狩人は妖精と旅をする   作:ピロリ菌ex

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プロローグ

 

 

 冬の終わり。

 

 雪はすっかり降らなくなったが、見上げる山頂にはまだ白い雪が残っている。

 

 肌を刺すような冷たい風が吹き抜けるたび、弓を握る俺の指先はひどくかじかんだ。それでも、太い木の陰に身を潜めたまま、微動だにしない。じっと息を殺し、ただひたすらに待ち続けていた。

 

 数十分後。

 

 雪を踏みしめる微かな音が鼓膜を揺らす。ついに待ちわびた獲物が現れた。

 

 ここ数日、同じ獣道を巡回しているヤプだ。

 山脈に多く棲息する大型の草食獣だが、とにかく警戒心が強い。少しでも物音を立てれば、あっという間に逃げられてしまう。枝分かれした大きな角は立派でコレクターに人気があり、肉の味も悪くない。

 しがない狩人である俺にとってこのヤプは数少ない貴重な稼ぎ口だ。

 

 手に持つ弓を静かに構え、息を止める。

 

 硬い弦を力一杯引き絞り

 

 限界まで溜めた力を一気に

 

 ────解放する。

 

 放たれた矢は空を切り、一直線にヤプの急所へと深く突き刺さった。

 

 ヤプが地面に倒れ伏し、完全に動かなくなったのを確認してから、俺はゆっくりと歩み寄る。

 

 仕留めた獣の処理は時間との勝負だ。

 素早くヤプの足をロープで括り、太い木の枝を利用して宙へと吊り上げる。血の匂いに釣られて肉食獣が寄ってくることもあるため、解体作業中であっても周囲への警戒は絶対に怠らない。

 

 だからこそ、すぐに気づいた。

 

「ッ!」

 

 視線。

 

 誰かが、こちらを見ている。

 

 傍らに置いていた弓を即座に掴み取り、矢をつがえる。

 確かに感じる視線の方角へ、五感を極限まで研ぎ澄ませた。

 

 風上から獣の臭いはしない。

 背後、おそらく木の陰からこちらを窺っている。

 すでに弦は限界まで引き絞られている。

 

 俺は振り向きざま、威嚇のつもりで矢を放った。

 

「きゃぁ!?」

 

 静寂の森に響いたのは、明らかに人間の少女の声だった。

 俺の動きがピタリと止まる。

 

「びっくりしたじゃない! 当たったらどうすんのよ!」

 

 甲高い怒声が木陰から響く。

 当てるつもりなんてなかった、ただの威嚇射撃だ。そう言い訳しようと口を開きかけたが、目の前に現れた光景に言葉を失った。

 

 木の陰から飛び出してきたのは、背中に蝶のような翅を生やした少女。その大きさはなんと、握り拳二つ分くらいしかなかったのだ。

 

「…………妖精、なのか?」

 

 思わず声が漏れた。

『妖精』といえば、御伽話や伝承の中だけの存在。酒場で酔っ払いが語る与太話の類だと思っていたのに。

 

「そ、そうよ! 私の姿を拝めるなんて光栄に思いなさい、人間!」

 

「……」

 

 やけに高飛車なやつだな。

 伝承によれば、妖精は数千年を生きる長寿にして、強大な魔法を操る種族。ただの人間など到底敵わない存在だという。

 もしこの小さな少女が本当にその『妖精』なのだとしたら、下手に刺激しない方がいいかもしれない。

 

「すまなか………いえ、申し訳ありませんでした。高貴な貴方様を傷つける意図はなく、誤って放ってしまいました。どうかお許しを」

 

「ふーん、分かってるじゃない」

 

 小さな妖精は器用に腕を組み、ふんと自慢げに鼻を鳴らした。

 

「いいわ、特別に許してあげる!」

 

「ありがとうございます」

 

 ………ちょろいな。

 内心の安堵とともに、俺と妖精の間に奇妙な沈黙が流れた。

 

「………」

 

「………」

 

「………では、これで」

 

 命拾いしたことだし、これ以上の面倒ごとには関わりたくない。俺はそそくさと踵を返し、ヤプの解体作業に戻ろうとした。

 

「えっ、ちょっと、待ちなさい!」

 

「……まだ何か?」

 

 面倒くさいが、なるべく顔に出さないよう振り返る。

 

「そんな簡単に帰さないわよ!」

 

 妖精は俺の周りを忙しなく飛び回りながら叫んだ。

 

「許すと言っても条件があるわ!」

 

「条件?」

 

 訝しげに眉をひそめる俺に対し、妖精はビシッと小さな指を突きつけてきた。

 

「まず、あんたの名前は?」

 

「……グレン」

 

「そう、グレンね。私はティア、よろしくしてあげる!」

 

 空中でふんぞり返り、得意げに胸を張るティア。その態度の大きさと身体の小ささのギャップに、俺は思わず内心でため息をついた。

 

「……ティア様がしがない狩人の俺に何の用で?」

 

「私、妖精國から外の世界に出てきたばかりなの。でも外の世界なんて知らないことばかりだし………ふふ、ちょうどよかったわ。グレン、喜びなさい! あなたを私の護衛兼、案内人にしてあげる!」

 

 世紀の大発見でもしたかのように、誇らしげに宣言するティア。だが、そんな唐突すぎる提案に頷くわけがない。

 

「謹んで辞退します」

 

「えっ、えぇぇ!? ちょっと、作業に戻るなぁ!」

 

 有無を言わさずヤプの解体作業を再開しようと背を向けると、耳元でティアの甲高い抗議の声が冬の森に響き渡った。

 

「はぁ……そもそも何で国を出たんだ?」

 

 もう取り繕うのも面倒になり、俺はとうとう敬語をやめた。

 

「え? つまんなかったから!」

 

「は?」

 

 ティアはなぜか胸を張り、堂々と言い放った。

 

「毎日同じことの繰り返し! 雑草や果物を集めたり、薬を作ったり! 私もっと冒険したかったの、そう思ったら行動あるのみよね!」

 

「…………」

 

 これが本当に、伝説の存在なのか? あまりの計画性の無さに、俺は頭を抱えたくなった。

 

「…………あのな、俺はお前みたいに暇じゃないんだ。旅行なら他の誰かと行くんだな、お嬢さん」

 

「……はぁ?」

 

 呆れ果てた俺は、抗議するティアを完全に無視してナイフを握り直した。

 

「………そう、人間風情がそんな態度をとるのね、いいわ」

 

 ティアがボソッと不穏な言葉を呟いた気がしたが、すぐにわざとらしいほど明るい声が鼓膜を打った。

 

「そうね、旅はほかの者に頼むことにするわ。……お別れの前にこれをどうぞ」

 

「なんだ?」

 

 振り返った俺の目の前で、ティアは何もない空間からふいと、奇妙な形をした果実を取り出した。

 

「妖精にはね、出会いと別れに果実を贈る風習があるのよ」

 

「……ふーん」

 

 妙な風習だと思いながらも、俺はその果実を受け取った。山に生きる者として未知の果実には興味がある。

 

「妖精國でしか採れない、とっても美味しい果実なのよ。食べて感想を聞かせてよ」

 

「まぁ、そういうことなら」

 

 果実から漂うかすかで上品な甘い香りに無意識に誘われるように、俺はそれをごくりと飲み込むように齧った。

 

 ……確かに悪くない味だ。

 

 そう感想を伝えようとティアへ視線を向けた瞬間──俺は激しく後悔することになる。

 そこには、さっきまでの無邪気さは欠片もない、邪悪な笑みを浮かべるティアの姿があったのだ。

 

「食べたわね! 食べたわねグレン!」

 

「っ!?」

 

 嫌な予感が全身を駆け抜け、俺はすぐに口の中のものを吐き出した。

 

「もう遅いわ!」

 

 ティアが甲高い声を上げた瞬間、俺の全身の神経が焼き切れるような強烈な痺れに襲われ、地面にドサリと崩れ落ちた。

 

「ぐっ!?」

 

「私が小さいからって侮った? 人間風情が調子にのるからよ、反省しなさい」

 

「な、なにを、食わせたっ……!」

 

「猛毒を持った果実よ。あなたの体重からみて、もってあと3分ってところかしら」

 

「く、クソがっ……」

 

 視界が揺れる。指先一本すら動かすことができず倒れ伏す俺の顔の前に、ティアがひらひらと余裕の態度で近づいてきた。

 

「でも安心しなさい。私はちゃんと解毒の薬を持ってるの」

 

 ニコリと愛らしく笑うティア。

 

「私と契約しなさい。そしたらこれを飲ませてあげる」

 

 命のタイムリミットが刻一刻と迫り、急速に霞んでいく視界の中で、俺はようやく悟った。

 こいつをただの計画性のないわがまま娘だと思ったのは致命的な大間違いだった。この妖精は自分の目的のためなら手段を選ばない、恐るべき小さな悪魔だ。

 

「……わかっ、た。契約、する……っ」

 

「ふふっ、交渉成立ね!」

 

 屈辱と後悔に顔を歪める俺をよそに、小さな悪魔の無邪気な歓喜の声が、冷たい冬の森に高らかに響き渡った。

 ティアが俺の額に、その小さな手をペタリと触れる。

 

「【ル・ギル】」

 

 俺には到底理解できない、不思議な響きを持つ言葉で彼女は魔法を発動する。

 

「安心しなさいよね、契約といっても絶対服従とか、そんな強力な縛りは出来ないから」

 

「い、いいから…早くしろっ……!」

 

 毒が全身を巡り、いよいよ呼吸すら困難になっていく中で、俺は必死に呻き声を漏らす。すると、ティアの手が触れている額の箇所が、じわじわと不気味な熱を帯び始めた。まるで、魂に直接目に見えない焼き印を押されているかのような奇妙な感覚だ。

 

「契約内容は三つ。一つ、私を守ること。一つ、私の旅に付き合うこと。一つ、無事に妖精國に送り戻すこと。破ったら……ふふ、どうなるかは内緒♪」

 

 詠唱を終えると共に額の熱がスッと引く。直後、ティアは小さな葉っぱで包まれた丸薬を、無造作に俺の口の中へ放り込んだ。

 苦い薬が喉の奥へと滑り落ちた瞬間、強張っていた筋肉が急速に緩み、嘘のように全身の痺れが引いていく。

 

「がはっ……げほっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 俺は地面に四つん這いになり、荒い息を吐きながら激しくむせ返った。

 その頭上では、ガイド兼ボディーガードをまんまと手に入れた妖精が、心底満足げにパタパタと宙を舞っている。

 

「これからよろしくね、グレン♪」

 

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