ベルガルド王城の会議室に、戦場から戻った将軍たちの声が響いていた。
国王、王妃、王太子アルフォンス、王太子妃クラウディア、そして王国の重臣たち。本来なら、これは戦勝報告の場だった。帝国軍十四万に対して、王国軍はわずか八万。圧倒的に不利な戦力差にもかかわらず、王国軍の損害は極めて少ない。数字だけを見れば、完全勝利。王城が歓声に包まれていてもおかしくなかった。しかし、誰も喜んでいなかった。報告を行う将軍自身の顔が、青ざめている。
「帝国軍主力十四万は……ほぼ全滅いたしました」
「全滅?」
国王が、確認するように問う。
将軍は、言葉を選びながら答えた。
「正確には……消失、と申し上げるべきかと」
誰も、その意味を理解できなかった。死体が大量に残ったわけではない。敗走したわけでもない。捕虜になったわけでもない。いなくなった。戦場にいた十四万近い兵士たちが、一度の攻撃で。馬も装備も含めて。ほぼ跡形もなく。会議室が、静まり返った。将軍は、続けた。
王国軍の最前列へ配置された、正体不明の魔術師二人。双子姫の手紙によって軍へ加えられた二人。彼らが持ち込んだ、巨大魔導兵器。開戦。発光。そして、帝国軍消滅。
その後、生き残っていた第二皇子レオニスおよび軍部司令部を捕縛。帝都まで進軍。帝城を制圧。軍部上層部を処刑。第二皇子レオニスも死亡。帝国皇帝はレオニスを庇おうとして攻撃範囲へ入り、完全に消滅した。皇妃はその場で倒れた。
報告を聞いていた者たちは、言葉を失っていた。
王国は勝った。しかし――「勝った」という感覚が、誰の中にもなかった。八万の王国兵は、まともな戦闘すらしていない。あの二人が、戦争を終わらせた。
「あの魔術師二人は?」
国王が尋ねる。
将軍は、首を振った。
「分かりません」
帝城制圧後、王国軍が撤収準備を始めた頃には、二人とも姿を消していた。巨大な魔導兵器についても、行方が分からない。王国軍の誰にも別れを告げていない。報酬を要求したわけでもない。ただ戦争を終わらせ、消えた。アルフォンスの表情が、険しくなる。
双子の手紙で現れた。常識外の魔導兵器を持っていた。そして、戦争が終わった瞬間に消えた。
「……やはり」
小さく呟く。だが、証拠はなかった。
クラウディアは、その横で何も言わなかった。彼女もまた、同じ違和感を覚えている。しかし、余計なことは言えなかった。
戦後数日で、帝国ではアレクシアが緊急即位した。豪華な戴冠式など、行える状態ではなかった。
皇帝死亡。第一皇子ヴァルター死亡。第二皇子レオニス死亡。皇妃は精神的な衝撃から政務不能。軍部上層部壊滅。宰相も不在。正式に王国へ降伏するためにも、帝国を代表する国家元首が必要だった。
そのため、最低限の儀礼のみで、第一皇女アレクシア・ディ・グランゼルトは、グランゼルト帝国皇帝へ即位した。若き女帝アレクシア。
即位後、最初の大仕事として、ベルガルド王国へ正式な使節を送る。自らも、戦後会談へ向かった。
ベルガルド王城。国王夫妻、王太子アルフォンス、王太子妃クラウディア、王国重臣。そして――女帝アレクシア。
以前、ベルガルドの双子と茶を飲んでいた少女とは、もう違う。皇帝としての正装を纏い、けれどその顔には、隠しきれない疲労が残っている。若すぎる皇帝だった。
会談が始まる。
アレクシアは、最初に立ち上がった。そして、深く頭を下げる。
「今回の戦争について、グランゼルト帝国皇帝として謝罪する」
ベルガルド王国への侵略。そのために多くの兵を動員したこと。王国へ甚大な危険を与えたこと。すべて帝国側の責任であると認める。言い訳はしなかった。アレクシアは、続けた。
第二皇子レオニス。軍部上層部。彼らが、今回の戦争を主導した。さらに調査の結果、第一皇子ヴァルター暗殺にも彼らが関与していたことを、帝国側として正式に確認した。
だが、その中心人物たちは、すでに死亡している。
アレクシアは、苦い顔をした。自分が裁いたわけではない。帰ってきた時には、もう全員死んでいた。それでも、皇帝として言う。
「残った者についても調査する」
「侵略を継続しようとする者、レオニス兄上の方針を再び持ち出そうとする者については、帝国政府から排除する」
必要であれば、処罰も行う。今後、帝国が再び同様の侵略戦争へ向かわないことを約束する。
次は、現実的な話だった。賠償。軍縮。国境。帝国軍の再編。戦争で発生した被害。王国側の要求が、提示されていく。
ただし、ベルガルド王国は、帝国領土を大規模に切り取ることを第一目的にはしなかった。今の帝国から過剰な賠償を取れば、国そのものが崩壊する。帝国が崩壊すれば、大量の難民や内乱が発生し、最終的に王国側にも被害が及ぶ。
国王は、現実的な判断をした。
「グランゼルト帝国が政治・経済・軍事的に復興し、再び独自に安定した国家運営が可能になるまで」
国王が、静かに告げる。
「ベルガルド王国の管理下へ入ること」
外交、軍備、一定以上の国家予算――これらについて、王国の監督を受ける。帝国が勝手に軍備を拡張し、再び侵略戦争を開始することは、認められない。
一方で、帝国そのものは残す。帝国領土も、原則として維持する。帝国国民を王国民へ強制的に変更することもしない。アレクシアの皇位も認める。帝国政府による内政も継続する。
あくまで――「帝国が立ち直るまでの属国化」。
アレクシアは、目を閉じた。帝国皇帝としては、屈辱的な条件だった。だが、十四万の軍を失った。皇帝も皇太子も軍部も失った。王国軍は、帝都まで容易に到達した。拒否できる立場ではない。そして何より、これ以上戦争を続けるつもりはなかった。
アレクシアは、深く頭を下げた。
「……受け入れる」
さらに、続ける。
「このような条件で帝国という国を残していただけることに、感謝する」
王国側も、沈黙していた。勝者と敗者。だが誰も、祝福する空気にはならなかった。
政治的な話がある程度まとまったところで、もう一つ重要な案件が残っていた。
エリシアとフィリア。帝国へ留学していたベルガルド王国第一王女と第二王女。その正式な返還。
扉が開く。二人の少女が、入ってきた。銀白の髪。青い瞳。揃った顔。傷一つない。いつもの完璧な王女姿だった。
「お父様、お母様」
「ただいま戻りました」
国王夫妻は、安堵の表情を浮かべる。王妃は、二人を抱きしめた。周囲の重臣たちも、胸を撫で下ろす。帝国へ留学中に戦争になった王女二人が、無事に帰ってきた。本来なら、感動の帰還だった。だが――アルフォンスだけは、双子を凝視していた。
無傷。疲労もほとんど見えない。戦争に巻き込まれた人間には、到底見えなかった。
脳裏に浮かぶ。ローブ姿の魔術師二人。数まで同じ。双子からの手紙。戦争終了後に消えた二人。その直後に、無傷で戻ってきた双子。偶然なのか。
アルフォンスが、口を開く。
「エリシア、フィリア。帝国で何をしていた?」
双子は、きょとんとした顔をした。
留学していた。戦争が始まったため、身を隠していた。危険なため、詳しい場所を明かせなかった。その程度の説明だった。嘘とは言い切れない。
「あの魔術師二人を知っているのか?」
アルフォンスが、さらに問う。
双子は、柔らかく笑った。
「手紙をお願いした方々ですわ」
それ以上は、答えない。アルフォンスは、納得しなかった。だが、証拠もない。
国王からすれば、娘二人が無事に戻った。そして戦争には勝った。それ以上、この場で追及する理由もなかった。
クラウディアは、黙ったまま双子を見つめていた。――やはり。何かをした。
そう確信に近いものを抱く。しかし、口には出さなかった。
これで双子は王国へ戻る。誰もが、そう考えていた。
しかし、エリシアが口を開いた。
「お父様。一つ、お願いがございます」
国王が、視線を向ける。フィリアも、笑顔を浮かべていた。
二人は、グランゼルト帝国へ戻りたいと言った。会議室が、ざわめく。
さらに――現在不在となっている帝国宰相に代わり、自分たちを「帝国宰相代理」として任命してほしいと、申し出た。アルフォンスが、即座に反応する。
「待て」
双子を見る。
「なぜだ、なぜお前たちがそこまで帝国に関わる必要がある?」
双子は、説明する。戦争後の帝国は非常に不安定であること。王国の属国となるのであれば、王国側から監督役を置くことは不自然ではないこと。自分たちは帝国で生活した経験もあること。アレクシアとも面識があること。王国王族であるため、王国に対する裏切りも警戒されにくいこと。
どれも、正論だった。だからこそ、アルフォンスには余計に気味が悪かった。
国王は、考え込んでいた。
確かに、帝国へ監督役を置く必要はある。通常なら、王国官僚を派遣するところだ。しかし帝国は、軍部も行政中枢も混乱している。強い権限を持ち、帝国貴族に押し切られず、同時にアレクシアと意思疎通できる人物が必要だった。
双子は、その条件を満たしている。
アレクシアも、驚いていた。
「エリシア殿下とフィリア殿下が……?」
しかし、彼女にとっても助かる話だった。帝国へ戻れば、自分は若い皇帝。軍部壊滅。宰相不在。国内にはまだ、レオニス派・好戦派の残党。経済も行政も混乱している。一人でどうにかできる状況ではなかった。
そして何より、アレクシアは双子を信頼していた。以前、契約を結んだ相手でもある。ただし、その契約の存在は、この会談では明かさなかった。
アレクシアは、国王へ頭を下げた。
「私からもお願いしたい」
国王と王国重臣が、相談する。最終的に、認められた。
エリシア・フォン・ベルガルド。フィリア・フォン・ベルガルド。両名を、グランゼルト帝国の復興期間における帝国宰相代理として派遣する。ベルガルド王国による属国監督も兼ねる。
アルフォンスだけは、険しい顔のままだった。
「……絶対に何かある」
しかし、止められなかった。
会談は終了する。アレクシアは、女帝として帝国へ帰国する。その馬車には、双子も同行していた。王国王女二人。そして帝国女帝。以前なら、友人として茶を飲んでいた三人。今は、皇帝と宰相代理。立場が、完全に変わっている。
しばらく馬車が走った後、アレクシアは窓の外を見ていた視線を、ふと双子へ向けた。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「はい」
「どうして、宰相代理なんだ?」
双子が、視線を向ける。
「王国へ帰ることもできた」
アレクシアは、続けた。
「お父上やお母上も、無事に戻った君たちを喜んでいた」
「なのに、どうしてまた帝国へ来る?」
「しかも宰相代理なんて役職まで要求して」
フィリアが、エリシアを見る。エリシアも、フィリアを見る。
そして――「ああ」と、何かを思い出したような反応を見せた。
「そういえば、まだご説明していませんでしたね」
アレクシアの中に、嫌な予感が広がっていく。エリシアが、一枚の紙を取り出す。
アレクシアには、見覚えがあった。あの日。双子へ助けを求めた時。魔力を帯びた契約書。
アレクシアの顔が、固まる。
「……それ」
「はい」
契約書は、消えていない。契約がすべて完了しているなら、本来は履行済みとなるはずだった。だが、まだ有効だった。アレクシアが、戸惑う。
「レオニス兄上は死に、戦争も……終わった。
君たちは、私の願いを叶えてくれたんじゃないのか?」
双子は、否定しなかった。
レオニスを止める。達成。戦争を終わらせる。達成。エレオノーラを守る。少なくとも現状では、達成。しかし――まだ残っている。
アレクシアが願ったもの。ヴァルターが望んでいたもの。帝国をこれ以上戦争へ向かわせず、一時的にでも、かつてのような平和な国へ戻すこと。
エリシアが、静かに告げた。
「戦争が終わることと平和になることは、同じではありません」
窓の外。戦争で混乱した帝国領。軍隊を失った町。物流の止まった街道。中央政府からの命令を待つ地方。今後への不安を抱える民衆。フィリアが、契約書を指先で軽く叩いた。
「今の帝国を、"平和"って呼ぶのは、無理があるのでは?」
アレクシアは、言葉を失った。
確かにそうだった。戦争は終わった。だが帝国は、壊れかけている。父はいない。兄たちもいない。軍もない。宰相もいない。旧領の統治問題も残っている。経済も混乱している。好戦派の残党もいる。国民は、明日の生活さえ不安に思っている。
アレクシアが、契約書を見つめる。
「……ではまだ、終わっていないのか?」
エリシアが、微笑んだ。
「はい、まだまだですよ。アレクシア陛下」
フィリアも、笑う。アレクシアは、二人を見た。双子は、楽しそうだった。
だが、言っていることそのものは、正しかった。エリシアが、窓の外へ視線を向ける。
「アレクシア陛下が望まれたのは、戦争の終了だけではありません。
帝国が、一時的にでも平和を取り戻すこと」
「だったら、やることは決まってますよね」
フィリアが、続けた。アレクシアは、小さく息を呑んだ。双子が、告げる。
「まずは――」
「この国を、復興させましょう」
アレクシアの手元で、まだ終わっていない契約書が、淡く光った。
戦争は、終わった。だが契約は、まだ終わっていなかった。