漫画『王家の元で』のヒットは、ついに次の段階へ進んだ。
映画化である。
最初に問い合わせてきたのは、北米の大手スタジオだった。
次にフランスの芸術映画系プロダクション。
それからインドの巨大映画会社。
日本国内の映画会社。
中国の歴史大作系スタジオ。
ロシアの国営色の強い映像制作会社。
問い合わせは出版社に殺到した。
> 実写映画化権についてご相談したい
> 国際共同制作は可能か
> 配信シリーズとして展開したい
> 王と令嬢の関係を大河ロマンスとして描きたい
> クロノス中枢への確認は必要か
最後の一文で、出版社は震えた。
必要かどうかで言えば、法的には不要である。
漫画は架空の王国を舞台にした創作物であり、固有の実在人物を明示していない。
登場人物は、若き王と貴族令嬢である。
アルカンフェル総帥でも、ヴァルキュリア・フォーシュバリ・リスカーでもない。
他人の空似である。
そういう建前でやってきた。
漫画なら、まだよかった。
ページの中の絵である。
読者の想像である。
だが、映画になると違う。
俳優が立つ。
声がつく。
動く。
予告編が世界中へ流れる。
若き王の白銀の髪がスクリーンに映り、金髪の令嬢がその隣に立つ。
その瞬間、世界中の観客は思うだろう。
これ、総帥とヴァルキュリア閣下では?
出版社の編集長は、会議室で頭を抱えた。
「無理だろう」
副編集長が言った。
「ですが、映画化権料が」
「金額の問題じゃない!」
「金額も問題です。桁が大きすぎます」
「もっと怖いものがあるだろう!」
「クロノス広報局ですね」
「そうだ!」
結局、出版社はクロノス広報局へ相談した。
相談というより、助けを求めた。
/*/
クロノス広報局も困った。
漫画の連載は放置できた。
総帥本人が「好きにさせておけ」と言ったからである。
だが、映画は規模が違う。
各国の制作会社。
国際配給。
俳優選定。
宣伝。
政治的解釈。
検閲問題。
宗教保守派の反発。
フェミニズム方面からの批判。
旧王侯層の便乗。
そして何より、世界総帥とその側近を想起させる恋愛映画が、巨大スクリーンで上映される。
広報局員は青ざめた。
「これは、さすがに確認が必要です」
「村上閣下に」
「いえ、その前に総帥判断では」
「総帥に直接投げるのですか」
「村上閣下を経由しましょう」
「どちらにせよ胃が死にます」
そして村上征樹が呼ばれた。
彼は資料を読んだ。
北米版企画書。
フランス版企画書。
インド版企画書。
日本版企画書。
中国版企画書。
ロシア版企画書。
それぞれ、まったく違う方向に暴走していた。
北米版は、自由と自己決定の物語にしようとしていた。
フランス版は、権力と欲望と沈黙の宮廷心理劇にしようとしていた。
インド版は、歌と舞踏と壮大な身分差ロマンスにしようとしていた。
日本版は、原作漫画の繊細な少女漫画的心理描写を保ちたいと言っていた。
中国版は、国家統合と賢后補佐の歴史大作にしようとしていた。
ロシア版は、孤独な王と氷の令嬢による重厚な帝国叙事詩にしようとしていた。
村上は額を押さえた。
「……一本でも大変なのに、なぜ六本分あるんですか」
アプトムが横から覗き込む。
「全部見たいな」
「見たくありません」
「インド版、絶対歌うぞ」
「そこではありません」
「ロシア版は雪の中で三時間見つめ合いそうだな」
「そこでもありません」
「フランス版は、たぶん王と令嬢が最後まで付き合ってるのか分からないやつだ」
「やめてください」
広報官は震える声で言った。
「村上閣下。これは、総帥へ確認すべきでしょうか」
村上は深く息を吐いた。
「確認しないわけにはいきません」
「ですよね」
「ただし」
「ただし?」
「総帥がどう答えるか、まったく読めません」
その場の全員が沈黙した。
/*/
アルカンフェルは、資料を読んだ。
読んだと言っても、数枚めくっただけである。
そして、淡々と言った。
「アメリカ、フランス、ロシア、インド、日本、中国あたりに、それぞれ作らせよ」
広報官の顔から血の気が引いた。
「……はい?」
「それぞれ作らせよ」
アルカンフェルは同じことを繰り返した。
「一つに絞る必要はない」
広報官は固まった。
村上も一瞬、目を閉じた。
アプトムは肩を震わせていた。
「総帥。確認ですが」
村上が慎重に口を開く。
「複数国で、別々の映画化を認める、という意味でしょうか」
「そうだ」
「同一原作の解釈違いが、複数の大規模映画として世界中に出ます」
「構わぬ」
「各国が、それぞれ自国文化に合わせて若き王と令嬢を描くことになります」
「構わぬ」
「その若き王が、総帥を想起させる可能性があります」
「すでにそうなのだろう」
「そうですが」
「ならば今さらだ」
アプトムがついに吹き出した。
「今さらだ、だってよ」
広報官は、震える声で言った。
「総帥。一本に絞らない理由を、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
アルカンフェルは不思議そうに答えた。
「一つに絞れば、それが正しい物語になる」
村上は顔を上げた。
アルカンフェルは続ける。
「複数作らせれば、どれも正しくない。ただの物語になる」
会議室が静かになった。
広報官は、言葉を失った。
アプトムも、少しだけ笑うのをやめた。
アルカンフェルは淡々と言う。
「民が王を物語にするならば、国ごとに違う王を作ればよい。どれも私ではない。どれも私に似ている。それでよい」
村上は、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
広報官が小声で言った。
「なるほど、なのですか」
村上は疲れた顔で答えた。
「悔しいですが、広報戦略としては一理あります」
「一理どころではなく、六本映画が走ります」
「はい」
「広報局が死にます」
「はい」
「はいではなく」
アプトムが笑った。
「答え合わせを避けるために答えを六つに増やす。総帥らしいじゃねぇか」
/*/
アルカンフェルは、さらに言った。
「各国らしさは必要だな」
村上は嫌な予感を覚えた。
「総帥。各国らしさ、とは」
「アメリカ映画は、激しい戦闘の前にベッドシーンを挟むのだろう?」
会議室が止まった。
出版社の編集長が固まった。
副編集長のペンが手から落ちた。
広報官の顔から血の気が引いた。
村上の表情が消えた。
ヴァルキュリアの背筋がわずかに硬直した。
アプトムだけが、笑いかけて、途中で固まった。
アルカンフェルは、何の悪意もなく続けた。
「私の男色疑惑があったからな。払拭するのにちょうど良いだろう」
完全に凍った。
空調の音だけが聞こえた。
村上征樹は、端末を持ったまま動けなかった。
広報官は口を開けたまま声が出ない。
出版社側は、今この場に来たことを後悔している顔だった。
ヴァルキュリアは、目を伏せた。
アプトムが、ようやく声を絞り出した。
「……誰だよ」
誰も答えない。
アプトムは、さらに言った。
「誰だよ、そんな事言った奴」
沈黙。
数秒。
そして、ヴァルキュリアが静かに手を上げた。
「私です」
会議室が二度目に凍った。
アプトムの口が開いたまま止まる。
出版社の編集長が、椅子の背もたれにゆっくり沈んだ。
広報官が小さく「え」と漏らした。
村上は、信じられないものを見るようにヴァルキュリアを見た。
「どうして……?」
ヴァルキュリアは、顔を上げなかった。
だが、その声ははっきりしていた。
「女としてのプライドが傷ついたので……」
誰も、すぐには返せなかった。
アルカンフェルだけが、不思議そうにしている。
「そうだったのか」
ヴァルキュリアは、わずかに頷いた。
「はい」
「私は男色ではない」
「存じております」
「ならば、なぜバルカスに聞いた」
「当時は、確信が持てませんでしたので」
アプトムが、ようやく爆発した。
「いや、重い! 思ったより理由が重い!」
村上は額を押さえた。
「ヴァルキュリアさん……」
「申し訳ありません」
「謝罪の方向が難しいです」
広報官は震えながら言った。
「つまり、総帥の男色疑惑は、ヴァルキュリア様がバルカス博士に確認したところから……?」
村上が即座に遮った。
「記録しないでください」
「はい」
「議事録にも残さないでください」
「はい」
「今のやり取りは、存在しません」
「はい」
アプトムが横から言う。
「無理だろ。俺の記憶に残ったぞ」
「黙ってください」
/*/
アルカンフェルは、なおも平然としていた。
「だが、ちょうど良いのではないか」
村上は嫌な予感を覚えた。
「何がでしょうか」
「映画で、王と女が結ばれる場面を描けば、男色疑惑は消える」
村上は両手で顔を覆った。
「総帥」
「何だ」
「まず、その発想を止めてください」
「なぜだ」
「現実の噂を払拭するために、総帥を想起させる映画の中で、ヴァルキュリア閣下を想起させる女性とのベッドシーンを入れる、というのは、広報上、最悪です」
アプトムが真顔で頷いた。
「最悪だな」
「あなたが真顔になるほど最悪です」
「そりゃそうだろ。男色疑惑を消すために恋愛映画で寝るって、火消しにガソリン撒いてる」
出版社の編集長が震える声で言った。
「弊社としても、そのような意図での演出は……」
副編集長も必死に頷く。
「原作は純愛ものですので……」
アルカンフェルは首を傾げた。
「純愛ならば、寝所は不要なのか」
広報官が呻いた。
村上は即答した。
「不要です」
アプトムが笑う。
「村上、即答したな」
「即答します」
ヴァルキュリアは、わずかに赤くなった耳を隠すように視線を逸らした。
「……少なくとも、疑惑払拭目的で入れるものではないかと」
「お前もそう思うか」
「はい」
「だが、お前が疑ったのだろう」
ヴァルキュリアは詰まった。
アプトムが腹を抱えた。
「総帥、そこを突くな!」
村上も疲れ切った声で言った。
「総帥。今それを言うと、ヴァルキュリアさんが非常に困ります」
「そうか」
「はい」
「では言わぬ」
「もう言いました」
「そうか」
村上は深く息を吐いた。
「そうか、ではありません」
/*/
アプトムは、そこで妙な興味を出した。
「しかしよ、ヴァルキュリア」
「何でしょう」
「お前、本当にバルカス翁に聞いたのか。総帥は男色なのかって」
村上が止めようとした。
「アプトム」
だが、ヴァルキュリアは答えた。
「はい」
会議室の空気が、また少し変わった。
出版社の二人は、もはや完全に聞いてはいけない話を聞いている顔だった。
広報官は、議事録用端末からそっと手を離している。
アプトムだけが、遠慮なく踏み込んだ。
「で、バルカス翁は何て答えたんだよ」
ヴァルキュリアは、一呼吸置いた。
その顔には、いつもの監察官としての冷静さが戻りかけていた。
だが、耳の赤みだけは残っている。
「博士は、まずこう仰いました」
彼女は、少しだけ声色を落とした。
「総帥は、普通に女性を好まれる。別に女を遠ざけておられるわけではない、と」
アプトムは眉を寄せた。
「……ここまでは普通だな」
村上も、ほんの少し訝しげな顔をした。
問題は、おそらくその先だ。
ヴァルキュリアは続けた。
「ですが、博士はこうも仰いました」
その口調が、どこか苦いものを含んだ。
「総帥にとって、女を寝所に置くこと自体は珍しいことではない。ですが、それによって政治や研究や軍務が歪むなら、総帥はそちらを嫌われる、と」
アプトムの表情が変わった。
「あー……」
村上も、少しだけ理解した顔になった。
ヴァルキュリアは視線を下げる。
「つまり、私は女として魅力がないと判断されたのではなく」
そこで一度、言葉を切った。
「近づければ面倒になる女だと判断されたのだと、当時は受け取りました」
会議室が静かになった。
それは、軽い冗談として片付けにくい言葉だった。
面倒な女。
その表現は自嘲に近かった。
だが、その中には怒りもあった。
傷ついた誇りもあった。
自分が拒まれた理由を、能力でも美貌でもなく、政治的危険物として扱われたのだと感じた若い女の屈辱があった。
アプトムは、頭を掻いた。
「……つまり、女として見られてないってより、近づけたら権力まわりが爆発する女扱いされたわけか」
「当時の私は、そう解釈しました」
「そりゃプライド傷つくわ」
アプトムは珍しく、笑わなかった。
「男色疑惑っていうより、自分が避けられてる理由を探したんだな」
ヴァルキュリアは、小さく頷いた。
「はい」
村上は静かに言った。
「博士の説明も、間違ってはいないのでしょう。ただし、若い女性に向ける説明としては、配慮が足りません」
「博士らしいです」
ヴァルキュリアは淡々と答えた。
その淡々とした声が、かえって当時の彼女の傷を浮き立たせていた。
その時、アルカンフェルが口を開いた。
「来たばかりの頃のお前は危うかったからな」
全員の視線が総帥に向いた。
アルカンフェルは、いつものように静かだった。
「美しいかどうかではない」
ヴァルキュリアの肩が、わずかに動いた。
「はい」
「女であるかどうかでもない」
彼は続けた。
「お前は、己を証明しようとしていた。父に値踏みされ、家に使われ、私の側へ来てもなお、自分がただの献上品ではないと示そうとしていた」
ヴァルキュリアは答えなかった。
アルカンフェルは淡々と言う。
「その時のお前を寝所に置けば、お前は私に勝とうとしただろう」
アプトムが思わず口を挟む。
「言い方」
村上も即座に言った。
「総帥、非常に危険な言い方です」
アルカンフェルは二人を見た。
「違うのか」
村上は言葉に詰まった。
ヴァルキュリアが、静かに答えた。
「……違いません」
会議室は、また黙った。
彼女は目を伏せたまま続ける。
「当時の私なら、そうしたと思います。愛されることではなく、認めさせることを優先したでしょう」
アルカンフェルは頷いた。
「だから置かなかった」
短い言葉だった。
だが、それは拒絶ではなかった。
少なくとも、今のヴァルキュリアにはそう聞こえた。
「お前が面倒だったからではない。お前自身を、お前の焦りで壊す必要がなかった」
ヴァルキュリアは息を止めた。
アプトムは小さく呟いた。
「……総帥、たまに反則みたいなこと言うよな」
村上も、何も言えなかった。
アルカンフェルは不思議そうに首を傾げた。
「何かおかしいか」
「おかしくはありません」
村上は疲れた声で答えた。
「ただし、そこまで説明するなら最初からそう言ってください」
「聞かれなかった」
「そういうところです」
アプトムが苦笑した。
「バルカス翁も総帥も、説明が足りねぇんだよ。そりゃヴァルキュリアも変な方向に疑うわ」
ヴァルキュリアは、少しだけ顔を赤くした。
「変な方向とまでは」
「男色疑惑は変な方向だろ」
「……否定はしません」
村上は端末を閉じた。
「この会話も、議事録には残しません」
広報官は即座に頷いた。
「はい。存在しない会話です」
出版社の編集長も、青い顔で頷いた。
「何も聞いておりません」
副編集長も続いた。
「弊社は何も知りません」
アプトムだけが笑った。
「俺は覚えてるけどな」
「アプトム」
「はいはい。黙るって」
だが、その笑いは先ほどより少しだけ柔らかかった。
/*/
そして、次の瞬間。
アルカンフェルは、また北米版企画書に視線を戻した。
「では、ベッドシーンは不要か」
「不要です!」
村上、広報官、出版社、ヴァルキュリアがほぼ同時に答えた。
アプトムだけが笑い転げた。
「すげぇ。全員一致だ」
アルカンフェルは頷いた。
「分かった」
村上は疲れ切った声で確認した。
「本当にお願いします。総帥。今後、男色疑惑払拭のために映画の性的描写を使う、という発想は封印してください」
「封印か」
「封印です」
「分かった」
アプトムが横から言う。
「三回確認しろ」
「総帥」
「分かった」
「総帥」
「分かった」
村上はようやく息を吐いた。
「ありがとうございます」
広報官は、端末にメモを残した。
> 重要:総帥による疑惑払拭目的の演出提案は全て村上閣下確認案件
アプトムがそれを見て笑った。
「また新しい地獄みたいな項目が増えたな」
村上は否定しなかった。
/*/
だが、アルカンフェルの各国映画テンプレートへの興味は、そこで終わらなかった。
「では、インド版は歌うのか」
村上は深く息を吐いた。
「インド映画には歌と舞踏を重要な表現として用いる作品が多いことは事実ですが、突然歌い出すという言い方は避けてください」
「だが、突然歌うのだろう」
「突然ではありません。物語上の情緒表現です」
「ならば、王と令嬢が歌うのか」
「可能性はあります」
「よいではないか」
村上が固まった。
「よい、ですか」
「王が歌うのは珍しい」
「珍しいかどうかではありません」
「民が喜ぶならば、歌えばよい」
アプトムが腹を抱えた。
「インド版若き王、歌唱決定かよ!」
広報官は顔面蒼白だった。
「総帥を想起させる王が、令嬢と歌って踊る……?」
村上は端末にメモを打ちながら言った。
「インド版については、舞踏表現の許容範囲を明文化します」
「許容するのですか?」
「禁止すれば文化表現への干渉になります」
「では歌うのですか?」
「おそらく歌います」
広報官は椅子に沈んだ。
「総帥が歌う……」
「総帥ではありません。他人の空似です」
「誰もそう思ってくれません」
「それでも公式には他人の空似です」
アプトムが笑いながら言った。
「村上、目が死んでるぞ」
「死にますよ」
/*/
アルカンフェルは、次に日本版の資料を指した。
「日本映画は、落城して全員死ぬのか?」
「総帥、それは時代劇や歴史悲劇の一部イメージです」
「違うのか」
「違う作品も多数あります」
「日本人は悲しい結末を好むのではないのか」
「好む傾向がある作品群は存在しますが、全てではありません」
「ならば、落城せずに終わることもあるのか」
「あります」
「だが、落城すると美しいのではないか」
「美しさの問題ではありません」
アプトムが横から言った。
「日本版『王家の元で』、最終章で城が燃えて王と令嬢が心中したら、原作ファンが暴動起こすぞ」
村上は頷いた。
「確実に起こします」
広報官が小さく言った。
「発禁より危険では」
「はい」
ヴァルキュリアが静かに口を開いた。
「原作は、純愛ものです」
全員が彼女を見た。
ヴァルキュリアは表情を変えずに続ける。
「全員死亡エンドは、原作読者層からの反発が強いと思われます」
村上は頷いた。
「極めて正確な分析です」
アプトムが笑った。
「ヴァルキュリア、ちゃんと読んでるな」
「業務上必要です」
「業務上ねぇ」
「業務上です」
アルカンフェルは少し考えた。
「では、日本版は死なせるな」
広報官は、なぜか安堵した。
「ありがとうございます」
「だが、城は燃えてもよい」
「よくありません!」
/*/
話はさらに続いた。
「フランス版はどうする」
アルカンフェルが問う。
村上は警戒しながら答えた。
「心理劇になる可能性が高いです」
「最後まで何も言わぬのか」
「作品によります」
「見つめ合うのか」
「おそらく」
「では、それでよい」
「何がよいのですか」
「沈黙で分かるならば、言葉は少なくてよい」
村上は一瞬、言葉に詰まった。
アプトムが小声で言う。
「フランス版、総帥適性あるな」
「やめてください」
アルカンフェルはロシア版を見た。
「ロシアは雪だな」
「総帥」
「雪の中で耐えるのだろう」
「雑です」
「帝国と孤独と冬だ」
「雑ですが、企画書にも似たことが書いてあります」
広報官が絶望した。
「当たっている……」
アプトムが笑った。
「総帥、雑な映画理解なのにたまに刺さるのやめろ」
アルカンフェルは最後に中国版を見た。
「中国版は、朝議と統一か」
「はい。政治劇寄りの企画です」
「よい」
「よい、ですか」
「王を支える女ならば、政務を描くべきだ」
ヴァルキュリアが、ほんの少しだけ目を伏せた。
村上は静かに頷いた。
「その点は、私も同意します」
/*/
結局、クロノス広報局は新たな条件を追加することになった。
> 映像化に関する追加ガイドライン
>
> 一、各国・地域の映画表現の特徴を尊重する。
>
> 二、ただし、文化的特徴を安易なステレオタイプとして扱ってはならない。
>
> 三、北米版において、恋愛関係の身体的親密性を描写する場合、実在人物との混同、モデル疑惑、本人の尊厳、作品の純愛性、地域別年齢区分への影響を十分に考慮し、過度に直接的な描写は避けること。
>
> 四、当該描写は、噂の否定、政治的意図、広報目的のために用いてはならない。
>
> 五、インド版における歌唱・舞踏表現は、地域映画文化として尊重する。ただし、登場人物の主体性と物語上の必然を伴うこと。
>
> 六、日本版において、原作の純愛性を破壊する過度な悲劇化、全員死亡、落城心中等は推奨しない。
>
> 七、フランス版における心理劇表現、沈黙、曖昧な情緒表現は許容する。観客が困惑する可能性については制作側の責任とする。
>
> 八、ロシア版における冬、帝国、孤独、重厚な叙事詩的表現は許容する。ただし、上映時間については地域配給上の現実的範囲を考慮すること。
>
> 九、中国版における政治劇・朝議・国家統合表現は許容する。ただし、女性主人公を単なる賢后記号として固定せず、本人の意思と判断を描くこと。
広報官は、その文面を読んで震えた。
「我々は、何を書いているのでしょうか」
村上は無表情で答えた。
「総帥の各国映画テンプレート発言を、国際映像化ガイドラインに翻訳しています」
「そんな仕事、存在しますか」
「今、発生しました」
アプトムは腹を抱えて笑っていた。
「最高だな。総帥の『アメリカ映画はベッドシーン、インドは歌、日本は全員死ぬ』が、こんな上品な文面になるのか」
「笑わないでください」
「無理だろ」
/*/
通達が出ると、世界中でさらに話題になった。
> 【速報】『王家の元で』映画化ガイドライン、なぜか各国映画文法に言及
> 【北米版ベッドシーン事前確認】
> 【インド版歌唱・舞踏は許容】
> 【日本版全員死亡エンド非推奨】
> 【フランス版、観客困惑は制作側責任】
> 【ロシア版、上映時間に注意】
> 【中国版、朝議シーン許容】
掲示板は当然、爆発した。
1:名無しの市民
何だこのガイドライン。
2:名無しの市民
映画祭か?
3:名無しの市民
北米版ベッドシーン事前確認で草。
4:名無しの市民
そりゃ確認いるだろ。
総帥とヴァルキュリア閣下疑惑の映画だぞ。
5:名無しの市民
インド版は歌っていいらしい。
6:名無しの市民
むしろ歌わないインド版は見たくない。
7:名無しの市民
日本版全員死亡エンド非推奨。
8:名無しの市民
推奨するな。
9:名無しの市民
落城心中って何だよ。
10:名無しの市民
原作ファンが死ぬ。
11:名無しの市民
フランス版「観客が困惑する可能性については制作側の責任」
ここ好き。
12:名無しの市民
ロシア版、上映時間に注意されてるの草。
13:名無しの市民
中国版、朝議シーン許容。
14:名無しの市民
もう各国版全部見たい。
15:名無しの市民
総帥が各国映画テンプレをリクエストした説ある?
16:名無しの市民
ありそう。
17:名無しの市民
「アメリカ映画は激しい戦闘の前にベッドシーンを挟むのだろう?」とか言ってそう。
18:名無しの市民
言いそうすぎる。
19:名無しの市民
でもガイドラインの「噂の否定目的で身体的親密性を描くな」って何?
20:名無しの市民
何かあったな。
21:名無しの市民
絶対何かあった。
22:名無しの市民
まさか総帥、男色疑惑払拭のためにベッドシーン入れろとか言った?
23:名無しの市民
さすがに言わないだろ。
24:名無しの市民
総帥だぞ?
25:名無しの市民
言ったな。
26:名無しの市民
村上閣下の胃、また死んだ。
村上は、そのスレッドを見て端末を閉じた。
「なぜ当てるんですか」
アプトムが笑った。
「みんな総帥語に慣れてきたんだろ」
「嫌な慣れです」
ヴァルキュリアは、少しだけ赤い顔で黙っていた。
アルカンフェルは、不思議そうに言った。
「結局、疑惑は払拭されたのか」
村上は即答した。
「その話題を続けないことが、最大の払拭です」
「そうか」
「はい」
アプトムがにやにや笑った。
「まあ、ヴァルキュリアのプライドは回復したみたいだし、いいんじゃねぇの」
ヴァルキュリアが静かに言った。
「アプトム」
「はいはい、黙る」
だが、彼は笑っていた。
世界を統一した総帥。
その男色疑惑。
疑惑を流した側近の、女としてのプライド。
それを払拭するために映画へベッドシーンを入れようとする古代王。
それを必死に止める現代日本人の獣神将。
クロノス広報局の業務範囲は、また一つ広がってしまった。