帝城の一室に、穏やかな午後の光が差し込んでいた。
アレクシアが、皇帝後見人となったエリシアとフィリアを茶会へ招く。珍しいことではない。十年間、何度も繰り返してきた光景だった。
女帝アレクシア。エリシア。フィリア。三人で茶を飲む。双子は何も疑っていない。少なくとも、そう見えた。
「最近は研究ばかりだな」
アレクシアが、笑う。
「だって陛下が研究していいって言ったんじゃない」
フィリアも笑う。
「政務へ戻れと言われても困りますよ」
エリシアも、穏やかに続けた。
いつもの会話。いつもの二人。十年間、帝国を一緒に立て直した友人たち。
アレクシアは、笑顔を維持していた。だが――テーブルの下で、握った手が震えている。
思い出す。十四万人。父。レオニス。壊れた母。十年間、そのすべてを知りながら、何事もなかったかのように自分の隣にいた二人。今日、終わらせる。
決めていた時間、アレクシアがカップを置いた。小さな音。それが合図だった。
次の瞬間、扉、窓、退路――すべてが同時に封じられる。セレスが事前に用意した魔術によって、室内からの転移や即時逃亡が妨害された。
そして、ガイウスが飛び出す。完全な奇襲だった。双子が魔術を構築するより早く。最短距離。一撃。ガイウスの攻撃が、エリシアの身体を捉える。そのはずだった。
だが、手応えがない。剣が、身体を通り抜けていく。肉を斬った感触ではない。骨に当たった感触でもない。まるで霧の中を、あるいは人の形をした魔力の中を通り抜けたような感覚だった。
エリシアの身体が、一瞬だけ揺らぐ。淡い魔力の粒子。そして、すぐに元の形へ戻る。
誰も、動けなかった。
「……は?」
ガイウスが、自分の剣を見る。
フィリアが、姉の身体を一瞥してから、ガイウスを見た。
「びっくりした」
エリシアも、自分の胸元を見る。服も身体も、何事もなかったかのように戻っている。
アレクシアの顔色が変わった。
アルフォンスだけが、一瞬早く意味を理解する。
「……実体じゃない?」
ガイウスが、もう一度仕掛けた。今度はフィリアへ。
同じだった。剣がすり抜ける。フィリアの身体が一瞬魔力へ崩れ、元へ戻る。血は出ない。傷も残らない。人体ではなかった。セレスが、息を呑む。魔力を観察する。
「……身体そのものが、魔力で構成されている……?」
沈黙が落ちる。
アルフォンスが、双子を見た。幼い頃、何度も口にした言葉が蘇る。「悪魔」。ただの悪口だった。比喩だった。だが今。
アルフォンスが、呟いた。
「……本当に、本当に悪魔になったのか、お前たち」
双子が、顔を見合わせる。フィリアが首を傾げた。
「分類上は」
エリシアが、少し考えてから答える。
「そうなるのでしょうね」
「……分類?」
アレクシアの表情が、引きつった。
双子は、何でもない研究成果を説明するように答えていく。肉体を魔力へ置き換える研究。大量の魔力。魂と肉体の境界。そして最終的に、魂を核として魔力だけで身体を形成する存在へ変化した。
今の二人には、人間と同じ意味での肉体が存在しない。
暗殺できない。剣で急所を貫いても意味がない。そもそも、急所が存在しない。
「ガイウス、下がれ!」
アルフォンスが、即座に叫んだ。
「セレス!」
セレスも、理解していた。物理攻撃から、魔術攻撃へ切り替える。魔力によって作られた存在なら、魔力そのものを削ればいい。
アルフォンスが、魔術を放つ。セレスが続く。双子の周囲で魔力が衝突した。
今度は、効いた。エリシアの身体の輪郭が乱れる。フィリアも防御に入った。
「エリシア!」
「分かっています!」
暗殺は失敗した。ここから、想定外の戦闘へ移っていく。
フィリアの膨大な魔力。十年以上前ですら、人間の常識を超えていた。今は、魔力そのものを身体として扱う存在だ。
室内が震える。圧倒的な魔力。一瞬、アルフォンスたちが押し返される。
ガイウスが、前へ出た。魔術そのものを剣で止めるのではなく、アルフォンスやセレスが攻撃へ集中できるよう、飛来する物体や崩れる室内から彼らを守る盾となる。
アレクシアも、魔術を展開した。これで、三人。アルフォンス、セレス、アレクシア――三方向から双子へ魔術攻撃を仕掛けていく。特に、アレクシアの魔術は激しかった。
「よくも――!」
魔術を撃つ。
「よくも十年間!」
さらに撃つ。フィリアが防御する。エリシアが術式を組み、攻撃を逸らしていく。
アレクシアは、止まらなかった。
「私の隣で!友人みたいな顔をして!十四万人殺しておいて!」
魔術が衝突する。泣いている。怒っている。それでも、魔術を止めなかった。
「父上も!レオニス兄上も!帝国も!全部めちゃくちゃにして!」
双子も、反撃する。だが――アルフォンス、セレス、アレクシア、三人から同時。さらにガイウスが前衛として妨害する。フィリアの膨大な魔力でも、攻撃へ転じる余裕がなかった。エリシアも、防御術式の維持で手一杯になっていく。防戦一方だった。
戦闘が始まった直後から、後方へ下がっていたレオンハルトが叫んだ。
「陛下!」
アルフォンスが、振り返らないまま答える。
「何だ!」
「殺せないのであれば――封印しましょう」
レオンハルトが、準備していた魔術具を取り出す。
「封印?」
セレスが、驚いた声を上げる。
レオンハルトは、暗殺が失敗した場合の拘束手段として、古い封印術を調べ、予備の術式を準備していたと説明した。対象の魔力を十分に削り、術式の内部へ固定できれば、封印は可能だという。
アルフォンスが、即決した。
「やれ!」
作戦変更。殺害、失敗。なら、封印。
役割分担が定まっていく。アルフォンス、セレス、アレクシアの三人が、双子の魔力を削り続ける。ガイウスは前衛として、三人を守り、双子が封印術式の準備を妨害しに行くことを阻止する。
そしてレオンハルトが、封印準備に入る。複雑な魔法陣。魔力固定。結界。対象を一つの器へ閉じ込めるための術式。時間が必要だった。だから、残りの四人が稼ぐ。
フィリアの魔力は巨大だった。だが、無限ではない。肉体そのものも、今は魔力だ。攻撃、防御、再構築――すべて同じ魔力を消費していく。
アルフォンスたちの攻撃を防ぐたびに、少しずつ、確実に削られていく。エリシアが術式で補助し、フィリアが力で防ぐ。これまで何度も、この形で難題を突破してきたはずだった。
だが今回は、相手が多い。そして、アレクシアたちも必死だった。
やがて、フィリアが膝をつく。身体の一部が、魔力の粒子となって揺らぎ始めた。エリシアも、同様だった。
「今です!」
セレスが、叫ぶ。
レオンハルトを見る。準備は、すでに完了していた。
封印術式が発動する。床、壁、天井――複数の魔法陣が繋がっていく。双子を中心に、魔力が閉じ始める。
フィリアが、立ち上がろうとする。だが、途中でやめた。
エリシアも、抵抗術式を組みかけて、やめる。
アレクシアが、警戒した。
「……何を企んでいる」
双子は、顔を見合わせる。そして、エリシアが笑った。
「いえ、もう難しそうですので」
「魔力、使いすぎちゃったね」
フィリアも、苦笑する。
「そうですね」
二人は、敗北を理解していた。
封印が進んでいく。双子の身体が、少しずつ光へ変わっていく。それでも、二人は普段と変わらなかった。討伐隊を、一人ずつ見ていく。
「お兄様」
エリシアが、アルフォンスを見る。アルフォンスが、睨んだ。
「最後まで、私たちを疑っていましたね」
「今回はお兄様の勝ちだね」
フィリアが続けた。アルフォンスは、何も答えない。
「クラウディア様から、契約のこと全部聞いたんでしょう?彼女も随分強くなられました」
エリシアが、それだけ言う。
「最初の一撃、本当に驚きました」
ガイウスへ向いて、フィリアが言った。
「人間の身体のままだったら危なかったですね」
ガイウスが、苦い顔をする。
「封じ込め方をこんな短時間で組み直すなんて、さすがですね」
エリシアが、セレスへ言った。セレスは、褒められても嬉しそうではなかった。
「綺麗な術式です」
双子は、レオンハルトの封印術式を見る。
「準備が良かったですね」
それだけだった。特別な感情は、感じさせなかった。
そして、最後に――アレクシアへ、二人の視線が向く。アレクシアは泣きながら、双子を睨んでいた。
「アレクシア陛下」
「本当に皇帝になっちゃったね」
アレクシアが、叫んだ。
「誰のせいだ!」
フィリアが、少し笑う。
「そうだった」
「でも」
エリシアも、笑った。
「十年前の泣き虫な貴女なら、私たちに攻撃するなんてできなかったでしょう」
アレクシアが、黙る。
「強くなられましたね」
それが、双子からアレクシアへの最後の感想だった。
身体の大半が、光へ変わっていく。双子は、互いを見つめた。
「負けちゃったね、エリシア」
「ええ」
エリシアが、ほんの少しだけ悔しそうに言う。
「少し悔しくはありますが、
誰も、油断しなかった。
すると、フィリアが楽しそうに付け加える。
「でも、これで終わりとは限らないよ?」
アレクシアの眉が、動いた。
「何?」
「私たちの研究には、契約が深く関わっています」
エリシアが、静かに続けた。
「人が願い、対価を差し出し、契約が成立する」
「だからいつか誰かが、本気で私たちを必要として、願ってくれたら――」
フィリアが言う。双子が、笑った。
「また出てこられるかもしれませんね」
「ふざけるな!」
アレクシアが、魔術を撃とうとする。アルフォンスが、その腕を止めて首を横に振った。
もう、封印が完成する。
「それでは皆さん、さようなら」
「またいつか、逢えたらね」
光。双子の姿が、消えた。
そして、術式の中央に――一つの結晶が残った。透明に近い、淡く光る結晶。その内部に、二人分の魔力が封じ込められている。長い沈黙が続いた。誰も、喜ばなかった。
勝った。だが、十四万人は戻らない。マリアも戻らない。過去も変わらない。
アレクシアが、結晶を見つめる。
「……終わったのか」
セレスが、確認していく。魔力反応は、完全に封印内部。外部への干渉なし。転移反応もない。
「終わった」
アルフォンスが、そう答えた。
ガイウスが、深く息を吐く。苦い。だが、確かに、終わった。
問題は、封印された結晶だった。破壊は危険だ。封印が崩れる可能性もある。誰にも触れられない場所へ保管する必要があった。そこで、封印術を担当したレオンハルトが申し出る。
「私が責任を持って処分いたしましょう」
封印術の維持方法を、最も理解している。ローゼンベルク公爵家には、外部から隔離できる地下保管庫もある。帝国と王国双方の王都から離れており、人目にもつきにくい。合理的な提案だった。
「頼む」
アレクシアが、そう告げる。結晶は、レオンハルトへ託された。
討伐隊は、解散した。
アルフォンスとクラウディアは、王国へ。ガイウス、セレス、カイルも、それぞれの生活へ戻っていく。
レオンハルトは、結晶を持ってエレオノーラの待つローゼンベルク家へ帰った。アレクシアも、帝国へ戻る。
帝国では、「双子の悪魔」に関する記録の抹消が始まった。危険な魔術。契約。消滅砲。それらを後世へ残さないため、王国と帝国双方で関連資料が回収されていく。一部は焚書された。双子が存在した記録そのものまでは消さなくても、危険な研究成果、契約術、消滅兵器、悪魔化に関する情報は、徹底して歴史の裏側へ追いやられていった。
やがて、双子姫は昔話になる。帝国を救った王国王女。あるいは、十四万人を消した「双子の悪魔」。何が真実なのか、時間と共に曖昧になっていった。
そして――数十年。
ベルガルド王国、ローゼンベルク公爵家。
新しい当主、マルコム・フォン・ローゼンベルク。レオンハルトの孫は、父から家督を譲られる日を迎えていた。
当主の指輪。領地関係の書類。公爵家の財産。それらと共に、一本の古い鍵を渡される。
「これは?」
マルコムが、尋ねた。
父は、答える。屋敷地下、代々当主だけが入ることを許されている部屋があるのだと。詳しい説明はなかった。
「中を見れば分かる」
それだけだった。
夜、マルコムは一人で地下へ向かった。普段使用されない階段。古い扉。鍵を差し込む。
開く。埃。暗闇。そして――大量の本。資料。記録媒体。魔術書。手記。
マルコムは、一冊を手に取る。表紙には『双子姫に関する記録』とある。別のものには『契約術考察』。さらに、『エリシア・フォン・ベルガルド』『フィリア・フォン・ベルガルド』。
マルコムの顔が、変わった。
知っている。歴史上、存在そのものが禁忌に近い扱いを受けている二人。通称、「双子の悪魔」。王家によって、関連研究の多くが焚書されたはずだった。
なのに――ここには、山ほど残っている。
そして、一冊の古びた手記があった。著者、レオンハルト・フォン・ローゼンベルク。祖父。
マルコムは、読み始めた。
最初は、幼少期。王城。アルフォンス。そして――双子。初めて双子を見た日の記録。その視線。その知性。人間を人間としてではなく、観察対象を見るような目。
レオンハルトは、恐怖ではなく、魅了されていた。
ページをめくる。学院。帝国。戦争。封印。文章は、次第に隠す必要のない本音へ変わっていく。敬愛。憧憬。信仰。双子を、人間の倫理から外れた存在として称賛する言葉が、そこには綴られていた。
マルコムが、眉を上げる。
さらに――エレオノーラについて。妻もまた、双子へ同じ感情を抱いていたという。絶望の中、すべてを失ったエレオノーラの願いを、双子だけが叶えた。悪魔でも構わない、願いを叶えてくれるなら――と。
レオンハルトとエレオノーラ。二人は、互いが双子を信奉していることを知った。そして、共感した。
夫婦になった後も、表では十四万人の帝国臣民の復讐を語り、双子討伐を支持し、王家に従った。だが裏では、双子の記録を集め、王家が焼く資料を密かに回収し、消される知識を書き写し、契約について残し続けていた。
マルコムは、理解する。
ローゼンベルク家。王家へ最も忠実な公爵家の一つ、そう思われている家。だが実際には、祖父レオンハルトの代から、王家が最も忌み嫌う存在――「双子の悪魔」の記録を守り、その存在を敬い、いつかのために残し続けてきた。
手記の最後には、こう記されていた。
『封印は、死ではない
あの方々は今も存在している
願う者さえ現れれば――』
そこで、文章は終わっている。
地下室のさらに奥、もう一つ扉があった。
マルコムは、進んでいく。開ける。小さな部屋。中央には台座があり、その上に――一つの結晶が置かれていた。
数十年前、世界から消えたはずの双子。エリシア。フィリア。二人を封じた結晶。
淡く、怪しく、光っている。
マルコムは、ゆっくりと近づいた。手記を見る。結晶を見る。
そして――口元が、ゆっくりと吊り上がった。
不敵な笑み。
結晶の内部で、ほんの一瞬、二つの光が瞬いたように見えた。
それが本当に光ったのか。ただの錯覚なのか。分からない。
ただ、かつて双子は言っていた。
――いつか誰かが願ってくれたら。
――また出てこられるかもしれませんね。
マルコムは、結晶を見つめ続けている。
これにてこのお話は完結です!
お付き合いいただきありがとうございました。
あとがきは活動報告でやります。
双子姫~クソガキエディション~ は必要?
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必要、同じ小説内でやるべき
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必要、小説を分けたほうが良い
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不要