「ねぇねぇ、グレン」
「なんだ?」
山道を下る足元から視線を外さず、俺は短く答えた。頭に乗ったティアが、俺の髪の毛をハンドルのように器用に掴みながら尋ねてくる。
「さっきのモンスターは食べないの?」
「あの『グレートウルフ』のことか? あれは食べないな」
「どうして?」
「まぁ、単純に肉があまり売れないってのもある」
「美味しくないの?」
「俺は食えるが、人によって変わるな」
「ふーん」
ティアは興味なさそうに相槌を打つ。
「立派なヤツだったから、毛皮や爪、骨なんかは売れるかもな」
「じゃあ、なんで置いてきたのよ!? もったいないじゃない!」
頭の上の妖精が前のめりになったのか、髪がぐいっと引っ張られた。
「あのな、今の俺を見ろ。これ以上荷物が持てると思うか?」
「持てないの?」
「はぁ……俺をなんだと」
呆れ交じりに深い息を吐き出すと、ふと、俺に狩りのイロハを叩き込んだ育ての親──オヤジの顔が脳裏をよぎった。
「………『二兎を追う者は一兎をも得ず』」
「なにそれ?」
「欲をかいて複数のものを得ようとすると、結局なにも得られずに終わってしまうっていう教訓さ」
「へー、人間って面白いことを考えるのね!」
俺の苦労などつゆ知らず、ティアは感心したように頭の上で無邪気にはしゃいでいた。
そうやってティアの他愛ない質問に答えながら山道を下っているうち、次第に周囲が見慣れた景色へと変わっていった。
「おい、もう着くぞ」
「ほんと!?」
俺の頭の上からふわりと重みが消えたかと思うと、ティアが嬉しそうに目の前でくるくると宙を舞った。
「見えてきた。あれだ」
木々の隙間から開けた場所を顎でしゃくる。
そこにあるのは、木と石を組み合わせて造った簡素な家だ。お世辞にも立派とは言えない無骨な見た目だが、俺としてはそれはそれで味が出ていると気に入っている。
「あれがグレンの家ね!」
ティアはぴゅーっと弾かれたように、俺を置いて先に向かって飛んで行ってしまった。
「ほら、早く来なさいよ!」
大荷物を抱えた俺を急かすように、小屋の前から甲高い声が響く。
「元気すぎないか、あいつ……」
重い足取りでようやく自分の家の前に辿り着くと、すでに俺の住処の周囲を我が物顔でパタパタと飛び回っていた。
「ねぇねぇ! あっちの小屋はなんなの?」
「あれは氷室だ、ちょうど今からこの肉を置きにいくところだ」
「一緒にいくわ!」
家の前にヤプの角と毛皮、弓や矢筒を下ろして、俺は左肩の肉塊だけを手にして離れの小屋へ向かった。その後ろを小さな妖精が興味津々といった様子でついてくる。
「氷室ってのは氷を貯めとく場所だ」
ギィ、と立て付けの悪い木の扉を開ける。
小屋の中は地面が深く掘り下げられており、底には冬の間に貯め込んだ雪と氷が分厚く敷き詰められていた。
「わぁ、とてもひんやりしてるわ!」
中から流れてくる冷気に、ティアが嬉しそうに声を上げる。
「ここに肉を吊しとくとすぐに腐らなくてすむ」
「なるほどね!」
空中で腕を組み、感心したように何度も頷くティア。俺の生活の知恵は、世間知らずな妖精にとって見るものすべてが新鮮らしい。
「俺は毛皮の処理をするから、お前は家でも見といてくれ」
「そうするわ!」
氷室から出た後、母屋へと向かい、ティアを中へ案内した。
「いいか、なんでもかんでも勝手に触るなよ?」
「分かったわ!」
元気に返事をして飛んでいく小さな背中を見送る。
……ほんとか、こいつ。
絶対に何かやらかす気がしてならないが、ヤプの毛皮は鮮度が落ちる前に脂を落として干さなければならない。いつまでも監視しているわけにはいかなかった。
「……まぁ、いい。なにかあったら呼んでくれ」
俺は背中越しにそう言い残し、ため息をつきながら外の作業場へと戻った。
「ふぅ……」
皮に残った脂や肉をナイフで削ぎ落とし、水で洗い流したものを木の枠に張り広げて乾燥させる。
ようやく一通りの作業が終わり、一息つこうとしたその時だった。
「ねぇ!」
「うおっ!?」
耳元で唐突に声が響き、俺は思わず肩を跳ねさせた。
「ぷっ、あははは! 驚きすぎよ!」
「うるせっ……急に声をかけるな。で、何の用だよ」
「これ、なんなの?」
ティアが両手で抱えるようにして持っていたのは、色々な素材を繋ぎ合わせて作られた手作りのネックレスだった。
「おまっ……! はぁ、勝手に触るなって言ったろ」
「そうだった?」
全く悪びれる様子もなく首を傾げるティアに、俺はこめかみを押さえた。
「……もういい、それを渡せ」
手を差し出すと、ティアは大人しくネックレスを渡してきた。だが、その瞳はまだ興味津々に輝いている。
「なんなのよそれ、いろんなものがくっついてて、とても綺麗だわ」
「……ネックレスだ、首飾りだよ」
「首飾りなのね! あれ、でもこれグレンのよね? なんでつけないの?」
「それは…………」
不意に、言葉が詰まった。
手の中にあるネックレスの感触が、ひどく重たく感じられる。
ごまかすように視線を逸らして辺りを見渡すと、いつの間にか太陽が沈みかけ、空が橙色に染まり始めていた。
「もう夜になる」
「え?」
「飯を食いながら話そう」
「?」
唐突に話を逸らされたティアは、不思議そうに小さく首を傾げていた。
俺は再び氷室の小屋へと足を運び、先ほど吊るしたばかりのヤプの肉から手頃な部位を切り出す。それを持って家の中へ入り、台所のまな板の上にドンと肉塊を置いたところで、ふと疑問に思い口を開いた。
「あっ、そういや妖精は肉を食うのか?」
「食べられないことはないわよ。ただ、その子によっては菜食主義ってこともあるわね」
「一つ質問なんだが、妖精ってのは自然の一部みたいなものと聞いたことがある。その妖精が動物とか野菜を食う人間をどう思ってるんだ?」
「なんとも?」
「え?」
もう少し返答に困るかと思ったが、拍子抜けするほどあっさりとした答えが返ってきた。
「どうしたのよ急に」
「い、いや、ふと疑問に思ったから」
「そもそも質問がおかしくない? 仮に私たちが自然の一部だとして、なんでその自然の中に人間も入ってないのよ」
「………たしかに」
「自分たちはその枠から外れてるっていうその傲慢、いかにも人間らしいわね」
「…………それはそうだな」
「なにを食べてどう生きるのか、それはその個体の自由でしょ。私は私のしたいことをして生きる」
この妖精は頭が悪いと思っていたが、どうやらそれは違うようだ。狩人として自分も自然と共に生きているつもりだったが、妖精という上位の存在の考え方には、俺はまだ至っていなかったらしい。
「グレンは?」
「え?」
「グレンはなんで狩人をしているの?」
「俺は……、俺がこうやって山で生活してると、自然の一部になったみたいで………なんていうか、うまく言えないけど、生きてるって感じがするから」
「ふーん。グレンのその生き方、好みよ」
「……どうも」
少し照れ臭くなり、俺は誤魔化すようにそっぽを向いた。
「結局、お前は肉を食うのか?」
「お肉は食べたことないわ、だから食べてみたい!」
目を輝かせてはしゃぐティアを見て、俺は小さく鼻で笑った。
「そうか。じゃあ、とびきり美味いのを作ってやるよ」
「ほんと!?」
ぱぁっと表情を明るくした小さな居候のため、俺は手元の小刀を握り直した。
「で、なに作るの?」
「まぁ見てろ」
まず、ヤプの肉を食べやすいようにサイコロ状に切り分ける。軽く塩を振りかけ、油を引いて熱した鉄鍋の中に放り込んだ。
ジューッという軽快な音と共に、獣肉の脂が焦げる香ばしい匂いが立ち昇る。
表面にある程度の焼き目がついたところで、肉が硬くなりすぎないよう一旦鍋から取り出して避けておく。
今度は、色とりどりの野菜を同じく食べやすい大きさに切って鍋で炒める。肉の旨味が溶け出した油を野菜に吸わせるように火を通し、こちらも良い焼き目がついたところで、先ほどの肉を鍋に戻す。
「ここで、これだ」
「なにそれ?」
「ワインだ」
木の栓を抜き、瓶の口をティアの鼻先に近づけてやる。
「うっ……な、なんか変な感じがするわ」
「ふっ、お前にはまだ早いかもな」
鼻をひくつかせて顔をしかめる妖精を見て笑い、俺はワインを鍋に豪快に注ぎ入れた。
ジュワッという大きな音と共に、アルコールの匂いが立ち昇る。ひと煮立ちさせて酸味を飛ばし、丁寧にアクを取る。そこへトマトソースと数種類の香辛料を加え、鍋に蓋をした。
「ねー、まだなの?」
「もう少しだ」
鍋の周りをパタパタと飛び回りながら急かすティアを宥めつつ、火加減を調整する。
数分後。コトコトと煮込む音が馴染んだ頃合いで蓋を開けると、濃厚な湯気がふわりと広がった。
「わぁっ……すごくいい香りだわ!」
「名付けるなら『ヤプシチュー』ってところだな」
ヤプの肉は鮮度が落ちるのが早く、すぐにダメになってしまう。だからこそ、こうして仕留めた直後に一番美味い状態で味わえるのは、街の人間には食えない狩人だけの特権料理ってわけだ。
「早く食べましょ!」
「落ち着け」
小皿に、ティアが食べやすいように細かくほぐした肉と野菜を取り分ける。
そしてもう一つ、食事に欠かせないもの。
「あと、これ」
俺が懐から取り出したのは、木を削って作った極小サイズのスプーンとフォークだった。
「え、これって……」
「さっき、外で作業してた時のついでに作ったんだ。うちには、お前が使えるような小さいサイズはないからな」
「………」
黙り込んでしまった妖精を見て、余計な世話だったかと少し焦る。
「……いらなかったら──」
「とっても嬉しいわ!! グレン、ありがとう!!」
「っ……そうかよ」
俺は顔を背け、誤魔化すように短く返した。
お、おかしい。
な、なんで胸が疼く……?
こいつは俺に毒の果実を食わせて、無理矢理契約させた悪魔みたいな奴だぞ。
なのに、なのになんで。
「大事にするね!!」
満面の笑みを浮かべるティアから目を逸らし、俺は内心で深く頭を抱えた。
なんで俺は、こいつの無邪気な笑顔が………
嬉しいだよ。