/*/ 群馬県みなかみ市 クロノス日本支部地下最下層 /*/
長かった。
その一言で片付けるには、あまりにも長かった。
バルカスと出会い、クロノスを作らせ、世界の裏側へ根を張らせ、獣化兵を生み、獣神将を揃え、各国の中枢に爪をかけ、来るべき時のために準備を続けてきた。
幾星霜。
人の一生なら、何度も終わるほどの時間。
それでも、私にとっては今日この日のための助走だった。
日本、群馬県みなかみ市。
レリックスポイント。
遺跡宇宙船の上に築かれたクロノスの基地。その地下深く、最下層に私は立っていた。
目の前には、侵入を拒む遺跡宇宙船の外殻がある。
石でも、金属でもない。
生きた船の皮膚。
降臨者が残した、生体宇宙船の肉。
その表面はぬめるような光沢を帯び、呼吸するようにわずかに脈動していた。壁であり、封印であり、同時に内側の中枢を守る免疫機構でもある。
人間なら、触れただけで死ぬ。
獣化兵でも、突破しようとすれば肉体ごと焼き切られる。
調整体を送り込めば、実験体の死体を積み上げるだけになるだろう。
だからこそ、私が行く。
「閣下」
背後でバルカスが声を発した。
老人の声には、珍しく硬さがあった。
「やはり、このバルカスめが先に調査を。閣下自ら御身を危険に晒される必要はございませぬ」
「不要だ」
私は短く答えた。
長く話すと、余計なことを言いそうだった。
この奥にあるものを、私は知っている。
ユニット・ガイバー。
リムーバー。
そして、遺跡宇宙船の中枢へ至る道。
ユニットに殖装すれば、私は単なる侵入者ではなくなる。船にとっての扱いが変わる。正規搭乗員とまではいかずとも、少なくとも完全な異物ではなくなるはずだ。
その後、ナビゲーションルームへ向かう。
遺跡宇宙船のコントロールメタルと接続し、必要な情報を抜き取る。
この船を掌握するには、そこまで行かなければならない。
私は、それを知っている。
だが、その理由をバルカスに説明することはできない。
原作知識。
転生。
漫画で読んだから知っている。
そんなことを、この場で言えるわけがない。
言えばバルカスはどうするだろう。
疑うか。
いや、たぶん疑わない。
この老人は、私の言葉なら信じる。
信じた上で、何かとんでもなく壮大な解釈をして、私への崇拝をさらに深める。
それは困る。
本当に困る。
私はそんな大層なものではない。
ただ、気づいたらアルカンフェルになっていた原作オタクだ。
しかし、そんな私の内心など、バルカスには分からない。
彼にとって私は、降臨者に造られ、降臨者に捨てられ、それでも地球の裏側に君臨し続けた存在だ。クロノスの頂点であり、獣神将たちの主であり、彼が生涯を捧げるに足る王なのだろう。
だから、心配する。
それも仕方ない。
「バルカス」
「はっ」
「私は行く。お前たちはここで待て」
「しかし、閣下。この外殻は我らの解析をことごとく拒絶しております。どのような防護を施した獣化兵も、接触した瞬間に――」
「だから私が行く」
バルカスが言葉を失った。
私は外殻を見上げた。
巨大だった。
圧倒的だった。
だが、怯む理由にはならない。
この身体はアルカンフェルのものだ。
全身をバリアで包めば、外殻の拒絶反応にも耐えられるはずだ。無傷では済まないかもしれない。だが、獣化兵を送り込むよりは遥かに現実的だった。
「私が戻るまで、この区画を完全封鎖しろ」
「承知いたしました」
「シンであっても通すな」
バルカスが一瞬だけ目を見開いた。
「シンであっても、でございますか」
「ああ。私が戻るまでは、この場の責任者はお前だ」
「……この命に代えましても」
「代えるな」
思わず即答していた。
バルカスが顔を上げる。
「命に代えるな。生きて管理しろ。お前が死んだら、私が困る」
「閣下……」
「あと徹夜も禁止だ。私が戻った時、お前が倒れていたら怒る」
バルカスの表情が、感動と困惑の間で妙な具合に歪んだ。
やめろ。
そんな顔をするな。
私は別に、名君らしい慈悲を示したわけではない。
単純に、バルカス翁に死なれると困るのだ。
技術面でも困るし、精神的にも困る。
この老人がいなければ、クロノスはここまで来られなかった。原作知識を持っていても、私は技術者ではない。獣化兵も、調整槽も、獣神将の維持も、全部この老人の積み重ねの上にある。
だから死ぬな。
それだけだ。
「ギュオーにも触らせるな」
ついでに言った。
バルカスの目が細くなる。
「ギュオーにも、でございますか」
「あいつには特に触らせるな」
「……承知いたしました」
「特に、私が何かを持ち帰った場合だ。許可なく触れさせるな。見せるな。近づけるな」
「そこまででございますか」
「そこまでだ」
あいつにリムーバーを触らせるなど、考えただけで胃が痛い。
私はアルカンフェルの身体を得た。
だが、原作の面倒事を全部忘れたわけではない。
ギュオーは危険だ。
ハイヤーンも油断できない。
シンとバルカスは信用する。
他は、信用とは別の管理が必要になる。
それがクロノスだ。
悪の秘密結社の運営は、思ったより人間関係が面倒くさい。
いや、秘密結社だから面倒なのか。
そんなくだらないことを考えながら、私は外殻へ歩み寄った。
船が私を見ている。
そんな感覚があった。
生きた外殻が、接近する異物を検知している。
私は周囲に力場を展開する。
薄い膜のようなバリアでは足りない。
層を重ねる。
さらに重ねる。
空間を歪ませ、全身を隔離し、外殻の拒絶反応を受け流すための防壁を作る。
床が震えた。
背後でバルカスが息を呑む気配がした。
「では、行ってくる」
「閣下。どうか、ご無事で」
「ああ」
私は外殻に手を伸ばした。
触れた瞬間、世界が白く弾けた。
拒絶。
圧倒的な拒絶。
この船は、私を搭乗員とは認めていない。
人類とも認めていない。
獣化兵とも認めていない。
ただの異物。
排除すべき侵入体。
外殻の認証系が、私の肉体と力場を解析し、分解し、押し返そうとする。
痛みが走った。
肉体ではない。
もっと深い部分。
アルカンフェルという存在の根元へ、降臨者の技術体系が爪を立ててくるような痛みだった。
普通なら、ここで終わる。
獣化兵なら蒸発する。
獣神将でも無事では済まない。
だが、私は知っている。
この先にあるものを。
ユニットがある。
リムーバーがある。
私が欲しいものが、全部この奥にある。
「通れ」
私は命じた。
船にではない。
自分にだ。
「ここまで来て、引き返せるか」
外殻が軋む。
拒絶の圧力が増す。
バリアが悲鳴を上げる。
だが、私は一歩踏み込んだ。
白い光が視界を焼く。
背後でバルカスが何かを叫んだ。
聞こえない。
構わない。
私はさらに身体を押し込んだ。
外殻が裂けた。
いや、正確には裂けたのではない。拒絶反応と私のバリアが干渉し、局所的に認証系が乱れた。その一瞬の隙間へ、私は強引に入り込んだ。
次の瞬間、重力の向きが消えた。
上下がなくなる。
音が遠ざかる。
私の身体は、遺跡宇宙船の内部へと滑り込んでいた。
そこは、巨大な胎内だった。
壁とも床ともつかない曲面が続き、半透明の膜の奥で淡い光が脈動している。無数の管が血管のように走り、遠くで何かがゆっくりと収縮していた。
死んでいるようで、生きている。
眠っているようで、こちらを見ている。
これが、降臨者の船。
画面越しに知っていたはずの場所。
だが実際にその内側へ立つと、記憶の中の絵など何の役にも立たなかった。
広すぎる。
静かすぎる。
そして、気持ち悪いほど美しい。
「中枢区画は……こっちか」
私は感覚を広げた。
船内のエネルギーの流れを読む。
拒絶反応が強い方向ではない。
最も深く、最も静かで、最も守られている場所。
そこにある。
私は進んだ。
何度も通路が閉じようとした。
何度も壁が形を変えた。
そのたびにバリアを押し広げ、力任せに突破する。
正規の手順ではない。
降臨者が見ていれば、眉をひそめたかもしれない。
知るか。
こっちは正規搭乗員ではない。
原作知識とアルカンフェルの力で、イベントを前倒ししているだけの転生者だ。
優雅さなど求めるな。
やがて、広い空間に出た。
そこだけは、他の区画と明らかに違っていた。
生体宇宙船の内部でありながら、どこか神殿の奥のような静けさがある。
中央に台座があった。
その台座の上に、三つのユニットがあった。
三つのユニットは、正三角形を描くように配置されている。
それぞれが同じ距離を保ち、互いに干渉しないよう、しかし明らかに一組の装置として並べられていた。
そして、その三角形の中央。
床とも台座ともつかない有機質の基部に、一本の異形の装置が突き刺さっていた。
リムーバー。
まるで三つのユニットを封じ、支配し、同時に管理するための楔のように。
槍にも見えた。
鍵にも見えた。
墓標にも見えた。
「……あった」
声が漏れた。
知っていた。
あると分かっていた。
それでも、実物を目の前にした瞬間、胸の奥が震えた。
本当にあった。
ここまで来た。
これで、原作の流れを根本から変えられる。
ユニットを回収する。
リムーバーを確保する。
遺跡宇宙船の中枢へ進む。
ギュオーに奪われる前に。
偶然の接触で少年たちが巻き込まれる前に。
すべて、こちらで押さえる。
船内の警告反応が強まった。
床が脈打つ。
壁面が赤く発光する。
排除。
隔離。
侵入者処分。
そんな意思が、空間そのものを満たす。
だが、遅い。
私は三角形に配置されたユニットの一つへ手を伸ばした。
触れた。
瞬間、ユニットが開いた。
生き物のように。
待っていたかのように。
私の身体を包み込む。
肉体がほどける。
骨格が、筋肉が、神経が、皮膚が、別の位相へ接続されていく。
アルカンフェルの肉体と、ユニットが結びつく。
痛みはなかった。
あるいは、痛みを痛みとして認識する余裕がなかった。
私は殖装していた。
ガイバー。
いや、ただのガイバーではない。
アルカンフェルが殖装した存在。
船内の認証系が混乱するのを感じた。
先ほどまで完全な異物として私を排除しようとしていた船が、判断を迷っている。
私は侵入者であり、同時にユニットの装着者となった。
拒絶が鈍る。
通路の収縮が止まる。
警告反応が一段下がる。
勝った。
私はゆっくりと手を握った。
力がある。
ありすぎる。
笑いそうになった。
だが、まだ終わっていない。
私は残るユニット二つを回収した。
そして、三角形の中央に突き刺さるリムーバーへ手を伸ばす。
近づくほどに、殖装した肉体の奥で何かが警告を発した。
危険。
解除。
分離。
そんな意味が、言葉になる前に神経へ流れ込んでくる。
なるほど。
ユニットが嫌がるわけだ。
リムーバーは、ユニットにとって天敵だ。
だが、だからこそ必要になる。
私はリムーバーを握った。
基部から引き抜く。
有機質の台座が抵抗するように震えたが、殖装した私の力には耐えられない。
湿った音と共に、リムーバーが抜けた。
その瞬間、三つのユニットを結んでいた見えない均衡が崩れたように、空間全体が低く鳴動した。
「よし」
リムーバーを確保した。
これだけは絶対に失えない。
絶対にギュオーに触らせない。
絶対に管理権限を手放さない。
私は残るユニット二つとリムーバーを保持し、台座の奥へ視線を向けた。
ここで終わりではない。
むしろ、ここからが本番だ。
殖装したことで、遺跡宇宙船の拒絶は弱まった。
だが船はまだ、私に従っているわけではない。
この船を本当に使うには、ナビゲーションルームへ行く必要がある。
遺跡宇宙船のコントロールメタルと接続し、船内の情報を抜き、航行系、制御系、船体修復系、ユニット管理系の情報を押さえなければならない。
その先に、ようやくギガンティックへの道がある。
「さて」
私は小さく呟いた。
「次は、ナビゲーションルームだ」
バルカスが聞いていたら卒倒したかもしれない。
だから、聞こえなくてよかった。