/*/ クロノス日本支部 レリックスポイント基地最下層 遺跡宇宙船観測研究区画 /*/
村上征樹は、沈黙したまま通路を歩いていた。
案内役は小田桐研究主任だった。
クロノス日本支部。
レリックスポイント基地。
みなかみの山中に築かれたこの施設の地下深くには、降臨者の遺跡宇宙船が眠っている。
通常の研究施設や戦闘試験区画は中層にある。
だが、小田桐の研究室だけは違う。
彼のチームは、遺跡宇宙船の観測班だった。
船体外殻の変化。
微弱な生体反応。
封印区画の収縮。
エネルギー流の変動。
認証系の反応。
それらを常時監視するため、小田桐班の研究施設は最下層、遺跡宇宙船外殻に隣接する観測区画に置かれている。
だからこそ、村上は本当に最下層まで通された。
逃亡者である自分が。
プロフェッサー・山村の反乱に連なる自分が。
クロノスを敵として動いていた自分が。
遺跡宇宙船のすぐそばまで。
それが、気味悪いほどの譲歩であることは分かっていた。
警備兵はいた。
監視カメラもあった。
隔壁も、認証も、何重にも重ねられていた。
しかし、誰も村上を拘束しようとはしなかった。
検査も最低限。
武装解除も形式的。
殺意も威圧もない。
それが逆に不気味だった。
「本当に、レリックスポイントの最下層まで通されましたね」
村上は、小田桐へ言った。
小田桐は前を向いたまま答える。
「ここは私の研究区画だ。遺跡宇宙船の外殻観測班は、船体に近い場所でなければ仕事にならん」
「それでも、普通は通さないでしょう」
「普通ではないらしい」
小田桐の声には、皮肉が混じっていた。
「総帥がお待ちだ」
最後の隔壁が開いた。
広い空間だった。
壁面の奥に、遺跡宇宙船の外殻が見える。
生体組織とも金属ともつかない、巨大な曲面。
その手前に観測機器と管制卓が並び、研究員たちが緊張した面持ちで待機していた。
その中央に、アルカンフェルが立っていた。
護衛は見えない。
いや、見えないだけだろう。
この場所そのものが、クロノスの腹の中だ。
村上は足を止めた。
「来たな、村上征樹」
アルカンフェルは振り返った。
白い顔。
人間離れした気配。
だが、以前ホテルのロビーで会った時よりも、その異質さははっきりしていた。
ここが、彼の領域だからかもしれない。
地球生物の指揮個体。
三十万年前にウラヌスによって作られた存在。
その言葉を、村上はまだ完全には受け入れていない。
だが、否定もしきれなくなっていた。
「小田桐主任に会いに来たつもりでした」
「会える」
アルカンフェルは言った。
「その前に、私の話も聞け」
「強制ですか」
「違う。だが、速いところ君には腹を決めてもらいたいのでね」
村上の目が細くなる。
「腹を決める?」
「ああ」
アルカンフェルは一歩近づいた。
村上は反射的に身構えそうになり、それを抑えた。
距離を詰められただけで、身体の奥が反応する。
プロト・ゾアロードとしての本能が、目の前の存在を上位個体として認識しかける。
だが、支配されてはいない。
圧迫感はある。
息苦しさもある。
しかし、膝を折るほどではない。
「五年」
アルカンフェルが言った。
村上は眉を動かした。
「何の話です」
「君の身体だ」
アルカンフェルは、村上の全身を眺めるように見た。
「よく持った。テスト・ボディで五年。逃亡し、調査し、戦い、今もこうして動いている。プロト・ゾアロードとしては、かなりの当たり個体だ」
「褒められている気がしませんね」
「褒めている」
「実験体として?」
「戦力としてだ」
村上の顔がわずかに険しくなる。
アルカンフェルは気にしなかった。
「だが、生体波動を見る限り、何もしなければあと一年。獣神変を二、三度行えば、それが限界だろう」
村上の表情が止まった。
小田桐も、横で息を呑んだ。
「僕の生命が?」
「寿命がだ」
アルカンフェルは淡々と言った。
「今すぐ死ぬわけではない。だが、プロト・ゾアロードのテスト・ボディは、長期運用を前提に作られていない。肉体はよく保っているが、出力器官と神経系の摩耗が進んでいる。獣神変を繰り返せば、一気に崩れる」
村上は黙った。
自覚がなかったわけではない。
獣神変の後、戻るたびに身体が重くなっていた。
回復に時間がかかる。
感覚が鈍る。
目覚めた時、身体の奥に冷たい空洞のようなものを感じることがある。
それを疲労だと思っていた。
逃亡生活の負荷だと思っていた。
だが、アルカンフェルは寿命だと言った。
「死なれては困る」
アルカンフェルは続けた。
「再調整を受けてほしい」
「クロノスの調整槽に入れと?」
「そうだ」
村上の目が鋭くなる。
「それは、思念波の支配下に落ちろという意味ですか」
「完全なゾアロードなら、私の思念波支配は受け付けない」
「完全なゾアロードなら?」
「再調整によって、君の肉体をプロトタイプから正式なゾアロード相当に引き上げる。そうすれば、少なくとも通常獣化兵のように私の思念波で縛られることはない」
「多少のプレッシャーは?」
「感じるだろうな」
アルカンフェルは隠さなかった。
「私はアルカンフェルだ。現生のゾアロードとは格が違う。完全なゾアロードになっても、私の思念波を圧として感じることはあるだろう」
「つまり、完全には自由ではない」
「人間も完全には自由ではない」
「詭弁ですね」
「そうだな」
あっさり認めた。
村上はやりにくさを覚えた。
この男は、善人ぶらない。
支配を否定しない。
しかし、嘘もあまりつかない。
「信用できないだろうから」
アルカンフェルは小田桐へ視線を向けた。
「調整は、小田桐主任管理下にあるここの調整槽で行う」
小田桐が静かにこちらを見た。
「私の管理下、ですか」
「ああ。君たちが隠し持っていた調整槽を正式設備として登録し直す。村上の再調整には、それを使う」
「我々は遺跡宇宙船の観測班です。生体調整そのものは専門外です」
「だからメインの調整はバルカスが行う」
村上の表情がさらに険しくなった。
「バルカス博士が?」
「そうだ。あれ以上の技術者はいない」
「信用しろと?」
「信用しなくていい。小田桐主任の管理下で、記録を取りながら行う。処置内容は事前に開示する。拒否権も与える。途中で中止可能な段階も設ける」
「ずいぶん譲りますね」
「君に死なれるよりはマシだ」
「僕がそんなに必要ですか」
「必要だ」
即答だった。
「君は当たり個体だ。肉体も、判断力も、行動力も悪くない。何より、クロノスを疑いながらも事実を調べられる。そういうゾアロードは貴重だ」
「ゾアロードとロストナンバーズからなる私兵集団を認めるのですか?」
村上は問い返した。
「小田桐主任たちは思念波支配を避けるために、ロストナンバーズ化の選択肢を与えられている。僕が再調整を受ければ、ゾアロードになる。あなたは、自分に従わないゾアロードとロストナンバーズの集団を、この施設内に置くことになる」
「そうだな」
「危険だとは思わないのですか」
「思う」
「ではなぜ」
「君たちは、理由なく暴力を振るうのか?」
村上は答えなかった。
アルカンフェルは静かに続けた。
「君はギュオーめとは違う。小田桐もそうだ。君たちは私を疑う。クロノスを信用しない。だが、理由なく市民を殺すか? 施設を破壊するか? 地球外から来る脅威を前に、内輪の怨恨だけで動くか?」
「それは……」
「もしそうするなら、私の見込み違いだ。その時は潰す」
小田桐の顔がこわばる。
村上も目を細めた。
だが、アルカンフェルの声は変わらない。
「だが、そうでないなら使える。私を疑い、ギュオーめを疑い、ハイヤーンを疑い、クロノス内部にいながら独立して考える目になる」
「あなたは、自分を疑う集団を内側に置きたいと?」
「そうだ」
「なぜ」
「私は現生人類ではない」
アルカンフェルは言った。
「地球生命の指揮個体だ。人間の倫理だけで動く存在ではない。だから、人間として疑う者が要る」
村上は、以前聞かされた言葉を思い出す。
クロノスは悪の組織だ。
だが、地球外の脅威は実在する。
宇宙怪獣と呼ばれたもの。
彗星群として観測されている接近物体群。
各地の天文台を回って集めた記録は、アルカンフェルの話と無視できない一致を示していた。
それでも、村上はまだ信じきれない。
信じきってはいけないと思っている。
「僕が再調整を受けたとして」
村上は言った。
「あなたに従うとは限りません」
「構わない」
「クロノスを内部から調べます」
「やれ」
「場合によっては、あなたに敵対します」
「その時は本気でやれ」
アルカンフェルは淡々と言った。
「半端な反乱は面倒なだけだ」
小田桐が、わずかに苦い顔をした。
同じようなことを、自分も言われた覚えがあるのだろう。
「本当に、あなたは何を考えているのか分からない」
村上が言った。
「地球生命を守ることだ」
「そのために世界征服をする」
「そうだ」
「そのために僕を再調整する」
「そうだ」
「そのために、あなたを疑うゾアロードとロストナンバーズを内側に置く」
「そうだ」
「矛盾していませんか」
「していない」
アルカンフェルは即答した。
「地球生命を守るために必要なら、支配する。疑わせる。育てる。使う。敵対されたら潰す。味方になるなら使う。死にそうなら治す」
「僕は、治療対象ですか。それとも兵器ですか」
「両方だ」
村上は唇を噛んだ。
怒りはある。
だが、言い返せない部分もあった。
自分の身体が限界に近づいている。
その事実を、彼は完全には否定できない。
小田桐が口を開いた。
「村上君。私の側で、再調整計画の内容は確認する。バルカス博士の処置にも記録を残す。君が望むなら、拒否できる段階を複数設ける」
「小田桐主任は、受けろと言うんですか」
「私は医者ではない。だが、研究者として言うなら、君の身体は長期運用に向いていない」
「……」
「そして、人間として言うなら、死ぬな」
村上は小田桐を見た。
小田桐の声は硬かった。
だが、そこには本心があった。
「君はまだ必要だ。クロノスを疑う側にも、地球外の脅威を調べる側にも」
アルカンフェルが頷く。
「そういうことだ。村上征樹。できるだけ早く再調整を受けてほしい」
「考える時間は」
「やる」
「追い込まないのですか」
「追い込めば逃げるだろう」
「よく分かっていますね」
「分かっているとも」
アルカンフェルは、少しだけ面倒そうに言った。
「だから気忙しいと言っている」
村上は、初めて少しだけ苦笑した。
すぐに消えたが。
「もし再調整を受けるなら、条件があります」
「言え」
「小田桐主任の管理下であること」
「認める」
「全工程の記録を残すこと」
「認める」
「ギュオーには知らせないこと」
「当然だ」
「バルカス博士の処置内容を、小田桐主任が確認できること」
「認める」
「そして、再調整後も、僕はあなたに忠誠を誓わない」
「それも認める」
村上は黙った。
認められすぎて、逆に不安になる。
「……本当に、それでいいのですか」
「いい」
アルカンフェルは言った。
「私は忠誠を買いたいのではない。君に死なれたくないだけだ」
「それも十分勝手ですね」
「総帥だからな」
「理由になっていません」
「理由にはならんが、説明にはなる」
村上は深く息を吐いた。
「検討します」
「早めにしろ」
「分かっています」
「分かっていない。君の残り時間は、君が思うより短い」
その言葉に、村上は反論しなかった。
小田桐も黙っている。
遺跡宇宙船の外殻が、遠くで淡い光を帯びていた。
この地下深くで、現生人類ではない指揮個体と、プロト・ゾアロードと、反クロノスの研究主任が向かい合っている。
誰も完全には信用していない。
誰も完全には従っていない。
だが、事実だけが少しずつ積み上がっていた。
村上征樹の寿命。
宇宙から来るもの。
クロノスの悪。
アルカンフェルの責務。
そして、再調整という選択肢。
「小田桐主任」
村上は言った。
「後で、詳しい資料を見せてください」
「分かった」
「アルカンフェル」
村上は初めて、肩書きなしで呼んだ。
その場の空気が少しだけ動いた。
「僕は、まだあなたを信用しません」
「構わない」
「でも、死ぬつもりもありません」
「それでいい」
「再調整を受けるかどうか、近いうちに答えを出します」
「待とう」
「ただし、勝手に進めたら敵になります」
「勝手に進めるなら、今この場で眠らせている」
「……でしょうね」
村上は苦い顔で頷いた。
そして、小田桐の方へ歩き出す。
観測研究室の奥にある資料室へ向かうのだろう。
アルカンフェルはその背を見送った。
小田桐も一礼し、村上の後を追う。
残されたアルカンフェルは、小さく呟いた。
「まったく、良い個体ほど面倒だ」
その声には、苛立ちと、ほんのわずかな安堵が混じっていた。