恵ちゃん至上主義?   作:名無しのナナ氏

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よう実熱が再燃したので投稿。妄想を書き殴っただけなので続くかは神のみぞ知る


1.秘め事

 

 眩む。世界が揺れているのか、それとも私の両足が震えているのかさえ定かではなかった。室内に充満している得体の知れない甘い香りが、鼻腔をくすぐり、そのまま脳みそを覆い隠すように靄を作っている。だからくらくらと、いつまでも私の足元が覚束ない。立っているはずなのに、深いプールで溺れているような感覚だった。この部屋へ招き入れられると、途端にいつもこうなる。浅い呼吸を繰り返して、手のひらがじっとりと嫌な汗をかいていることに気づく。慌てて、押し付けるようにスカートでそれを拭う。我ながら一体何をそんなに緊張しているのか、何をされたでもない私の身体は既に全身が薄っすらと汗をかいていた。特段、室温が高いわけではなく、むしろ私自身が変に火照っている。少なくとも、玄関までは冷静さを保っていたはずだし、呼吸も普通だった……なのに、靴を脱いで数秒もしないうちに脈拍は加速し、何処に腰を下ろすでもなく立ち尽くしているわけだった。……何を、期待してるんだか。

 

「恵ちゃん」

 

 不意に背後から名前を呼ばれて、思わず肩が跳ねる。蕩けるような、バカみたいに甘い声色が耳朶に焼き付く。普段は絶対にこんな声出さないくせに、二人っきりになると本性を隠そうともしない。そのギャップが、どうしようもなく私の心を乱している。

 天使の羽が舞い落ちるように静かで優しい所作で、緊張しっぱなしの右肩に彼女の白い手が添えられる。慈しむように触れ、身体のラインをなぞるように、五本の指が線を描く。背中を撫で下ろし、やがて腰周りに到達したそれは、そっと私を抱き寄せるのに一役買った。甘く、どこか懐かしい金木犀の香りが鼻を抜けていく。室内に立ち込めているそれとは別の、彼女を特徴づけている香水の匂いだ。私を惑わせる危険な香りだと分かっていても、金縛りにでもあったみたいに身体は動かない。いや、そもそも抵抗する意思すらなかった。なにせこの場所には自分から足を運んだのだから。

 そういうわけで、結果として割れ物でも扱うような丁寧さで、私は彼女の腕の中にすっぽりと収まった。視界の端で藍色の長髪が垂れる。艷やかで、見ていて思わず指で梳くいたくなるほどに。

 

「汗、かいてるね」

 

 耳元で彼女が囁く。吐息がかかるほどの距離に加えて、甘ったるい声がこそばゆい。思考がますます掻き乱されて、心臓が爆発しそうなくらい一際激しい鼓動を鳴らす。早鐘を打つ心臓の脈動が、密着した彼女にそのまま伝わってるんじゃないかと思って気が気じゃなくなる。何もかもがこの女の手のひらの上というのは、なんというか、端的に言えば嫌だ。そう、いうなればこれは私に残されたちょっぴりの反抗心というヤツで、またの名を最後の砦とも言う。それをこんな性癖の歪んだ女なんかに落とされるわけにはいかないのである。

 

「ブレザー、脱ごっか」

「……べつにいい」

 

 しかしまあ、情けないことに強く拒絶できないのがなんとも私らしい。彼女の腕の中で大人しくしたまま、脇腹を撫で回す手を払いのけることも出来ずにいる。なされるがまま、古傷を執拗に指の腹で押してきても文句が言えない。僅かに身動ぎしても、ねちっこく指が吸い付いてくる。そのせい? で脳裏に浮かぶはずの陰惨な記憶が、淫猥な光景へと挿げ替わっていく。もちろん、過去のトラウマが完全に上書きされたわけじゃない……けど、これはこれで……ねえ? いやまあ、される方もされる方だけどさあ。

 胸中に去来する複雑な思いに四苦八苦する私を他所に、家主である女生徒は名残惜しそうに脇腹を指先で撫でた後、そっと体を離した。それから彼女は相変わらずゆったりとした動作で、シワ一つ無いベッドに腰を下ろす。夕焼けを背にした彼女の姿は、悔しいがそれなり以上に絵になる。端正な顔立ちと、無駄を省いた陶器のような色白の肌が相まってそう見せているのか、絵画の一枚でも見せられている感覚に陥った。彼女を素材にデッサンをすれば、素人の私でも何かしらのコンクールで賞が取れるかも知れないと考えるくらいには、この女は美人だ。そんな彼女が、未だに立ったままの私を端正な顔立ちで見上げる。水底のような深く暗い青の相貌がこちらを見据えていた。その奥に宿る思考や感情なんて、私が読み取れるはずもなく。

 薄く笑んで、彼女は言う。

 

「靴下、脱がせてほしいな」

 

 無防備に投げ出した足を組んで、ねだるように言ってのけた。なんで? と言いかけて、やめた。多分だけど、理由なんて無いだろうから。私が断らないのを良いことに、彼女はこうしてご機嫌な様子で命令してくる。私の思いとは裏腹に、それがここでの日常になりつつあった。

 ほんの少しだけ考えて、まあ靴下くらいならいいや、とベッド脇に片膝をつく。目の前には長めの美脚。白いニーハイソックスの裏に、きめ細やかな肌艶の素足が薄く見え隠れしていた。美人は足まで綺麗なのか、と嫌味の一つでも言いたくなるような具合だった。もし神様とやらが彼女を作ったんだとしたら外面を完璧に仕上げて、内面の歪みでバランスを取ったのだろう。その割を食わされている私としてはたまったもんじゃない。

 差し出された脚部のその踵に手を添え、私は努めて冷静に彼女の靴下を脱がしていく。他人の靴下なんて脱がした経験はないもので、若干どう脱がせばいいか迷う。いや、別に作法とかないんだろうけどさ。

 文句をつけられても嫌なので、ゆっくりと、なるべく丁寧に心がけて靴下を脱がす。徐々に顕になっていく素足を見ても、何も考えない。そうすれば変な気分にもならないから。……なんだ、変な気分って。私は別に、そういうんじゃない。至ってノーマルだ。

 するすると脱がせ終えて、私は無言で次を促す。床に置けば良いものを、温もりの残るニーハイソックスを何故か片手に握ったまま、彼女を見上げた。

 

「気になるなら、嗅いでもいいよ? それ」

「な、ばっ……」

 

 私は思わず、爆発寸前の時限爆弾でも持たされたような錯覚に陥って、咄嗟にベッドの上にソックスを放り投げた。遠慮しないでいいのに、と彼女は蠱惑的な笑みを浮かべてくすくすと笑う。こっちは顔から火が出そうなくらい気恥ずかしい思いをさせられているのに、こいつときたら大層愉快そうだ。

 

「いっ、いいから、そういうの。てか、ほら足! 逆!」

 

 こんなこと一刻も早く終わらせて帰るべく、私は直ちにもう片方の靴下も催促する。律儀だなあ、と自分のことながら何処か他人事のように俯瞰した感想を覚えた。

 

「そんなに見たいんだ? 私の裸足」

「は、はあ? なん、違うってば、そっちが脱がせろって言ったんじゃん」

「うん、そうだね。でも両方脱がせてなんて言ってないよ」

「……なんなの、もう」

 

 振り回されてばかりで、とっくに私は彼女の言葉遊びに付き合う余裕なんて尽きていた。ため息混じりに視線を逸らした私に、彼女は変わらぬ調子で甘やかに囁く。

 

「ごめんね、恵ちゃんが可愛いからつい意地悪したくなっちゃうの」

 

 ……また、そういう。

 この女に甘ったるいセリフを吐かれると、私のショボい脳みその処理が鈍くなる。真っ向からぶつけられる好意を、私は素直に受け取れない。単純に経験不足だからなのか、それとも彼女が名前くらいしかロクに素性を知らない同性の存在なのかすらも判断がつかない。ないばかりで、どうしようもなく引きずり込まれた沼の中でばたばたともがいているのが私だった。

 

「それより、次の命令……してもいい?」

 

 小首を傾げて、ベッドの上から彼女が尋ねる。……私がどう答えるか、なんて分かってるくせに。分かりきったことを聞くのは、性格が悪い証拠だ。

 なに? と短く言葉を返した私に、彼女は僅かに目を伏せて語り始めた。

 

「今日はね、凄く疲れちゃったんだ。勧誘がしつこくてね。何度も断ってるんだけど、ちょっと鬱陶しくて。……ん、あれ、この間も話したかな? まあいいや」

 

 聞いたような気もするけど、多分話半分で聞いていたからほとんど記憶に残っていない。でも今にして思えば、彼女が身の上話を振ってくるのは珍しいことかもしれない。そう考えると、自然に彼女の言葉に耳を傾けていた。良い機会だ、ちょっとは相手のことを知って見るのも悪くない。そうすることで見えてくる人物像もあるはずだ。

 

「私個人としては、今は恵ちゃん以外どうでも良くてさ。派閥とか本当に興味ないんだけど……向こうはそんなのお構いなしなんだよね。最近は特に、休み時間になると取っ替え引っ替えで色んな子が勧誘に来てて……もう、やんなっちゃう」

 

 ほんの少しだけ、疲れたような表情を浮かべて見せる彼女に、私は何処か安心感に似た何かを覚えていた。ああ、こいつもそれなりに苦労してるんだな、って。人間らしい一端が垣間見れた気がして、束の間の安堵に浸る。

 そんな私を、彼女は据わった目つきで見下ろす。

 

「だからね」

 

 言葉を区切り、冗長とすら思えるくらいの間を開けて、にっこりと彼女が微笑む。呼吸すら憚られるほどの静寂に包まれて、秒針を刻む時計の音がやけに耳に響いた。

 

「足、舐めて」

 

 心臓が跳ね上がる。臓器を物理的に握られたような圧迫感にも似通った衝撃に、安定していた呼吸がどんどん浅くなっていく。息を吸っているはずなのに、肺まで届いていない。精々が口の中の空気を循環させているだけで、口内と喉がひたすらに乾く。劈くような耳鳴りの中に、吐き気を催す嘲笑が混ざり合って酷い不快感に咄嗟に口元を抑えた。心身に刻まれた悍ましい過去の恐怖が、私の全身を這い回る。

 差し向けられた素足が、目と鼻の先にあった。それが、かつての光景と重なって胃をキリキリと痛めつける。もう目を合わせることすら出来ずに、顔を伏せた。頬を伝う冷や汗が一滴、カーペットに小さなシミを作る。

 

「……ぃ、やだ」

 

 辛うじて喉から絞り出したそれは、蚊の鳴くようなあまりに貧弱なものだった。後はもう、藁にも縋る思いで祈るしかない。ほんの僅かに残っていた抵抗の意思を口にしたとして、状況が好転したことなんて一度だってないのに。

 

「そっか。でも残念、今日はもうそういう気分なんだよね」

 

 大して残念そうでもない調子で、あっさりと私の希望は打ち砕かれた。強く、拳を握る。それは湧き上がる怒りによるものではなく、押し寄せる恐怖と忌避感にただただ身を固くしただけに過ぎない。

 

「じゃあ、こうしよっか」

 

 震えながら縮こまるしか出来ない私を差し置いて、彼女は幼子をあやすみたいな物言いをして立ち上がったかと思えば、そのままキッチンの方へ足を向けた。片方はソックスを履いたまま、片方は裸足のアンバランスな格好を気にした様子もなく、彼女は徐ろに冷蔵庫を開けて、中から小さめの何かを一本手に取る。それから再びベッドの上に腰を落ち着けて、また足を組んでみせた。その手には、見覚えのあるラベルが貼られたプラスチック容器が握られている。

 

「これ、なーんだ」

 

 見せびらかすようにして掲げたそれは、市販のメープルシロップだった。何処にでもあるポピュラーな商品で、特筆して変わり種というものでもない。私もホットケーキを食べる時は適当なそれを買ってきて使うくらいには。

 

「シロップ、だけど……」

「そ。せいかーい」

 

 まるで意図が理解できない。突飛な言動はいつものことだけど、今日はいつにも増して訳が分からない。疲れたと言う割には、何をそんなに上機嫌でいられるのか。

 困惑を隠しきれない私なんていざ知らず、意味深な微笑みを向けてくる彼女。そして謎のシロップ。これが何を意味するのかなんて私には到底分かるはずもなく。乾ききった喉に無理矢理つばを流し込んで、謎めいた行動の行く末を見つめるばかり。

 固唾を呑んで見守っていると、彼女は容器の蓋を開けて、何をするかと思えば自分の足にシロップを遠慮なく掛け始めた。――なんで?

 

「え、ちょ、なにしてんの」

「まあまあ。いいからいいから」

 

 とぷとぷ。足の甲を中心にたっぷりと。くるぶしからつま先にかけて、満遍なく素足を甘味でトッピングしていく。溢れたシロップがカーペットまでのぬらついた橋を繋ぐのも厭わずに、彼女は粘性のあるそれを垂らし続ける。

 結局、内容量の半分も使ってその足を汚したところで、彼女は傍らに容器を置いた。その間、意味不明な光景を見せつけられていた私はと言えば、変なベクトルの衝撃を受けたせいか、想起したトラウマが掻き消されていた。荒療治、なのかな。違うか。

 

「ほら、これならどお?」

「どうって、言われても……」

 

 私の鼻先に、シロップまみれの足が伸びる。鼻腔を誑かすメープルの甘ったるい匂いのせいか、フラッシュバックは起こらない。目の前の光景が卑猥としか思えないからだろうか。……いや、ちょっと待って。別に卑猥じゃない。裸足にシロップかけただけでそんな――そんな変態趣味は私にはない、はず。なのに、そう思っているはずなのに、目が離せない。

 熱に浮かされているような、夢と現実の狭間でふよふよと漂っている感覚。境目すら曖昧で、現実味がなかった。いっそ夢だったらいいのにな、なんて。

 

「早くしないと、全部垂れちゃう」

 

 淫猥にぬめる足先をこれでもかと見せつけ、足の指をくぱくぱと動かして催促してくる。蠱惑的な誘惑の仕草に、脳のキャパシティーが悲鳴を上げた。漫画だったら私の頭からは煙が立ち上っているに違いない。頭ん中ピンク色なのは、果たしてどちらのことだろう。

 

「足りなかったらもっと垂らしてもいいし、頑張れたらポイントも上乗せしてあげるよ」

 

 言い訳すらもお膳立てされて、私はいつの間にかすっかりその気にさせられていた。この痴女の醸し出す雰囲気に当てられたからでは決してなく、単にポイント目当てでご奉仕してやるだけだ。それ以外の理由では断じて無い。絶対に、ぜったいに。

 

「私は、恵ちゃんに綺麗にしてほしいな」

 

 妖しい笑みを浮かべて、甘味のような糖分量の声色で女がねだる。理性が千切れそうになるのを必死に堪えて、私は首をぎこちなく縦に振った。靴下を脱がせたときと同様に彼女の踵にもう一度手を添える。一際強く、甘い香りが思考を麻痺らせてくる。大丈夫。纏まらない思考のまま、私は私ではない誰かに言い訳をしながら、少し舌を出す。だいじょうぶ、だいじょうぶ。ゆっくりと、口元を寄せる。――大丈夫だから。

 

 そうして私は、舌を這わせた。

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