――青春してるなあ。
クラスメイトらと立ち寄ったカフェで、しみじみと思う。放課後、気の合う仲間と駄弁りながら冷たいアイスキャラメルラテを一杯。手元で端末を弄りつつ、昨日のドラマがどうとか、うちのクラスで付き合うなら誰とか、そんな他愛もない世間話に花を咲かせる。そうそう、こういうのでいいのよこういうので。私が望んでいた学校生活は、大層で華やかな目まぐるしい毎日じゃなくて良い。大抵の一般人が謳歌している、普遍的なそれで良かった。何もないように思える一日が、それだけで幸福なのだ。
「いやー、ほんとこの学校入れてよかったぁ」
「ねー。授業はラクだし毎月10万もらえるしマジ最高じゃん」
座席の背もたれに寄りかかりながら心情を吐露すれば、向かいに座る佐藤さんが共感する。入学時点でほとんど前情報がなかった分、身構えていたけれど、実際に通ってみると拍子抜けするくらいに自由だった。
「授業中携帯いじっても誰も注意してこないのは、ちょっと怖いけどね」
斜め向かいの席で松下さんがそう苦笑した。確かに、と曖昧な記憶を掘り起こす。覚えが悪いのは単に身が入っていないからだ。最初こそ机の下で隠れて携帯を操作したり、声を潜めて近しい友人と会話していたものだが、先生に指摘されないのを良いことに次第に堂々と行動するようになった。今となっては男子はゲーム機片手に大声で馬鹿騒ぎしてるし、うちら女子も似たような具合でお喋りに興じている。それでも、担任の茶柱先生含めて、どの教師陣も注意せず黙認しているというのは、思えば不気味ではあった。
「まあうちら高校生だし、自己責任ってやつで先生たちもうるさく言わないんじゃない?」
「うーん、そうなのかなぁ」
それっぽい理由を述べてみると、松下さんは眉をひそめたままカップに口をつける。腑に落ちていない様子ではあったけど、ひとまずはそういうことで掘り下げてくることはなかった。まあこの学校は狭き門って話もあるし、先生たちも多少大目に見てくれてるのかも知れない。とにかく、度が過ぎれば向こうも小言の一つは言ってくるはず。今でも十分授業崩壊気味だけど……大人の考えてることは分からない。
ストローを咥えてキャラメルラテをちゅーちゅー啜っていると、不意に私を覆い隠すようにして影が差した。遅れて、爽やかな柑橘系の香りが鼻先を撫でる。
「――すみません、相席してもよろしいでしょうか?」
傍から降る声に顔を上げれば、背の高い女子生徒が私たちを見下ろしていた。大人びた顔立ちで静かに笑みを湛えているその生徒に見覚えはない。上級生だろうか。
「え? あー……私はいい、ですけど」
どうする? と二人に目配せするとぎこちなく頷きが帰ってくる。彼女らの知り合いでもないらしく、余所余所しい雰囲気だった。ともあれ、若干自分のカップを寄せてその人のスペースを確保する。
「どうぞ」
「ありがとうございます。失礼しますね」
彼女は軽く会釈してから、私の隣に着く。礼儀正しい人だな、と内心で感想を抱く。少なくとも我がクラスにはいないタイプの人物だ。それにひと目見ただけでも分かるが、相当な美人である。うちのクラスの男子が鼻の下を伸ばして飛びつきそうだ。
「……なんか混んできたね」
ちら、と店内を見回した佐藤さんが呟く。放課後、いの一番に席を確保しにやってきた私たちから途切れることなく、次から次へと生徒が来店してきていた。ほとんどが女子生徒で、たまにカップルと思しき二人組が親しげに並んでいるのが見える。女子生徒御用達の人気店であるのは最近知ったことだけど、こうして目の当たりにするとその実感が湧いてきた。
そしてふと気づく。店内にまだ、ちらほらと空席があることを。カウンター席も辛うじてひと席空いているようだった。混んでいると言えばそうだけど、相席しなければ席に着けないほどの混雑具合ではない。――なんでわざわざ。
空いてる席あるじゃん、と突っぱねたくても、それが顔のわかるクラスメイトならともかくとして、名前も知らず上級生なのかも分からない相手に言い放つ勇気はなかった。なんだか形容しがたい気まずさのようなものを感じて、店を出たくなる衝動が芽生える。……とは言っても来たばかりだしなあ、と居心地の悪さを中和すべく私は半分ほどに減ったラテを啜った。
「あとでカラオケでも行く?」
何の脈絡もなく二人に予定を切り出す。特段、カラオケに固執する理由はなく、別にどこでも良かった。ただなんとなく、ここではない何処かで時間を潰したかっただけ。
「カラオケかあ。三人で? 他に誰か呼ぶ?」
「んー、じゃあ平田くん……は今日部活あるって言ってたっけ。まあいいんじゃない、三人でも」
言い出しっぺのくせに、少し投げやりにそう答える。この際、人数や人選にこだわりはない。ただ、この居心地の悪さをどうにか消化したいだけだった。
「私は……今日はやめとこうかな」
悩ましげに眉をひそめて松下さんが提案を降りる。なんとなく、珍しいなと思った。基本的に誘えば大体来てくれるから、てっきり今回もそうだとばかり考えて最初から頭数に数えていた。
「え、なんで? なんか用事でもあった?」
「ううん。そうじゃなくて、ただちょっとポイントがあんまり……ね?」
「あー……」
松下さんの言葉に、冷水を浴びせられたように思考が冷静さを取り戻す。入学時に支給された十万ポイントは、私たちの気を大きくするのに十分な額だった。日用品を買い揃えた後はカラオケやゲームセンターで遊んだり、ショッピングで服や化粧品を買い込むことは日常茶飯事。また来月十万円分もらえるし、と安易に考えて、多少値が張る商品でもポイントに糸目をつけず会計を済ませるなんてザラだった。
次のポイント支給日は五月一日。まだ二週間と数日は間がある。端末を操作して口座の残高を確認してみると、残り二万円ちょっと。少し、いやかなり使い込んでしまっている。このままのペースで遊び歩いているとあっという間に空っぽになってしまうくらいには心許ない数字だ。普通に考えれば高校生が二週間程度を二万円で過ごすのは十分に可能だろう。ただ、今の私は贅沢三昧でとっくに金銭感覚が麻痺してしまっている。正直、節制を心がけても三日坊主で終わる未来しか見えない。三日も持てばいいけど。
「確かに私もだいぶ使っちゃったんだよなぁ……軽井沢さんは?」
「私もあんまり……ってかぶっちゃけ二万ちょいしか残ってない」
「え、もうそんなに使っちゃったの!?」
瞠目する佐藤さんの眼差しを受けて、私は誤魔化すように目を逸らす。やはりというかなんというか、薄々分かっていたことだけど、どうも私はクラスの女子の中でも軍を抜いて金遣いが荒いらしい。もちろん、それは本意じゃない。自分を高く見せるために、羽振り良く振る舞っているだけ。要は見栄っ張りなだけのハリボテ。平田くんに頼んで偽装恋愛しているのもそうだ。私は私を守るために強い自分を演じているに過ぎなかった。
「まあ、節約すればなんとかなるでしょ。平気平気! 来月まで耐えればまた貰えるんだしさ」
「それは、そうだけど……やっぱりきつくない? 二万ポイントってすぐだよ」
「大丈夫だって。その辺は上手くやりくりするから」
資金繰りと言えば聞こえは良いかも知れないけど、実際に頭の中で考えているのは主に平田くんからの融資である。彼には申し訳ないが、ここは彼女(偽)としての権限を行使させてもらおう。
「――ポイント、お貸ししましょうか?」
唐突に、真隣から澄んだ声が鳴った。
「期日までに全額返済していただけるのであれば、幾らか融通しても構いませんよ」
透き通る音の方向へ目を向ければ、先程から相席している女生徒がこちらをじっと見つめていた。切り揃えられた藍色の前髪の下に、水底のような青さの双眸が嵌っている。綺麗な色をしているはずなのに、それは何処か冷たく、暗い色に思えた。
「え、っと……私に言ってます?」
困惑しつつも、私は下手な愛想笑いを浮かべながら念のために確認を入れる。
「はい。盗み聞くつもりはありませんでしたが、何やらお困りの様子でしたので。……少々、差し出がましかったでしょうか?」
「ああいや、別にそういうわけじゃ……」
端正な顔立ちで困り顔をされると、なぜだかこっちが申し訳なくなってくる。今までこういったタイプとは縁がなかったので、こうも下出に出られると調子が狂う。どう接したものかな、とひとまず手探りで相手の出方を窺うことに。
「ポイント貸してくれるのは素直にありがたいんですけど、その、ほら、一応私たちって初対面だし……貸し借りはちょっと」
ねえ? と佐藤さんたちにも同意を求める。返事は直ぐに頷きの形で帰ってきた。見知らぬ相手と金銭やり取りなんてトラブルの種でしか無いだろう。ぱっと見、悪い人には見えない……というか滲み出る上品さから察するに、裕福な家柄で育った人だとは思うけど、今は警戒心が勝った。これで本心から善意で申し出てくれたんだとしたら、ありがたい反面詐欺とかに引っかかりそうだなぁと他人ながら心配になる。
「でしたら、自己紹介だけでも済ませてしまいましょう。
穏やかな抑揚で言い聞かせるような語り口で喋る彼女、もとい土岐さん。趣味も美術関係と言うし、綺麗なルックスに似合ったものだと思う。これで上流階級の人間じゃなかったらよほど上手いミスリードだ。
それよりも、だ。
すごい。いるんだ、一人称ワタクシ。創作の中だけかと思ってた。ってゆーか今一年って言った? え、この雰囲気で私らとタメなの? まじかー。留年してないんだとしたら人生経験の差がとんでもない厚みだ。私が泥水飲まされてる間に優雅なお茶会でブランド物の紅茶でも呑んでたんだろうなあ。
「貴方のお名前は?」
「へ? あ、えっと、軽井沢恵です。趣味はSNS、とか? そんな感じです」
浅いなあ。ほんと浅い。我ながら恥ずかしい。SNSが趣味とかよく言えたよ。相手美術だよ? 雲泥、月とスッポンじゃん。
自嘲気味に乾いた笑みを口元に貼り付けながら、教養ってこういうときに恥をかかないために大事なのかなぁ、なんて反省したり。
「まあ。素敵なお名前ですね。恵ちゃんとお呼びしても?」
「い、いや、それは気が早いような……」
すっと身を寄せてくる土岐さんから香る甘い匂いに、思考が乱されるような気がしてならなかった。それはそうと、距離感の詰め方がえぐい。のっけから下の名前で呼ばれるのは流石に抵抗がある。しかしまあ友達どころか今まさに知り合ったというのに、このフレンドリーさはなんなのだろう。これが上流階級のコミュニケーションだとでもいうのか。
「ふふ、では呼び方については後々のお楽しみに取っておきましょうか」
花々がそよ風に揺れるような、品のある笑い方。私らみたいな人目も憚らずに大声で爆笑するそれとはかけ離れた、品性の最上位版を見せつけられて内心ちょっと感動すら覚えていた。住む世界が違う、というか本気で別世界の人間なんじゃないかとすら勘ぐってしまうほどに。
土岐さんは微笑みを湛えながら、懐から一枚の小さな紙切れを取り出すと、私の手元にそれを置いた。
「私の連絡先、お渡ししておきますね。気が変わりましたら、いつでもご連絡ください」
そう言って、土岐さんは緩やかな所作で席を立つ。彼女が手ぶらで飲み物なんて注文していないことに気づいたのは、その時になってからだった。
「では、ごきげんよう。軽井沢さん」
「ご、ごきげんよう」
恭しく会釈をして去っていく土岐さんに慣れない挨拶を返して、彼女の背中が店外へ消えていくのを見届ける。
「……なんか疲れた」
緊張感が解け、一気に倦怠感が全身に巡る。遭遇したことのない人種と対話すると、こんなにもエネルギーを使うものなのか。
乾いた喉に残りのラテを流し込む。とっくにカラオケに行く気分ではなくなっていた。誘っておいてなんだけど、今日はこのまま解散にしよう。
「綺麗な人だったね」
「ねー。高嶺の花? 深窓の令嬢? って感じ」
すっかり蚊帳の外だった二人が顔を見合わせる。
「ってか私と松下さん見向きもされなかったんだけど」
やや不満げな表情で佐藤さんが愚痴を零す。確かに思い返せば、土岐さん、ずっと私から視線を離さなかったような気がする。三人いるのに、私だけに焦点を絞って話しかけてきたのも少し不自然に思えた。……気の所為、だろうか。
「名前すら聞かれなかったよね。……軽井沢さん目当てだったのかな」
思案顔で松下さんがそう呟く。飲み干したカップをテーブルに置いて、私は明るい調子でその線を否定した。
「まっさかー。今日初めて会ったのに?」
「うーん、実は過去に会ってたとか?」
「ないない。あんな美人、一回会ったら忘れないって」
「それもそっか」
見覚えは当然無いし、同世代とは言えまかり間違っても生活が交わるような人じゃない。本当に、生きてる世界が違うんだろう。あの様子だと全寮制のお嬢様学校にでも通っていそうだ。いじめられっ子だった私なんて路傍の石同然、一瞥すらされない。……言ってて悲しくなってきた。
「……で、どうするの? 軽井沢さん。ポイント借りるの?」
「えー? そりゃあ、借りれるなら借りたいけど……どうしようかな……」
佐藤さんが羨ましげな面持ちを隠さずに尋ねてくる。正直に言えば是非ともお言葉に甘えたいところではあった。残高的にも配布日まで到底持ちそうにない。そうは言っても、ぽつぽつと思い浮かぶ懸念点が即断即決させてくれない。その中で、最も大きく比率を占める疑問が一つ。
「なんで私なんだろうなぁ」
頬杖をつきながら、渡された紙切れを手にとる。表面に書かれているのは、彼女のものと思しき番号の羅列。これに掛ければ、あのたおやかな声を聞くことが出来るわけだ。そう考えればなんとも役得な話ではあるが、別にセラピーを求めてるわけじゃない。私はただ学校生活を円滑に、ストレスなく過ごすためのポイントが欲しいだけ。なのでまあ一回だけ、金額の見積もりくらいは相談しても良いかも知れない。
特に深く考えず、なんとなく紙を捲る。
――今夜、午前零時。寮のロビーにてお待ちしています。
…………なんで私なんだろう。