帝国立学園に、王国の双子姫がやって来てから、一月半ほどが経っていた。
エリシアとフィリアは、すでにこの学園にすっかり馴染んでいる。
授業態度は真面目そのもの。提出物は期日を守り、成績も常に上位。教師たちからの評判は上々で、同級生たちからも、礼儀正しく気さくな姫君として親しまれていた。
「王国の至宝という評判は、大げさじゃなかったのね」
生徒たちの間では、そんな声が当たり前のように聞かれるようになっている。
アレクシアも、当初抱いていた警戒心を、少しずつ緩めていた。
エレオノーラも同様に、双子への好意を日に日に深めている。
二人の姫君は、帝国立学園という新しい場所でも、美しく優秀で控えめな留学生として、すっかり受け入れられていた。
その日、アレクシアは学園内の小さな庭園で、エレオノーラ、そしてエリシアとフィリアと共にお茶会を開いていた。
明るい日差しが、庭園の緑を柔らかく照らしている。卓上には香り高い紅茶と、焼き菓子、旬の果実を使ったタルトが並んでいた。
「学園には慣れたか?」
アレクシアが、紅茶のカップを傾けながら尋ねる。
「困っていることは、ないか?
帝国の授業は、王国とは違うところも多いだろう」
エリシアが、柔らかく微笑んで答える。
「皆様が親切にしてくださるので、とても過ごしやすいです
授業も新鮮で、学ぶことが多くて楽しいです」
フィリアも続けた。
「帝国の魔術理論は、王国とは少し違うところがあって、興味深いですわ」
エレオノーラが、嬉しそうに二人を見つめる。
「まあ、それは何よりですわ」
その素直で礼儀正しい受け答えに、エレオノーラはますます好印象を抱いているようだった。この時のエレオノーラは第一皇子の婚約者として、穏やかで品のある笑顔を絶やさなかった。
和やかな会話が続く中、アレクシアはふと、少し真面目な話題を切り出した。
「あなたたちは、王国の王女でありながら、帝国に留学している立場だ
せっかくだから、帝国の皇族についても、少し知っておいた方がいいだろう」
エリシアとフィリアが、興味深そうに視線を向ける。
「まず、私の兄――第一皇子ヴァルターについて」
アレクシアが語り始める。
「ヴァルター兄上はすでに学園を卒業されている。反戦派で、内政を重視される方だ
外交と財政を大切にお考えで、無闇な争いを好まれない」
その言葉に、エレオノーラの表情が、ふわりと柔らかくなった。
「ヴァルター殿下は……とても実直で、優しい方ですわ」
その声には、確かな尊敬と信頼が滲んでいる。エレオノーラが、心からヴァルターを慕っていることが伝わってきた。アレクシアも、静かに頷く。
「ヴァルター兄上は、帝国を広げるより、まず内側を整えるべきだとお考えだ
私は、その考えは正しいと思っている」
双子は、穏やかに相槌を打った。
「素晴らしいお考えですね」
エリシアが言う。
「民を思う皇子様なのですね」
フィリアも、感心したように目を細めた。
「ただ――」
アレクシアの声が、少し低くなる。
「もう一人の兄、第二皇子レオニスについては、少し違う
レオニス兄上は、現在三年次。今年、卒業予定だ
学園内でも存在感があって、支持する生徒も多い
だが、兄上とは性格も思想も、かなり違う」
アレクシアは、紅茶のカップを見つめながら続けた。
「レオニス兄上は、野心家だ。軍部寄りで、領土の拡大や、帝国の威信を強く意識されている
王国に対しても……友好より、優位を取るべきだとお考えの節がある」
その言葉に、双子は僅かに目を見開いた。
アレクシアの表情が、少し曇る。
「あの方には、気をつけた方がいい
悪い方ではない、と言いたいところだが……正直、少し不安がある
王国の姫君であるあなたたちに、妙な関心を持つ可能性もある」
エレオノーラも、控えめに言葉を添えた。
「第二皇子殿下は、力や成果を重んじる方です
相手を試すような物言いをなさることも……時折、ございます
失礼があるとは思いたくありませんが、念のためお気をつけくださいませ」
双子は、少し驚いたように顔を見合わせた。
だが、すぐに柔らかく微笑む。
「ご心配くださって、ありがとうございます」
エリシアが、丁寧に礼を返す。
「もしお会いすることがあっても、失礼のないよう努めます」
フィリアも、優しく頷いた。
アレクシアは、その返答に少しだけ安堵しながらも、胸の奥に小さな不安を残していた。
◆
数日後。
エリシアとフィリアが、学園のサロンで書物を整理していると、廊下から複数の足音が近づいてきた。
「ここにいたか」
現れたのは、取り巻きを数人従えた青年だった。年の頃は十八、九。整った容姿をしているが、その目には、明らかな傲慢さが滲んでいる。第二皇子レオニスだった。
周囲にいた生徒たちが、ぎょっとしたように身を強張らせる。
レオニスは、双子を上から下まで、遠慮のない視線で見回した。
「君たちが、王国の至宝とやらか。噂ほどかどうか、確かめに来た」
その口ぶりには、他国の王女を迎えるにしては、あまりにも礼を欠いた響きがあった。周囲の空気が、一気に張り詰める。
だが、双子は少しも動じなかった。
「お初にお目にかかります、第二皇子殿下」
エリシアが、優雅に礼を取る。
「お声がけいただき、光栄です」
フィリアも、柔らかく微笑んだ。
第二皇子は、それを見てもなお、口元を歪めたまま続けた。
「王国では、随分ともてはやされていたようだな。
帝国でも、同じように扱われると思わないことだ。
ここでは――実力がなければ、飾り物に過ぎない」
その言葉に、周囲の生徒たちが息を呑んだ。
けれど双子は、笑顔を崩さなかった。
「ご忠告、ありがとうございます」
エリシアが、静かに頭を下げる。
「帝国で学ぶ身として、恥じぬよう努めてまいります」
怒らない。怯えない。反論もしない。
相手の不遜さを、礼儀正しさで、まるで水のように受け流してみせる。
その姿は、周囲の目には――健気で、気品ある姫君そのものに映った。
レオニスは、面白くなさそうに鼻を鳴らしながらも、その目にはわずかな興味の色が浮かんでいた。
「ふん。せいぜい励むことだ」
そう言い残し、取り巻きを連れて去っていった。
レオニスが去った直後、アレクシアが駆けつけてきた。
話を聞きつけて、急いで来たのだろう、少し息を切らしている。
「大丈夫か?兄上に、何か失礼なことを言われなかったか?」
その声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。自分が忠告した矢先に、レオニスが実際に双子へ接触した。しかも相手は他国の王女だ。一つ間違えば、外交問題になりかねない。
双子は、にこりと笑って答えた。
「大丈夫です、アレクシア殿下」
エリシアが穏やかに言う。
「第二皇子殿下は、私たちにご忠告くださっただけです」
「帝国で学ぶ者として、身の引き締まる思いでした」
フィリアも続けた。
アレクシアは、その返答に少し拍子抜けしたように瞬いた。
それから同時に、双子の対応力に、素直な感心を覚える。
普通なら、怒ってもおかしくない場面だった。傷ついてもおかしくない。だが二人は、相手の非礼すら、自分たちの学びとして受け止めているように見せていた。
「……あなたたちは、本当にできた姫君だな」
アレクシアが、思わずそう漏らすと、双子は可愛らしく首を振った。
「そんなことはありません」
エリシアが微笑む。
「まだまだ、学ぶことばかりです」
フィリアも、控えめにそう付け加えた。
アレクシアは、ほっと息をついた。
レオニスの不遜な態度は、確かに気になる。だが、双子は思っていたよりも、ずっとしっかりしている。
後から事情を聞いたエレオノーラも、双子が無事だったことに、心から安堵していた。
「本当に、何事もなくて良かったですわ」
学園には、まだ穏やかな空気が流れている。
お茶会。授業。交流。噂。美しい王国の双子姫。
今はまだ、そのすべてが、明るい留学生活の一部に見えていた。
ただ――アレクシアの胸の奥には、小さな不安が残ったままだった。
レオニス兄上は、やはり危うい。
そしてその危うさは、いつか帝国全体を巻き込むことになるのではないか。
双子は、そんなアレクシアの不安を知ってか知らずか、変わらず穏やかに微笑んでいた。
「問題ありません」
そう答えた双子の笑顔を見て、アレクシアは少しだけ、安心する。
まだ――この時は。