/*/ 何年でも待つ /*/
ゲーム開発会社《ザイゲームス》の運営準備室では、新作ゲーム《ウマ娘》の事前登録者数がリアルタイムで集計されていた。
登録開始から一時間。
広告映像への反応はよい。
想定を上回る勢いで数字が伸び、室内には明るい空気が流れていた。
「十万人を超えました!」
「早いな」
「このままなら、事前登録特典の最終段階まで今日中に届くかもしれません」
担当者たちが喜ぶ中、一人の若い運営職員が画面を見たまま動かなくなった。
「……あの」
「どうした?」
「事前登録者の中に、変な名前があります」
「公序良俗に反する名前なら、サービス開始時に変更させろ」
「そういうものではなくて」
職員が表示を拡大する。
> 登録名:アルカンフェル
室内の空気が止まった。
「……総帥?」
「いや、総帥の名前を騙った愉快犯だろ」
「いるよな。有名人の名前で登録する奴」
「登録名だけなら自由に入力できる。本人のわけがない」
全員が、そう結論づけようとした。
若い職員だけが、画面の別の欄を見ている。
「でも、この登録者……」
「何だ」
「アクセス元が、クラウドゲート居住区です」
誰も言葉を発しなかった。
「クラウドゲートの一般執務区画ではなく?」
「居住区画です」
「職員が悪戯している可能性は?」
「統一市民認証が通っています」
「認証名は?」
「個人情報なので、こちらからは閲覧できません。ただ、公人名詐称検知が作動していません」
公人の名前を登録名として使用した場合、統一市民認証と本人情報が一致しなければ、なりすまし防止の確認表示が出る。
その表示がない。
「つまり……」
「本人と一致している可能性が高いです」
誰かが椅子を引く音が、やけに大きく響いた。
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「クロノス広報へ問い合わせろ!」
運営責任者が叫んだ。
「こちらから総帥府へ連絡するんですか!?」
「確認せず放置する方が危険だ!」
「何と聞けばいいんです?」
「《総帥閣下が、弊社のウマ娘へ事前登録なさいましたか》だ!」
「そんな問い合わせを受けた広報の気持ちも考えてください!」
「俺たちの気持ちも考えろ!」
問い合わせ文は、法務部、広報部、役員室の確認を経て、三時間かけて作成された。
> クロノス総帥府広報室御中
>
> 弊社が現在事前登録を受け付けておりますゲーム作品《ウマ娘》において、アルカンフェル総帥閣下の御名義と一致する登録を確認いたしました。
>
> 当該登録について、御本人によるものか、また御名義の取り扱いに関して必要な対応があるかを確認させていただきたく――
送信から五分後。
返信が来た。
「早い!」
「何と?」
運営責任者が震える手で開く。
> 当該登録は、アルカンフェル総帥本人によるものです。
>
> 公開された告知映像を御覧になり、サービス開始後の利用を希望されたため、通常の手続きにより事前登録を行われました。
>
> 特別な対応は不要です。
>
> 他の事前登録者と同様にお取り扱いください。
室内から物音が消えた。
「本人だ」
「総帥が、うちのゲームを待ってる」
「世界統治者が事前登録者になった」
「事前登録特典も普通に配るのか?」
「ほかの登録者と同様に扱えと書いてある」
「総帥にジュエル三千個を配るの?」
「配れ。絶対に配れ」
「配布漏れを起こしたらどうなる?」
「それを考えるな」
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本来なら、大きな宣伝材料だった。
> アルカンフェル総帥も事前登録!
そう発表すれば、登録者数はさらに伸びる。
しかし、ザイゲは公表しなかった。
本人の許可がない。
何より、開発現場には別の問題があった。
ゲームが完成していなかった。
レース部分は、当初の想定より面白くない。
育成システムは単調。
ライブ演出はウマ娘の動きと音楽が合わず、端末によっては処理が止まる。
物語も、競走と学園生活が十分に結びついていない。
サービス開始予定日は、すでに発表されている。
だが、このまま公開すれば、一度触った利用者が二度と戻ってこない可能性が高かった。
開発会議で、プロデューサーは頭を抱えた。
「延期するしかない」
「何か月です?」
「分からない」
「半年?」
「それで済むなら、今ごろ完成している」
「一年?」
「基本設計から見直すなら、それ以上だ」
会議室の全員が、同じことを考えた。
「総帥が待ってるんですよ」
一人が口にする。
「分かっている」
「延期を発表したら、総帥へも通知が届く」
「分かっている!」
「俺たち、死んだか?」
「クロノスはゲームの延期で人を処刑しない!」
「それでも、相手は総帥だぞ!」
「未完成のまま出して、総帥に遊ばせる方が怖いだろ!」
誰も反論できなかった。
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延期発表の一週間前。
クロノス広報から連絡が入った。
> 総帥より、開発状況について直接説明を受けたいとの御希望がございました。
ザイゲ社内に、悲鳴が響いた。
「直接!?」
「総帥へ直接説明するの!?」
「誰が行くんだ!」
「プロデューサーと社長だ!」
「俺たちも同席です!」
「なぜ!」
「技術的な質問をされた場合、役員では答えられないからです!」
会談はクラウドゲートへ出向くのではなく、遠隔通信で行われた。
それでも、会議室には役員、プロデューサー、開発責任者、法務担当者が並び、全員が式典へ出るような服装をしていた。
画面がつく。
白い衣をまとったアルカンフェルが映った。
「《ウマ娘》を作っている者たちか」
「は、はい!」
全員が一斉に頭を下げる。
「事前登録をした」
「誠にありがとうございます!」
「いつ遊べる」
最も聞かれたくない質問だった。
プロデューサーの顔から血の気が引く。
「当初は、今年度中のサービス開始を予定しておりました」
「予定していた?」
「しかし、現在の品質では、お客様に十分な体験を提供できないと判断しております」
「具体的には」
「レース、育成、ライブ、物語、そのすべてについて……根本からの見直しが必要です」
「完成していないということか」
「はい」
プロデューサーは頭を下げた。
言い訳を並べることはできた。
開発規模の拡大。
端末性能の差。
ウマ娘の走行表現を正確に再現する難しさ。
だが、それらを説明しても、未完成という事実は変わらない。
「サービス開始を延期させていただきたいと考えております」
「どの程度だ」
「分かりません」
隣にいた役員が息を呑んだ。
プロデューサーは続けた。
「半年で済むとは、お約束できません。一年、あるいは数年を要する可能性もあります」
会議室の全員が、処刑を待つように沈黙した。
アルカンフェルは、しばらく何も言わなかった。
やがて尋ねる。
「今、公開すれば面白いのか」
「……いいえ」
「お前たちは、面白いと思っているのか」
「現状のままでは、思っておりません」
「ならば、なぜ公開する」
「すでに開始予定日を発表し、多くの方に事前登録していただいております。延期すれば、期待を裏切ることになります」
アルカンフェルは、当然のことを問うように言った。
「未完成の物を出す方が、期待を裏切るのではないか」
プロデューサーは顔を上げた。
「……はい」
「私は遊べる物が出来るまで待つ」
「しかし、何年かかるか――」
「何年でも待つ」
アルカンフェルは言い切った。
「作り直すが良い」
会議室の誰も、すぐには返事ができなかった。
「よろしいのですか」
「面白くない物を急いで出されても困る」
「総帥閣下をお待たせすることになります」
「待つと言っている」
「はい……」
「延期するなら、登録者全員へ理由を説明しろ。私にだけ説明して済ませるな」
「承知いたしました」
「完成したら知らせよ」
通信は終了した。
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画面が暗くなっても、全員がしばらく動かなかった。
最初に口を開いたのは、若い開発者だった。
「助かった……んですよね?」
「延期は許された」
「何年でも待つって言ってくれた」
「優しい総帥だった」
プロデューサーが、ゆっくりと顔を上げた。
「違う」
「何がです?」
「総帥は、何年かかっても忘れないということだ」
室内が再び静まった。
「完成するまで、ずっと待っている」
「世界統治者が?」
「俺たちのゲームを?」
「それ、延期を怒られるより圧力が強くないですか?」
「言うな」
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ザイゲは、サービス開始の延期を正式に発表した。
開発体制は再編された。
レースシステムは一から設計し直された。
物語も、育成も、ライブも作り直された。
開発室の最も目立つ壁には、一枚の紙が貼られた。
> 何年でも待つ。作り直すが良い。
その下には、小さく注意書きが加えられている。
> ※ただし、総帥は完成するまで待ち続けている。
徹夜続きの開発者が心を折られそうになるたび、その紙を見た。
「総帥が待ってるぞ」
「知ってる」
「世界中の事前登録者も待ってる」
「知ってる!」
「今日も作り直すか」
「作り直そう」
それは許しの言葉だった。
同時に、逃げることを許さない言葉でもあった。