その迅速かつ極めて冷静なリスクヘッジの判断を見て、マリアは内心で深く感心していた。ゲームの画面の中では、主人公がこの助言を言えば、次のシーンでは自動的に大成功の結果が出るだけだった。しかし、現実の商売というのは、ただ答えを言っただけで成功するほど甘いものではない。どの客を対象に選ぶか。どのような形式でデータを記録するか。どれだけの在庫を残すか。万が一失敗した際に、どこまでの損害を許容するか。――その綺麗事のアイデアを、完璧な利益を生み出すための「制度」として現実の形に落とし込んだのは、他でもない、カイル・フォン・グランツという少年自身の、恐るべき商才の賜物に他ならなかった。
「店員たちにも、明日から徹底的に、常連のお客様の顔といつもの購入品、そして来店の周期を頭に叩き込んでもらう必要がありますね」
カイルはすでに新しい真っ白なページを開き、恐ろしい速度でペンを走らせていた。
「先ほどの老教師には、あの香茶を常に一袋。あの男子学生には、いつもの焼菓子を六つ。そして令嬢には、いつもの高級茶葉を一缶。……最初はその三名にターゲットを絞れば十分でしょう」
無理な押し売りや、派手な広告で新規の客を釣るような真似はしない。ただ、その人が一日の終わりにいつも選ぶ大切な一杯や、いつも家族の元へと持ち帰る小さなお菓子を、誰よりも先に、真心を込めて用意しておく。それは、数字の鬼だったカイルにとっては盲点だった、けれど人の心を動かすための、最高に優しくて小さなおもてなしの工夫であった。
◇
二週間後。カイルからマリアの元へ、「ぜひ、もう一度店に来てほしい」という丁寧な招待の連絡が届いた。放課後、すでに閉店時間を迎えてひっそりとした店内に足を運ぶと、そこには昼間の凄まじい客足の熱気と余韻が、心地よい香りと共にまだ微かに残されていた。棚に並ぶ商品の数は、二週間前と比べて明らかに綺麗に減っており、カウンターの重厚な帳簿のすぐ隣には、新しく作られた革張りの「常連客記録帳」が、大切そうに置かれていた。
「――素晴らしい結果が出ましたよ、エヴァンス嬢」
カイルはいつもの狐のような薄笑いではなく、彼としては本当に珍しいほどに、分かりやすく満足そうな、子供のような誇らしげな笑顔を浮かべて彼女を出迎えた。
「ターゲットに設定した常連客の再来店率が、驚異的な数値を記録して跳ね上がりました。さらに驚くべきことに、その取り置きシステムを利用されたお客様方は、以前と比較して一回あたりの平均購入額(客単価)までもが大幅に増加しているのです。いつものお気に入りの品を安心して受け取った後、まるで自分を認めてくれた店への信頼を返すかのように、店員が勧める新しい季節の茶葉や、別の焼菓子にも快く手を伸ばしてくださる方が続出しましてね」
売り切れという最悪の機会損失によって、客を落胆させて帰してしまう悪循環も完全にゼロになった。何より、店舗の現場において、店員と客との間の温かい笑顔の会話の回数が、以前とは比べ物にならないほどに増えたという。ただお金を払って品物を機械的に買い取るだけの場所から、自分の好みや個性を大切に覚えていてくれる、世界で唯一の温かい場所へ。その店が遂げた劇的な変化というのは、帳簿に並ぶ冷たい売上の数字だけでは決して測ることのできない、絶大なブランド価値(信頼)を宿し始めていた。
「本日、この二週間の詳細な成果報告書を、実家の父の元へと送りました」
カイルは、手元に置かれた父親からの返信の封書に、愛おしそうな視線を落とした。
「先ほど届いた返信の手紙には、一言、こう書かれていましたよ。――『既存の店をただ回しているだけではない。見事だ、お前は自分の力で、新しい客を増やし、育ててみせたな』と」
そのカイルの声には、普段の軽妙なトーンの裏側に、隠しきれない微かな震えと、深い誇らしさが混ざり合っていた。あの厳格で、決して他人を褒めないことで有名な商会のトップである父親に、一人の一人前の商人としてついに認められたことが、彼にとってどれほど血の滲むような努力の結晶であり、嬉しかったことか。マリアには、ゲームの知識を超えて、痛いほどによく想像ができた。
「……本当によかったですね、カイル様。お父様に認めていただけて、私も自分のことのように嬉しいです」
マリアが心の底からそう祝福の言葉を述べると、カイルはその美しい翡翠色の目を少しだけ細め、真っ直ぐに彼女の姿を見つめた。
「――あなたのあの時の助言は、僕の商人としての人生において、非常に有益で、計り知れないほど価値のあるものでした」
「そんな……私はただ、一人の客として思いついた拙い思いつきを、そのまま申し上げただけですから」
「それでもです」
カイルは、彼女の謙遜を許さないほどに、きっぱりとした強い口調で続けた。
「僕一人では、どれだけの時間を数字と格闘したところで、永久にその『顧客の心理』という視点には辿り着けなかったでしょう。冷たい帳簿の数字を追うだけでは、その数字を作り出している客一人一人の『生活』や『感情』までは決して見えてこない。あなたは数字の裏側にある、人間の温かい心を見た。それは、僕に最も欠けていた、最大の素質です」
マリアは、その彼の熱い言葉を受け、ただただ愛らしく、柔らかに微笑み返してみせた。しかし――彼女のその完璧な仮面の裏側では、言葉にできないほどの確かな『勝利の手応え』が、甘く、ドロリとした歓喜となって脳髄を満たしていた。
(――よしッ!! カイルルートも、これで完全に攻略順調、フラグ建築完了ね……!!)
これで、四人目。ガイアス、セレス、そして今回のカイル――。
この世界の命運を握るメインの攻略対象たちが、一人、また一人と、自らの仕掛けた完璧なプログラミング(ゲーム知識)の罠に嵌まり、自分に対して絶対的な好意と信頼を寄せるようになっていく。すべては、あの前世で狂ったようにやり込んだ『黄昏のベルガルド』の王道シナリオの流れを、一寸の狂いもなく完璧になぞり続けている。その絶対的な支配の確信が、彼女の胸の奥を激しく満たしていた。
「エヴァンス嬢。……もしよろしければ、今後もうちの商会の経営や、僕の個人的な商売の相談について、あなたのその貴重な意見を定期的に伺わせてもらってもよろしいでしょうか?」
カイルのその唐突な願い出に、マリアは顔を上げる。
「あなたは……僕のこれからの人生において、この上なく優秀で、信頼できる『最高の協力者』になれると確信しています」
その言葉の響きには、まだ一般的な男女としての甘い恋愛感情の色彩は含まれていない。だが、利益と合理性、そして実力だけを何よりも重んじて生きてきたカイル・フォン・グランツという冷徹な男にとっては、一人の人間に対して捧げる、最大級の賛辞であり、絶対的な魂の評価なのだと、マリアにはよく分かっていた。ここから信頼を依存へと変え、恋愛へと昇華させることなど、彼女にとっては赤子の手をひねるよりも容易いことだった。
「はい、私でよろしければ」
マリアはどこまでも健気に、控えめな聖女の笑顔で答えた。
「カイル様のためなら、いつでも、喜んでお力になりたいです」
カイルは満足そうに深く頷くと、愛用のペンを置き、重厚な帳簿を静かに閉じた。その閉ざされた帳簿のすぐ隣には、新しく現場の店員たちの手によって作られた、常連客たちの細かな記録帳が、誇らしげに鎮座している。そこには、客の一人一人の名前と、来店しやすい曜日、好みの茶葉の系統、そしていつも持ち帰るお気に入りの焼菓子の個数に至るまで、ささやかで、けれど温かい情報が、丁寧な文字で美しく並んでいた。客を、単なる利益を生み出すための冷たい「数字」として見るだけでは、決して商人として一流には届かない。客が、その扉を開けて「またここへ来たい」と心から思うための、幸福な理由を自らの手で作り出す。その、商人としての最も大切な、美しく至高の視点を与えてくれた目の前の特待生の少女は――ただ優しいだけの、守られるためだけの無力な令嬢などでは決してない。自分に莫大な利益をもたらし。誰よりも深く信頼することができ。そして、自分自身の商売と人生のステージを、もう一段上の高みへと押し上げてくれる、かけがえのない絶対的な存在。
「――本当に、私は素晴らしい『良い縁』を得ましたね」
誰にともなく、自らの幸運を噛み締めるようにぽつりと呟いたカイルの静かな声音は、夕暮れの残光が優しく満ちる、香ばしいお茶の香りが漂う店内の隅々へと、穏やかに、深く溶け込んでいくのだった。