王立ベルガルド学園での新生活が幕を開けてから、早いもので数週間という月日が流れ去っていた。
入学直後特有の、あの浮足立ったような慌ただしさや緊張感もようやく綺麗に落ち着きを見せ、今では広大な敷地にそびえ立つ白亜の校舎の複雑な構造、最先端の魔導器具を駆使した授業の流れ、そして格式高い寄宿舎での自立した規則正しい生活にも、五人の少年たちは少しずつ、確実に馴染み始めていた。
天井の高い大講義室の、精巧な装飾が施された格子窓からは、うららかな春の柔らかな陽光が斜めに差し込み、磨き上げられた木製の机を暖かく照らしている。教壇に立つ老教授の厳かで眠気を誘う講義の声と、生徒たちが一言半句も聞き漏らすまいと走らせる羽根ペンが、上質な羊皮紙をシャカシャカと擦る静かな音だけが、心地よいリズムとなって室内に混じり合っていた。
アルフォンスは頬杖を突き、手元のノートに整然とした文字を書き進めながら、ふと、ここ最近の自分自身のあまりにも劇的な変化について、奇妙な不思議さを覚えていた。鳥のさえずりと共に朝生気に満ちたベッドで目覚め、午前中は洗練された講義を集中して受け、昼には気の置けない友人たちと同じテーブルを囲んで賑やかに食事を摂る。そして放課後になれば、最愛の婚約者であるクラウディアと、瑞々しい花々が咲き誇る美しい庭園の東屋でお茶を酌み交わす。もちろん、一国の第一王子という最高位の身分である以上、周囲からの過剰な期待や、将来の王戴冠へ向けた厳格な責務から完全に解放されたわけではない。学園に入れば入ったで、常に品定めするような貴族たちの視線に晒され続ける。それでも――王城にいた頃のように、薄暗い廊下の角から、あの銀白色の髪をした美しき悪魔たちが「お兄様」と不気味な微笑みを浮かべて音もなく現れる心配が、この学園にはただの一ミリも存在しないのだ。
(エリシアも……フィリアも、この場所には絶対にいない。……本当に、いないんだ)
その厳然たる事実が、現在のアルフォンスにとって、自覚していた以上にどれほど精神的な救いとなっているか、計り知れなかった。ただ双子が周囲の環境に存在しないという、普通の人間からすればあまりにも当たり前すぎるその一事だけで、これほどまでに胸が軽くなり、毎日の呼吸が深く、楽になるものだとは思わなかった。誰の理不尽な我が儘に怯えることもなく、誰の怪しげなロストテクノロジーの実験台にされることもなく、自分自身の予定を自分自身の意志で選び取り、同年代の友人と何気ない他愛のない話をして笑い合う。間違いなく、今のこの瞬間こそが、アルフォンスのこれまでの十五年間の人生において、最も穏やかで、最も人間らしい、至高の平穏な時間であった。もちろん、これがわずか二年後に音を立てて崩れ去る、期間限定の「束の間の自由」であることは痛いほど分かっている。二年後には、あの二人の怪物がこの聖域へ平然と乗り込んでくるのだ。それでも……今だけは。この奇跡のような平穏を、心の底から一滴残らず味わい尽くしていたかった。
◇
そんなある日の放課後、入学してから初めて執り行われた、各分野の小試験の総合結果が、中央回廊の巨大な掲示板へと一斉に貼り出された。
新入生たちは我先にと掲示板の前に群がり、自分の名前と順位を血眼になって確認しては、あちこちで歓喜の叫び声や、絶望的なため息を漏らしていた。最高峰の英才が集うこの学園において、成績の優劣はそのまま実家の貴族としての「面子」や「派閥内での立場」に直結するため、彼らにとってこの掲示板は、単なる学力測定以上の意味を持つ、血の流れない戦場そのものなのだ。
「――おい、見ろよ! 『総合第一位、アルフォンス・フォン・ベルガルド殿下』だ!」
人混みの最前列にいた一人の大貴族の令息が、掲示板の頂点に君臨するその輝かしい名前を大きな声で読み上げると、周囲を取り囲んでいた生徒たちの間から、一斉に「おお……!」という割れんばかりの感嘆と称賛の声が沸き起こった。第一王子が、全分野の総合首位。それは、王国の未来を担う統治者として、周囲の大人たちが抱く絶対的な期待通りの結果であり、同時に、先日の新入生代表の挨拶で見せた彼の圧倒的な品格を知る者からすれば、誰もが深く納得せざるを得ない完全なるリザルトであった。アルフォンス自身も、掲示板の最上段に自分の名を見つけてホッと胸を撫で下ろしはしたものの、格別に驚きや傲慢な笑みを浮かべることはなかった。王族として周囲に決して恥じない完璧な成績を維持するため、王城にいた頃から血の滲むような帝王学の努力を重ねてきた自負があったし、この学園に入って自由を得てからも、決して慢心して手を抜くような真似はしていなかったからだ。だが、その貼り出されたリザルトの「内訳」を、各分野ごとに細かく精査していけば、少しばかり毛色が異なっていた。
「なるほど、純粋な『筆記・座学部門』の絶対的な一位は、やはりレオンハルトか」
アルフォンスが、人混みの中から一歩下がった場所で腕を組んでいる友人の顔を覗き込むと、レオンハルトはいつものように涼しい顔のまま、大して嬉しそうでもなく肩をすくめて見せた。
「まあね。教科書の裏の注釈まで丸暗記するような、ただの退屈な筆記試験だけなら、僕の記憶力が少しばかり勝っていたというだけさ。全分野を合計した『総合評価』の得点では、とてもじゃないけれど君の完璧なバランスには及ばないよ」
「がははは! 見ろよお前ら! 『実技・剣技部門』の圧倒的一位は、この俺、ガイアス様だ!」
赤銅色の髪を激しく揺らしながら、掲示板の武術欄の一番上をこれでもかと親指で指差し、満面の笑みで胸を張るガイアス。周囲の貴族生徒たちがその野性的な威圧感に気圧されて道をあける中、堂々と己の勝利を誇るその姿は、実に脳筋で快活な彼らしさに満ち溢れていた。
「……そして、『実技・魔法部門』の一位は、不動のセレス、というわけだね」
カイルが、分厚い経済書を片手に掲示板の別の欄を細い目で眺めながら、感心したように呟く。話を振られた銀髪の少年――セレスは、手に持った魔導書から一切視線を上げることすらなく、淡々とした冷徹な声音で短く切り捨てた。
「当然の結果だ。今回は魔力の出力と、基礎的な術式構築の正確性を競うだけの、あまりにも退屈な基礎項目ばかりだった。これで一位を取れなければ、宮廷魔術師の弟子の名を返上せねばならなくなる」
「やれやれ、それで平然と満点を叩き出しているんだから、周囲からすれば十分すぎるほどに天才だと思うがねえ」
カイルは肩をすくめて苦笑しつつ、自らの『経済学・算術部門』の順位を確認して満足げに唇の端を上げた。実務や数字の分析に関わる特殊な科目においては、彼は大貴族の英才たちを綺麗にごぼう抜きにして上位にガッツリと食い込んでおり、彼が「ただの低い男爵家の令息」だからと、鼻で笑って侮るような愚者は、すでにこの掲示板の前には一人も存在しなくなっていた。
一方で、我らが第一王子アルフォンスの成績はというと、すべての分野(筆記、剣、魔法、算術)において、例外なく「上位二位、あるいは三位以内」という信じられないほどの超高水準の位置にピタリとランクインしていた。純粋な暗記や論文の筆記ではレオンハルトの底知れない智謀に一歩及ばず、純粋な白兵戦の剣技ではガイアスの天賦の怪力と武の才能に届かず、純粋な魔術戦ではセレスの精密機械のような呪文構築に一歩負ける。さらに、現実的な経済の算術や実務的な損益分析においては、カイルの商人の血脈特有の鋭い嗅覚に、一目置かざるを得ない場面もある。だが、その尖りきった各分野の天才たち全員の背中を肉薄して追いかけ、すべての能力値を極限まで均等に、完璧な高水準でまとめ上げた結果――総合評価の総合得点において、誰よりも高い頂点(首位)に君臨したのが、アルフォンス・フォン・ベルガルドという王子だった。
「……つまり一言で申し上げますと、殿下はすべての分野において天才たちに一歩劣る、非凡なる『器用貧乏』ということですね」
カイルが、掲示板の数字をパチパチと脳内で計算し終えると、王子相手であるにもかかわらず、悪びれもしない極上の商人スマイルで容赦のないツッコミを放った。
「おいおいカイル、王子殿下相手に対して相変わらず遠慮がなさすぎるだろう、君は」
「おや、ローゼンベルク卿。私はただ、貼り出された正直な『数字』の客観的事実を口にしたまでですよ?」
その二人の小気味よい言い草に、レオンハルトが実に楽しげに声を上げて笑う。
「まあでも、カイル。全分野において、それぞれの専門の天才たちのすぐ後ろにピタリと張り付いているような『器用貧乏』なんてものがこの世に存在するとしたら、それは器用貧乏とは呼ばずに――何でも完璧にこなせる、異次元の『万能の天才』と呼ぶべきだと思うけれどね」
「……君たちが僕を褒めているのか、それとも高度にからかっているのか、だんだん分からなくなってきたな」
「ははは、もちろん『両方』に決まっているじゃないか、アルフォンス」
アルフォンスは肩をすくめ、友人たちの前でフッとあどけない苦笑を漏らした。
王城にいた頃、自らの成績や才能、魔力の質といった「評価」の話は、彼にとって常に吐き気を催すほどの息苦しい呪縛でしかなかった。どれほど血の滲む努力をして優秀な成績を収めても、周囲の大人たちからは常にあの不気味な双子の異常な成長速度と比較され、どれほど完璧であっても、自分の心のどこかでドス黒い劣等感と罪悪感がキリキリと疼き続けていたからだ。だが、この学園での友人たちの前では、全く違っていた。お互いが持つ唯一無二の得意分野を素直に認め合い、時にその尖った個性をからかい合い、邪悪な政治的意図なく純粋に笑い合える。たとえ特定の分野で彼らに負けたとしても、胸に湧き上がるのは「次は負けないぞ」という健全で心地よい悔しさだけであり、王城で感じていたような、自分の存在そのものを全否定されるような惨めさは、どこを探しても微塵も存在しなかった。
それが、アルフォンスにとっては、涙が出そうになるほどにひどく新鮮で、愛おしい時間だった。
ガイアスのキャラが結構変わってしまいましたが、前話が緊張してガチガチだったと理解いただけると幸いです。