王立ベルガルド学園。それは、王都の北東に広大無辺な敷地を構える、ベルガルド王国最高峰にして唯一無二の権威を誇る国家最高教育機関である。
青空に毅然とそびえ立つ白亜の校舎は、本物の王城にも劣らぬ圧倒的な威容と歴史の重みを湛え、天を突く尖塔の先では、麗しい風に煽られた王家の紋章を象った巨大な旗が誇らしげにたなびいていた。重厚な鉄製の正門から壮麗な校舎へと真っ直ぐに続く石畳の道は、チリ一つ落ちていないほど完璧に整えられ、その左右には瑞々しい若葉を芽吹かせた美しい並木道が遥か先まで続いている。
ここは国内のあらゆる有力貴族の子弟が集い、未来の国政を担うための英才教育を施される場であると同時に、家柄や身分に左右されず、ただその身に宿る「圧倒的な才能と智謀」のみを評価されて門戸を開かれる、極めて狭き門の『特待生制度』も存在していた。それは王国が次世代の有能な人材を何よりも重んじるという強い意志の証明であり、同時に凝り固まった貴族社会へ新たな刺激をもたらすための、精巧な仕組みでもあった。
その巨大な正門を一歩くぐり抜けた瞬間、アルフォンスは、この五年間ずっと胸の奥底に鉛のように居座り続けていた重苦しい重石が、ほんの少しだけ軽くなるのを確かに感じていた。
(ああ……ここは王城ではないのだ)
ただ、それだけの事実。この広大な敷地内のどこを探しても、あの忌まわしくも恐ろしい双子――エリシアとフィリアの姿は存在しない。たったそれだけの現実が、これほどまでに自らの呼吸を楽にし、世界の色彩を鮮やかに蘇らせるとは思いもしなかった。無論、王子という最高位の身分である以上、課せられた義務や責任から完全に逃れられるわけではない。学園という閉ざされた社会に入れば入ったで、周囲の上流階級の視線は常に一挙手一投足へと注がれ、品定めされることになるだろう。それでも、薄暗い廊下の角から、あの銀白色の髪をした美しき悪魔たちが不気味な微笑みを浮かべて音もなく現れる心配が「絶対にない」というだけで、アルフォンスの目に見える世界は随分と穏やかで、優しさに満ちていた。もっとも、この極上の自由が永遠に続くわけではないことも、彼は痛いほどに理解している。二年後。たった二年の猶予が過ぎ去れば、あの双子は確実にこの学園へと入学してくるのだ。その決定された未来の絶望だけが、雲一つない春の晴天の片隅に、薄く不気味にかかった黒雲のように、彼の心へ消えない影を落とし続けていた。
◇
厳かな入学式は、学園の象徴でもある中央大講堂の、厳粛な空気の中で執り行われた。
遥か高いドーム状の天井には、歴代の名高き学長や偉大なる王族たちの巨大な肖像画が厳然と並び、鏡のように磨き上げられた大理石の床には、緊張に満ちた新入生たちの革靴の音がコツコツと静かに響き渡る。壇上前方には一分の隙もない礼服に身を包んだ最高峰の教師陣が整列し、左右の重厚な席には、鋭い視線を投げかける在校生の上級生や、国家の重鎮たる来賓たちがズラリと並んでいた。新入生である貴族の子弟たちは、無意識のうちに己の家格や派閥ごとに自然と距離を測り合い、数少ない特待生たちは、周囲の圧倒的な貴族の威圧感に少しだけ気圧された面持ちで、緊張を隠せず周囲を見回している。学園という学びの場ではあっても、一歩足を踏み入れれば、ここもまた国家の縮図たる小さな貴族社会そのものなのだ。やがて、粛々とした進行の中で「新入生代表」としてその名が堂々と響き渡った時、アルフォンスは迷いなく、洗練された所作で席から立ち上がった。
体内に微かな緊張の走る感覚はある。だが、それを他者に悟らせるような無様な真似は、彼のプライドが絶対に許さなかった。ベルガルド王国の第一王子として、数千数万の民衆の前に立つ訓練など、幼少期から嫌というほど叩き込まれてきているのだ。
背筋を限界まで美しく伸ばし、堂々たる歩調で壇上へと上がる。大講堂内のすべての人間――数百人分の視線が一点に集中する極限の静寂の中で、彼は王族としての完璧な角度で、静かに一礼した。
「本日、伝統ある王立ベルガルド学園の一員となれたことを、心より光栄に思います」
アルフォンスの口から放たれた声は、魔法による拡声など必要としないほど、講堂の隅々まで澄み切ってよく通った。それは第一王子としての気高き品格と、十五歳の少年らしい、清々しく誠実な響き。その両方が絶妙なバランスで滲み出る、非の打ち所がない完璧な挨拶だった。学び舎への深い敬意、これからの三年間を共に過ごす同級生たちと互いに切磋琢磨し合うという強い決意、そして王国の未来を背負う者としての高潔な責任感。あらかじめ側近や教育係によって用意された模範的な文章ではあったが、アルフォンスは自らの確固たる意志を込めることで、それを完全に「自分の言葉」として熱く語りきったのだ。そこには、王城の奥深くで双子の理不尽な我が儘や魔術実験に振り回され、夜な夜な胃を痛めていた哀れな兄の姿など、微塵も存在しなかった。国家の誰もが知る、そして誰もが憧れを抱く――優秀で、穏やかで、慈悲深い「完璧な第一王子」の姿だけが、そこに燦然と輝いていた。
挨拶を終え、アルフォンスが優雅に席へと戻ると、張り詰めていた大講堂の空気がわずかに、けれど確実に和らいだ。周囲の貴族令嬢たちの間からは、恋に落ちたかのようなうっとりとした感嘆の吐息が漏れ出し、男子生徒たちもまた、王子の隙のない堂々とした佇まいに、畏敬の念を込めた熱い視線を向けていた。アルフォンスは王子としてのポーカーフェイスを一切崩さずに着席したが、内心では、誰にも気づかれないように小さく安堵の息を吐き出していた。
一連の式典がすべて滞りなく終了すると、新入生たちは緊張の呪縛から解き放たれ、一斉に講堂の外へと流れ出した。心地よい春の柔らかな風が、歴史ある回廊の隙間を静かに吹き抜ける中、アルフォンスは華やかな人混みの向こう側に、最も見慣れた、そして最も愛おしい姿を見つけ出した。
艶やかな濃紺の美しい髪を上品かつ完璧に結い上げ、神秘的な薄紫の瞳に柔らかな光を宿した少女。五年前のあの出会いの日よりも格段に背が伸び、当時の幼さの中にあった可憐さは、今や大人の女性へと脱皮を遂げる途中の、凛とした圧倒的な美しさへと変わりつつあった。
「――アルフォンス様」
「クラウディア」
アルフォンスが愛おしそうにその婚約者の名を呼ぶと、クラウディアは周囲の目を気にしながらも、張り詰めていた緊張が解けたように、ほっとした可憐な微笑みを浮かべた。
「先ほどの壇上でのご挨拶、本当に、とても立派で素晴らしかったですわ」
「ありがとう。クラウディアにそう言ってもらえるのが、一番安心するよ」
「本当ですのよ? 殿下の堂々たるお姿を拝見して、私まで自分のことのように誇らしくなってしまいましたわ」
一点の曇りもない紫水晶の瞳で真っ直ぐに褒め称えられ、アルフォンスは王子としての仮面の下で、少しだけ少年らしく照れたように頬を緩めた。クラウディアとは五年間、王城の荒波の中で、お互いを思いやる穏やかで清らかな交流を片時も絶やさずに続けてきた。まだ世間一般の情熱的な「恋人」と呼ぶには些か慎ましすぎる、純潔な距離感ではある。だが、未来を誓い合った婚約者として、お互いが誰よりも深く、特別に大切に思い合っていることは紛れもない事実だった。
「クラウディアは……やっぱり、少し緊張していたかい?」
「ええ、少しだけ。……いえ、本当のことを申し上げますと、心臓が飛び出してしまいそうなほど、かなり緊張しておりましたわ」
彼女が周囲に聞こえないような小さな声で、悪戯っぽく内緒話のように打ち明けると、アルフォンスは愛おしさが限界に達し、思わずクスリと優しく笑った。
「実は……ここだけの秘密だが、僕も全く同じだったよ」
「あら、殿下がそのように仰ってくださると、不思議と私の緊張もどこかへ消えてしまいますわね」
「これからは、この学園の中では僕たちは同じ『同級生』だからね。王子として公の場に立つ場面は当然あるだろうけれど、共に学び、過ごす時は、同じ一人の新入生だ」
その飾らない言葉に、クラウディアの表情はさらに柔らかく、美しいものへと開花していく。二人の間に流れる空気には、五年という長い時間をかけてじっくりと育まれてきた、絶対的な「信頼」と「心の安らぎ」があった。燃え盛るような派手な熱量はない。けれど、冬を越えた春の日差しのようにどこまでも穏やかで、確かに魂を温めてくれる最高の拠り所だった。
「やあ、相変わらず見せつけてくれるね」
そんな二人の至福の空間を割るように、極めて軽やかで聞き覚えのある声が、背後から楽しげに割り込んできた。アルフォンスが驚いて振り向くと、そこにはレオンハルト・フォン・ローゼンベルクが、いつもの人を食ったような柔和な笑みを浮かべて優雅に立っていた。気品溢れる艶やかな濃紺の髪と、神秘的な紫水晶のような輝きを放つ瞳は、妹であるクラウディアと非常によく似ている。だが、その眼差しにはどこか常に周囲を一歩引いた場所から観察し、からかうような大人の余裕が満ち満ちていた。ローゼンベルク公爵家の若き嫡男であり、学園内においてはアルフォンスの側近候補筆頭として、国家からも絶大な期待を寄せられている傑物の一人だ。
「……お兄様」
クラウディアが、せっかくの甘い時間を邪魔されたことに少しだけ不満そうな、咎めるような視線を向けると、レオンハルトは降参とばかりに両手を軽く上げて肩をすくめた。
「おやおや、これはどうやら、お邪魔してしまったかな?」
「――していませんわ」
「ははは、そういうことにしておこう。怒った顔も可愛いよ、クラウディア」
そんな仲睦まじい特権階級の兄妹のテンポの良いやり取りに、アルフォンスの表情には自然と、偽りのない温かな笑みが浮かんでいた。ローゼンベルク兄妹の絆は非常に深い。レオンハルトは軽薄に見えてその実、妹を世界の何よりも大切にしている重度のシスコンの気があるし、クラウディアもまた、そんな兄の卓越した能力を深く信頼している。そのドロドロとした陰謀のない、純粋な家族関係は、アルフォンスの荒んだ心にとって見ていて非常に心地良いものだった。
「さて、アルフォンス。さっそくなんだけど、君にぜひ紹介しておきたい、僕らの素晴らしい