テーブルに湯気を立てるヤプシチューの皿を並べ、俺は椅子に腰を下ろした。
ティアの目の前にも、小皿と先ほどの手作りカトラリーをセットしてやる。
「やっと食べられるわ!」
小さな両手で木のスプーンとフォークを握りしめ、シチューに突撃しようとするティアを、俺は手のひらで制した。
「待て」
「んもうっ! なによ!」
おあずけを食らってプンプンと頬を膨らませる妖精に、俺は姿勢を正して向き直る。
「食事をする時は、こうだ」
俺は胸の前で両手をぴたりと合わせ、目を瞑った。
「な、なにそれ?」
「食材になった動物、植物、そして料理を作った人。その全てに感謝を込める所作だ。──『いただきます』」
目を開けてそう告げると、ティアはきょとんとした後、見よう見まねで小さな両手を胸の前で合わせた。
「い、いただきます?」
「そうだ。さ、食べよう」
俺が促すと、ティアは手作りの小さなスプーンを握りしめ、一気にその小さな口へシチューをかき込んだ。
「んん〜! おいしい! 野菜に味がしっかり染みついてるわ! お肉はホロホロだし、人間はこんな美味しいものをずっと食べてるのね。少し見直したわ!」
「まぁ、こんな手間のかかる料理は毎日食えないけどな。街に行けば、もっとうまい飯がいくらでもあるぞ」
「ほんと!? じゃあ早く街に行かないとね!」
その小さな体に似合わず、豪快にシチューを飲み干すティア。
「お、おい、喉に詰まらせるなよ?」
「おかわり!」
「あ、ああ……」
空になった小皿へ再びシチューを注いでやると、それもあっという間にガツガツと平らげていく。いったいその小さな体のどこにそれだけの量が入るのか。こいつの胃袋は底なしか?
「おかわり!」
「……腹壊しても、俺は治せないぞ」
結局その後もおかわりが止まらないティア。気づけば、こいつだけで鍋の半分以上食ってる、まじでどんな胃袋だ。
「グレン、料理の才能もあったのね!」
「こんなの誰でも作れる」
「そんなことないわ、私は作れないもの!」
なんでそこは自慢げなんだ。
「ふー、食った食った」
散々ティアの胃袋に呆れておきながら、俺自身もかなりの量を食べてしまい腹はパンパンだ。
「ねぇ、グレン」
「なんだ?」
「食べ終わったし、そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」
「……忘れてるんじゃないかと、少し期待してたんだがな」
「忘れないわ、私記憶力はいい方なの!」
「そうかい」
小さくため息を吐き、俺は懐から例のネックレスを取り出した。
ランプの灯りを受けて、不揃いな素材が静かに反射する。
「これは……俺の本当の母親のものだ」
「本当の?」
「あぁ。俺は本当の両親の顔を知らない」
ティアはわずかに目を丸くした。
「そういえば、ちゃんとした自己紹介はまだだったな。俺はグレン、今年で18になる」
俺は視線を落とし、ぽつりぽつりと過去を語り始めた。いつもは騒がしいティアも、口を挟むことなく静かに耳を傾けている。
「二歳の頃に、俺はここに住んでいた狩人に預けられたんだ。母が一人で俺を連れて、ここを訪ねてきたらしい。理由が何だったのか、今となっては分からないが……母は最後に、このネックレスを俺に遺していったんだと。小さかった俺に、そんな記憶はないがな」
手のひらにある古い首飾りを、指の腹で撫でる。
「その狩人──育ての親の男は、俺に山で生きる術のすべてを教えてくれた。グレンという名も彼がつけてくれてな、無口な人だったが、ちゃんと愛情をこめて育ててくれたよ。だから俺は、心から彼を父親だと思っているし、尊敬してる」
「その、彼は、いまどこに……?」
ティアの気遣うような小さな声に、俺は顔を上げて静かに首を振った。
「三年前に亡くなったよ。元々、体が弱い人だったからな」
「……そう」
「気にするな。歳もとってたし、最後はちゃんと別れもできた。彼も俺も、そこになんの悔いもない」
少し空気が重くなってしまったな。
「まっ、そういうことだ。正直、本当の両親のことは記憶にもないし、あまり考えないようにしてる。だからこれは身につけないんだ」
「そうだったのね」
「捨てるのも違うだろ? だからこうして飾ってるのさ」
俺の言葉に、ティアは優しく微笑んだ。だが──その直後、ハッとしたように不意に表情を変えた。
「……え、ちょっと待って」
「どうした?」
「水を差すようで悪いのだけど……あなた、さっき18歳って言った?」
「ん? あぁ、そうだが」
「はぁ──ーっ!!?? 全然年下じゃない!!」
しんみりとした空気をぶち壊し、ティアが急に宙へ飛び上がってバタバタと暴れ回り始めた。
「なによ! 今まで散々上から目線だったくせに、思いっきり年下じゃないの!? はっ、どおりで生意気なわけね!」
「そういうお前はいくつなんだよ?」
「私は80よ!」
ふんす、と空中で胸を張るティア。
「………妖精の寿命は?」
「えーっと、確か1000年以上は生きるらしいわ」
「じゃあ、寿命の比率からいったらお前のほうが圧倒的にガキだろ!」
「はぁ!? 私の方が生きてる年月は多いでしょ!?」
「いくら生きてても、中身が成長してなきゃ意味ないんだよ!」
「それどういう意味よ!」
「言葉通りの意味だ。だいたい、見た目からしてガキだがな!」
「はぁ!? 私は立派なレディなんですけど!!」
「はっ、どうだかな」
俺が鼻で笑ってあしらうと、ティアは「キーッ!」と甲高い声を上げて俺の頭の周りを飛び回り始めた。
「だいたい、あなたは私の案内人でしょ! なんでそんなに生意気なのよ!」
俺の頭をポコポコと叩いてくるが、妖精の小さな手では全く痛くない。
それよりも、一日の疲労と満腹感が相まって、急激に眠気が襲ってきていた。まともに相手をするのも億劫だ。
「はぁ………わかった、わかったから落ち着け」
「なにが分かったのよ!」
「お前が上で、俺が下でいいから」
「そ、そう? そうよね! 私の方がお姉さんなのよ!」
「はいはい」
「さぁ、これを片づけなさい!」
「かしこまりました、お姉様」
適当に調子を合わせてやりながら、俺は重い腰を上げて食卓の片付けを始めた。
俺が食器を洗って布巾で拭いている間も、ティアは部屋に飾ってあるものを眺めたり触ったりして遊んでいた。
まあ、大人しくしている分にはマシか。
「ね、ねぇ! グレン、グレン!!」
そう思っていた矢先、唐突にティアが大声で俺を呼んだ。
何事かと手を止めて駆け寄る。
「どうした?」
「こ、これ見て!」
ティアが両手で抱えていたのは、先ほどのネックレスだった。
彼女は、様々な素材が連なる中の一つ──細長い棒状のパーツを指差している。
そこには。
「こ、これ、名前じゃない?」
「っ………」
な、まえ……?
目を凝らすと、確かにそこには、何かで削ったような文字が彫られていた。
「……『ミヤーシュ』、って書いてあるのか?」
「そうね、そう見えるわ」
知らなかった。
こんなものが彫ってあるなんて。
いや………ちゃんと見ようとしなかったからか。
「グレン、大丈夫?」
「あ、あぁ……」
ティアに呼びかけられ、我に返って文字の先をもう一度よく見てみる。
「……この文字はなんだ?」
「ええ、私も見たことがないわ」
『ミヤーシュ』と読めるその横には、さらに謎の文字が彫られていた。この世界で広く使われている共通文字とも違う、今まで一度も見たことのない文字列だ。
「……わけがわからん」
謎の言葉に、謎の文字。そもそもミヤーシュというのが名前かどうかも怪しい。
「けど、よかったじゃない!」
「よかった?」
「手掛かりよ! あなたの本当のお母さんの!」
「いや、これだけで手掛かりっていうのは……」
「なにもないよりマシでしょ?」
「そうだが……そもそも、手掛かりもなにも俺には関係ない」
視線を逸らし、冷たく突き放すように言い捨てる。
だが、ティアはぐいっと顔を寄せて。
「関係ないなら、なんで捨てずに飾ってたのよ!!」
「っ……言っただろ、ただ捨てられなかっただけだ」
苦し紛れの言い訳。
自分でも薄っぺらいと感じる。
「嘘よ。あなた、私が勝手にこれを持って来た時、本気で怒ってすぐに取り返したじゃない!」
「…………」
「グレン。あなたは忘れられなかったのよ、本当のお母さんを」
静かで、けれど確信に満ちた妖精の言葉が家の中に響く。
図星を突かれた俺は、手の中のネックレスを見つめたまま、返す言葉を見つけられなかった。
……そうだ。
彼女の言う通りだ。
顔も知らない。どんな声だったのかも、なぜ俺を手放したのかも分からない。
それでも俺は、心のどこかでずっと────
「しょうがないから、一緒に探してあげるわよ」
沈黙を破ったのは、ティアの言葉。
顔を上げると、ティアが空中で小さな腕を組み、笑いながらこちらを見下ろしている。
「………は?」
「だから、これからの旅にグレンの親探しも入れてあげるって言ってるの!」
「い、いやいや、そんな勝手に」
「元々この旅も私の勝手でしょ?」
妖精は悪戯っぽく笑う。
わがままなティアらしい理屈に、俺は思わず納得してしまう。
「……それは、そうだが」
「それに、私もグレンの母親は気になるし。ふふっ、面白くなってきたわね!」
あっさり言ってのけるティアを見て、俺は小さく息を吐き出した。
こいつは本当に、他人の事情に土足で踏み込んでくる。けれど……無理やりにでも背中を押してくれるその強引さが、今の俺にはありがたかった。
「まったく……自由すぎるだろ、お前は」
「でしょ♪」
呆れて笑う俺の前で、ティアは嬉しそうに空中でくるりと一回転した。
無邪気なその姿に、気づけば俺の口元もわずかに緩んでいた。
再び、手のひらに視線を落とす。
そこにあるのは、謎の文字が刻まれた首飾り。
ずっと捨てられず、かといって向き合うこともできずに、ただ目を背けてきた過去。
けれど、もし──もしも、どこかで俺を産んだ母が生きているのだとしたら。この文字が、その手掛かりになるのだとしたら。
俺は首飾りを力強く握りしめ、顔を上げる。
そして、宙を舞う小さな相棒へ向けて、初めて素直な言葉を口にした。
「……手伝ってくれるか、ティア」
「ふふっ、任せなさい!」
ティアは俺の目の前でピタリと止まり、力強く胸を張った。
こうして俺は、わがままで自由な妖精と共に、山を下りる理由をもう一つ手に入れたのだった。