恵ちゃん至上主義?   作:名無しのナナ氏

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7.変わりゆく日常

 

 目が覚めて、真っ先に感じたのは人肌の柔らかさだった。

 寝ぼけ眼で首を横に向けると、幸せそうな顔をした翔子が静かに寝息を立てている。彼女も私も、互いに生まれたままの姿で下着一つ着けていない。同じベッドの上で、肌を密着させていた。

 

 カーテンの隙間から差し込む朝日と鳥のさえずりが、一日の始まりを告げている。ぼんやりと翔子の寝顔を眺めながら、昨晩の出来事を思い返す。

 ほとんど襲われるような形で始まった痴態は、終始、翔子にリードされていた。開幕早々、あっという間に衣服をひん剥かれた私は全身をくまなく愛撫され、特に、脇腹の傷跡を重点的に攻められた。弱点という意味では違いないが、かと言って性感帯ではもちろん無く、むしろ触れられるなんて禁忌に等しい。……はずなのだが、指の腹でなぞったり、何度もキスを落としたり、吸ったり、くすぐってみたりとねちっこい攻めを受けて次第に私の感覚は麻痺していった。

 後半に関してはほぼ記憶がない。何をされてるのかも判然としないまま、ひたすら彼女の名を呼んでいた気がする。最終的に意識が飛んで、後は泥のように眠っていた。

 

 少し腕を広げると、濡れた感覚をまばらに感じる。タオルも敷かずに耽っていたせいでシーツが悲惨なことになっていた。

 洗濯しなきゃなあ、なんて面倒に思っていると、僅かに身動ぎした翔子が薄く目を開ける。少しの間、無言で見つめ合う。彼女はふっと頬を緩めて、陽だまりのような微笑みで朝を迎えた。

 

「おはよう、恵ちゃん」

「おはよ、翔子」

 

 彼女は陶器のように白い腕を伸ばして、私の髪を梳く。

 

「一緒にシャワー入ろっか」

「ん……」

 

 体を起こして、あくび混じりに大きく伸びをする。完全に疲れが抜けきっていないのか、まとわりつくような気怠さが薄っすらと疲労感として体に残っていた。所々、節々の関節も軋む。特に腰回りの筋肉が強張ったみたいに鈍い痛みがある。一晩中、変に刺激され続けたからかもしれない。

 

 軋む体をひとまず無視し、立ち上がろうとした私だったが、上手く足に力が入らずベッド上で座りっぱなしを余儀なくされていた。

 

「あ、あれ……?」

「恵ちゃん?」

「ねえ翔子、ちょっと手貸して。なんか、立てない」

 

 彼女の手を借りてみても、足が震えて直立の姿勢を維持できない。崩折れそうになって咄嗟に翔子の腰にしがみつく。

 

「おっとと。もしかして、腰やっちゃった?」

「あー、かも。下半身がちょっと、変な感じする」

 

 痺れているわけはない。言語化が難しいけど、体の上と下で感覚が違うというか、別人の肉体と半分だけ挿げ替えられたような感じ。自分の体なのに、どこか他人行儀な。妙な感覚だった。

 

「じゃあ、私がお風呂まで運んであげるね」

 

 へなへなとずり落ちそうになる私を、翔子はひょいっと抱えて移動する。昨日も体験したので驚きはしないもの、その細腕の何処に軽々と持ち上げられるだけの筋肉が詰まっているのかと疑問に思う。

 

「恵ちゃん軽いねー。ちゃんと食べてる?」

「まあ、太らない程度には」

「多少太ってても気にしないよ。でも太り過ぎてたり痩せ過ぎは心配になるからダメね」

 

 そんな他愛もない会話を挟みつつ、風呂場まで運ばれる。既にお互いすっぽんぽんなので、衣類を脱ぐひと手間が省かれるとなんだか新鮮な気分になった。翔子は私をバスチェアに座らせると、ノズルに手をかざしてコックを捻る。お湯に変わるのを待ってから、彼女はシャワーヘッドを構えた。

 

「それじゃ、一緒に朝シャンしましょうね~」

 

 扱いが子供だなあ、とは思いつつ大人しく温かいシャワーを浴びるのだった。

 

 結局、何事もなく共同シャワーを終えて浴室を出る。汗やら愛液やらでベタつく髪と体を洗い終える頃には、体も温まって自力で立ち上がれるようになっていた。途中、翔子のボディタッチが少々多めな気もしたけど、それ以上は特にアクションはなかった。まあ、彼女としてもこの時間からスイッチが入って学校に遅れるのは避けたかったんだと思う。

 交互にドライヤーで髪を乾かした後はそのまま制服に袖を通す。翔子は部屋で着替えなければならないので後回しだそうで。

 

 朝食は昨日彼女が買ってきたパンの中から適当に選ぶ。手に取ったのはチョコクロワッサンだった。翔子と並んでパンを齧りながら、登校までの穏やかな時間を過ごす。

 

「あ、忘れてた」

 

 ひと足早く食べ終えて手持ち無沙汰になっていた翔子がやおら声を上げる。

 

「どうしたの?」

「昨日の分のお小遣い、まだあげてなかったなって。ほら、キスとか色々したでしょ?」

「あー、まあ……」

 

 昨晩の淫靡な記憶が蘇る。呼び方は許可したから良いとして、それ以外は丸っきり承諾した覚えがない。私が何か言う前に、先制して口を塞がれていたというのはあるけど、なし崩し的に受け入れてしまった私も私だ。今更ながら、だんだんと恥ずかしくなってきた。借金相手からプロポーズされて恋人に変わった挙句、その相手と一晩中、淫蕩な行為に耽るだなんて誰が予想できるものか。

 

「私も歯止めが効かなくて結構無茶させちゃったから、お詫びの意味も込めてこれぐらいかな」

 

 端末を取って送金額を確認してみる。――100000ポイント。

 

「足りなくなったらいつでも言ってね」

「いや、こんなに貰っても困るわよ!」

「どうして?」

「だって、もしクラスメイトに見られたら絶対面倒事になるじゃん」

 

 ただでさえDクラスの生徒は困窮を強いられているのだから、こんな大金を持っていることがバレたら間違いなく次から次へとたかられるのは目に見えている。ポイントの出どころも追及されるだろう。馬鹿正直に、Aクラスの生徒とエッチしてもらいましたーなどと言えるわけがない。

 

「心配しないで。何かあっても私が必ず助けに行くから。それに、周りからとやかく言われても、その時は私の名前を出していいよ。そのポイントは私と恵ちゃんの資産なんだから」

「……じゃあ、受け取っておく」

 

 必ず助けるとまで言い切られると、私としてはそれ以上何も言えない。私を黙らせる謳い文句の中でも最上級なのだから。

 思わぬ臨時収入に懐が暖かくなり、内心ほくほく顔で朝食を済ませる。それからゆっくりと身支度をして、後はもう校舎に向かうだけ。

 制服に着替えるために先んじて部屋を出た翔子を追いかけて、自室を出る。鍵を閉めてエレベーターの前で待っているとぱたぱたと翔子が小走りでやってきた。端から見ても分かるほどに口角が上がっている。そんな彼女の微笑みを目にして、私も頬が緩むのを感じていた。

 

「おまたせ。行こっか」

 

 言うや否や、流れるような所作で私の手を取って指を絡めてくる。紛れもない恋人つなぎだ。

 

「ちょ、ちょっと。恥ずかしいって」

「私は恥ずかしくないよ? せっかく可愛い恵ちゃんと一緒に登校できるんだもの。ついでに、悪い虫がつかないようにこうやって牽制しとかないとね」

「一応、あたしまだ平田くんと付き合ってることになってるんだけど……」

「あ、後で別れといてね。浮気は許さないから」

「浮気も何も、そもそもお互いに恋愛感情ないわよ。まあ、言われた通り関係は解消するけどさ。平田くんには悪いけど」

 

 彼にはどう説明したものかなと思案しつつ、私からも手を握り返しながら二人でエレベーターに乗り込む。狭い空間に金木犀とシャンプーの香りが混ざって妙に甘ったるかった。

 

「そうだ恵ちゃん。一つお願いしても良い?」

「なに? キ、キスするの?」

「ふふっ、それもいいけど……ちょっと大事なお願いなんだ。今日のお昼まで学生証端末を私に預けてほしいの」

「端末を?」

 

 意外な要求に、少し迷う。別に今更プライバシーがどうこう言うつもりはなかった。ただ理由がわからなかったのと、携帯使えないと休み時間暇だなあという現代っ子ならではの躊躇いがある。

 

「一応聞くけど、なんで?」

「恵ちゃんを守るために必要なことなの」

「……そう言われると、断れないんだけど」

「ごめんね。悪いようにはしないから」

「分かったわよ。でもクラスメイトにポイント返しちゃってからでもいい?」

「いいよ。あ、今のうちにこれ渡しておくね」

 

 そういって翔子はスカートの中を弄って何かを取り出す。差し出されたのは『家内安全』と書かれた紫色の御守りだった。

 

「御守り? ってか家内安全って……」

「前もって用意しておいたんだ。恵ちゃんはもう私にとって家族みたいな存在だから」

「へ、へえー。家族、ね。……ま、まあ受け取っておくけどさ」

「私だと思って大事にしてね。肌見放さず、私の目の届かない場所に出歩く時は、絶対に持ち歩いて。はい、約束」

「はいはい約束。もう、ちょっと過保護すぎない?」

 

 思わず苦笑してしまう。愛されてるなあと身に沁みて感じたから、御守りを持った手で大人しく指切りをして約束されてあげる。初めての贈り物が御守りというのも、なんだか翔子らしいなと腑に落ちた。

 

 ブレザーの内ポケットに御守りを大事にしまって、タイミングよくロビーに到着したエレベーターから揃って出る。まばらに居た生徒たちから既に視線を向けられたものの、これを耐える。教室に着くまで、固く結んだこの手を離してくれるとは思えない。既に頬が熱を帯びつつあったが、ここでギブアップしているようでは、この先やっていけないのは明白だ。絶対にエスカレートする確信すらあった。

 

「恵ちゃん、顔赤いよ? ちょっと恥ずかしい?」

「べ、別に恥ずかしくなんかないわよ。全然平気だし」

「そお? その割には、なんだか手が汗ばんでるみたいだけど」

「う、うるさぃ……」

 

 すっかり顔が熱い私を横目に、翔子は鈴を転がしたみたいに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 朝。教室についたオレは席につくなり、普段通りの仏頂面を浮かべている隣人に挨拶を済ませる。

 

「おはよう堀北。例のポイントを増やす策は思いついたか?」

「連絡をしていない時点で察しなさい」

「さいですか……」

 

 挨拶が返ってくるどころか氷点下の冷たさで突き放される。当然本人は手元の本に視線を落としたままこっちを見向きもしていない。堀北の辞書にコミュニケーションが載っていないのは、これまでのオレの腕の傷が物語っている。あ、こらコンパスを構えるんじゃない。痛いんだからなそれ!

 両手を上げて降伏の意を示すことでひとまず許しを得たオレは、すごすごと自分の席で縮こまった。これ以上、腕に穴が開くのは勘弁してほしい。

 

 隣人を刺激しないよう、大人しく一人の世界に耽る。

 

 教室には既に大多数のクラスメイトが揃っていた。昨日の今日ということもあってか、ホームルーム前に須藤の姿もあった。これは大変珍しいことだ。遅刻常習犯である彼と言えど、流石に体裁を気にしたらしい。不機嫌そうにあくびを噛み締めているのが見える。

 

「――じゃ、ちょっと待ってて」

 

 ふと、聞き馴染みのない声が入口から聞こえたもので、自然と視線が向く。誰かと思えば平田の彼女こと軽井沢だった。廊下には、緩く手を振っているやたら背の高い女生徒が立っている。友人だろうか?

 

「あ、軽井沢さんおはよう。昨日、大丈夫だった?」

「おはよー。大丈夫って、なにが?」

 

 席に鞄を置いた軽井沢に、佐藤や松下たちが集まる。質問を返した彼女の声はやはり何処か違和感があった。

 

「昨日の放課後さ、正面玄関で誰かと言い合ってるのを見たって噂になってるよ? ……っていうか、声変だけどどうしたの?」

「あー、気にしないで。ちょっと喋りすぎただけだから」

 

 喉に手を当てて答える軽井沢。聞き覚えがなかったのは、その掠れ声が原因だったらしい。

 

「あとその噂も、別に喧嘩したとかじゃないし。勘違いでしょ」

「そっか。まあ噂は所詮噂だからね。ところで、土岐さんがこっち見てるけど……」

 

 松下の視線の先には件の女生徒。静かな微笑みをたたえて軽井沢たちを見つめている。大人びた雰囲気から察するに上級生と思われるが、軽井沢の知り合いというには少し奇妙な組み合わせだ。ギャルっぽい軽井沢と、物静かな印象を受けるその女生徒は一見して相性が悪いように思える。

 

「っと、そうだった。櫛田さんちょっといーい?」

 

 クラスメイトと談笑していた櫛田に、軽井沢が小走りで駆け寄った。

 

「おはよう軽井沢さん。何か用かな?」

「おはよ。あのさ、昨日借りたポイントなんだけど、やっぱり返すね」

「え? でも、必要なんだよね? 無理しなくていいよ! 余裕ができた時に返してくれればいいから」

「いいのいいの。ポイント無くても無料品でなんとかなるし。それにほら、あんまり皆から借りるのもどうかと思ってさ。櫛田さんだって人付き合いでポイント使うでしょ? だから、やっぱり返しておきたいの」

「……そっか! うん、わかったよ。でも無理しないでね? 必要になったらいつでも言ってくれて良いんだよ?」

「あー、うん。必要になったらね。それじゃ、ほんとごめんね」

 

 そう言って端末の操作をした軽井沢は、今度は井の頭と王の席へ向かうと、櫛田と同じく申し訳なさそうに謝罪してポイントを返金して回った。つい先日までの傲慢な振る舞いとは、打って変わってまるで心を入れ替えたようである。ポイントを浪費して困っていると嘆いていた人物が、たった一日で考えを一転させて返金に踏み切ったのは、果たしてどういう心境の変化があったのだろうか。

 

 物珍しげにその様子を眺めていると、あらかた返し終えた軽井沢は席に戻るでもなく、廊下からこちらを伺っていた女生徒の元へ。

 教室の喧騒に掻き消されて会話の内容は聞こえてこなかったが、何やら一言二言ほど言葉を交わして、軽井沢は自分の学生証を彼女に手渡した。それで用件が済んだのか、女生徒は絹のように柔らかい微笑を浮かべて去っていった。それを見送った軽井沢も、自分の席へ戻ると友人らとの談笑に入る。

 

「他所の生徒に学生証を預けるなんて、不用心ね」

「なんだ、お前も見てたのか」

 

 本に視線を戻した堀北が、硬い表情を変えずに明かす。

 

「廊下に来ていた背の高い女子。Aクラスの生徒よ」

「知り合いか?」

「いいえ。以前、Aクラスに入っていくのを見かけただけ」

「それだけで断定するのは、早計な判断だと思うんだが」

「じゃあ聞かせてほしいのだけど、あなたは他クラスの教室に堂々と入っていくのかしら?」

「……行かない」

「でしょうね。そういうことよ」

 

 それ以上、堀北に対話の意思はないらしく、彼女は本のページを捲った。こうなると梃子でも動かないのが堀北だ。オレとしても朝からコンパスで刺されたくはないので、適当に教科書を開いて時間を潰すことにする。

 ほんの少し、軽井沢を一瞥した。友人たちと親しげに会話を弾ませる彼女の雰囲気が、普段と違い、僅かに柔らかくなっているように感じる。尤も、オレは軽井沢と友達でもなんでもないので、あれが平常運転だと指摘されれば、何も言えないのだが。

 意識を戻して、教科書を眺める。しばらくすれば、やがて関心も薄れていった。

 

 ――翌朝、軽井沢が平田と別れたというゴシップがDクラスを駆け巡った。




やっと綾小路が出せました。なお、原作準拠の初期小路くんな模様
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