帝国立学園に、双子が留学してから、さらに数か月が経っていた。
最初は噂の的だった二人も、今ではすっかり学園の日常に溶け込んでいる。
授業では常に優秀な成績を収め、教師への受け答えも丁寧。同級生に対しても高慢さを見せることはなく、分からないことがあれば素直に質問し、教えられれば可憐に礼を言う。帝国式の魔術理論にも熱心に取り組み、王国との違いを面白がるように吸収していく。
エリシアは静かで知的な佇まい。フィリアは明るく柔らかい印象。同じ顔をしているのに、纏う空気はどこか異なる。その違いを、アレクシアはいつの間にか自然に見分けられるようになっていた。以前は、王国から来た留学生として、どこか警戒していた。
だが今では、廊下で彼女たちを見かけると、少し安心するようになっている。
――不思議な姫君たちだ。
アレクシアは、しばしばそう思う。美しく、聡明で、礼儀正しい。それでいて、相手を立てることを忘れない。王女でありながら、こちらの言葉をきちんと聞いてくれる。
その姿は、アレクシアが思い描く「姫君らしさ」に近いものだった。
アレクシアは、皇女でありながら、どちらかといえば生真面目な性格だ。可憐さよりも責任を重んじ、言葉遣いも堅い。だからこそ、柔らかく場を和ませ、微笑むだけで周囲を惹きつける双子の在り方に、少しだけ憧れを抱いていた。
ある日の午後、授業を終えたアレクシアは、双子を茶に誘った。
場所は、帝国立学園の一角にある小さな庭園。エレオノーラも最初は同席していたが、途中で第一皇子との用事があるとかで、途中から三人だけになった。
「もう学園には慣れたか?」
アレクシアが、紅茶のカップを傾けながら尋ねる。
「帝国の授業は、王国と違ってやりにくいところもあるだろう
困ったことがあれば言ってくれ。迎賓係として、できることはする」
「ありがとうございます、アレクシア殿下」
エリシアが、穏やかに答える。
「皆様がよくしてくださるので、不自由なく過ごせております」
「帝国の授業はとても面白いです」
フィリアも、笑顔で続けた。
「王国とは魔術式の組み方が少し違っていて、毎日新しい発見があります」
アレクシアは、それを聞いて感心する。ただ褒められるための返答ではない。双子は、本当に学んでいる。帝国の文化や学問を見下すことなく、真面目に吸収しようとしている。
その態度が、アレクシアには何より好ましかった。
会話の中で、アレクシアはふと、自分と双子を比べてしまう。
双子は、いかにも王女らしい。柔らかく、優雅で、場を明るくする。
自分はどうだろうか。皇女として振る舞ってはいるが、可憐さや柔らかさよりも、どうしても責任や義務が先に立ってしまう。話し方も堅い。考えることも、政治や軍、税や領地のことばかりだ。
アレクシアは、少し苦笑した。
「あなたたちを見ていると、少し羨ましくなるな」
双子が、不思議そうに首を傾げる。
「いや、変な意味ではないよ」
アレクシアは、照れ隠しのように付け加えた。
「あなたたちは、いかにも姫君らしい
柔らかくて、丁寧で、周囲を自然に和ませる
私はどうも、そういうのが苦手でね」
「アレクシア殿下は、とても立派な皇女様です」
エリシアが、微笑んで答える。
「凛としていて、お優しくて、周囲をよく見ていらっしゃいます」
フィリアも続けた。
アレクシアは、少し驚く。からかわれるか、謙遜されるかと思っていた。だが双子は、まっすぐに褒めてくる。
「……そう言われると、妙に落ち着かないな」
アレクシアは、少し照れたように呟いた。双子は、楽しそうに笑う。
和やかな空気の中で、話題は少しずつ政治へと寄っていった。
きっかけは、帝国の地図の話だった。
「帝国は、とても広いのですね」
フィリアが、感心したように言う。
「王国とは比べものにならないほど、領地の種類も多いように見えます」
「山岳地帯、草原、旧王国領、海沿いの都市……統治するだけでも、大変そうです」
エリシアも、静かに続けた。
その言葉に、アレクシアの表情が、少し真面目なものに変わる。
「そうだな」
「広いというのは、強さでもある」
「だが、広ければ広いほど、統治は難しくなる」
アレクシアは、一瞬迷った。本来、他国の王女に話すべき内容ではない。けれど、双子は真面目に聞いてくれる。軽く扱わない。自分の言葉を、きちんと受け止めてくれる。
だから、アレクシアは、少しだけ本音を漏らしてしまった。
「帝国が今の形になったのは、そう昔のことではないんだ」
「私が生まれる直前だから、二十年も経っていない」
「それ以前から帝国は大国だったが、今の広さになったのは、まだ最近のことだ」
双子は、黙って耳を傾けている。
「広げた土地には、まだ帝国に馴染めていない者たちがいる」
「戦で荒れた土地もある」
「税制も、法も、貴族の支配も、完全には整っていない」
「人も、土地も――まだ癒えていない」
アレクシアの目は、地図の上の領土を見ているのではなかった。そこに住む人々、畑、街道、徴税、治安、戦後の傷――それらすべてを見つめていた。だからこそ、これ以上の拡大には慎重にならざるを得なかった。
アレクシアは、第一皇子のヴァルターについて語り始めた。
「ヴァルター兄上の考えは、地味だと言われる。
帝国の威光を示すには弱い、とも。
けれど私は、今の帝国には必要なことだと思っている。
広げるより、根を張るべき時期なんだ。」
アレクシアは、少し声を落とした。
「仮初でもいい。今は、平和が必要だ」
その言葉には、王国と帝国が完全に信頼し合っているとは思っていない、というアレクシアの現実的な認識が滲んでいた。平和が永遠に続くとも思っていない。それでも、時間が必要だと思っている。人と土地が癒えるための時間。新しい制度が根付くための時間。国が割れないための時間。
双子は、その言葉を静かに受け止めていた。話題は、次第に第二皇子のレオニスへと移っていく。
「レオニス兄上は、強い帝国を望んでいる」
アレクシアは、慎重に言葉を選んだ。
「それ自体は、悪いことではない」
「弱い国では、民を守れない。それは事実だ」
「でも――強さの形を間違えれば、国は内側から割れる」
アレクシアは、第一皇子派と第二皇子派の対立が、いつか帝国そのものを割ってしまうのではないかと恐れていた。
第一皇子派は、宰相を中心とした内政派、文官、反戦派貴族。第二皇子派は、軍部、好戦派、そして領土拡大で利益を得ようとする貴族たち。
表面上は、まだ皇族同士の対立に見える。だが、一歩間違えれば。
「もし、クーデターのようなことが起これば」
アレクシアは、そこまで言って、言葉を止めた。
普通なら、口にしてはいけない不吉な想像だった。
けれど、双子は急かさない。エリシアは静かに紅茶のカップを置き、フィリアはそっと、アレクシアを見つめている。
その沈黙に促されるように、アレクシアは続けてしまった。
「レオニス兄上は、軍部と近い」
「父上の拡張政策を理想としている者たちとも、繋がっている」
「もし兄上が本気で動けば、ヴァルター兄上の内政路線など、力でひっくり返されてしまうかもしれない」
アレクシアは、自嘲するように笑った。
「考えすぎだと言われれば、それまでだ」
「だが、私は怖いんだ」
「帝国が――外ではなく、内側から壊れてしまうことが」
「アレクシア殿下は、本当に帝国のことを大切に考えていらっしゃるのですね」
エリシアが、静かに口を開いた。アレクシアは、少し言葉に詰まる。
「領土の広さだけではなく、そこに住む方々のことまで考えていらっしゃる」
フィリアも続けた。
「とても、お優しいです」
アレクシアは、照れと困惑を覚えた。
自分の考えは、宮廷では弱腰だと言われることもある。理想論だと切り捨てられることもある。皇女が政治に口を出しすぎるな、と諭されることもある。
だが、双子は笑わなかった。幼い理想だと切り捨てもしない。むしろ、真剣に肯定してくれる。
「国を広げることだけが、強さではないと思います」
エリシアが、穏やかに言う。
「守るために立ち止まることも、きっと強さです」
フィリアが、頷いた。
アレクシアの胸が、少しだけ温かくなる。自分の不安を聞いてもらえた。自分の理想を、否定されなかった。それだけで、思っていた以上に嬉しかった。
「すまない」
アレクシアは、少し疲れたように笑った。
「せっかくのお茶の時間に、重い話をしてしまったな。
あなたたちに話すことではなかった」
「いいえ」
エリシアが、静かに首を振る。
「お話しいただけて、嬉しいです。アレクシア殿下は、ずっとお一人で考えていらしたのですね」
フィリアが、身を乗り出すように言った。
その言葉に、アレクシアは一瞬、黙り込んだ。――ずっと、一人で考えていた。
皇女として。妹として。帝国の一員として。けれど、自分には決定権がない。ヴァルターを支えたいと思っても、できることは限られている。レオニスを危ういと思っても、直接止める力はない。父帝に進言しても、どこまで届くか分からない。
アレクシアは、ずっと無力感を抱えていた。
フィリアが、そっとアレクシアの手に、自分の手を重ねた。
「よく頑張っていらっしゃいます。誰かのために悩める方は、弱い方ではありません」
エリシアも、柔らかく微笑んだ。
「アレクシア殿下は、とても立派です」
アレクシアは、思わず視線を逸らした。
嬉しい。恥ずかしい。けれど、それ以上に――救われたような気がした。
普段なら、そんなふうに褒められても、素直には受け取れない。だが、双子の声はあまりにも柔らかく、自然で、心地よかった。
「……あなたたちは、本当に人を甘やかすのが上手いな」
アレクシアが、小さく呟く。
「甘やかしているつもりはありません」
フィリアが、微笑んだ。
「本当のことを申し上げているだけです」
エリシアも続ける。アレクシアは少し赤くなり、誤魔化すように紅茶を飲んだ。
お茶会の終わりに、アレクシアは、双子への認識が少しずつ変わっていることに気づいていた。
最初は、王国から来た重要な留学生。迎賓係として世話をすべき相手。外交的に失礼があってはならない王女たち。だが今は、それだけではない。
自分の話を聞いてくれる相手。自分の理想を笑わない相手。自分の不安を、そのまま受け止めてくれる相手。そして――姫君として、少しだけ憧れる相手。
アレクシアは、双子に対して、好意に近い親しみを抱き始めていた。
恋愛ではない。崇拝でもない。けれど、確かな好感。この二人になら、少しくらい本音を話してもいいと、そう思ってしまう自分がいた。
「アレクシア殿下のような方が、帝国の中枢にいらっしゃれば、多くの方が救われるのでしょうね」
エリシアが、何気ないふうに言った。
「誰かを止めるには、止められる場所に立たなければいけませんもの」
フィリアも、静かに続けた。
アレクシアは、その言葉を聞いて、少しだけ胸を突かれた。
――止められる場所。自分には、まだその場所がない。
けれど、アレクシアはそれ以上、深く考えなかった。双子もまた、それ以上は踏み込まなかった。今はまだ、ただの励ましとして受け取れる範囲の言葉だった。
お茶会が終わり、夕暮れの学園を、アレクシアは双子とともに歩いていた。
風は穏やかだった。庭園には、まだ生徒たちの笑い声が残っている。
帝国は、まだ平和に見える。アレクシアは、この時間がもう少し続けばいいと思った。
仮初でもいい。平和が必要だ。人も、土地も、国も――まだ癒えていないのだから。
その隣で、エリシアとフィリアは、穏やかに微笑んでいる。
「また、お話を聞かせてくださいませ」
「アレクシア殿下のお考え、私たち、とても好きです」
アレクシアは、少し照れながら答えた。
「……そうか。なら、また付き合ってもらおうかな」
双子は、嬉しそうに礼をする。その姿は、どこまでも美しく、優しく――姫君らしかった。
アレクシアはその日、王国の双子姫を、以前よりずっと身近に感じるようになっていた。
自分の不安を聞いてくれる、大切な友人のように。