/*/ 三年待った男 /*/
2021年2月24日。
長い延期を経て、『ウマ娘 プリティーダービー』はついにサービスを開始した。
事前登録開始から、およそ三年。
当初の予定からは大きく遅れた。
一度は「本当に出るのか」とまで言われ、ゲームそのものより、待たされ続ける事前登録者と、動画やアニメで命脈を繋ぐコンテンツ展開の方が有名になりかけた時期すらあった。
だが、それでも消えなかった。
待ち続けた者がいた。
その中には、ひどく目立つ名前が一つあった。
アルカンフェル。
世界統一者にして、クラウド・ゲートの主。
そして、三年前から『ウマ娘』の事前登録を外さず残していた男である。
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クラウド・ゲート。
総帥執務区画クラウドヘッド。
高層の静かな一室で、アルカンフェルは一人、端末を手にしていた。
秘書官が扉のそばで一礼する。
「総帥」
「なんだ」
「本日、『ウマ娘 プリティーダービー』のサービスが開始されました」
ほんの一拍の間。
アルカンフェルは端末から視線を上げた。
「ああ」
忘れていなかった。
延期に次ぐ延期を経たゲームであっても、彼にとっては約束の一つだったのだろう。
秘書官が続ける。
「事前登録特典の配布も開始されています」
「そうか」
アルカンフェルは私用端末を操作し、アプリを起動した。
インストール。
起動。
タイトル画面。
受信箱。
しばらく無言で画面を見てから、彼は淡々と言った。
「届いているな」
「はい?」
「事前登録特典だ」
秘書官は、内心で深く安堵した。
三年間、運営関係者や広報関係者のあいだで半ば冗談、半ば悪夢のように語られていた、
「総帥のアカウントにだけ事前登録特典が届かなかったらどうする」
という想像上の事故は、どうやら回避されたらしい。
「問題はないようです」
「そうか」
アルカンフェルはそれ以上気にせず、初回の導線に従ってゲームを進めていく。
他のユーザーと同じように。
特別なアカウントではない。
専用の称号もない。
裏口もない。
配布されるジュエルも同じ。
クロノス広報が事前に運営へ伝えたのは、
「他の登録者と同様に扱うように」
という一点だけだった。
もっとも、その「同様に扱う」ことが、運営側にとってどれほど精神に悪いかは別問題だった。
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一方、その頃。
ザイゲの開発現場では、サービス開始の確認と同時に空気が変わっていた。
歓声はあった。
だが、それは一瞬だった。
直後には、接続状況、サーバー負荷、課金動線、不具合報告、SNSの反応、各ストアの順位、あらゆる確認作業が雪崩のように押し寄せる。
始まったのだ。
ようやく。
ある開発者が壁を見る。
そこには、長いあいだ貼られたままの紙がある。
「何年でも待つ。面白いものを作れ」
あるいは、より厳密には、
「何年でも待つ。作り直すが良い」
最初は半ば冗談だった。
だが、延期が重なり、作り直しが決まり、苦しい時期が続くうちに、それは奇妙な重みを持ち始めた。
怒鳴られたわけではない。
打ち切れとも言われなかった。
「待つ」と言われたのだ。
何年でも。
そして「面白いものを作れ」と言われた。
逃げ道のない言葉だった。
「……出たな」
一人が呟く。
「出たな」
隣の人間も答える。
「三年待たせた」
「待たせたな」
「で?」
「なんだ」
「総帥のアカウント、無事か?」
運営担当が端末を見たまま答える。
「個別利用者情報には回答できない」
「統治局みたいなこと言うな」
「三年付き合ったんだ。こうもなる」
別の者が言った。
「事前登録特典の配布漏れは?」
「少なくとも、総帥案件として話題になるような事故はない」
その場にいた何人かが本気で息をついた。
「よかった……」
「お前ら、まずそこなのか」
「そこだろ」
「世界でもっとも怖い問い合わせの一つだぞ」
緊張混じりの笑いが広がる。
だが、それもまた長くは続かなかった。
数字が出始めたからだ。
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売れた。
いや、売れたという言葉では足りなかった。
跳ねた。
サービス開始直後から一気に広がっていった。
ゲームとして面白い。
育成が熱い。
史実を踏まえた物語が刺さる。
アニメから流入した層が定着する。
競馬を知らなかった人間が、実在の競走馬に興味を持ち始める。
過去のレース映像が掘り返される。
競馬場へ足を運ぶ若年層が増える。
楽曲が広まり、SNSで断片的な台詞やイベントが流行する。
そしてやがて、現実の競馬界へも波及が始まった。
「モデルになった馬は今どうしているのか」
「引退馬はどこへ行くのか」
「支援はできるのか」
そうした問いが、ごく自然に広がっていく。
引退馬牧場への寄付。
支援活動への注目。
競馬という文化への入口が、ゲームから一気に開いた。
文化局の担当官が報告書を前にして黙り込む。
「……これは本当に一つのゲームの波及ですか」
「現時点では、そう整理されています」
「売上だけではないですね」
「はい。関連音楽、映像配信、出版流通、競馬関連施設への来訪、引退馬支援団体への関心増加、複数分野に影響が出ています」
「政策ではなく?」
「自然発生的な流れです」
担当官は、しばらく資料を見つめていた。
娯楽作品がここまで広範囲に現実へ影響する事例は、珍しい。
まして、日本国内だけのサービスでありながら、である。
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その頃。
クラウド・ゲートの私室で、アルカンフェルは一人、静かにゲームを続けていた。
大きな窓の向こうには空が広がっている。
室内は静かだ。
誰もいない。
まだ家族はここに集っていない。
みなかみ邸もない。
彼はただ一人、ソファではなく執務区画の私的な休憩席に腰かけ、手元の端末を見ている。
ゲームの中ではウマ娘たちが走り、育成イベントが進み、レースが始まる。
アルカンフェルは、しばらく画面を見つめたあと、小さく言った。
「……なるほど」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
次のレースが始まる。
彼は指先で操作を続ける。
勝つこともあれば、負けることもある。
やり直し、育て、また走らせる。
思念波で相手を止めることもできなければ、戦場のように力づくで突破することもできない。
純粋に、ゲームとして向き合うしかない。
それがかえって新鮮だったのだろう。
しばらくして、控えていた秘書官が恐る恐る声をかける。
「総帥」
「なんだ」
「……いかがですか」
短い沈黙のあと、アルカンフェルは答えた。
「面白い」
それだけだった。
だが、三年待った一人の事前登録者としては、十分すぎる言葉だった。
秘書官は少しだけ表情を緩める。
「それは、何よりです」
「待った甲斐はあったな」
アルカンフェルは、ごく普通の感想のようにそう言った。
だが、その言葉には妙な重みがあった。
待った本人が、文字通り、人より長く待てる男だったからだ。
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後になって振り返れば、『ウマ娘 プリティーダービー』の成功は、単なるヒット作の一つでは終わらなかった。
ゲームとして売れた。
クロスメディア展開として成功した。
競馬への新規流入を生んだ。
引退馬支援への関心を押し上げた。
楽曲やイベントが広く浸透し、一つの社会現象になった。
三年間の延期を経てなお、その熱量は失われなかった。
いや、むしろ待たされた時間すら、後から見れば伝説の一部になった。
そしてクラウド・ゲートの一室では、その三年間を待ち切った一人の男が、誰に見せるでもなく、静かに端末を操作していた。
世界統一者でも、長命の支配者でもない。
ただの一人のプレイヤーとして。
それを彼自身、かなり気に入っていた。