その日も、アルカンフェルは休日だった。
前回、Mのつくファストフード店で食事をしただけで株価が動き、各社から無料クーポンが送りつけられたため、広報局は警戒していた。
だが総帥本人は、あくまで普段通りだった。
昼時。
彼はふらりと街へ出て、近くにあった牛丼チェーン店に入った。
理由は、またしても単純だった。
「早い」
券売機の前で少しだけ考え、アルカンフェルは一つのメニューを選んだ。
チーズ牛丼。
特別な意図はない。
高級志向でもない。
庶民派アピールでもない。
食べたことがないので、食べてみただけである。
数分後、カウンター席の端で、世界総帥は無言でチーズ牛丼を食べていた。
店内にいた客が、それに気づいた。
「……総帥?」
次の瞬間、写真が拡散された。
総帥、牛丼屋でチーズ牛丼を食べる。
ネットは爆発した。
【速報】総帥、チーズ牛丼を食べる
1:名無しの市民
総帥が牛丼屋でチーズ牛丼食ってたってマジ?
2:名無しの一般人
写真出てる
カウンター席で普通に食ってる
3:名無しの獣化兵
またぼっち飯してる……
4:名無しの調整体
総帥、完全に一人飯いける口だな
5:名無しの市民
チーズ牛丼!?
6:名無しの一般人
やべぇ
チー牛って蔑称だったのに言えなくなった
7:名無しの獣化兵
お前、世界総帥に「チー牛」呼びするんか?
8:名無しの調整体
無理
9:名無しの市民
言えるわけない
10:名無しの一般人
使った瞬間に
「総帥と同じものを食べている人を侮辱するのか?」
ってなるやつ
11:名無しの獣化兵
流石は俺たちの総帥!
12:名無しの市民
謎の支持上昇で草
13:名無しの調整体
いやでも正直ちょっと嬉しい
好きなもの食っただけで馬鹿にされるの、普通に嫌だったし
14:名無しの一般人
総帥、また意図せずネットスラングを破壊する
15:名無しの獣化兵
無課金勢を救い
ぼっち飯勢を救い
今度はチーズ牛丼勢を救う男
16:名無しの市民
救済範囲が庶民すぎる
17:名無しの調整体
本人は絶対そんなつもりない
18:名無しの一般人
そこがいいんだよ
「チー牛」という言葉を気軽に投げていた層は、急に肩身が狭くなった。
今までは、陰気そうな人間、冴えない人間、弱そうな人間を雑に笑うための言葉だった。
だが、その中心に置かれていた食べ物を、世界総帥が普通に食べてしまった。
しかも、全く恥じる様子もなく。
堂々と。
淡々と。
カウンターで一人、チーズ牛丼を食べていた。
その絵面が強すぎた。
【悲報】チー牛煽り、使いづらくなる
1:名無しの市民
もうチー牛煽り無理じゃね?
2:名無しの一般人
総帥に刺さる可能性が出た時点で無理
3:名無しの獣化兵
刺さるというか、総帥は気にしなさそう
4:名無しの調整体
気にしないから余計にこっちが惨めになるやつ
5:名無しの市民
「チーズ牛丼食ってそう」
総帥「食ったが」
これで終わる
6:名無しの一般人
強い
7:名無しの獣化兵
蔑称が事実確認で無効化されるの草
8:名無しの市民
総帥、ネット煽りへの耐性が高すぎる
9:名無しの調整体
そもそも万年単位で生きる存在に、牛丼メニューでダメージ与えようとするな
10:名無しの一般人
言われてみればそう
11:名無しの市民
今までチー牛言ってた奴ら、急に黙ってて草
12:名無しの獣化兵
そりゃ肩身狭いだろ
総帥支持層だけじゃなく、普通に飯を馬鹿にするな派まで合流した
13:名無しの調整体
「好きなもの食え」で終わる話だったんだよな
14:名無しの一般人
総帥がそれを実践してしまった
経済局も当然、動いた。
牛丼チェーンの株価が跳ねたのである。
「総帥。先日の外食についてです」
アルカンフェルは、報告書から顔を上げた。
「またか」
「はい」
「私は牛丼を食べただけだ」
「チーズ牛丼です」
「それがどうした」
経済局長は淡々と答えた。
「該当チェーンの株価が急上昇しています。該当メニューの売上も急増。関連するチーズ、米、牛肉、持ち帰り容器、外食株全般にも波及が見られます」
「なぜだ」
「総帥が食べたからです」
「私は一度食べただけだ」
「それが重要なのです」
アルカンフェルは目を伏せた。
「またそれか」
広報局長は、少し複雑な顔で別の資料を出した。
「さらに、ネット上での蔑称使用が減少傾向にあります」
「蔑称?」
「チーズ牛丼に由来する侮蔑的表現です。総帥がそのメニューを召し上がったことで、使用しづらくなったようです」
アルカンフェルは、少し沈黙した。
「食べ物の名を、人を侮る言葉にしていたのか」
「はい」
「人は変らんな」
広報局長は答えに詰まった。
文化局長が、代わりに言った。
「人間は、身近なものほど雑に蔑称へ転用しますので」
「面倒だな」
「文明の悪い部分です」
アルカンフェルは少し考えた後、言った。
「好きなものを食えばよい」
その一言が、また漏れた。
翌日、掲示板では新しい祭りが起きていた。
【名言】総帥「好きなものを食えばよい」
1:名無しの市民
総帥、チーズ牛丼騒動について
「好きなものを食えばよい」
って言ったらしい
2:名無しの一般人
強すぎる
3:名無しの獣化兵
これで終わりでいい
4:名無しの調整体
食べ物で人を馬鹿にするなという、あまりにも普通の話
5:名無しの市民
普通の話を世界総帥が言うと重い
6:名無しの一般人
チー牛煽りしてた連中、完全に肩身狭くなってて草
7:名無しの獣化兵
総帥に喧嘩売る勇気あるなら続ければいい
8:名無しの市民
ないです
9:名無しの調整体
流石は俺たちの総帥!
10:名無しの一般人
また謎の庶民支持が上がった
11:名無しの獣化兵
三部屋生活
CS機派
ソシャゲ基本無課金
ぼっち飯
チーズ牛丼
総帥、庶民属性が増えすぎる
12:名無しの市民
でも移動距離は天文単位
13:名無しの一般人
そこだけ庶民じゃない
牛丼チェーン側は、もちろん色めき立った。
だが、Mのつくファストフード店の一件で学習していた広報局は、先手を打った。
総帥個人を広告・販促に利用することは控えること。
特定メニューを総帥御用達として過度に喧伝しないこと。
それでも、客足は増えた。
「総帥セットください」
「そういう商品名ではありません」
「チーズ牛丼で」
「はい」
店員たちは、何度も同じやり取りをする羽目になった。
一方、アルカンフェル本人は、報告書を読みながら不思議そうにしていた。
「私は、そんなに珍しいものを食べたのか」
経済局長は答えた。
「珍しいのはメニューではなく、総帥がそれを選んだことです」
「味は悪くなかった」
「その一言だけで、また動きます」
「では言わん」
「もう記録されました」
「……」
広報局長が静かに言った。
「総帥。今後、外食時の発言にはご注意ください」
「飯の感想も言えんのか」
「言えますが、動きます」
「何が」
「市場と世論が」
アルカンフェルは深く息を吐いた。
「文明は面倒だ」
その後、「チー牛」という言葉は完全に消えたわけではなかった。
だが、以前のように気軽な侮蔑として使うには、妙な重さが生まれてしまった。
誰かが言えば、すぐに返される。
「総帥も食べてるぞ」
「世界総帥に同じこと言えるのか」
「好きなものを食えばよい、だろ」
ただ牛丼を食べただけで、ネットスラング一つの空気が変わった。
アルカンフェルは、それを狙ったわけではない。
ただ、空腹だった。
近くに店があった。
食べたことのないメニューを選んだ。
それだけだった。
それだけで、またひとつ、世界が少しだけ変わった。