映画『王家の元で』六か国版の大ヒットは、単なる娯楽の成功ではなかった。
2020年代半ば。
宇宙怪獣防衛戦を経験した世界において。
それは、クロノス支配が大衆の中で、どの段階まで受け入れられているかを示す一つの指標でもあった。
かつて、クロノスは恐怖の名だった。
世界同時制圧。
獣化兵。
旧国家軍の敗北。
政治体制の崩壊。
人類は、ある日突然、それまで当然だと思っていた国家と国境の多くを失った。
世界はクロノスによって統一された。
あれから三十年以上が経つ。
街には電気が通った。
病院は増えた。
道路は整備された。
飢餓地域には食糧が届いた。
内戦は止められた。
疫病監視網は機能した。
災害救助は早くなった。
地球規模の通信網が整備された。
宇宙開発は急速に進み、赤道軌道リング建設へつながる技術基盤も築かれた。
そして。
2011年。
宇宙怪獣が来た。
それまでクロノスを嫌っていた者ですら、この時だけは認めざるを得なかった。
世界統一がなければ。
獣化兵軍団が存在しなければ。
アルカンフェルと十二神将を中心とした統一指揮系統が存在しなければ。
各地域の軍事力、生産力、輸送網、情報網を一つの意思で動かす体制が整っていなければ。
人類は2011年に滅亡していた。
これはクロノスによる宣伝文句ではなかった。
戦後検証でも、ほぼ動かしようのない結論だった。
旧国家体制のままなら、各国軍は個別に迎撃し。
情報共有に時間を使い。
指揮権を巡って揉め。
戦力を逐次投入し。
核兵器を含む既存兵器を大量消費した末に。
地球防衛線そのものが崩壊していた。
それほどの敵だった。
クロノスは人類を征服した。
そして。
その征服によって作られた統一世界が、結果として人類を生き残らせた。
この事実は、クロノス支配に対する議論を極めて面倒なものにしていた。
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人々は、世界政府を愛したわけではない。
少なくとも、全員が愛したわけではない。
だが、世界政府のある生活には慣れた。
クロノスの制服を見て、即座に銃口や収容所を連想する者は減った。
代わりに、多くの人間は別のものを連想するようになった。
災害時に来る救助隊。
病院を建てる行政官。
停電を直す技術者。
学校端末を配る教育局員。
道路を通す工兵隊。
宇宙怪獣襲来時に都市上空へ展開した防衛部隊。
避難民を運んだ輸送隊。
破壊された都市を建て直した復興局。
そして。
失言する総帥。
胃を痛める村上閣下。
歌って踊るインド版の若き王。
手袋に口づける北米版の王。
朝議で令嬢に言葉を修正される中国版の王。
それらは、心底恐怖されているだけの政権では生まれにくい反応だった。
人は、本当に口にすることすら恐ろしい支配者を、恋愛映画の題材として笑いながら消費しない。
少なくとも。
六か国版を見比べ。
どの王が一番総帥に似ているか議論し。
コンプリートBOXの発売日に統一市民登録ナンバーを使って正規購入し。
品切れを嘆く程度には。
クロノスは日常になっていた。
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掲示板でも、そのことは半ば冗談として語られた。
1:名無しの市民
これもう、大衆はクロノス支配を受け入れてるよな。
2:名無しの市民
受け入れてないなら、総帥っぽい王の恋愛映画BOXなんか買わない。
3:名無しの市民
しかも品切れ。
4:名無しの市民
転売屋じゃなくて普通に需要過多なのが象徴的。
5:名無しの市民
クロノス怖い!
でもインド版は見る。
日本版で泣く。
中国版の朝議で納得する。
もう完全に生活に組み込まれてる。
6:名無しの市民
支配を愛してるというより、支配のある世界で普通に暮らしてる。
7:名無しの市民
電気、医療、通信、治安、教育、仕事。
これ全部クロノス標準化されてるからな。
8:名無しの市民
あと一番でかいの忘れてる。
9:名無しの市民
何?
10:名無しの獣化兵
2011年。
11:名無しの市民
あー。
12:名無しの一般人
宇宙怪獣か。
13:名無しの調整体
クロノス統一されてなかったら、あそこで人類終了だったって戦後検証でほぼ確定してるからな。
14:名無しの市民
反クロノス活動家
「支配に慣れるな!」
一般市民
「でもクロノスなかったら十五年前に人類滅んでるし……」
15:名無しの一般人
強すぎる。
16:名無しの市民
政治思想への反論が
「でもお前も2011年で死んでたぞ」
になるのズルい。
17:名無しの獣化兵
ズルではない。事実だ。
18:名無しの市民
さらに病院助かったし、道路便利だし、映画面白いし。
19:名無しの一般人
思想じゃなくて生活と生存実績で殴ってくる。
20:名無しの市民
統治の正当性を電気と防衛戦で殴るやつ。
21:名無しの一般人
そこに映画とポップコーンまで来た。
22:名無しの市民
世界を救った絶対支配者がポップコーン買って、少女漫画映画化されて、六か国版BOXが売り切れる世界。
23:名無しの一般人
革命のテンション維持するの無理だろ。
24:名無しの調整体
「打倒クロノス!」
25:名無しの市民
倒した後、宇宙怪獣来たら誰が指揮するの?
26:名無しの調整体
……。
27:名無しの一般人
そこを用意しないと話にならないんだよな。
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もちろん、反対勢力が消えたわけではない。
一部の運動勢力は、むしろこの状況を危険視した。
彼らにとって、映画のヒットは笑い事ではなかった。
クロノスが人々を露骨に弾圧しているからではない。
逆である。
クロノスが人々に、安定した生活と娯楽を与えているからこそ危険だった。
「支配者を恋愛映画の題材として消費することは、独裁の無害化である」
「クロノスは恐怖ではなく日常として人類を馴致している」
「総帥を茶化せること自体が自由の証明ではない。許された範囲内で遊ばされているだけだ」
「電気と医療と娯楽、そして2011年の防衛戦を統治の正当化に利用している」
「人類を救ったという事実によって、その後の支配すべてが許されるわけではない」
その批判には、一理あった。
クロノス支配は自由な民主主義ではない。
最終権力はクロノス中枢にある。
軍事力は圧倒的である。
獣化兵部隊は存在する。
通信網も行政網も、最終的にはクロノスの管制下にある。
反乱すれば鎮圧される。
重大な秩序破壊は許されない。
選挙によってアルカンフェルを総帥の座から降ろす制度もない。
その意味で、反対派の警戒そのものは理解できた。
そして。
2011年に人類を救ったことと。
クロノスの政治体制を無条件に肯定することは、本来なら別の問題である。
それも正しい。
だが。
大衆がその理屈に乗るかは、さらに別の話だった。
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多くの市民にとって。
クロノス支配は、抽象的な政治制度の問題より先に、具体的な生活として現れていた。
飢えない。
治療を受けられる。
子供が学校へ行ける。
道路が通る。
通信がつながる。
災害時に救助が来る。
戦争がない。
宇宙から怪物が来た時には、軍隊が戦ってくれる。
そして。
少なくとも一度。
本当に勝った。
さらに映画も観られる。
それらは強かった。
特に2011年という実績は重かった。
世界統一以前。
クロノスの世界征服について、
「人類はクロノスに自由を奪われた」
と言うことはできた。
だが、宇宙怪獣防衛戦以降。
そこには必ず、
「では、統一されていなければ2011年をどう生き延びたのか」
という問いがついて回る。
旧国家軍による共同防衛。
国際連合作戦。
核抑止。
それらについて膨大な戦後シミュレーションが行われた。
結論は、ほとんど同じだった。
間に合わない。
戦力が足りない。
指揮統制が遅い。
通常人類だけでは敵の戦闘能力に対応できない。
クロノスが事前に作り上げた獣化兵軍。
世界規模の兵站。
統一された宇宙監視網。
神将級戦力。
そしてアルカンフェル。
それらが欠ければ、防衛線は崩壊する。
要するに。
現在クロノスに反対している人間も。
クロノスが世界統一をしていなければ。
その多くは2011年以降、この世界に存在していなかった。
思想としては非常に扱いづらい事実だった。
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村上征樹は、この状況をかなり冷静に見ていた。
「大衆は、クロノスを支持しているというより、クロノス後の世界を手放したくないのだと思います」
広報官が尋ねる。
「同じことではありませんか」
「違います」
村上は首を振った。
「支持とは、理念や正当性への同意です。手放したくないというのは、自分の生活と安全保障に対する判断です」
「依存ということでしょうか」
「それもあります。ただ、依存だけと表現するのも正確ではありません」
彼は端末に表示された各地域の世論調査を見る。
クロノスへの積極的忠誠。
高くはない。
クロノス統治下の生活満足度。
極めて高い。
旧国家体制への復帰希望。
低い。
クロノス中枢への不信感。
一定数存在。
総帥個人への批判。
普通に存在する。
反クロノス武装闘争への支持。
極めて低い。
そして。
現在の世界防衛体制を解体することへの賛成。
ほとんど存在しない。
「人々は、総帥を神のように崇めているわけではありません」
村上は言った。
「ですが、旧世界に戻りたいとも思っていない」
アプトムが横から口を挟んだ。
「そりゃそうだろ」
「昔の国境」
「昔の戦争」
「昔の貧困」
「昔の医療格差」
「昔の情報格差」
アプトムは指を折った。
「それを全部復活させたうえで、次の宇宙怪獣襲来は各国で頑張りましょうって言われて、賛成する奴がどれだけいる?」
「少ないでしょうね」
「反クロノスは、クロノスを倒した後の暮らしだけじゃなくて」
アプトムは続けた。
「クロノスを倒した後に、誰が地球を守るのかまで提示しないと駄目なんだよ」
村上は頷いた。
「そこが、2011年以降の反対運動が抱える最大の問題の一つです」
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アルカンフェルは、この話を聞いても大きな反応を見せなかった。
「民は受け入れたのか」
村上は答えた。
「少なくとも、大多数は現在の統治を前提に生活しています」
「ならばよい」
「ただし、思想的な反発は残っています」
「残るだろう」
「よろしいのですか」
「全ての民が同じことを考える方が気味が悪い」
村上は少しだけ驚いた。
アプトムも目を細めた。
アルカンフェルは続けた。
「不満は残る。怒りも残る。旧き旗を掲げる者もいる。私を憎む者もいる」
「はい」
「だが、飢えず、凍えず、病で死なず、子を育てられるならば、多くは剣を取らぬ」
彼は静かに言った。
「支配とは、全員に愛されることではない。多くの者が、明日も同じ屋根の下で眠れると思うことだ」
村上は黙った。
その言葉は、民主主義者の言葉ではなかった。
だが。
統治者の言葉だった。
恐ろしく古く。
恐ろしく現実的だった。
村上は少し迷ってから言う。
「2011年の件を、統治の正当性として積極的に宣伝するつもりはありませんか」
「なぜだ」
「総帥が世界を統一していなければ、人類は滅亡していた。その事実を前面に出せば、反対勢力への強力な反論になります」
アルカンフェルは、少しだけ首を傾けた。
「事実なのだろう」
「はい」
「ならば記録しておけばよい」
「宣伝には?」
「使う必要はない」
「なぜです」
「生きている者は知っている」
淡々とした答えだった。
「それに」
アルカンフェルは続けた。
「私が人類を守ったから従え、と言い始めれば面倒だ」
村上が瞬きをした。
「……総帥が、それを仰いますか」
「一度守ったからといって、未来永劫の忠誠を要求するのは理屈が通らぬだろう」
アプトムがアルカンフェルを見る。
「お前、たまに妙にまともだな」
「何がだ」
「いや。いい」
村上は少し笑った。
「では、2011年については、あくまで歴史的事実として扱います」
「そうしろ」
「ただ、それでも市民が判断材料にすることまでは止められません」
「好きに判断させればよい」
「承知しました」
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映画『王家の元で』のヒットは、その象徴だった。
大衆は、クロノスを完全な善だと信じたわけではない。
総帥を無謬の聖王として崇拝したわけでもない。
ヴァルキュリアを理想の側近として神格化したわけでもない。
むしろ茶化した。
笑った。
泣いた。
歌った。
議論した。
BOXを買った。
その時点で。
クロノスはもう、単なる占領者ではなかった。
日常だった。
怖いが、便利。
強すぎるが、安定している。
民主的ではないが、旧世界より暮らしやすい。
文句はある。
だが、戻りたくはない。
そして何より。
一度、本当に人類を滅亡から守っている。
それが、大衆の判断を決定的に重くしていた。
だから。
一部の運動勢力を除いて、2020年代半ばの社会では、クロノスによる統一世界はほぼ生活の前提として受け入れられている。
それも、熱狂ではなく。
もっと根深い形で。
生活として。
習慣として。
安全保障として。
娯楽として。
子供が学校端末でクロノス標準教材を使う。
親が統一通信網で映画を予約する。
祖父母が新しい病院で治療を受ける。
若者が総帥っぽい王の恋愛映画を見て泣く。
宇宙怪獣防衛戦の記念館では、2011年に失われた者たちの名前が並ぶ。
その横には。
もしクロノスによる世界統一が行われていなかった場合の戦後シミュレーション結果が展示されている。
人類文明存続率――ほぼ0%。
革命は。
単に現体制を倒す提案では済まなくなった。
その日常を壊した後。
次に宇宙から何かが来た時。
どうやって人類を守るのか。
そこまで答えなければならない。
だから弱い。
クロノスは、恐怖だけで勝ったのではない。
世界を征服し。
生活を作り直し。
そして2011年。
その世界そのものを守り切った。
人々の生活の前提になることで。
クロノスは、二度目の勝利を得たのである。