突き出した。えっ……? た、確かに悪ふざけではあるけど、ここまで大きなリアクションがあるとは思わなくて、びっくりしてしまった。
という思考の空白に、不意に置かれた手のひらの感触。その直後、頭に鈍い衝撃が響く。
「あ痛ったぁっ!?」
「他人に無断で事を進めて、既成事実化した後でなし崩しに事後承諾を得る、と。随分と愉快な企みをしてくれますね」
「み、水木くん」
噂をすればなんとやら。頭を抱えて悶える私の後ろから、冷めた目でこちらを見据えた水木君。ぐぬぬ、手のひらの上から叩かれたので衝撃はともかくあんまり痛みはないけど、子供扱いされてるみたいでムカつく。
ならば子供じみた悪ふざけは慎むことです、と悪態を吐きつつ、彼は手元の鞄を後藤さんに差し出す。どうやら彼女の荷物を取ってきたのでここに来るのが遅れたらしい。
「後藤さん、昨日はお世話になりました。お怪我が大事なさそうでよかった」
「あ、ありがとうございます。……ふへへ」
「痛たた、冗談だってば。そしてやっぱり昨日ナニかあったんでしょ!」キターン‼︎!
鞄を受け取った彼女の髪をそっと掻き上げ、傷の様子を優しく確認する水木君。側から見ていてもギクシャクさが否めなかった昨日と違う、妙に親しげな仕草。そして照れ臭そうに目を逸らして、小さく、幸せそうにはにかんだ後藤さん。
コレ、絶対何もない訳無いじゃない! 伊地知先輩はダメだった*1のに! 私を蚊帳の外にしないで!
「喜多ちゃんにも経緯を話しなさい!」
「どこから話したものかな。なぜか分裂した後藤さんが、いかなる経緯かメンダコになってしまったらしくて」
「……何の話?」
「昨日の事はさておき、文化祭の個人ステージに結束バンドが出演しようというお話ですか。何か問題でも?」
「え、ええと、も、もし失敗したらって思ったら、怖くて……」
気を取り直して、と水木君は改めて疑問を浮かべた。……字面だけだと適当にはぐらかされたようにしか思えないけど、妙にほくほくした彼の様子が逆に真剣味を帯びていて、「あっコレ深く突っ込まないほうが良いヤツだ」ってなっちゃったのよね……。
傍で慄く私を他所に、しゅんと萎れながら個人ステージに出演する不安を溢した後藤さん。
「失敗も何も、文化祭の個人ステージなどは所詮内輪の賑やかし。多少下手クソなくらいがむしろ適切なんですよ」
「なんてこと言うの!? 私達今からそこに出ようって話してるんだけど!」
そして例の如く、冷ややかにとんでもない暴言を投下したクソ野郎。言い方ァ! そ、そりゃ有名私大でもあるまいし、文化祭なんて盛り上がりさえすれば演奏の巧拙なんて些細なものってのはあるかもしれないけど!
あんまりな言い草に憤慨した私にも、水木君は芝居がかった仕草で肩をすくめるばかり。
「曰く、一人だけパフォーマンスが突出しても、他との落差で興が醒めるのだそうで。しかし、半ば出演を無理強いしておいて出入り禁止とは、中々人を舐めた対応だとは思いませんか?」
「ええ……」
ただ、自身の経験を端的に述べた演奏家の皮肉気な嘲笑には、流石に反応に困ってしまった。不遜なのやら不憫なのやら、後藤さんも絶句している。
「まあ翌年以降は出演者が集まらず、個人ステージ自体がなくなったようですが」
「ごめん。正直出禁にした人の気持ちはすごい分かる」
いや、前言撤回。確かに彼の専門だったらしいクラシックなんて、観客のボルテージが上がるような演目でもない。
リョウ先輩に言わせればプロの演奏家にも匹敵する彼の技量に、空気を物理的に凍て付かせる演奏家の冷徹。それらが組み合わされば、良くも悪くも会場は静まり返ったことだろう。その後に出し物をしなきゃいけない中学生の子が辛すぎる……。
そこで私は今更ながら、水木君が弾くクラシック音楽を聴いたことがないのに気が付いた。5月の変則ライブだったり、後藤さんとのお手本のセッションだったり、先輩方に披露した演奏だったり。とても上手いのは分かるけど、全部、彼の本領ではないのよね。
水木南の……私が憧れた「特別」の、本当の姿。
「で、でも、やっぱり変なことになったら、さ、三年間、なに言われるか……」
「除け者扱いは今更では?」
「ひどい!」
……はあ。
その「特別」は私の気も知らないで、デリカシーのカケラもない言葉の刃で後藤さんをブッ刺していた。いつも通りと言えばいつも通りの気の置けないやりとりだし、悪いことじゃないんだろうけど。
頬を膨らませた後藤さんを他所に、彼はこちらにその目を流し向けた。
「それに結束バンドの活動と言うなら、喜多さんのご意向も尊重されるべきだと思いますよ」
「あっ、……はい。そう、ですよね」
「後藤さんがどうしても嫌ならしょうがないけど、私は結束バンドのみんなで文化祭のステージ、出たいと思ってる」
バイトまでもう少し
「さっきは冗談って言ったけど。やっぱり、個人ステージに出るつもりはないの?」
ぽつりとこぼれ落ちた呟き。隣の気のない男の子の目が、露骨に面倒臭そうに細まった。
「私、水木君のクラシックが、水木君の本気の演奏が聴きたい!」
「またそれですか。先の企みといい、駄々を捏ねればなし崩しに要求が通る、などと思ってはいませんか?」
「違うの?」
「……」
呆れ混じりに嘆息する少年。けど、こちらも居直った笑みと一緒に頷き返せば、彼は目元を影で隠して閉口した。
水木君って、物言いや振る舞いが一々極端だから突き放したように見えるだけで、意外とこっちの言うことを無碍にはしないのよね。リョウ先輩が「ツンデレクソ野郎」なんて呼ぶのも分かるというか。
「以前は僕にも負い目がありましたが、既に義理は果たしたはずです。もう一回はなしですよ」
「えー? 喜多ちゃん興味あります! 水木君のクラシックじゃなきゃヤダッ」
「本当に駄々を捏ねないでください」
我ながら図々しい要求に疲労がこもった声色で返しつつ、こちらを置いて歩き出したツンデレクソ野郎。彼を追いかけようとした私に、後ろから声が掛かった。
「喜多ちゃーん! みんな待ってるよ?」
「カラオケ行くって約束でしょ?」
「あー、ごめんごめん。他のクラスの友達が倒れたって聞いて」
「えっ!? 大丈夫?!」
「うん、大事なさそうだったから。ありがとう」
振り返れば、私のクラスメイトの二人がこちらに手を振り、小走りで駆け寄ってきた。確かに、今日は彼女達クラスメイトと久しぶりにカラオケに行く約束をしていた。
最近はバンドの練習やバイトでなかなか行けなかったけど、今日は丁度そのどちらもなし。久しぶりにバンドと関係なく、みんなで遊ぶのもいいと思って。
あっ、そうだ。
「たまには水木君も一緒に来ない?」
と、後ろにいるはずの水木君に声を掛ける。STARRYのシフト表では、彼も今日のシフトにはいなかったはず。いつもはクラスの輪に加わらない一匹狼も、たまにはみんなと交友を深めてもいいんじゃない?
……後ろを見やると我関せず、とばかりに彼はスタスタ歩き去ろうとしてたんだけど。こういう無愛想な所は相変わらずねえ、なんて内心呆れていると。
「えっ!? み、水木君……!?」
「えーっと、その、喜多ちゃん……」
えっ?
二人の困ったような、腫れ物に触れるようなおそれが伝わってくる声。茫然としていた私の背から、事務連絡のような平板な応答が返った。
「僕は遠慮しておきます。カラオケなんて柄ではないですから」
「ちょっと、二人とも」
「い、いやあ、そ、そういうんじゃないんだよ? でもさあ……」
安心しろ。言われずとも、己れが招かれざる客であることは承知している。遠くから慇懃に、むしろ彼女達を宥めるような水木君の声色。そして口では否定しながら、顔に明らかな安堵を浮かべたクラスメイト達。
……なにそれ。
「ほ、ほら、早く行こ?」
「ごめんね水木君、喜多ちゃん借りてくから」
「……やっぱり、行かない」
「喜多さん、僕のことはお構いなく」
「行かないっ」
思わず、語気を荒げてしまった。二人もそうだけど、さも当然のように、他人事のように言う水木君のほうが気に入らない。
彼のほうに一歩、二歩歩み寄って、それから振り返って私は言った。
「ごめん、二人とも。でも水木君は私の大事な友達だから」
「……わ、分かったよ」
「ごめんね水木君、喜多ちゃん……」
気まずそうに去っていくクラスメイト達。自分でも友達に怒るなんて思ってなかったし、明日から教室に居づらくなるかもしれない。でも、今の私はそれでも良かった。
後ろにいる、本当は誰より凄い「特別」な演奏家。その影が隣に並ぶ。
「個人ステージ、出てよ」
「先ほどのことはお気になさらず。僕の身から出た錆ですから」
「水木君は悔しくないの!? 水木君は本当は「特別」なのに、除け者扱いされて!」
振り向いて当たり散らすように喚いた私を、水木君は穏やかに宥める。なんでよ、これじゃ私が我儘を言ってるみたいじゃない。
変に出回ってる噂は全部出鱈目で、水木君は何も悪いことはしてないじゃない。今の彼は春頃の冷たい人じゃないのに。
「……喜多さん」
彼は子供をあやすような、困り顔で。
「いや、割と真面目に身から出た錆なんですよね。以前、貴女がいない場で彼女達のカラオケに同道する機会があったんですが」
「へっ?」
「まあその、なんと言いますか」
えっ、カラオケ行ったことあるの? 数瞬真っ白になった脳裏に、過去やらかした例のセトリが浮かぶ。……ま、まさか、コイツ。
思わず怪訝に差し向けた視線に、セクハラクソ野郎は太々しく両手を掲げた。
「悪いのは山田先輩だと思いませんか?」
「バカー! なにやってんの!?」
「痛ッ、痛い痛い。しかし、僕が人前で歌えるようなレベルのレパートリーはそれくらいしかなかった訳で。男子もいましたし、逸れ者が漫然と歌うよりはウケるかな、と」
「ウケる訳ないでしょ!?」
カラオケボックスの雰囲気を打ち壊すのは一周回って面白かったですね、なんて戯けたことを抜かすクソ野郎の肩をバシバシ叩く。というか後藤さんというものがありながら、また謎の欲望を曝け出して!
もう、もう! このクソボケの寒暖差、本ッ当に慣れない! あんなセクハラソングをいきなり歌ったら、そりゃ出禁にもされるわよ!
「はあ、心配して損した……。あの二人にも謝っておかないと」
「何にせよ、昔から除け者扱いは慣れた物です。我が母校の文化祭などは、まさにそういう話だった訳ですし」
ひとしきり罵倒とこぶしを繰り出して、色んな意味での疲労にがっくり肩を落とす。そんな私に、水木君はくつくつと含み笑いを零した。
笑えない冗談で私を宥める、孤独の影を色濃く纏った男の子。こちらを気遣りつつも、機械が軋むような冷たい自嘲の音。
「……やっぱり、いやだ」
そんな現状を良しとして、涼しい顔をしている彼がどうしても認められなかった。
「個人ステージ、一緒に出ようよ。水木君の演奏、みんなにも見せてよ」
「……困りましたね」
ぐずる子供を慰めるみたいな口振りで苦笑いを深めて。彼は芝居がかった仕草で肩をすくめて壁にもたれた。窓から夕陽が差し込む廊下の、その間の影に隠れるように。
「以前も言いましたが、僕はごくごく普通の……いや、むしろ失敗した人間です。あなたが期待する「特別」などではありません」
「……そんなの、知ってる。そういうのじゃない」
黒曜石の湿った輝きがこちらをまなざす。本当は知ってる。「特別」なんて、私が彼に被せた鏡像に過ぎない。
水木君はピアノが上手いだけの、どこにでもいる男の子だ。くだらない意地悪をして笑うし、なんでもないはずのことで悩むし、過去の失敗を悔やんで怒ったりもする。
見てしまった。……夏休みの最後の日。江ノ島の駅前広場の片隅でうたた寝していた彼の、その頬がうっすらと濡れていたことを。
本当は知ってる。水木君が、ひとりぼっちで泣いていたことを。
「練習だって、区切りだなんて言わないでよ」
夕暮れの赤橙が滲む。私達が登るステージに、彼だけがいないなんて。
「水木君がひとりぼっちなんていやだ」
悔しい。普通でしかない私には、後藤さんみたいに弾き語りで彼の心を動かすなんてできない。今も子供のように駄々を捏ねるだけ。それでも、水木君は目を大きく見開いて、……小さくはにかみながら瞑目した。
普段は後藤さんにしか向けない、柔らかな表情。
まったく、どうにも僕はクソ野郎のようだ。
「後藤さんも、貴女のことも泣かせて。挙げ句の果てにそれを嬉しいと思っている」
「……泣いてないっ」
「失礼」
表情を隠した濡羽の前髪。その奥で、碧い焔がわずかに瞬く。後藤さんの「蒼い惑星」。それを語った時と同じ心の震え。
「喜多さん。もし貴女が取り返しがつかない失敗をしたら、どうしますか?」
後藤さんと同じ問い。自らを「失敗した人間だ」と貶した少年。「逃げ出したのはこの僕なのだ」と、冷たく偶像を切り裂いた演奏家。
かつての私には答えられなかった。でも。……ぎゅっと、手を握る。
私がやろうとしていたこと。後藤さんと水木君が居てくれたから、できたこと。
「それでも謝る。そして、今の私ができることを精一杯やる」
今なら、少しだけわかる。想いが降り積もった海の底から、貝殻が浜辺に届くように。
真剣な想いは、それそのものは失敗だったとしても、報われなくても、きっと誰かに伝わっていく。後藤さんの孤独が綴られた『ギターと孤独と蒼い惑星』のように。リョウ先輩と伊地知先輩が、一度は逃げ出した私を認めてくれたように。
「だからあなたは、私を助けてくれたんでしょう?」
「特別」なあなたへの憧れをぶつけた、私と水木南のように。そんな風に私は彼を、結束バンドのみんなを信じている。
「流石だ」
答えを受け取って、演奏家は満足そうに頷いた。
不意に、彼は薄く苦笑を浮かべた。見落としていた何かに気付いたような、自嘲しながらも何処か嬉しそうな独り言。どうにも格好が付かないが、先ずは義理を果たさなければ、と。
暮れていく夕闇に穏やかな笑みを溶かして。
──彼女に、言伝をお願いできませんか?
「はあ、喜多ちゃんには悪いことしちゃったな」
「確かに除け者扱いに見える、っていうかそのものだよね……。けど……」
「あれ、喜多さん来ないの?」
「その、水木君はちょっと、って言ったら怒っちゃって」
「えっ!? 水木、いや水木さんが来んの!?」
「マジ!? あの勇者の歌(意味深)がまた聴けるのか……!?」
「おい、他の奴らも呼べ! 伝説の第二章が始まるぞ!」
「来ないから! 男子がこうなるから嫌だったのよ!」
「サイッテー!」
少し経った、文化祭ステージ参加票提出の最終日。
「後藤さん! 文化祭の個人ステージだけど」
「き、喜多さん。……そ、その」
廊下で鉢合わせて、気まずそうに視線を逸らした後藤さん。そんな彼女に顔の前で手を合わせながら、私は深ーく頭を下げた。
「ごめん! 伊地知先輩とも相談したんだけど、どうしても出たくって……。こっちで参加票出しちゃった!」
「えっ、……えっ……!?!?」
寝耳に水の話に、驚愕のあまり彼女の顔は抽象画のように変形。
ううっ、勝手なことをしてるとは分かってるし、伊地知先輩からも「ぼっちちゃんの決心を待ってあげて」って窘められたけど。だ、だって水木君にあんなこと言った手前、私達が出ないとお話にならないじゃない!
……いや、それも私の都合でしかないんだけど。でもやっぱり、どうしてもみんなで文化祭ステージに出たかったのだ。
「でも安心して! 水木君のもついでに出しといたから!」
「えっ!? ……み、水木くんはそれ、良いって言ったんですか……?」
「言ってないけど、でもきっと大丈夫」
みんなで出れば怖くない。そして、水木君だけがステージにいないなんて嫌だ。
きっと彼も呆れはするだろうし、怒られもするだろうけど。結局は仕方がないと、いつものように芝居がかった仕草で両手を掲げて降参してくれるはずだと信じている。
けれど、後藤さんは全身をぶるぶると震わせて。結束バンドの参加票の時よりも更に深刻に、見る見る顔を青ざめさせた。
「な、なな……」
言葉にならない感情が漏れた呻き声。信じられないものを見るように、大きく見開かれた青い瞳が涙に滲む。
その涙目が怒りの形に歪んで、そのまま後藤さんは私を追い越すように……私を置いて、いつもの物置のほうへ駆け出した。
……えっ?