春の柔らかな日差しが、歴史ある王立学園の石造りの校舎を優しく包み込んでいた。
満開の桜が舞い散る中、式典会場となる大講堂は、例年以上の緊張感と高揚感に包まれていた。三年次へと進級したアルフォンスたち上級生が見守る中、新入生の列の先頭に立つ二人の少女に、場内のすべての視線が集まっていたからだ。
白銀の髪をなびかせ、第一王女エリシアと第二王女フィリアが並んで歩む。
寸分の狂いもない完璧な背筋の伸び、澄み渡る深青の瞳、そして国民の誰もが溜息を漏らすほど美しい、陶器のような素顔。第一王女エリシアは落ち着いた気品に満ちた佇まいで、第二王女フィリアは愛らしく可憐な微笑みを唇にたたえていた。
「「第一王女エリシア・フォン・ベルガルド、ならびに第二王女フィリア・フォン・ベルガルドでございます」」
新入生代表として二人が優雅にお辞儀をすると、講堂のあちこちから吐息が漏れた。教師たちは誇らしげに胸を張り、新入生たちは憧れと気おくれの混ざった眼差しで遠巻きに見つめる。どこからどう見ても、国民から絶大な人気を誇る完璧なお姫様そのものだった。式典が終わり、生徒たちが談笑する中庭へ出ると、三年生の代表としてアルフォンスが二人へ歩み寄ってきた。表向きは、愛する妹たちの入学を祝う慈愛に満ちた兄としての振る舞い。
「エリシア、フィリア。学園への入学、おめでとう」
そう声をかけたアルフォンスだったが、双子と視線が交差したその瞬間、彼の顔筋が微かに凍りついた。あの「悪魔の契約」は終わったはずだった。エリシアの傷跡も消え、服従の呪縛からは解放された。しかし、五年間脳裏に刻み込まれた恐怖の記憶は、そう簡単に拭い去れるものではない。アルフォンスの瞳には、隠しきれない緊張と忌避の色が揺らめいていた。双子はそれを一目で見抜き、どこまでも愛らしい「可憐な妹」として完璧に微笑んでみせる。
「お兄様、ありがとうございます。学園でも、よろしくお願いいたしますね」
「ふふ、お兄様にご迷惑をおかけしないよう、一生懸命がんばります」
「あ、あぁ……励むといい」
アルフォンスの返答は、あまりにもぎこちなく、どこか怯えを含んでいた。ほんの数十秒のやり取りを残し、アルフォンスは逃げるようにその場を後にする。周囲で見守っていた生徒たちの目には、その光景が非常に奇妙に映った。
(王太子殿下は、妹姫様方を避けていらっしゃる……?)
(あんなに美しく可憐な妹君たちなのに、どこか距離を置いているようだ)
王太子と双子姫の間に漂う、冷ややかな不和の空気。それが、学園内の人間関係に大きな勘違いを生む引き金となった。アルフォンスが去った後、今度は静かな歩調で一人の令嬢が双子へと近づいてきた。
ローゼンベルク公爵家の嫡男にして王太子の婚約者、クラウディア・フォン・ローゼンベルクだ。彼女は洗練された動作でドレスの裾を持ち上げ、完璧なカーテシーを披露した。
「エリシア殿下、フィリア殿下。王立学園へのご入学、心よりお祝い申し上げます」
クラウディアは幼少期から王太子妃教育の一環として王城に出入りしており、双子とも浅からぬ面識があった。彼女の固く引き結ばれた唇が、見知った顔を前にしてほんの少しだけ柔らかくほころぶ。
双子はパッと顔を輝かせ、親しげにクラウディアへと歩み寄った。
「クラウディア様! またお会いできて嬉しいですわ」
「ええ、学園でもどうぞよろしくお願いいたしますね、クラウディア様」
「はい。私にできることがあれば、何なりとお申し付けください」
微笑みを交わし合う三人の姿。それを見た周囲の生徒たちは、瞬時に一つの「構図」を作り上げた。王太子アルフォンス様は、双子の妹姫様方を疎ましく思って距離を置いている。
しかし、婚約者であるクラウディア様は、昔から双子姫様方と大変親しく、姫様方もクラウディア様を強く慕っていらっしゃる。つまり——王立学園において最高身分を誇る双子姫様方は、明確に『クラウディア様側』に立っておられるのだ、と。
その光景を、遠く離れた回廊の物陰からじっと見つめる人物がいた。
マリア・エヴァンスだ。
(なんなの……あの双子……!)
マリアは胸の中で激しく歯噛みした。前世でプレイし尽くした乙女ゲーム『黄昏のベルガルド』のシナリオには、双子姫などどこにも存在しなかった。ただでさえ未知のイレギュラーである彼女たちが、あろうことか「悪役令嬢」であるクラウディアと親密そうに口をきいている。
(あの二人がクラウディアの味方についたら、私のハーレムルートの邪魔になるかもしれない……)
マリアは一瞬だけ冷酷な警戒心を瞳に宿したが、すぐに悲しげに瞳を伏せ、怯えた被害者の表情を作り上げた。
(……待って。これって、逆に利用できるんじゃない?)
彼女の頭脳の中で、性悪な計算が弾き出されていた。
◆
双子の入学から数週間が経過した。
エリシアとフィリアの学園生活は、至極順調だった。あらゆる講義において完璧な成績を修め、魔術の実技でも周囲を圧倒する才能を見せつける。教師陣からの評価は絶大であり、二人は一躍、学園の象徴として君臨していた。
だが同時に、双子は決して自ら交友関係を広げようとはしなかった。マリアに対して積極的に話しかけることもなければ、兄であるアルフォンスの周りへ自分たちから近づくこともない。
だが、二人がただクラウディアと自然に言葉を交わしているという「事実」だけで、周囲の暴走は加速した。
「王女殿下方のご意向は明白ですわ!」
「クラウディア様こそが正義であり、あの生意気な子爵令嬢は王家からも嫌われているのです!」
クラウディアの取り巻きを自称する上級貴族の令嬢たちは、王女という圧倒的な最高権力が自分たちのバックについたと思い込み、さらに勢いづいた。マリアに対する嫌がらせは、以前にも増して陰湿で、かつ大掛かりなものへとエスカレートしていった。
そしてマリアは、待っていましたとばかりにその「空気」を利用した。
ある日の放課後。生徒会室の談話スペースにて、マリアは目元を真っ赤に腫らし、涙をぽろぽろと零しながら俯いていた。周囲にはガイアス、セレス、カイル、そしてアルフォンスが集まっている。
「エヴァンス嬢! 一体どうしたんだ、またあいつらに何かされたのか!?」
ガイアスが憤怒に震える声で尋ねると、マリアは儚げに首を振った。
「い、いいえ……ガイアス様、私は大丈夫です……。ただ、クラウディア様だけでなく……王女殿下方まで私のことを疎まれているのだと思うと、悲しくて……」
「な……エリシアとフィリアがだと!?」
アルフォンスが目を見開く。マリアは涙声で言葉を繋いだ。
「私のような身分の低い者が、アルフォンス殿下のお側にいるのがお許しにならないのでしょう……。学園で最も尊いお立場の方々に嫌われてしまっては、私には何もできません……。全部、私が至らないせいなんです。だから皆様……私のために争わないでください……」
マリアは決して双子を直接攻撃しなかった。クラウディアの悪口も言わない。
ただ「最高身分の王女たちに嫌われ、怯える可憐な被害者」を完璧に演じ切ったのだ。
その演技は、男たちの庇護欲と正義感を強烈に刺激した。
「ふざけるな! 王女だからって何をやってもいいわけじゃないはずだ!」
ガイアスが拳を叩きつける。しかし、セレスは苦々しい表情で制した。
「落ち着きなさい、ガイアス。ですが不快ですね……相手が王女殿下方となると、公的に抗議するにも証拠が足りなさすぎます」
カイルも冷ややかな視線で眼鏡の奥を光らせる。
「感情論で動くのは下策です。取り巻きたちが『王女殿下のお気持ちを察した』と主張している以上、双子姫様方を直接咎める手立てはありません」
そして、アルフォンスは言葉を失ったまま固まっていた。双子が本当にマリアをいじめているわけではないことは、彼にも薄々分かっていた。だが、マリアがこうして怯えて泣いているのは事実だ。そして何より——妹たちの元へ問いただしに行くこと自体が、恐怖で足がすくんでできなかった。結果として、攻略対象たちは双子に直接抗議することもできず、ただマリアを囲んで慰め、双子を「関わってはならない触れ得ぬ腫れ物」として遠ざけることしかできなかった。
◆
一方。当の双子たちは、自分たちが学園内でどのような扱いを受けているかを、完璧に把握していた。
図書室の最も奥まった、陽光の差し込む静かな閲覧席。エリシアは古びた魔術書を静かにめくり、フィリアは隣で新しい魔術陣の出力計算を羊皮紙に書き走らせている。
「ふふ……マリア様ったら、大変な熱演ですこと」
エリシアがページをめくる手を止めずに、くすりと笑う。
「ねー。私たち、何もしてないのに『一番偉くて恐ろしいいじめっ子』にされちゃってる」
フィリアもペンを走らせながら、楽しそうに瞳を輝かせた。
「でも、おかげで余計な雑魚が近づいてこなくて静かですね。研究がとても捗ります」
「うん。お兄様たちも私たちを避けて遠巻きにしてくれるし、好都合だよね」
二人は周囲からの誤解や腫れ物扱いに腹を立てるどころか、静かで快適な環境が得られたことを心から喜んでいた。マリアがいくら裏で高笑いしようが、攻略対象たちが自分たちを怖がろうが、どうでもよかったのだ。
しかし、エリシアはふと本から目を上げ、窓の外の庭園へ視線を向けた。
「……でも、少しだけ予定が狂いましたわね」
「ん? 何が?」
「クラウディア様ですわ」
フィリアはペンを止め、なるほど、と頷いた。
双子は入学前から予見していた。自分たちが学園に入学すれば、取り巻きの暴走とマリアの被害者演技により、クラウディアは急速に孤立し、追い詰められるだろうと。
そして、かつて幼少期から親交があり、いまや学園内で唯一の「味方」に見える自分たち双子の元へ、クラウディアがいずれ救いを求めて相談に来るはずだと。それが、双子が次に仕掛ける「新しい遊び(契約)」の前提条件だった。
だが——。
「クラウディア様、思いのほか我慢強いねぇ」
フィリアが頬杖をつき、退屈そうに呟く。
入学から数週間。クラウディアの立場は日ごとに悪化していた。身に覚えのないいじめの主犯格に仕立て上げられ、婚約者であるアルフォンスからは冷ややかな視線を向けられ、周囲の生徒たちからは陰口を叩かれる。それでもクラウディアは、毅然とした態度を崩さず、一人で耐え続けていた。年下の王女たちに自らの苦境を愚痴り、巻き込むことを、王太子妃としての誇りが許さなかったのだ。
「ええ。凛としていてとても可愛らしいお方ですけれど……少々、耐え忍びすぎるのも困りものね」
エリシアが小さく息を吐く。
「そろそろ来てくれないと、待ちくたびれて退屈してしまいますわ」
「追い詰めて壊れるギリギリの顔を見るのも面白いけど、焦らしすぎも良くないよね」
二人はクスクスと笑い合った。
自分たちから助けの手を差し伸べる気など毛頭ない。あくまで、クラウディア自らが絶望の淵で自分たちに手を伸ばし、自らの意思で頼ってくるのを待つのだ。それが双子の絶対的なルールだった。
◆
そして、その時は訪れた。放課後の図書室。静寂が支配する奥の閲覧席で、双子が並んで本を開いていたときだった。コツン、コツンと、静かだが固く緊張した靴音が近づいてくる。双子は顔を上げなかった。ただ、唇の端を密かに吊り上げる。
足音が止まった。
静寂の中、そこに立っていたのは——クラウディア・フォン・ローゼンベルクだった。
いつものように背筋を正し、気高く美しい佇まい。
しかし、その目元には隠しきれない深い疲労と絶望の影が差し、握り締められた白手袋の指先はかすかに震えていた。自分の取り巻きの暴走を止めようとしても止まらず、逆に「お怒りだ」と誤解されて嫌がらせが激化する泥沼。アルフォンスからの完全な拒絶。マリアの完璧な被害者演技。
一人で抱え込んできた限界が、ついに彼女の誇りを打ち砕こうとしていた。
エリシアとフィリアは、本からゆっくりと顔を上げた。そして、世界で最も愛らしく、善良で、心優しいお姫様の笑みを完璧に咲かせた。
「まあ、クラウディア様」
「どうなさったのですか? そんなに蒼白なお顔をされて……」
クラウディアは口を開きかけ、迷うように唇を噛み締めた。
誇り、恥じらい、罪悪感、そして破滅への恐怖。あらゆる感情が彼女の心を苛む。
しかし、彼女にはもう、他にすがるべき場所が残されていなかった。
固く目をつぶり、意を決したクラウディアは、震える声で静かに口を開いた。
「……エリシア殿下、フィリア殿下。……お話、よろしいでしょうか」