/*/ クロノス日本支部 レリックスポイント基地中層 隔離戦闘試験区画 /*/
試験区画の隔壁が、三重に閉じられていた。
ここはレリックスポイント基地の中層に設けられた、隔離戦闘試験区画である。
最下層には、遺跡宇宙船そのものがある。
そのため、通常の獣化兵試験や超獣化兵の暴走実験を、最下層で行うわけにはいかない。
遺跡宇宙船へ余計な衝撃を与える危険もある。
機密区画と研究区画を完全に分ける必要もある。
だからこの試験区画は、中層の岩盤内に独立して作られていた。
通常の獣化兵用ではない。
超獣化兵の暴走試験にも耐えられるよう設計された、重隔壁付きの隔離区画である。
その中央に、アプトムが立っていた。
人間形態ではない。
戦闘形態。
超獣化兵五人衆のマトリクスから、使える部分を抜き出して組み込んだ形態だった。
筋肉量。
外骨格。
高熱耐性。
瞬発力。
再生性。
感覚器。
それぞれの特性を、単純に足し合わせたわけではない。
足せば強くなる、などという雑な話ではないからだ。
過剰な筋肉は反応速度を殺す。
硬すぎる外骨格は変形適応を妨げる。
火力器官を増やしすぎれば、体内のエネルギー循環が破綻する。
だからアプトムは、喰った情報を自分の中で噛み砕き、必要な形に組み替えていた。
そこへさらに、アルカンフェルのマトリクスが加わっている。
地球生物の指揮個体。
ゾアロードの原型にして頂点。
その生体情報の断片が、アプトムの細胞を底上げしていた。
理論上は、凄まじい数値が出るはずだった。
少なくとも、バルカスの予測ではそうだった。
「出力、上昇」
観測室で、研究員が声を上げた。
「筋力係数、通常超獣化兵基準の二・七倍。外殻強度、二・二倍。熱量発生、予測値の三一パーセントで安定」
「再生速度は」
「五人衆平均値の一・八倍。ただし、理論値には届いておりません」
バルカスが管制卓を睨んでいる。
その目は、ほとんど獲物を前にした猛禽のようだった。
「全体出力は」
「予測理論値の三分の一前後です」
研究員の声が、わずかに震えた。
三分の一。
普通なら失敗と判断される数字だ。
だが、その三分の一ですら、通常の超獣化兵を軽く超えていた。
試験区画内のアプトムは、片腕を変形させた。
巨大な爪。
次の瞬間、爪が高熱化し、さらに硬質化する。
別の腕には砲口が形成された。
背中から補助肢が伸びる。
脚部の形状が変わり、獣脚に近い形へ移行する。
五人衆の要素が、個別の器官としてではなく、アプトムの身体の中で一つの戦闘形態へ溶け込んでいく。
隔壁内の標的が起動した。
重装甲試験体。
無人の獣化兵ダミー。
アプトムが踏み込んだ。
床が割れた。
速い。
巨体化しているのに、動きが鈍らない。
爪が標的の装甲を裂き、直後に砲撃器官が内部へ熱線を流し込む。標的は爆散する前に、アプトムの補助肢に押さえ込まれ、破片ごと捕食された。
観測室の空気が、しばらく止まった。
「……すさまじい」
誰かが呟いた。
バルカスは黙っている。
アルカンフェルも、管制卓の前で腕を組んだまま、試験区画を見つめていた。
アプトムの戦闘力は規格外だ。
だが、理論値には届いていない。
それが問題だった。
「アプトム」
アルカンフェルが通信を開いた。
『はっ』
試験区画内のアプトムが、即座に動きを止める。
巨大な戦闘形態のまま、姿勢だけを正した。
「感覚はどうだ」
『出力は安定しております。ただ、奥が詰まっている感覚があります』
「奥が詰まっている?」
『はい。形は作れる。器官も動く。ですが、出し切ろうとすると、身体の内側で頭打ちになります。炉はあるのに、燃料が足りないような感覚です』
「なるほど」
アルカンフェルは目を細めた。
バルカスが振り返る。
「閣下」
「ああ」
アルカンフェルは管制卓の数値を見た。
筋力。
熱量。
再生速度。
変形適応。
全てが高い。
だが、伸び切らない。
アルカンフェルのマトリクスは、確かにアプトムの細胞を押し上げている。
超獣化兵五人衆のマトリクスも、確かに戦闘形態として統合されている。
なのに、全体の出力が理論値の三分の一で止まる。
理由は一つだった。
「そうか」
アルカンフェルは呟いた。
「ゾアクリスタルが無いから、肉体で生成できる出力に制限されているのだな」
バルカスの目が鋭くなる。
「ゾアクリスタルによる亜空間エネルギー供給がないため、細胞構造そのものの出力限界に引っかかっている、と」
「そうだ」
アルカンフェルは頷いた。
「器は作れている。回路もある。だが、燃料がない。だから肉体で生成できる生体エネルギーの範囲でしか動かせない」
試験区画内で、アプトムが静かに聞いている。
戦闘形態のまま、余計な口を挟まない。
忠実な兵士の姿勢だった。
「ダミークリスタルを与えれば」
アルカンフェルは言った。
「亜空間エネルギーを利用して、予測値の半分くらいの出力までは出せるようになるだろう」
バルカスの表情が変わった。
研究者としての興奮。
そして、老獪な危機感。
「可能性はございます。完全なゾアクリスタルではなくとも、出力中継器として機能する疑似結晶を組み込めば、現在の頭打ちは突破できましょう」
「だが」
「はい」
バルカスは低く答えた。
「ダミークリスタルを与えれば、他の獣神将に気配で気取られる可能性が高くなります」
「だろうな」
アルカンフェルは面倒そうに息を吐いた。
「今のアプトムは、思念波に反応しない。だから村上にも警戒されなかった。だが、ダミークリスタルを持たせれば、ゾアロード側の感覚に引っかかる」
「ギュオーめが嗅ぎつければ、必ず探ります」
バルカスの声には、明確な嫌悪があった。
「ハイヤーンも同じだ。あれも興味本位で中身を見たがる」
アルカンフェルは試験区画内のアプトムを見た。
「アプトム」
『はっ』
「今はまだ、そのままでいてくれ」
アプトムが一瞬だけ沈黙した。
不満ではない。
自分の中の力が、まだ出し切れていないことを理解した沈黙だった。
『承知しました』
「不満か」
『いいえ。現時点でも、通常の超獣化兵を上回る戦闘力は発揮できます。隠し札として運用するなら、気配を消せる今の状態の方が有用と判断します』
「よく分かっている」
『ただし』
「何だ」
『いずれ必要になった時は、ダミークリスタルをお与えください。その時は、予測値の半分と言わず、さらに上まで引き出してみせます』
アルカンフェルは、少しだけ笑った。
「欲張りだな」
『ロストナンバーですので』
「便利な言い訳だ」
『閣下から学びました』
バルカスがわずかに眉を上げた。
アルカンフェルは咎めなかった。
むしろ、少し楽しそうだった。
「よし。戦闘形態の基礎試験は成功とする」
バルカスが管制卓へ指示を飛ばす。
「全データを保存。出力制限状態の運用パターンをまとめよ。ダミークリスタル搭載案は、最高機密扱いとする。閲覧権限は閣下、私、シンまでだ」
「アプトム本人は?」
研究員の一人が尋ねた。
バルカスがじろりと睨んだ。
「本人の身体だ。本人には知らせるに決まっておろう」
「は、はい!」
アルカンフェルは小さく頷いた。
「ただし、資料名にダミークリスタルとは書くな」
「では、何と」
「予備出力中継器案。あるいは、亜空間補助炉案」
バルカスが少し考える。
「では、亜空間補助炉案といたしましょう」
「ギュオーめが見ても分からないようにしておけ」
「ギュオーめには、目次すら見せませぬ」
「それでいい」
試験区画内で、アプトムの身体がゆっくりと縮んでいく。
巨大な爪が腕へ戻る。
外骨格が沈み込む。
補助肢が背中へ吸収される。
獣脚が人間の脚へ戻る。
やがて、アプトムは人間形態に戻った。
汗はない。
息も乱れていない。
だが、目の奥には先ほどまでの戦闘形態の余熱が残っていた。
観測室へ戻ってきたアプトムは、静かに片膝をついた。
「閣下。試験任務、完了いたしました」
「ああ。よくやった」
「ありがとうございます」
「現状では理論値の三分の一だが、それでも十分に強い。今は隠し札としての価値を優先する」
「承知しております」
「それに」
アルカンフェルはアプトムを見下ろした。
「力は、必要になってから解放すればいい」
アプトムは、わずかに口元を上げた。
「その時まで、腹を空かせて待っております」
「食い過ぎるなよ」
「努力いたします」
「信用できんな」
「ロストナンバーですので」
「便利に使うな、その言葉を」
アプトムは深く頭を下げた。
その背後で、バルカスが端末に食い入るように数値を見ている。
完全に研究者の目だった。
アルカンフェルはそれを見て、ため息を吐いた。
「バルカス」
「はっ」
「寝ろよ」
「……閣下、まだ解析が」
「寝ろ」
「しかし」
「アプトムの強化より先に、翁の寿命が尽きる方が困る」
バルカスが沈黙した。
アプトムは、顔を伏せたまま少しだけ笑った。
クロノス中層隔離試験区画。
そこで生まれたのは、理論値の三分の一しか出ない未完成の戦闘形態だった。
だが、その三分の一ですら、既存の規格を踏み越えていた。
そして、まだ誰にも気取られていない。
ギュオーめにも。
ハイヤーンにも。
村上征樹にも。
アルカンフェルは、その隠し札をしばらく眠らせることにした。
力を隠した怪物ほど、使い道がある。