騒動は、そこで終わらなかった。
蔑称としての「チー牛」が使いにくくなった数日後。
今度は、別の方向へ流れ始めた。
発端は、ある女性誌の短い記事だった。
> 一人で気負わず店に入り、好きなものを淡々と食べられる人。
> 周囲の視線に流されず、自分の時間を楽しめる人。
> そういう男性は、少し素敵かもしれない。
記事には、牛丼店のカウンター席で食事をする男性のイメージ写真が添えられていた。
注文は、チーズ牛丼。
当然、掲示板は荒れた。
【異変】「一人でチー牛食べられる人って素敵」
1:名無しの市民
おい。
2:名無しの一般人
何だこれは。
3:名無しの市民
言ってること反転してんぞ。
4:名無しの一般人
チー牛はダサいんじゃなかったのか?
5:名無しの市民
先月までお前ら笑ってただろ。
6:名無しの調整体
価値観は更新されるものです。
7:名無しの市民
更新速度が速すぎる。
8:名無しの獣化兵
総帥が食った。
9:名無しの市民
それだけで?
10:名無しの獣化兵
それだけで。
11:名無しの一般人
これが総帥効果か……。
12:名無しの市民
世界が侵食された。
13:名無しのクロノス支持者
侵食ではありません。文化的再評価です。
14:名無しの市民
言い方を変えるな。
15:名無しの一般人
「周囲に流されず好きな物を食べる、自立した男性」
16:名無しの市民
それ総帥を見て後付けしただけだろ。
17:名無しの女性誌関係者
必ずしも総帥閣下のみを想定したものではありません。
18:名無しの市民
のみ。
19:名無しの一般人
想定はしてるんだ。
20:名無しの女性誌関係者
参考にはしました。
21:名無しの市民
やっぱり総帥じゃねえか。
/*/
それまで「チーズ牛丼を一人で食べる男」は、侮蔑の記号として扱われていた。
陰気。
冴えない。
服に無頓着。
会話が苦手。
異性に縁がない。
それらを一枚の雑な像へまとめ、笑うための言葉だった。
だが、アルカンフェルが同じ行動をしたことで、像の中心が入れ替わってしまった。
白いスーツ。
整った顔立ち。
揺るがない姿勢。
他人の視線を意識することなく、カウンターの端で静かに食事をする世界総帥。
誰にも媚びず。
誰にも見せつけず。
食べたいものを、自分で選び。
一人で食べて帰る。
同じ行動でも、意味づけが変わった。
> 孤独なのではない。
> 一人でいられるのだ。
> 冴えないのではない。
> 飾る必要を感じていないのだ。
> 会話が苦手なのではない。
> 不要な会話をしないのだ。
> チーズ牛丼を選んだのではない。
> 周囲の評価より、自分の味覚を優先したのだ。
「いや、全部総帥に寄せて解釈してるだけだろ」
という指摘は、正しかった。
だが、流行は正しさだけでは止まらなかった。
/*/
やがて、服飾誌まで参入した。
> 無理に高級店へ行かない。
> 一人で食事ができる。
> 過度に自己演出しない。
> 清潔で、静かで、自分の好みを知っている。
>
> 新しい男性像――“ソリタリー・カジュアル”。
添えられていた服装は、白いシャツと黒いパンツだった。
【悲報】白シャツ黒パンツで一人チー牛が流行
1:名無しの市民
完全に総帥じゃん。
2:名無しの服飾関係者
総帥閣下は仕立てが違います。
3:名無しの市民
そこじゃない。
4:名無しの一般人
白シャツ。
黒パンツ。
一人飯。
チーズ牛丼。
5:名無しの市民
総帥コスプレでは?
6:名無しの服飾関係者
あくまで着想です。
7:名無しの一般人
襟に銀の刺繍まで入ってるぞ。
8:名無しの市民
着想が具体的すぎる。
9:名無しの調整体
最近、牛丼屋に白服の男が増えた。
10:名無しの店員
増えました。
11:名無しの市民
店員来た。
12:名無しの店員
皆さん、妙に姿勢が良いです。
13:名無しの市民
総帥を意識してる。
14:名無しの店員
食べる前に一度、丼を静かに見ます。
15:名無しの市民
それ総帥の真似だろ。
16:名無しの一般人
「好きなものを食えばよい」
17:名無しの市民
格好つけて言うな。
18:名無しの一般人
大盛り、つゆだくで。
19:名無しの店員
承知しました。
/*/
最も困惑したのは、かつてその言葉を侮蔑として使っていた者たちだった。
「いや、そういう意味じゃなかったから」
「どういう意味だったんだ?」
「陰気で、冴えなくて、女に相手にされなさそうな……」
「総帥も一人でチーズ牛丼を食べていたぞ」
「総帥は別だろ」
「なぜ別なんだ?」
「総帥だからだよ」
「では、食べ物ではなく相手を見て侮辱していただけでは?」
「……」
逃げ道がなかった。
同じものを食べる。
同じように一人で座る。
違うのは、侮辱する側が相手を弱いと思っていたかどうかだけだった。
アルカンフェルには言えない。
反撃されそうだからではない。
本人が、まるで傷つかないからだ。
「チーズ牛丼を食べていそう」
「食べたが」
「一人で?」
「そうだ」
「……」
「それがどうした」
それで終わる。
侮辱のつもりで投げた言葉が、単なる献立確認になって返ってくる。
しかも相手は、木星圏で宇宙怪獣と戦った世界最強の統治者である。
蔑称として成立させる方が難しかった。
/*/
文化局は、この変化を真面目に分析した。
「象徴の再定義が起きています」
文化局長が報告する。
「これまで弱者性と結び付けられていた記号が、総帥閣下の行動によって、自立、無頓着、自己決定、孤高という要素へ置き換えられています」
アルカンフェルは資料を見た。
「牛丼を食べただけだ」
「はい」
「それがなぜ、孤高になる」
「総帥閣下が一人で食べたからです」
「一人で食べれば孤高なのか」
「総帥閣下の場合は」
「では、他の者は」
「現在、他の者も孤高として再解釈されつつあります」
「なぜだ」
「総帥閣下と同じ行動だからです」
アルカンフェルはしばらく黙った。
「理屈が循環している」
「流行とは、しばしばそのようなものです」
広報局長が別の資料を差し出した。
「さらに、“一人でチーズ牛丼を食べられる男性は自立していて魅力的”という意識調査結果が出ています」
「以前は違ったのか」
「以前は、同じ行動が否定的に評価されていました」
「人間は数日で判断を変えるのか」
「総帥が行動すると、特に」
「私が基準になっているではないか」
「はい」
「それは健全なのか」
誰もすぐには答えなかった。
アプトムが笑う。
「世界統一したんだ。価値観くらい統一されるだろ」
「統一を命じた覚えはない」
「命じなくても勝手に寄ってくるんだよ」
/*/
牛丼チェーン側も、慎重だった。
広報局からは、総帥を直接広告へ利用しないよう通達されている。
そのため、新しい宣伝文句はぎりぎりのところを攻めた。
> 一人でも、好きなものを。
> 静かな昼に、自分の一杯を。
広告には、銀髪も白服も世界総帥も登場しない。
ただし、写真に写る男性は白いシャツを着ていた。
【広告】絶対に総帥を意識してるだろ
1:名無しの市民
白シャツ。
2:名無しの一般人
黒パンツ。
3:名無しの市民
カウンター端。
4:名無しの一般人
チーズ牛丼。
5:名無しの市民
アウトでは?
6:名無しの広報局
特定個人を示す意匠は確認されていません。
7:名無しの市民
広報局、苦しいな。
8:名無しの広報局
非常に苦しいです。
9:名無しの一般人
認めた。
10:名無しの店員
総帥セットという名称は現在も存在しません。
11:名無しの市民
でも注文される?
12:名無しの店員
一日に三十回ほど。
13:名無しの市民
何が出てくるの?
14:名無しの店員
チーズ牛丼です。
15:名無しの市民
実質あるじゃん。
16:名無しの店員
商品名ではありません。
17:名無しの市民
現場が折れてる。
/*/
さらに数週間後。
今度は恋愛相談番組で、女性出演者がこう答えた。
「無理に会話を盛り上げようとせず、一人でも落ち着いて食事できる人って、余裕があって素敵ですよね」
司会者が冗談めかして尋ねる。
「チーズ牛丼でも?」
「もちろんです。好きなものを堂々と食べられる方がいいです」
映像が切り抜かれ、また拡散された。
【時代】一人チー牛が恋愛加点要素になる
1:名無しの市民
おい、待て。
2:名無しの一般人
先月と正反対だぞ。
3:名無しの市民
誰か記録持ってこい。
4:名無しの記録局
過去発言との比較資料を作成しました。
5:名無しの市民
記録局来た。
6:名無しの一般人
本当に作るな。
7:名無しの記録局
同一人物が三か月前に「一人で牛丼屋にいる男性は少し寂しい」と発言しています。
8:名無しの市民
逃がすな。
9:名無しの一般人
総帥が食べた途端に「余裕があって素敵」。
10:名無しの獣化兵
これが権威だ。
11:名無しの調整体
これが顔だ。
12:名無しの市民
両方だろ。
13:名無しの一般人
同じ行動なのに、総帥がやると孤高になる。
14:名無しの市民
一般人がやっても孤高扱いされるようになったんだから、結果は良くない?
15:名無しの一般人
確かに救われた人は多い。
16:名無しの調整体
ただし白シャツ姿勢良好が条件になりつつある。
17:名無しの市民
また別の圧が生まれてるじゃねえか。
/*/
新しい問題も起きた。
「チーズ牛丼を一人で食べること」が、今度は格好の良い行為として過剰に演出され始めたのである。
食券を買う。
カウンターの端へ座る。
スマートフォンを見ずに待つ。
丼が届いたら一度静かに眺める。
背筋を伸ばす。
無言で食べる。
食べ終えたら短く礼を言い、席を立つ。
その一連を撮影して投稿する者まで現れた。
アルカンフェル風一人飯。
総帥式昼食。
孤高のチーズ牛丼。
文化局長は、頭を抱えた。
「今度は、行為が様式化されています」
「放っておけ」
アルカンフェルは言った。
「ですが、総帥閣下の食事所作を模倣する動画が増えています」
「食べ方が悪くないなら問題あるまい」
「中には、三十分ほど丼を見つめ続ける者も」
「冷めるぞ」
「はい」
「早く食えと伝えよ」
その発言も漏れた。
【総帥評】「冷めるぞ。早く食え」
1:名無しの市民
正論。
2:名無しの一般人
総帥式昼食、終了。
3:名無しの市民
演出を否定された。
4:名無しの調整体
総帥は早いから店に入ったんだぞ。
5:名無しの市民
原点に戻った。
6:名無しの一般人
格好つけて三十分眺めるな。
7:名無しの獣化兵
食え。
8:名無しの市民
好きなものを。
9:名無しの一般人
冷める前に。
10:名無しの市民
良い標語になった。
/*/
最終的に、「チー牛」という言葉は奇妙な位置へ落ち着いた。
完全な蔑称ではない。
かといって、純粋な称賛でもない。
一人で食事をすること。
他人の目を気にしすぎないこと。
安価な好物を恥じないこと。
自分の時間を持つこと。
そこへ、少しだけ総帥を意識した冗談が混ざる。
「今日、昼どうする?」
「一人でチー牛」
「総帥じゃん」
「白シャツ着てくるわ」
「汁を飛ばすなよ」
以前なら、笑われる側だけが傷つく言葉だった。
今では、言われた側が堂々と返せる。
「そうだが?」
「好きだから食べる」
「総帥も食べている」
その三段構えが強すぎた。
アルカンフェル本人は、変化した用例を報告されても納得していなかった。
「以前は侮蔑だった」
「はい」
「今は魅力的だと言う」
「はい」
「同じ料理だな」
「同じです」
「同じ一人飯だな」
「同じです」
「では、何が変わった」
村上は答えた。
「総帥が間に入りました」
「私は何もしていない」
「食べました」
「それだけだ」
「それで十分だったようです」
アプトムが笑った。
「世界を支配した後は、言葉の意味まで支配し始めたな」
「支配していない」
「でも変わったぞ」
「勝手に変えたのは市民だ」
「総帥に侵食されたんだよ」
「人を災害か何かのように言うな」
ヴァルキュリアが、社会言語変化報告書へ記入した。
> 当該語は、総帥閣下の行動を契機として否定的意味が弱まり、自己決定、自立、一人行動への肯定を含む語へ変化しつつある。
>
> 備考:総帥閣下による意図的な意味変更ではない。
アルカンフェルは最後の一文を見た。
「当然だ」
ヴァルキュリアは、その下へさらに一行を加えた。
> 追記:本人は、今後も好きなものを食べる意向。
「それも書く必要があるのか」
「市場と世論への注意喚起です」
「次は何を食べればよい」
「事前に広報局へご相談ください」
「休日の昼食だぞ」
「分かっています」
アルカンフェルは少し考えた。
「カレーうどん」
広報局長の顔色が変わった。
「白い服でですか」
「何か問題があるのか」
「あります」
「食べ物を食べるだけだ」
「前回もそうでした」
部屋の全員が、しばらく黙った。
世界は、すでに学んでいた。
アルカンフェルが食べるだけで。
食べ物の意味まで変わる。