朝から、帝国立学園はどこか落ち着かない空気に包まれていた。
廊下でも、中庭でも、教室でも、生徒たちの話題は一つに集中している。
ベルガルド王国から留学してくる、双子の王女のことだ。
「本当に、同じ顔をしているのかしら」
「王国の至宝と呼ばれているのでしょう?」
「魔術の才能も、学問の成績も、すべて飛び抜けているとか」
「一目だけでも、見てみたいわ」
第一王女エリシア。第二王女フィリア。銀白の髪と青い瞳を持つ、王国貴族たちが惜しみなく称賛する美姫。帝国立学園の生徒たちは、その噂に浮かれきっていた。
その空気を、アレクシアはやや冷めた目で眺めていた。
◆
アレクシアは、皇女として双子姫の迎賓係を任されている。
王国からの正式な留学生。しかも王女が二人。帝国側として、失礼があってはならない。皇女である自分が対応するのは当然のことだった。
だが、正直なところ、あまりいい気分ではない。理由はいくつかある。
まず、学園中が噂だけでこれほど浮かれていること。まだ本人たちの顔さえ見ていないのに、王国の至宝だ、天才姫だ、美姫だと、まるで祭りのような騒ぎだ。それが、少し面白くない。
それに、帝国の学園に王国の姫君が来るというだけで、生徒たちの関心がそちらへ根こそぎ持っていかれていることも、皇女として複雑な思いがあった。
さらに――王国と帝国の関係は、決して単純なものではない。留学は友好の証でもある。だが、完全な信頼の証というわけでもない。王族同士の交流には、常に外交的な意味合いがつきまとう。
アレクシアは、それを理解している。だからこそ、浮かれた生徒たちのように単純には喜べなかった。
「噂は所詮、噂だろうに」
そう呟きながら、アレクシアは迎賓係として馬車の発着場へと足を向けた。
学園の敷地を歩く間も、廊下にも中庭にも、生徒たちの視線が一斉にそちらへ向いているのが分かる。誰もが双子姫の到着を気にしていた。
アレクシアはそれを横目に見ながら、小さくため息をついた。
迎賓係としての役目は、きちんと果たす。だが、必要以上に持ち上げるつもりはない。
相手が評判通りの姫君かどうかは、自分の目で確かめればいい。
そう考えながら、馬車の発着場へと辿り着いた。
発着場には、すでに一人の令嬢が立っていた。
アレクシアの同級生であり、第一皇子の婚約者――エレオノーラだった。
「アレクシア様」
エレオノーラが、穏やかな笑みを浮かべて振り返る。
「迎賓係なのですから、もっと早く来られると思っていましたのに」
「時間通りだ」
アレクシアは、少し呆れたように返した。
「それより、お前こそ随分と早いじゃないか」
エレオノーラは、くすりと笑う。
「王国の至宝と名高い姫君たちですもの」
「一目拝見したいと思うのは、自然なことでしょう?」
「お前まで噂に浮かれているのか」
アレクシアが軽く眉を上げると、エレオノーラは否定しきれないように微笑んだ。
「期待していないと言えば、嘘になりますわ」
アレクシアは、静かに言った。
「一応、気をつけておくべきだ、評判はあくまで評判でしかない。
美しい、聡明、礼儀正しい――そういう話には、大抵尾ひれがつくものだ。
変に期待しすぎると、落差で失望することになるぞ」
「ええ。肝に銘じておきます」
エレオノーラは素直に頷いた。だが、その表情には、まだ隠しきれない期待が滲んでいる。
アレクシアは、それを見てもう一度、小さく息を吐いた。
◆
発着場の周囲には、遠巻きに生徒たちが集まり始めていた。
直接近づくことはできない。だが、王国の双子姫を一目見ようと、自然に人垣ができている。教師たちが、騒ぎすぎないようにと生徒を窘める声も聞こえた。帝国側の侍従や警備も、整然と配置についている。
アレクシアは、迎賓係として表情を整えた。エレオノーラも隣で、静かに背筋を伸ばす。
その時、王国の紋章を掲げた馬車が、視界の端に現れた。周囲のざわめきが、一段と大きくなる。
「いらっしゃったわ」
誰かが、小さく呟いた。馬車が、ゆっくりと停止する。
扉が開き、まず侍女が降り立つ。続いて――陽光を受けて輝く、銀白の髪が見えた。
エリシアが姿を現す。その後ろから、フィリアが続いた。二人は並んで立つ。
同じ銀白の髪。同じ澄んだ青い瞳。同じように整った顔立ち。
けれど、まったく同じ人形が二体並んでいるようには見えない。
エリシアは、静かで柔らかな気品を纏っている。
フィリアは、明るく愛らしい華やかさを持っている。
二人が並ぶと、まるで絵画の中から抜け出してきたかのようだった。
周囲の生徒たちは、一瞬言葉を失った。それから、抑えきれないざわめきが広がっていく。
「本当に、美しい……」
「噂以上ではなくて?」
「まるで、精霊の姫君みたい」
アレクシアも、思わず小さく息を呑んだ。
噂は大げさだと思っていた。王国側の誇張だろうと、高を括っていた。
だが、目の前の双子は、確かに美しい。ただ美しいだけではない。
王女としての立ち姿。周囲の視線を当然のように受け止める落ち着き。
見られていても崩れない微笑み――そのすべてが、評判に見合っていた。
アレクシアは、内心でそれを認めざるを得なかった。
少なくとも、噂は完全な誇張というわけではなさそうだ。
アレクシアは、迎賓係として前に出た。
「ようこそ、帝国立学園へ。
私は第一皇女、アレクシア・ディ・グランゼルトだ。
本日より、こちらでの生活に不自由がないよう、案内を務めさせていただく」
礼儀正しく、しかし必要以上にへりくだらない挨拶。帝国の皇女としての矜持を保ちながら、相手国の王女を迎える言葉だった。
エリシアとフィリアは、完璧な所作で礼を返す。
「お迎えいただき、ありがとうございます、アレクシア殿下」
エリシアの声は、驚くほど柔らかい。
「帝国立学園で学ばせていただけること、とても光栄に思っております」
フィリアが続く。
「至らぬ点も多いかと思いますが、どうぞご指導くださいませ。
皆様と、仲良くできましたら嬉しいです」
その声は柔らかく、態度は丁寧、表情は可憐。王国の姫君として、非の打ち所がなかった。
アレクシアは、少し意外に思った。
もっと高慢な態度を取るかもしれないと思っていた。
歓迎されて当然という空気を纏ってくるかもしれない、とも。
だが、双子は控えめで、礼儀正しく、むしろ相手を立てるような振る舞いをしていた。
アレクシアの中にあった警戒が、僅かに緩む。
続いて、エレオノーラも前に進み出た。
「お初にお目にかかります。
エレオノーラ・ディ・ヴァレンシュタインと申します。
アレクシア様と同じく、帝国立学園に在籍しております。
お二人と学びを共にできますこと、心より嬉しく思います」
洗練された礼を取るエレオノーラに、双子もまた丁寧に応じた。
「エレオノーラ様、お会いできて嬉しいです」
エリシアが微笑む。
「こちらでのこと、色々と教えていただけましたら心強いです」
フィリアが続く。
エレオノーラの表情が、ふわりと柔らかくなった。
期待していた以上に、双子は感じが良い。
美しいだけではなく、礼儀正しく、穏やかで、親しみやすい。
エレオノーラもまた、二人に確かな好印象を抱いていた。
遠巻きに見ていた生徒たちの間にも、好意的な空気が広がっていく。
王国の姫君は、噂通り美しい。しかも高慢ではない。
帝国側にも礼儀正しく接し、学園生活にも前向きに見える。
それだけで、周囲の印象は一気に好転していた。
アレクシアは、生徒たちの空気が瞬く間に双子へと傾いていくのを感じていた。
先ほどまで噂だけで浮かれていた生徒たちは、今や実物を目にして、さらに盛り上がっている。
本来なら、アレクシアはその空気に軽い警戒を抱くべきだった。
けれど、目の前の双子の態度は、あまりにも自然で、あまりにも非の打ち所がなかった。
アレクシア自身も、悪い印象を持つことができなかった。むしろ――思っていたよりも、ずっと好ましい。
双子を案内しながら、アレクシアは内心で考える。
噂に踊らされるつもりはなかった。王国の姫だからといって、無条件に信用するつもりもなかった。だが、彼女たちは確かに美しく、礼儀正しく、賢そうに見える。少なくとも、初対面で不快感を覚える相手ではない。
むしろ――好感を抱かせるのが、恐ろしく上手い。
それを計算と見るには、あまりに自然だった。それを天性と見るには、あまりに完成されていた。
一瞬、アレクシアの胸に小さな違和感が過る。だが、その違和感は、すぐに掻き消えた。
相手は他国の王女だ。幼い頃から、礼儀作法を徹底的に叩き込まれてきたのだろう。王国の至宝と呼ばれるほどの姫君なら、この程度の振る舞いは当然なのかもしれない。
アレクシアは、そう自分を納得させた。
◆
アレクシアは、双子を学園内へと案内していく。エレオノーラも、その隣に並んだ。
周囲の生徒たちは、期待と好奇心に満ちた視線を、二人の王女へ向け続けている。
エリシアとフィリアは、その視線を受けながらも、穏やかに微笑んでいた。
誰にも失礼がないように。誰にも警戒されないように。誰からも、愛される王女であるように。
アレクシアは、そんな双子の姿を見ながら思う。
王国の至宝。確かに、その呼び名は――大げさではないのかもしれない。
帝国立学園に、二人の姫君がやって来た。その日、多くの生徒が彼女たちに好意を抱いた。
アレクシアも。エレオノーラも。まだ誰も、知らない。
その微笑みの奥に、何が隠されているのかを。