憧れの山田リョウ先輩。彼女がバンドメンバーを募集していると聞いて、居ても立っても居られずバンドに参加したのが一月前。
けれど、やっぱりズブの素人が……普通でしかない私が一月でギターを弾けるようになるなんて、土台無茶な話だったのだ。
教本の通り、どんなに頑張って弦を弾いても、綺麗な音色は全く出せない。出てくるのはボーンボーンと低く唸るような音ばかり。
恥と引け目と、半ば意地とで言い出すこともできなかった。
けれどライブ当日ともなれば、全て告白して謝るしかない。勿論、もう遅いことは分かっている。それでもリョウ先輩はもちろん、伊地知先輩も初対面の私に優しくしてくれた。二人に通すべき最後の、最低の筋というのはあるはずだった。
けれど。
マイペースに自分の演奏に浸りながらも、キーボードと共同し、時に挑発し合うなかで独特のリズム感を作り上げるベース。
激しい転調とリズムの動揺に振り回されながら、それでも必死に喰らいついて献身的に演奏を下支えするドラム。
不安定にブレるけれど、ベースとキーボードの煽りに応えてリズムを導き、観客まで、ライブハウス全てを巻き込み熱を上げて、どこまでも嵐のように突っ走るギター。
そしてその、いつ崩れるとも知れない綱渡りを冷徹な鍵捌きで繋ぎ合わせ、高揚とスリルへ昇華するキーボード。
私は本当の「特別」を見てしまった。夜空の星に手を伸ばすような途方もない差を、身の程を思い知ってしまったのだ。
私はゴミだ。
初バイト後に熱を出し、一週間学校を休んだ後の週明け。もちろんバイトも休んでしまった、そんなゴミクズが
私達結束バンドに足りないのはギターボーカル。だから、それをやっていたという喜多さんを勧誘しようとした。
……でも、所詮陰キャのぼっちにできることなんてなかった。
お昼前に晒した醜態に加えて、親切に答えてくれた喜多さんに『バンドのギターボーカルしてください』なんてありえない受け答えをしてしまった。
そのままいつもの物置に逃げ帰った私。一日に二度も黒歴史を刻んだ情けなさ。くしゃくしゃになった心を絞り出すように、ギターを掻き鳴らさずにはいられなかった。
聞いて下さい。作詞・作曲、後藤ひとり。『ダブル黒歴史 ぼっち弾き語りバージョン』。
『──憂鬱な日々、増えてくトラウマ♪』
『──要らない私の負の遺産♪』
『──思い出してはひっそり泣いてる♪』
『──暗い Cry 私の歴史♪』
『──いつか笑い飛ばせたらいいのにな♪』
弾き語りが終わって、抑えられない涙が私のギターを濡らす。嗚呼、忘れたい……。
不意に、かつりかつりと足音が鳴る。
「わひゃあっ?!」
周りのことなんて全く見えてなかった私は、思わずびくりと飛び上がる。振り返ると、ここ数週間で少しは見慣れた男の子の姿。
「って、水木くん。お、脅かさないでくださいよ……」
「お疲れ様です。まあその、なんといいますか。お労しや、後藤さん」
その彼、水木くんは薄く困惑と苦笑を交えて、言い淀みながらこちらへ降りてくる。な、なんかデジャブ……あっ!? 弾き語り!
またひどい弾き語りを聴かれてしまった!?
「ち、違うんですっ! 忘れて、忘れてくださいっ!!」
「何が違うかは分かりませんが、人間、誰しも忘れたい過去の一つや二つ」
「そういう問題じゃないんです! わあああっ!」
要らない過去を消し飛ばそうと彼の胸元を揺さぶるも、水木くんは白々しく気休めをのたまうばかり。そんなの、何の解決にもならないじゃないですか!
まあ、頭を揺らして記憶が飛んでいく訳もなければ、黒歴史がなかったことにもならないんだけど。
「ほら、泣かないで。そのうちきっと良い事もありますよ」
「ぐすっ、ぐすっ、うう、今日三度目の黒歴史なんて……!」
ハンカチを差し出して私を気遣う一見紳士的なそぶり。でも何だかんだ、私の弾き語りを聴いて水木くんはご満悦なのだ。ひどいよ。
「後藤さんに、水木君、よね。やっぱりギター、上手いのね」
そんなこんなで悲喜(?)こもごもの廊下の隅に、もうひとつの足音が。こんな所に近寄る人が私と水木くん以外にいるとは思わず、とっさに彼の背中に身を隠した。……この声は。
「はっ?! き、喜多さん!?」
「僕に隠れてどうするんですか。用事があったのは貴女でしょう?」
「ううっ、そ、そうですけど……」
「まあ先程の経緯では、気まずく思われるお気持ちはお察ししますが」
へっ? ……あっ!?
そ、そもそも水木くんは喜多さんと同じクラスで、あの一連の会話も見てたんじゃないか! ひどい!
「さ、最初から助け舟を出してくれたら良かったじゃないですか!」
「痛ッ、痛い痛い。そうは仰られても。貴女のご用件も分かりませんでしたし」
「あ、アハハ……。なんだか、凄いものを見てる気がするわ……」
しがみついた腕を取って「く」の字型に折り畳めば、彼はわざとらしく苦悶の声を上げた。
水木くんの意地悪にいつまでもやられっぱなしじゃない。サブミッションなら、非力な私でも痛撃を与えられるのだ。
「……ええと、その」
「後藤さん、彼女に用件はお伝えしなくて良いのですか」
「い、いけしゃあしゃあと。……あ、あの、喜多さん」
私達が騒いでいる間に降りて来た喜多さんの困ったような誤魔化し笑い。そりゃ、ほぼ初対面の人間にいきなり漫才じみたやり取りをされても困るよね……。
水木くんをひと睨みしつつ、彼の言うことももっともだと、おずおず話を切り出そうとするも。
「後藤さん、水木君……ごめんなさい!」
「ぅはぁっ?!」
そんなぁ!?
「うっ、……そ、そうですよね。私は所詮あんな受け答えしかできない陰キャのぼっちですし。水木くんは意地悪なうえに無愛想ですし。は、話しかけること自体が不遜でしたよね、すみませんでした……」
まさかの門前払い、だけどそれも当然のこと。
「自虐に僕を巻き込むのはやめて頂けませんか?」
「えっ、……えっ?」
「そもそも、会話が噛み合っていないようです。話が進まないので戻ってきてください」
思わずその場で崩れ落ち、膝を抱えてネガティブな思考のループに嵌りかける。そんな私にも水木くんは我関せず。
無情な彼への怨嗟と一緒に顔を上げると、喜多さんは目を白黒させていた。
「えっと、……私、ライブから逃げちゃったし。後藤さん、私のこと睨んでたから、そのことで怒ってるんじゃないかって……」
「睨む? ライブ? ……逃げた?」
気まずそうに目を逸らした喜多さん。でも、えっと、心当たりがない。私は猫背で俯きがちなので、睨んでるようには見えちゃうかもしれないけど。
水木くんも心当たりを探しているのか、幾ばくかの間宙を見上げて……ああ、と声を上げた。
「結束バンドの元々のギターボーカル。それが貴女だったのですか」
「へっ? ……あっ?! この間虹夏ちゃんが言ってた!」
虹夏ちゃんが私を勧誘するきっかけになった、本番当日逃げたギター。まさか、喜多さんがそうだったなんて。
「は、はい……。あの、用事ってこの件じゃないの?」
「わ、私は喜多さんがギターボーカルができるって聞いて、勧誘したかっただけで……」
「後藤さんは元々ヘルプで声が掛かっただけですしね。貴女のこともご存知ないのが当然ですよ」
知る知らない以前に、そもそも元のギターにどうこう言うなんて発想自体がなかった。というか、そんなことを考える余裕もなかったし……。
「まあ、そうよね。逃げたギターのことなんてどうでもいいわよね。アハハ……」
喜多さんは胸を撫で下ろしつつ、それはそれで傷付いたような、荒んだ空笑いを見せた。
「あの、どうして逃げちゃったんですか……?」
「ええと、……正直に言うと私、ギターが全く弾けないの」
「結束バンドはエアバンドだったのですか」
「違うわよっ!」
脇から突き刺さる冷ややかな一言。そ、そこまでバッサリ斬らなくても……。
「わ、私だって無茶なのはわかってた……。けど、憧れてた先輩が新しくバンドを組むって話を聞いて、思わず手を挙げちゃって。後から練習して出来るようになればいいって思ってたんだけど、結局何一つ分からなくて……」
「ええ……?」
頬を赤く染めつつ、しどろもどろに語られた事情。でもメジャーコード? マイナー? 野球の話? なんて言われてしまうと、ちょっと分からないの次元が違う。
この状態から独学でなんとかしようとするのは、……その、なんだ。行動力と決断力はすごくロックだとは思う。
水木くんも「何が何だか、わからない」と、口を薄く開けたまま眉を顰めている。
「そういう訳だから、私はバンドには入れないわ。本当にごめんなさい。……それに私じゃ」
「えっ?」
「あ、ううん、何でもない。後藤さんと水木君がいるんだし、私なんかいなくても大丈夫」
所在なく目を伏せながら、喜多さんは私達に深く頭を下げる。「私なんていなくても」と言った彼女の笑みは、やけっぱちの強がりにしか見えなかった。
ジャージの裾をぎゅっと握る。
烏滸がましいかもしれないけど……でも、このままでいいとは、思えない。
「あの、ギター、もう一回やってみませんか」
「えっ……。でも」
「ば、バンドに入らなくても、いいです。ここでやめちゃったら、喜多さんは一生、ひ、引き摺るんじゃないですか?」
私の懇願に喜多さんは俯いていた顔を少しだけ上向かせて、僅かに目を輝かせる。
「じゃあ、後藤さん。あなたに私の先生になって欲しい。せめて少しでもギターを弾けるようになって、それで先輩方に謝りに行きたいの」
「えっ、……ええっ?!」
「独学じゃダメだったけど、後藤さんみたいな先生が居るならなんとかなるかもしれない。だから、お願い!」
えっ、そ、そこまで考えてた訳じゃないんです!
いや、言い出しっぺの私が教えるのが筋なんだけど、その……。やっぱり、ほぼ初対面の人に教えるなんて恐れ多くて、さっきみたいな失敗をしそうで怖い。
キラキラしながら迫ってくる喜多さんから目を逸らして、隣の男の子を見やった。
「えっと、うう。水木くん」
「そこで頼られても困るのですが」
「で、でも、私も独学で、誰かに教えたことなんてないから……」
「僕はギターは専門外です。ピアノも触れなくなって久しいですしね」
「えっ……」
期待のまなざしを切るように、彼はそっぽを向いて両手を掲げた。専門がピアノの水木くんに頼る話じゃないのはもっともなんだけど……。
怒ってはいないはず。でも、さっきから……白けているっていうか、どうでもいいっていうか。
なんとなく、彼が喜多さんへ向ける目が
それも仕方ないのかもしれない。私はある意味、喜多さんが逃げてしまったから、みんなとバンドを組めたけれど。本来なら、虹夏ちゃん達のライブは台無しになっていたんだから。
でも。
私は陰キャのぼっちだけど。彼の助けがなければ碌に音合わせもできない、クソ雑魚のプランクトンだけど、でも。
「私も、ギタリストだから。喜多さんにも、せ、せめて、ギターを嫌な思い出だけで、終わってほしくないんです……!」
水木くんの正面に向き直って、彼の黒い瞳を見上げる。視界の隅で青い何かがチリチリ、僅かに瞬く。
……まったく。
「まあ、ここで放り出しても寝覚めが悪いのは、そうかもしれませんね」
無言のまま数瞬向き合って、……水木くんは小さく溜め息を吐いた。少なからず呆れが混じったそれは、誰へのものだったんだろう。
彼はそのまま喜多さんを見やる。
「ただし順序が逆です。喜多さん、貴女はまず先輩方に落とし前を付けるべきだ」
「う、うん。……でも」
「貴女がギターを弾けるか否かは、最早先輩方にはどうでもいいことだ。今貴女が示せる最大の誠意とは、可及的速やかに謝意を示すことだ」
差し出がましいのは承知の上ですが。
彼のその突き放した言葉に、喜多さんは心細そうに下を向いてしまった。
「で、でも。先輩たちは、許してくれないかも」
確かに正論だけど、そこまで言ったら元々落ち込んでいた喜多さんは泣いてしまうんじゃ。
そう思って彼を見ると、……前髪の奥に隠した硬質な輝き。爛々とした黒曜石の眼差しが、静かに喜多さんに注がれていた。
「そうだとしても、……自らの失敗の謝罪ができるのは、幸せなことですよ」
時が凍ったように、私も喜多さんも何も言えない。呑まれている、としか言いようがないけれど、どうしてだろう。私はこう思ってしまった。
何かを羨んで、指を咥えるしかないみたいだと。
──まあしかし、結果的にライブは決行できた訳です。貸しはむしろこちらにある。
「喜多さんのようないたいけな初心者を許さない。そんな狭量なメンバーなど、嗚呼。後藤さんとしても願い下げですよね」
「ええっ!? なんで私になるんですか!?」
「りょ、リョウ先輩達を脅す気っ!?」
静まり返った物置の空気を丸々ひっくり返す、表情を影で隠して放たれた悪辣な脅し文句。
ギターに脱退されたくなければ喜多さんを許せ。
底意地の悪い彼らしいやり口だけど、温度の落差に目が回りそうだ。
私達が目を剥く一方、彼も別に本気ではなかったらしい。顔をいつもの情感の薄さに戻して、水木くんはあっけらかんと肩をすくめた。
「脅すだなんて人聞きの悪い。それに態々そんな理屈を持ち出さずとも、あのお二方ならそうそう手酷い仕打ちはなされませんよ」
「は、はいっ、虹夏ちゃんもリョウさんも優しいから、大丈夫です」
「あと、水木くんの意地悪な発想に私を巻き込まないでください!」
「それはお互い様ということで」
じっとりとした視線を送るも、水木くんは悪びれない様子でしらばっくれていた。さっき私の自虐に巻き込んだことを根に持っていたらしい。
「でも、水木くんの言う通りよね、うん」
喜多さんは胸元の拳をぎゅっと握り締める。
「まず先輩達に謝りに行くわ。それでその、……後藤さんや水木君も、ついてきてくれる?」
「えっと、はい!」
「そのほうが話も早いか。乗り掛かった船という奴ですね」
「……ありがとう」
「後藤さん、連絡をお任せしてしまってすみません」
「だ、だだだ大丈夫ですっ、に、虹夏ちゃんにも、い、一応連絡は、しましたからっ」
「……本当に大丈夫ですか? 冷や汗もそうですが凄い顔をされていますよ?」
彼らのバイトのシフトの都合上、謝りに行くのは今日が良さそう。思い立ったが吉日ということもあって、私と後藤さん、そして水木君の三人で歩いている。
私も心のもやもやをなるべく早く解消したかったので、恐縮半分、ありがた半分といったところ。時間を置くと、決心が揺らいでしまいそうで。
なぜか挙動不審になって、顔を土気色にした後藤さん。彼女を気遣う水木君を改めて眺める。
濡羽色と言いたくなる、どこか女性的なショートヘア。はっきりとした二重瞼でありながら、刃物のように鋭利な眼差し。一文字に引かれて尚艶やかな唇。
身長は少し低めだけど、ピンと立った背筋と長い手足が実際以上の印象を与える。
男の子にこういう表現を使うのも変かもだけど、水木君は一周回って「男装の麗人」そのものなルックスをしていた。
私も今の立場と状況でもなければ、黄色い声を上げるくらいはしていたかもしれない。
「それは良いとして。後藤さん、僕の後ろに隠れるのはやめませんか。いい加減、道が分からない訳ではないでしょう」
「だ、だって。私は下北沢なんて、本来通う人間じゃないですし……」
「貴女もバンドマンのはずなのですが」
そして後藤さんと言えば……。
彼女は私の反対側の腕をかき抱いて彼の背中に隠れているんだけど、ともかく絵面は非常に良くなかった。顔だけは良い女誑しのバンドマン、そのパブリックイメージそのものだった。
ピンクジャージのセンスは置いておいて、後藤さんも大概美少女なのよね……。それがかえって退廃的な印象に拍車を掛けていて、正直、今の二人にはあまりお近づきになりたくない。
とはいえ。
「その、後藤さんと随分仲がいいのね。失礼だけど、水木君に友達がいたなんて意外だわ」
「……妥当な指摘であることは認めますよ」
「からかってる訳じゃないわ。絵面はともかく、別に悪いことじゃないもの」
我ながら本当に失礼な言い草に、表情は変えずとも少しだけ声のトーンを落としたクラスメイト。なんてことはないやり取りなんだけど、なんだかおかしくて少し笑えてくる。
実際、新学期当初には少なからず黄色い声も上がっていたのよね。
噂によると特待生入学らしく、入学後の最初のテストで上位に名前が載ったくらいの優等生。体育でも、体育会系クラブの先輩に一目置かれる活躍もしばしば。
物腰柔らかく、見目麗しく、勉強もスポーツも得意な文武両道の男の子。そこだけ切り出せば、自ずから人気者になりそうなもの。
ただ、彼はなんというか……。冷淡というか、何をしていてもつまらなさそうな人だった。
別に素行が悪い訳じゃない。むしろ表面的には、誰に対しても礼儀正しく丁寧だった。
けれど時々、壁というか……。こちらに興味がないし、そもそも人付き合いも本当は必要としていない。そう思えてしまう瞬間があった。
その慇懃な振る舞いもこちらを敬っているからじゃなくて、単に相手によって態度を変えるのが億劫だから。誰も彼もが全部どうでもいい相手だから、芝居がかったように表面上の態度を取り繕っている。
……そこまで言ってしまうと、流石に言い過ぎなんだろうけど。
ともかく、こちらが何をしようと響かない、無感動で冷たい倦怠。それが水木君を包んでいた。
クラスのみんなも近いものを感じたんだろう。彼に声を掛ける人は減っていき、最近では事務連絡や授業でのやり取り以外では話しかける人も居なくなっていた。
でも、彼はそういうところも含めて余人から隔絶した人なのかもしれない。
「私は水木君が「特別」な人だと思ってたから」
「水木くんは特別というか、変な人だと思います」
「僕はごくごく普通の人間です」
だから、あの物置や今もそう。後藤さんをからかいながらも、彼女への配慮や親愛が滲み出るような眼差し。彼女の訴えに心動かされたこと。
本当に、本当に失礼だけど、水木君もちゃんと人間だったんだと、なんだか安心したのよね。
「水木君と後藤さんは、どうやって友達になったの?」
「僕も先程のような素敵な弾き語りを……痛い痛い。ギターを演奏していたのを、聴かせて頂きましてね」
「水木くんは絶対変です! 意地悪です!」
それはそれとして、水木君がどこかズレているのも確かなようだった。
憤慨した後藤さんは掴んでいた彼の腕を捻りあげる。さっきの弾き語りを「素敵」なんて言っちゃうのは、意地悪というか悪趣味よね……。
「ま、まあまあ後藤さん。ギターの演奏そのものはすごかったから」
「はっ……?!」
けれど、私も件の弾き語りは聴いていた訳で。
「ううっ、ぐすっ、ぐすっ。そうだ、あんなのを喜多さんにも聴かれちゃったんだった……。もうだめだ、おしまいだぁ……。陽キャ特有のバズりで晒し物にされちゃうんだ……!」
「撮ってないから! 今から教えを乞う先生にそんなことしないから、泣かないで!」
「……! いや、しかし即興とは一期一会だからこそ良さが引き立つ訳で……」
「水木君も「その手があったか」みたいな顔しないの!」
そのことに気付いた彼女は、彼の腕をロックしたままさめざめと落涙。
斜め下への思考の飛躍に、アームロックを掛けられた水木君までトンチキなことを言い出して、収拾が付かない!
……いや、まあ、あの弾き語りは確かにバズるとは思うけど。
そんな風に騒いでいたからか、知らない間に周りの景色が見覚えのあるものに変わっていた。
か、覚悟して来たつもりだったけど、リョウ先輩に怒られ、失望されてしまうかもしれない。
そう思うと、あ、足がすくんで立っていられない。何か掴むものはないかと、私は覚束ない足取りで周囲を見回して。
「喜多さんまで僕の腕にしがみつかないで頂けませんか? 後藤さんはもう諦めるとして、貴女までとなるとあらぬ誤解を受けかねない」
「ご、誤解も何も、後藤さんの時点でもう手遅れだからいいじゃない!」
「何も良くないですが」
思わずそこにあった腕のもう片方にしがみつく。水木君は一瞬ギョッと目を見開いた後、心底面倒臭そうに顔を顰めた。
……その時はそんな余裕も無かったけど、振り返ってよくよく考えるとすごく失礼な反応じゃないかしら。
それはさておき、華奢だけど男の子らしく少しゴツゴツした腕。このひんやりとした不思議な暖かさは、何となく落ち着く気がする。なんだか、後藤さんが水木君にくっつく気持ちが少しわかるかも……。
なんてアホな現実逃避をしていると。
「おーい水木君、ぼっちちゃーん! というか何その状況、悪いバンドマン?……って、あっ!」
「逃 げ た ギ タ ー ! !」
「ひぃっ?!」
正面から現れたのは、小柄な金髪の少女こと伊地知先輩。彼女からの非難に、思わず身を水木君の後ろに隠す。……当然、掴んでいた腕も彼の背に回り。
「あ、喜多じゃん」
「あ、ああっ、ああああああっ!!!」
「わひゃああああっ!!!」
後ろからは青い麗人、私の憧れだったリョウ先輩が!!!
言葉にならない叫びを上げながら、それでも私は全面降伏を示そうとホールドアップ。
パニックに陥った後藤さんも、思わず私の動作を真似てホールドアップ。
「えっ……がああああ」
水木君の腕を、掴んだまま。
「何でもしますからあの日の無礼をお許しください!!! 私を滅茶苦茶にして下さい!!」
「待って待って! 水木君が大変なことになってる!?」
「ピ○ゴラスイッチかな?」
「言っとる場合か! 二人とも手を離して! 彼の腕が手羽先になっちゃうから!」