TS双子姫と乙女ゲーム世界   作:熱湯キチ郎

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偽りの祝宴

王立学園の大広間は、この日のために

磨き上げられていた。

天井から吊るされたシャンデリアが、いくつもの光を

床に落とす。楽団の奏でる調べが、静かに会場を

満たしていく。卒業生たちは晴れやかな顔で、

色とりどりのドレスと礼服を纏い、互いに祝福の

言葉を交わしていた。学園には、かつての賑わいが

戻っている。

ただしそれは、マリアがいた頃の――どこか熱を

帯びた、落ち着かない賑わいではない。

もっと静かで、もっと整った、貴族社会本来の

秩序ある華やかさだった。

マリア・エヴァンスの失踪は、たしかに悲しい出来事だった。だが、それは王立学園の卒業パーティーを

止める理由にはならない。貴族社会は、止まらない。

 

 

会場の一角では、王家とローゼンベルク公爵家の

親たちが、和やかに言葉を交わしていた。

 

「聞くところによると、殿下とクラウディア嬢の婚約が、しばらく危うかったとか」

 

王妃付きの侍女長格の老婦人が、扇の陰でそっと

囁く。

 

「若い頃には、多少の迷いもあるものですわ」

 

公爵夫人が、鷹揚に微笑みながら答える。

 

「ですが、ご覧なさいませ。最後には、きちんとあるべき場所へお戻りになった」

 

「無事に収まったようで、何よりです」

 

その言葉に、周囲の大人たちは頷き合った。

誰の顔にも、安堵の色が浮かんでいる。

王太子が一時、子爵令嬢に心を寄せていたらしいと

いう噂。クラウディア嬢との間に、妙な緊張があったという噂。学園内で、何やらきな臭い空気が流れて

いたという噂。

そうした話は、確かに親たちの耳にも届いていた。

けれど今日、婚約者として並び立つ二人の姿を

見れば、すべてが丸く収まったのだと誰もが思う。

それは、大人たちの目から見れば――婚約の危機を

乗り越えた、美しい結末だった。けれどその平穏が、

消えた一人の少女の不在の上に成り立っているのだと知る者は、この会場に一人もいない。

 

やがて、会場の視線が一斉に一点へ集まった。

アルフォンスが、クラウディアを伴って入場して

くる。

王太子アルフォンス。公爵令嬢クラウディア。

二人は並んで立つだけで、絵画のような美しさを

纏っていた。アルフォンスは仕立ての良い礼服に身を包み、クラウディアはアルフォンスから贈られた

ドレスを纏っている。淡い色合いの生地に、繊細な

刺繍が施されたそれは、彼女の白銀の髪と深紅の瞳をより一層引き立てていた。

 

「さすが王太子殿下とクラウディア様だ」

 

「やはり、お二人はお似合いですね」

 

「美男美女とは、まさにあのお二人のことね」

 

囁きが波紋のように広がり、会場全体が祝福と羨望の色に染まっていく。

アルフォンスとクラウディアは、その視線に応える

ように穏やかな微笑みを浮かべた。

だが、その目の奥には――誰にも気づかれない

程度の、静かな悲しみが揺れていた。

アルフォンスは、マリアを失ったままここに立って

いる。王太子として、婚約者の隣に。

クラウディアは、望んでいたはずの場所に

立ちながら、その代償を胸の奥深くに沈めている。

二人の微笑みは、確かに美しい。けれど、幸福では

なかった。

 

 

会場の少し離れた場所には、エリシアとフィリアの

姿があった。双子は卒業生ではないが、王家の賓客

として招かれている。二人はいつも通り、完璧な

お姫様として振る舞っていた。

 

「本日はおめでとうございます」

 

「素敵な夜になりますように」

 

すれ違う卒業生や貴族たちに、可憐な笑みを向けて

回る。誰の目にも、兄の晴れ舞台を祝う愛らしい

妹姫たちの姿にしか見えない。王家の華。学園の誇り。双子は目立ちすぎることなく、けれど確かに

その場に存在していた。

アルフォンスとクラウディアが並んで挨拶を受ける姿を遠くから見つめる。ガイウスとセレスが、感情を

押し殺したような顔で立っている様子も。カイルと

レオンハルトが、如才なく人々と言葉を交わしている姿も。その視線の奥に何があるのか、この場では

誰にも分からない。双子はただ、穏やかに微笑み

続けていた。

 

 

ガイウス、セレス、カイル、レオンハルトは、

それぞれ一人でこの場に立っていた。本来ならば、

卒業パーティーは貴族の子息たちにとって、将来の

縁を結ぶ場でもある。多くの令嬢たちが、四人へ

視線を送っていた。けれど、誰も積極的に近づいてはこない。

彼らの想い人が忽然と姿を消したことは、学園中に

知れ渡っている。その悲しみが、まだ癒えていない

ことも。そんな相手に、

 

「私が、あなたを慰めます」

 

と歩み寄れるほど図太い令嬢は、少なくともこの

会場にはいなかった。

結果として、四人はそれぞれ一人のまま、

夜を過ごしていた。

 

ガイウスは、会場の隅でほとんど無表情のまま立っていた。いつもの豪快さも、熱もない。

声をかけられれば最低限の言葉を返す。だが、

笑わない。――俺は、ずっと外にいたのに。

女子寮の前で、一晩中警戒していたはずだった。

誰も通していない。それなのに、彼女は消えた。

その事実は、二か月経った今も、ガイウスの中から

消えてくれない。

少し離れた場所では、セレスが静かにグラスを傾けていた。表情は冷静で、礼儀も崩していない。だが、

その瞳には温度がなかった。

魔術的な調査で、何一つ手掛かりを見つけられ

なかった。自分の得意とする分野で、痕跡の一つも

掴めなかった。その挫折は、まだ彼の中に深く根を

張ったままだった。

二人は、卒業生として、貴族子息として、この会場に立っている。けれどその心は、この華やかな祝宴の

どこにもなかった。

 

対照的に、カイルとレオンハルトは、比較的落ち着いた様子で会場を動いていた。少なくとも、外から見る限りは。

カイルは商会関係の貴族たちと言葉を交わし、将来の話題にも如才なく応じている。マリアのことを忘れたわけではない。だが、彼は現実的な男だった。

今できることがないのなら、今すべきことをこなす

しかない。

レオンハルトもまた、穏やかな笑みを浮かべながら、貴族たちの間を回っていた。

妹であるクラウディアの婚約が、大きな波乱もなく

保たれたこと。アルフォンスが

この卒業パーティーで、何の騒ぎも起こさなかった

こと。それらに対し、兄として安堵しているように

見える。彼は必要な相手に挨拶を交わし、場を整えていく。その内心に何が渦巻いているのか――今は

まだ、誰にも窺い知ることはできない。

カイルとレオンハルトは、視線を交わすことなく、

それでも同じことを思っていた。

何も、起きなかった。婚約破棄もない。

断罪劇もない。卒業パーティーは、ただ穏やかに

進んでいく。

 

 

楽団の音楽が会場を満たし、卒業生たちが踊る。

教師たちが祝辞を述べ、親たちは子どもたちの

晴れ姿に目を細める。貴族たちは、これからの縁談や派閥について、扇の陰で言葉を交わす。

すべてが、穏やかだった。

すべてが、正常だった。

まるで、マリア・エヴァンスという少女など、

最初からこの学園に存在しなかったかのように。

アルフォンスとクラウディアは、必要な場面では共に立ち、必要な時には言葉を交わし、必要な時には

微笑んだ。周囲は、そんな二人を祝福し続けた。

けれど二人の間には、誰にも見えない静かな空白が

あった。

マリアの不在。契約という名の秘密。形だけ戻って

きた婚約。それらが、二人の間に、音もなく沈んで

いた。

 

やがて、卒業パーティーは何事もなく幕を閉じようとしていた。

婚約破棄は起きなかった。断罪劇も起きなかった。

マリアをめぐる騒ぎも、ついに表面化しなかった。

王太子と公爵令嬢は、最後まで婚約者として振る舞い続けた。

親世代は安堵し、周囲の貴族たちは納得し、学園は

秩序を取り戻したように見えた。

だが、当事者たちの胸にはそれぞれの痛みが、

静かに残ったままだった。

 

 

人が少なくなった会場の片隅。

クラウディアは、少し緊張した面持ちでアルフォンスへ近づいた。今日一日、アルフォンスは自分の隣に

立ってくれた。ドレスを贈り、婚約者として扱い、

卒業パーティーを共に終えてくれた。その事実が、

クラウディアに最後の勇気を与えていた。

 

「アルフォンス様」

 

「……クラウディア」

 

「私は、今もあなたをお慕いしております」

 

震える声で、けれどはっきりと、クラウディアは

告げた。

 

「これからも、あなたの隣に立つことをお許しいただけますか。王太子妃としてだけではなく――あなたの伴侶として」

 

アルフォンスは、しばらく黙っていた。マリアの

ことを、忘れたわけではない。

彼女がどこかで生きているかもしれないという

想いも、まだ消えてはいない。けれど、追う道は

どこにもなかった。そして今目の前には、長年婚約者として隣にいてくれたクラウディアがいる。

王太子としての責任。家同士の婚約。今日という

一日を、共に乗り越えたという事実。

それらが、アルフォンスをこの場所に繋ぎ止めて

いた。

アルフォンスは悲しい目のまま、静かに微笑んだ。

 

「……もちろんだ」

 

「これからも、私の隣にいてほしい」

 

熱のこもった愛の言葉ではなかった。

けれど、拒絶でもなかった。

クラウディアは、その言葉を確かに受け取った。

 

クラウディアは、長く恐れていた婚約破棄が

起きなかったことに、深い安堵を覚えた。

アルフォンスは、自分を選んでくれた。少なくとも、隣に置くと言ってくれた。

その事実だけで、胸のつかえが少し軽くなった

気がした。

その夜、クラウディアは晴れやかな笑顔で、実家で

あるローゼンベルク公爵領へと帰っていった。

その笑顔には、確かな安堵があった。喜びもあった。

けれど、その安堵がどれほど危ういものかを、

まだ彼女自身は気づいていない。

マリアの失踪は、解決していない。双子との契約も、消えていない。

――遠い所へ、行ってもらった。

あの言葉の意味を、クラウディアはまだ、深く問おうとはしていなかった。

ただ今は一時的な不安からの解放に、

身を委ねていた。

 

 

卒業パーティーから、数日後。

クラウディアは領地の自室で、ようやく肩の力を

抜いた時間を過ごしていた。学園生活は終わり、

卒業パーティーも無事に終えた。アルフォンスとの

婚約も、変わらず続くことになった。ようやく、

少しだけ息をつける。そう思い始めた矢先だった。

 

「お嬢様、お手紙が届いております」

 

侍女の声に振り返ったクラウディアの前に、一通の

封書が差し出される。差出人の名を見た瞬間、

クラウディアの指先が、わずかに強張った。

エリシア・フォン・ベルガルド。

フィリア・フォン・ベルガルド。

――双子姫から。

胸の奥に、忘れようとしていた不安が、音もなく

蘇る。なぜ、今になって。

契約は、完了したはずではなかったのか。

クラウディアは震える指で、その封を手に取った。

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