クラウディアとの「三人だけの秘密」の契約が成立してから、数日が経過した。
王立学園の敷地内、高位王族的立場にある二人のために特別に割り当てられた研究室。重厚な防音と魔術的隠蔽が施されたその部屋の机の上には、表向きには学業のための魔術書や資料が整然と並べられていた。
しかし、その傍らに置かれていたのは、学園の年間行事予定表、卒業パーティーまでの詳細な日程表、そして子爵令嬢マリア・エヴァンスに関する克明な報告書であった。白銀の髪を揺らし、第一王女エリシアが指先で日程表の特定の行をなぞる。
「卒業パーティーまで、思ったより時間がありませんね」
隣で羊皮紙に図形を描き込んでいた第二王女フィリアが、楽しそうに顔を上げた。
「数か月かぁ。あはは、ちょっとスケジュールに遊びがないね」
クラウディア・フォン・ローゼンベルクと結んだ契約。
『卒業パーティーまでに、マリア・エヴァンスとアルフォンス・フォン・ベルガルドの仲を裂くこと』。
『手段はすべて双子に一任すること』。
『そして、そのすべてを三人だけの秘密にすること』。
エリシアは羽ペンを回しながら、淡々と語り始めた。
「卒業パーティー当日にマリア様を排除するだけなら、何の造作もありません。ですが、それではクラウディア様の望みに対して、美しくありませんわ」
「そうだね。クラウディア様が望んでいるのは、マリア様への復讐じゃないもんね。お兄様との婚約者としての立場を守って、正しく隣に立つことなんだから」
ふたりは顔を見合わせ、満足そうに頷き合う。単にマリアを消し去るだけでは、契約の履行として不完全なのだ。卒業パーティーという晴れ舞台において、王太子アルフォンスはクラウディアにエスコート用のドレスを贈り、彼女を正式なパートナーとして伴わなければならない。周囲の貴族たちに対し、二人の関係が揺らいでいないことを完璧に証明してみせる必要がある。
「マリア様がいなくなった後、お兄様が諦め、クラウディア様との関係を表向きだけでも修復するための『猶予期間』が必要ですわ」
エリシアが言葉を紡げば、フィリアが嬉しそうに引き継ぐ。
「お兄様がクラウディア様の隣に戻る時間も作ってあげないとね。ドレスもちゃんと贈ってもらって、卒業パーティーで仲良しな婚約者同士として並んでもらわなきゃ。だから……マリア様を退場させるのは、卒業パーティーの直前じゃ遅すぎるんだ」
アルフォンスが現実を受け入れ、再び「王太子」としての理性を引き戻すための時間。それが、双子の計算する回復期間だった。
「では、どうやってお二人を引き裂くか……ですが」
エリシアはマリアに関する報告書へ視線を落とした。
マリアの悪評を流す、彼女の裏の顔を暴く、あるいはアルフォンスを説得する——といった一般的な手段は、最初から検討の価値すらあたいしなかった。
「言葉や噂程度で引き離すには、お二人の間の依存関係は少し育ちすぎていますわね」
マリアは被害者を演じる天才であり、ガイアスやセレスといった攻略対象たちは完全にマリアの庇護者に納まっている。アルフォンス自身も、かつて妹の傷を治してもらったという巨大な恩義と、芽生えた恋心の間で揺れ動いている。下手に説得や告発を試みれば、かえってマリアの健気さが際立ち、アルフォンスの感情を燃え上がらせる逆効果になりかねない。
「うん。言葉で離せないなら、物理的に離せばいいんだよ」
フィリアが極めて無造作に言った。
「マリア様を、お兄様の手の届かない場所へ動かしちゃうの」
つまり、誘拐と隔離。双子にとってこの案は、最初から悪意で楽しむための余興ではなく、契約を最も確実に、かつ不可逆的に履行するための「緊急的かつ合理的な手段」であった。
マリア・エヴァンスという存在がアルフォンスの視界から物理的に失われれば、二人の仲は強制的に破局を迎える。その瞬間に、クラウディアとの契約は完全に達成されるのだ。その後にマリアがどう扱われるかは、契約の範囲外の「個人的な研究」に過ぎない。
「問題は、実行のタイミングですわね」
エリシアが二つの指を立てた。
「一つ目は、卒業パーティーからの逆算。お兄様とクラウディア様の関係修復に必要な限界期日が来た時」
「ふむふむ。で、もう一つは?」
「お兄様が、マリア様へ明確な『告白』をした直後ですわ」
フィリアが「あはは!」と可憐に声を上げて笑った。
「それ、すごくいいね! お兄様が理性を捨てて、マリア様を選んだその瞬間に消えちゃうんだ! 一番盛り上がったところで幕を下ろすの。……わぁ、すごく綺麗」
アルフォンスが想いを言葉にし、二人で未来を夢見た瞬間にマリアが消失する。それによってアルフォンスには消えることのない喪失感が刻み込まれ、同時に二人の未来は永遠に断たれる。
「期限が来たら実行。ですが、もしお兄様が先に踏み越えたなら、その瞬間に幕を引く……これで決まりですね」
二人は笑顔で合意した。
「そうと決まれば、準備を始めましょう。まずは、マリア様ご本人へのアプローチですわ」
マリアを確実に捕獲・転移させるためには、彼女の性質をより詳細に把握する必要があった。
傷跡を一瞬で消し去る聖属性の治癒魔術。学園内での計算された立ち回り。そして、彼女が時折漏らす『シナリオ』や『攻略』という異質な言葉。
「敵意を見せず、可憐な王女として近づきましょう。私の傷を治してくださったお礼、お兄様を支えてくださっている感謝、そして聖属性魔術への純粋な探求心……名分はいくらでも作れますわ」
「うん。マリア様がどれくらい私たちを警戒しているか、聖属性をどう使っているのか、近くで観察しないとね。まずは仲良くならなきゃ!」
二人はクスクスと笑い合う。マリアが自らを「ヒロイン」と信じ込んでいるならば、王女たちからの親愛の接近を無下に拒むことはできないはずだ。
「次に、お兄様への働きかけですが……」
エリシアの瞳に、昏い愉悦の色が灯る。
「お兄様は理性の強い方です。王太子の立場と婚約者の存在がブレーキとなり、マリア様への感情を言葉にするのを躊躇っていらっしゃいます。……ですから、私たちが優しく背中を押して差し上げるのですわ」
「甘い言葉でそそのかすんだね。『自分の気持ちを大切にしてください』『マリア様への恩義を忘れてはいけません』って!」
妹たちの優しい肯定に踊らされ、アルフォンスが自ら一歩を踏み出すように誘導する。彼に告白させ、決定的な瞬間を作らせること。それが、最高の断絶を生み出すための準備だった。
「そして最後……裏での『転移先』の選定ですわね」
エリシアが机の上に、王国全土とその周辺領域が描かれた魔導地図を広げた。
幼少期からアルフォンスを実験台にし、幾度となく繰り返してきた遠隔転移と魔力痕跡の消去実験。隠蔽術式の精度は、すでに王国の宮廷魔導師すら凌駕している。
「王国の探索魔導網が届かず、魔術的に完全に隔離できる場所。そして……聖属性の検体を安全に保持し、研究設備を整えられる場所でなければなりません」
フィリアが地図の上にいくつかの候補地を指で示していく。
「遠いだけじゃだめだよね。お兄様が逆立ちしても見つけられない場所。……ここはどう? 古城の地下遺構」
「悪くありませんが、封印の二重化が必要ですわね。……ええ、お兄様の手の届かない最果てへお送りいたしましょう」
ふたりは淡々と、しかしどこか弾んだ様子で候補地を絞り込んでいった。
こうして、計画は三つの段階として美しく整理された。
第一段階:マリアに接近し、その能力と警戒心を精密に観察すること。
第二段階:アルフォンスを言葉で焚きつけ、告白という決定的瞬間へ誘導すること。
第三段階:期限、または告白の直後に、マリアを不可逆的な隔離先へ転移させること。
「これで、卒業パーティーまでに完璧に間に合いますわね」
エリシアが満足そうに頷く。
「うん! クラウディア様も、お兄様も、ちゃんと元の場所(婚約者同士)に戻れるね!」
その結果としてアルフォンスの心がどのように壊れようとも、クラウディアがどんな罪悪感を背負おうとも、双子にとっては知ったことではなかった。約束通り、二人の仲を引き裂き、三人だけの秘密を守る。それこそが、完璧な契約履行であった。
エリシアとフィリアは、机の上の資料を手際よく片付け始めた。
日程表、報告書、候補地の地図。すべてが寸分の乱れもなく引き出しの奥へと仕舞われていく。
表向きには、放課後の時間を学業と研究のために費やした、熱心で優秀な王女たちの姿。
しかしその引き出しの中には、一人の少女の存在をこの世から抹消するための、完璧な計画書が眠っていた。
エリシアが優雅に立ち上がり、研究室の扉へと歩み寄る。
「では……まずはマリア様とお近づきになりましょうか」
フィリアが制服の裾をキュッと整え、最高に愛らしい笑みを弾けさせた。
「うん! マリア様と、すごーく仲良くなろうね、エリシア!」
陽光の差し込む廊下へ踏み出した二人のお姫様は、誰からも愛される完璧な笑顔を浮かべていた。