──一弦が切れた!?
文化祭二日目、結束バンドのライブ本番真っ最中。ぶつり、弦が弾けた嫌な感触に背筋が凍る。
昨日までなんともなかったのに……本番前のリハからずっと、微妙にチューニングが合わないと感じていた。でも、こんな土壇場で機材トラブルなんて!
せめて二弦のチューニングだけでもっ……ああっ、ペグが壊れてる!?
これじゃ、せっかくの文化祭ライブが台無しだ。もっとよく確認していれば気付けたかもしれないのに、私のせいで……。どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……!?
焦りばかりが先走る間にも、ギターソロの瞬間が迫る。私と喜多さんのライブだからって、リョウさんが用意してくれた一番の見せ場なのに。
ぐちゃぐちゃに乱れた思考に足を取られて動けない。あの路上ライブで芽生えた何かを、水木くんに返すんだって、そう決めたのに……!
みんなが耳を傾けずとも、僕だけは貴女の音を聴いている。
そう言ってくれたのは、貴女じゃないか。
思い出が走馬灯のように蘇る。
静かに脳裏に響く声……水木くん。
そうだ。私は──
──月が綺麗で泣きそうになるのは
──いつの日にか、別れが来るから
「そろそろ、僕の背中に隠れるのはやめませんか? 僕とて、羞恥の感情が無い訳ではない」
「だ、だって、キラキラした青春の光景がま、眩しくて……」
「はあ。まあ、構いはしませんが。僕には役得でもありますしね」
文化祭の初日も終盤に差し掛かって、イベントもないから人も寄りつかない体育館裏のベンチ。私の隣に並んで座った水木くんはこちらへじとりと横目を向けた。
ううっ、そ、そんなこと言ったって。二人っきりで文化祭を見て回るなんて、女子高生の青春じみたこと。私ごときツチノコなんかには畏れ多くて、彼の背中に隠れるしかなかったのだ。
……背にUMAを引っ付けて好奇の視線に真正面から晒された、そんな水木くんが溜め息を吐くのも無理はないけど。
どうしてそんなことになったかと言うと。
『結局水木君、ずっと教室に居たんじゃないの?』
『着替えるのも簡単ではないですからね。それとも、あの格好で外を出歩けと?』
『背中が煤けてるな……』
メイド服や執事服を身に纏った見目麗しい結束バンドの面々。みんなの協力もあって、一年二組の模擬店は今日分のオムライスを早々に捌き切っていた。サイドメニューの売り上げも上々だったみたいだ。
……喜ぶクラスメイト達を濁り切った目で眺める水木くん。その力なく落とした肩を、虹夏ちゃんは苦笑いしながら宥めた。
『今からでも少し回ってきたら? ぼっちちゃん、水木君のこと案内してあげなよ』
『うえぇっ?! わ、私っ、ですか!?』
『皆様はこの後、STARRYで最後の練習をされるのでは?』
『スタジオを借りた時間までちょっと合間があるんだよ。というか空気読め空気を』
二人で色々回ったら、いい思い出になるんじゃない? とこそっと耳打ちした虹夏ちゃん。お、思い出って、その、み、水木くんはまだ友達でしかない訳でっ。……かの唐変木は例の如く、気のない返事をしていたんだけど。それはそれでなんだかちょっとムカつく。
なんて内心を他所に、ならば遠慮なく、と水木くんは首をこちらへ傾ける。
『では、後藤さん。お願いできますか?』
『は、はいっ』
『……あの、案内して欲しいんですが』
そうは言ってもさっきのとおり、青春がキラキラ瞬く文化祭の廊下を直視なんてできなかったんだけど。ひしっと背にしがみついた私に、水木くんは呆れた声を溢した。
相変わらずの、ひんやりした温もり。ちょっぴり癪にもさわるような、でもなんだか安心する私の隠れ家。少しだけどきどきする胸を隠して、ぎゅっと彼の背に顔を埋めた。
『ふっ、やるなぼっち』
『くっつくんだか、そうじゃないんだか。相変わらずだなあ』
『あの二人はそれでいいんじゃないですか?』
『それもそうだね。なんだかんだ二人とも楽しそうだし、いっか』
──教室を後にする私達の背を優しく見守る。そんな会話は、胸の鼓動で届かなかった。
そんなこんなで、模擬店を回るのもそこそこに文化祭の喧騒のはずれ、体育館裏で二人屯していた私達。
「え、えっと。……その。明日、ここで私達、ライブするんですよね」
「何か、ご不安でも?」
少しばかりの沈黙。……なんとなく、胸のざわめきが収まらない。もちろん、私達自身のライブで緊張しているのはある。今までのSTARRYの箱よりも人数だけで言えば大きい訳だし、わ、私のギターソロだってあるんだし。リョウさんが「私達の文化祭だから」って、見せ場を用意してくれていた。
でも、それよりも。あの路上ライブから、文化祭ライブをやるんだって決心してからも、心の奥底でずっと引っかかっていることがある。
なんてこちらの気も知らず、水木くんは不思議そうに首を傾げた。
「過去問を集めてまで赤点を回避したのですから、訓練が足りないということはないはずですが」
「ひっ!?」
く、訓練!?
「訓練は、規律・訓練はやぁ!」
不意にフラッシュバックした試験期間の悪夢。
確かに彼は放課後に始まり週末には家に来てまで、付きっきりで勉強を見てくれた。……と、言えば聞こえはいいんだけど……。
食事と睡眠時間以外は厳重に敷かれる監視! 座り方から拘束する細部までの取り締まり! そして規格化を行う制裁として、幾重にも積み重なる演習問題! 本当に比喩でも何でもなく、身体と精神、そして魂を型に嵌めんとする規律訓練型権力!
ううっ、同じく訓練を受けていた喜多さんの苦しみが今更になってわかる。「遊びに来る」って言うから、ちょ、ちょっと楽しみにしていたのに。これじゃ家が監獄じゃないですか!
「おお、お労しや後藤さん。人間諸科学の進歩に犠牲は付き物です」
「鬼! 悪魔! 水木南!」
幼児退行した叫び声を上げた私に、他人事のようにほっこり頬を綻ばせた悪の科学者。ひどいよ。
じゃなくて。
「その、左手は、だ、大丈夫なんですか?」
「ン、……まあ、なんとかしますよ。僕とて、痩せても枯れても演奏家ですから」
「……でも」
左手の甲に刻まれた傷。それを見やって、水木くんは苦笑とともに鼻を鳴らす。
喜多さんに思う所はもうない。左手の怪我のことを知らなかったから、参加票を出してしまった。彼と一緒にステージに出たいという喜多さんなりの好意、ただそれだけだったから。
だけど演奏するたび、彼は立っていられないほどボロボロになってしまう。
あの十二進法の夕景で彼は私を優しく抱いた。弾き鳴らさずにはいられないと、演奏家はそう言った。
でも。
「……水木くんは、……痛くないんですか? 辛くないんですか?」
視線が手元に落ちる。もしも、水木くんが喜多さんのために、お節介焼きの人のために、……わ、私なんかのために、ピアノを弾くなら。
優しい嘘、つかなくていいんだよ? 痛い思い、しなくていいんだよ?
「水木くんが、ぴ、ピアノを弾くのが辛いなら。苦しいなら」
「もう、頑張らなくていいんだよ?」
そんなことが言いたい訳じゃないのに。私だって、水木くんのピアノが聴きたいのに。助けてあげたいのに、どうやって手を伸ばせばいいのかわからない。
彼のこれまでの献身を台無しにするような、そんなひどい言葉。おそるおそる横目をやると、水木くんは目をまん丸にしていた。まるでそんなこと、思い至ってすらいなかったみたいに。
そうか。……彼はゆっくり、噛み締めるように瞳を閉じた。
「そうですね。確かにそうだ」
ああ、なんとなく分かってしまった。
見捨ててしまった夢の蘖を見届けて。最初の願いに別れを告げて。演奏家は今度こそ、自分の役目が終わったことを心の底から受け入れてしまった。
それでも。
黒曜石のような眼をもう一度見開く。そこに宿った碧い焔。
不意にベンチから立ち上がった水木くんは、体育館の入り口から、明日登壇するステージをのぞんだ。つられて、私もおずおず中を覗く。……事前のセッティングはもう終わっていたんだろう。
誰もいない静かな壇上。差し込んだ陽に照らされたグランドピアノ。
荘厳、というんだろうか。なんとも言えない迫力に気圧された私の隣で、息をこぼすような僅かな笑みの音。
「後藤さん。お手を拝借」
「えっ?」
左手を差し出した水木くんは、逆光の影に表情を隠しながら、それでも穏やかに笑っていた。イタズラを思い付いた少年の無邪気な微笑み。
見惚れて思わず握った手を引いて、彼はずんずん壇上へと進む。
「あ、あの、す、ステージに上がっちゃダメなんじゃ」
「ン、悪くない。あまり期待はしていませんでしたが、思いの外良く手入れされているようだ」
とうとうピアノの前に立って、とんとん打鍵の感触を確かめる水木くん。躊躇う私のことも目に入らない様子で、軽やかに鍵盤を撫ぜる。疎遠になってしまった旧友に、思いがけず再会したみたいに。
……そんな風に思っていて欲しい。なんてのは、押し付けがましいかな。
いつかのカッティングフレーズを真似て、彼はピアノを響かせる。八月のライブで見せた即興演奏。敢えてそれをなぞることに、挑発の意思を籠めて。
「お付き合い頂けませんか?」
冷たい熱を纏った黒い演奏家は、その黒曜石のような瞳を差し向けた。
「えっ、……えぇ? お、怒られませんか……?」
「多少触ったところで調律が狂う訳もなし。演奏家が楽器を弾いてなにが悪い」
「すごい雑に開き直った!」
いや、勝手に触っちゃダメなんじゃ。身をすくめた私が宥めるのにも、水木くんは飄々と両手を掲げるばかり。いっそノリが悪い私に、冗談混じりに不貞腐れてみせるように。
「こちとら義理やら未練やら、色々ようやく清算し終わった所でしてね。後は──」
あの路上ライブの前にも似た、どこか吹っ切った様子。ピアノの前の椅子に腰掛けて、苦笑とともに目を細めた。
長い睫毛を緩やかに落として、くしゃり。冷たい氷柱のように、いつもどこか張り詰めていた男の子が、今はこんなにも柔らかく微笑む。
「好きな子の隣で、好きなように弾いてみたい」
水木くんは、夢見心地にそう溢した。
……えっ?
数瞬、耳を疑って。
「み、みみ、み、みみみみ水木くん!? す、すす、好きな子って……!?」
「そうだ、久しぶりにボーカルも聴かせてくれませんか? 貴女の声、僕は好きですし」
「あっ、す、好きってそういう……。だ、だからちょっと待ってくださいっ!」
思わず目を剥いた私を置いて、彼は鍵盤に向き直ってからからと笑った。
色々飲み込めないまま、水木くんが急かすまま。混乱と鼓動の高鳴りと、ドキドキする何かが導くまま、私はケースからギブソン・レスポール・カスタムを取り出した。
「ほら、早く早く。人が来ないとも限りませんし、勝手に始めてしまいますよ?」
「〜〜ッ! もう、もう! どうなっても知りませんからねっ!?」
包帯のような嘘で包んだ、どうしても拭いきれなかった心残り。
僕に演奏家としての未来はない。僕はきっと、演奏家ではなくなってしまう。貴女が羨ましい、少しだけ妬ましい。いや、それもまた本心ではない。
寂しい。……だからこそ。
貴女へせめて餞を。
手折れてしまった演奏家に、どうか手向けを。
──変われるかな 夜の淵を
──なぞるようなこんな僕でも
──そして今、その壇上。
脳裏に閃く、長いようで一瞬の回想。
あの黒曜石の眼に映る碧い焔。仄かな冷たい温もりはいつものように寄り添って、私の恐れを優しく冷やす。
その瞬間、隣からギターが鳴り響いた。まさか喜多さん、ソロパートをアドリブで……!
私だって、水木君に散々弄ばれたんだから! みんなに見せてよ。後藤さんは、本当はすっごくカッコいいんだって!
──君と集まって星座になれたら
──夜広げて描こう、絵空事
彼女の瞳に灯った碧いカケラ。
打ち合わせなんて全然してなかったのに。シーケンシャルな即興、
水木くんとの、血が滲むような訓練の成果。
それでも時折揺らぎそうになる、萌え芽のような主旋律。そんな喜多さんを洒脱なスラップが低く、そして青く抱き留めた。
リョウ先輩!
南と違って、ぼっちと郁代は可愛い後輩だからさ。
──暗闇を照らすような
──満月じゃなくても
鋭い短刀を隠し持った、同床異夢のベーシスト。演奏家の最初で最後の好敵手。
バラバラな人間の個性が集まって、
まるで、まるであの日のライブのよう。みんなでかき鳴らして、かき鳴らして……。即興のやり取りに伴うリズムの乱高下。虹夏ちゃんは
──君と集まって星座になりたい
──色とりどりの光放つような
喜多さんが、リョウさんが、虹夏ちゃんが、……みんなが私のために音を繋いでくれる。私はひとりぼっちじゃない、それだけで勇気が湧いてくる。燻りかけた青い炎が大きく燃え上がる。
視界の隅で転がるカップ瓶。今度こそ私の番。
退路は断った。橋は全て落ちた。なにがどうなろうとかまうもんか。全霊を。ありったけを。水木くんが見出してくれた六弦の嵐を。
みんなが繋いだ
ひとりぼっちだった私の過去だって、私の弱さだって! 動画のために練習した──
──繋いだ線 解かないよ
──君がどんなに眩しくても
僕は、貴女の弾き語りが聴きたいのだ。
冷たく、熱く、優しい音。去り際、彼は小さく微笑んだ。
「この土壇場でやるかよ。すげぇな、ぼっちちゃん」
「これならチューニングも関係ないもんね! たまにはお酒飲んでて良かったでしょ!」
「えっ、……まさか。あの子が、guitarhero……」
瓶を滑らせて、ステージにアウトロが消えていく。
なんとか演奏を乗り切った快い疲労感。真上を見上げて、脱力とともにふっと息を吐いた。
私を照らすライトのような真っ白な思考。そこに聴衆の……みんなの歓声が響いた。
体育館がどよめいている。喜多さんが、リョウさんが、虹夏ちゃんが震えている。目では見えないのに全てを感じ取った。細かい声なんて聞こえないはずなのに、ひとつの生き物みたいだった。ううん、きっと今、私達はひとつだ。
ひとりぼっちだった私が、みんなと!
今なら、水木くんの気持ちがわかる。みんなの無邪気な喝采こそが演奏家の、私達の希望。あなたの想いこそ、私の道しるべ。
助けられてばっかりだ。……助けてあげたいって、言ってるのに。
「みんなありがとう! ギターのぼっ……じゃなくて、ひとりちゃんもよく頑張った!」
「後藤さん、みんなに一言!」
「えっ……ええっ!?」
なんて呆けていた私に、MCからの無茶振りが突き刺さる。
えっ、ああっ?! こ、コミュ障は事前に台本作っとかないと喋れないのに、予想外のフリされたら……。何か、何か面白いこと、面白いこと喋らないと……。そ、それとも、せ、切腹とか、だ、ダイブとかしたほうがいいのか?!
「今日のライブへの意気込みとか、みんなにも言ってあげて!」
……喜多さんのその言葉で、ふっと我に帰れた。
意気込み。
あの路上ライブの後、喜多さんと一緒に誓ったこと。私が今、どうしてこのステージに立っているのか。混乱していた頭が少しずつ冷めていく。そうだ、私は。
演奏の熱に上気した頬と、ばくばくする心臓の音。でも、不思議にひんやりとした落ち着きがあった。どこかふわふわとマイクを受け取る。
すうっと、深く深呼吸。
……客席の歓声が止んで、ペンライトがゆれて滲んでいる。
「助けたい人が、いるんです」
「そ、その人は、私のクソみたいな弾き語りを聴きたがるような、意地悪な人です」
吃りながら細々と、途切れ途切れに言葉が落ちる。
唐突に始まった自分語りに、ざわざわと観客の人達の困惑が伝わってくる。知らない人には悪口みたいに聞こえそうだし、わ、私、何言っちゃってるんだろう。
……まあ、結束バンドのみんなには、誰のことかなんて言うまでもない。そろって苦笑いを浮かべているけど。
「私が失敗したり、落ち込んだりした時に思わず飛び出たギターの弾き語り。そんなのを好き好むような、へ、変な人です」
くすりとフロアから小さく失笑が溢れる。ううっ、す、凄く恥ずかしい。
け、けど、言葉が止まらない。止められない。だって、私が今ここにいる理由なんて、これしかない。
「へこたれても、ベソをかいても、それでもめげずにギターを弾いてる。そんな私の歌が好きだって、言ってくれた人です」
──六弦の嵐。猫背の虎。そんな貴女でさえ孤独を抱えている。
──本当は誰もが、どこかに弱さを抱えるのなら。
「僕もひとりぼっちじゃないかもしれない。そう言って、笑ってくれた人です」
あの光る朝で重ねた思い。大切な思い出。
それがあるから、私は今ここで立っていられる。あなたに何かを返そうって思える。
「ひとりぼっちだった私を、骨身を削って、痛い思いをしてまで、助けてくれた人です」
わずかに会場が騒めく。不思議だ。いつの間にか、私なんかの言葉をみんなが聞き入っている。いつかの想像とは違って、満たされた自己顕示欲も、身体を蕩かす快感もない。とても静かな気持ちだ。
私はもう、ひとりぼっちじゃないのかもしれない。でも。
「だけど、彼自身はひとりきり。失敗した、間違えたんだって。ピアノもやめて、一人で抱えて」
──いいな、君はみんなから愛されて
──『いいや、僕はずっと一人きりさ』
江ノ島の広場の片隅。小さくなった私にやっと打ち明けられた弱さ、間違い。逃げ出さずに済んだ私と、すべて見捨ててしまったあなた。
傷を撫でることしかできなかった。優しい言葉ひとつ掛けてあげられなかった。
「知らないうちに凄い演奏をして、決着を付けて。全部一人で、勝手に解決しちゃった」
ひとりぼっちで泣いていた男の子は、いつの間にか、虚勢を張るのをやめていた。醜い嫉妬と後悔を晒しても、カッコ悪く泣き叫んでも。それでも彼は演奏家だった。一人で過去を巻き戻しに行ってしまった。
僕はやるだけやったのだと、笑って舞台を降りたい。
最後の最後には逃げないように在りたい。あの人からも、過去の間違いからも。
店長さんは、私がいるだけで何も怖くないって言ってくれたけど。お姉さんは、私が彼の道しるべだと言ってくれたけど。
……でも、その後あなたはどこへ行くの?
「助けてあげられなかった。何もしてあげられなかった」
ぎゅっと、マイクを握る力が籠る。ずっと、彼のことを助けたいんだと思っていた。ひとりぼっちの彼の手を取ってあげたいんだって。間違いじゃないけど、本当は、本当は……違う。
水木くんが私に一歩踏み出したいのと同じように。私だって、あなたに一歩歩み寄りたい。
『何より大事だったはずなのに、過去の思い出に置き去りにしてしまった。そんな人は、誰のなかにも居るのではないでしょうか』
胸の奥底で甦る──冷たく、熱く、優しい音。
終わりになんてしたくない。思い出の中に置き去りになんてしたくない。
『わ、私は、私は、あなたを助けられるギタリストになるって決めたから』
そんな我儘な私の願い。もしも、それがあなたの希望になるなら。
「置いていかないでよ。手向けなんて、はなむけなんて言わないでよ」
私の弾き語りが聴きたいって、私の隣で聴いていたいって、言ったじゃないですか。
だったら。
「ピアノ、やめないでよ。一緒にセッションしようよ。私の歌、聴いてよ」
「聴いてよ! 私の歌を、聴いてよ!!」