/*/ クロノス日本支部 レリックスポイント基地最下層 遺跡宇宙船観測研究区画 /*/
村上征樹と小田桐研究主任が、観測研究室の奥へ消えていく。
資料室の扉が閉じた。
遺跡宇宙船の外殻に近いこの最下層区画に、しばらく沈黙が落ちた。
淡い観測灯の下で、巨大な船体外殻が静かに沈黙している。
生きているのか、眠っているのか、死んでいるのか。
少なくとも、現生人類の感覚では判別しがたい存在だった。
私はその外殻を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「まったく、良い個体ほど面倒だ」
村上征樹。
プロト・ゾアロード。
テスト・ボディで五年も生き延び、今なお自分の足で歩き、調べ、疑い、判断している男。
実に惜しい。
実に面倒くさい。
実に、こちらへ引き込みたい。
背後に控えていたバルカスが、低く唸るように言った。
「まったく、こんなことならば、プロフェッサー・ヤマムラの反乱の時にギュオーめを亡き者にし、ムラカミをゾアロードとして完成させておけば良かったですな」
その声には、珍しく苛立ちが混じっていた。
バルカスにとって村上は、技術的にも政治的にも惜しい素材なのだろう。
ギュオーめより扱いやすい。
ギュオーめより理性的。
ギュオーめより人間としての芯がある。
そう判断するのも無理はない。
「そうでもない」
私は答えた。
バルカスがわずかに顔を上げる。
「閣下?」
「ギュオーも、クルメグニクも、ハイヤーンも、カブラールも、あれで使い道がある」
バルカスの眉が動いた。
納得していない顔だった。
特にギュオーの名が出た瞬間、老博士の目に嫌悪が浮かんだ。
「ギュオーめにも、でございますか」
「ああ」
「閣下。ギュオーめは野心が強すぎます。クロノスの中枢に置けば、必ずや余計な動きをいたします」
「知っている」
「知っておられて、なお?」
「だからこそだ」
私は遺跡宇宙船の外殻から視線を外し、バルカスを見た。
「王になりたい気概があり、本当にそのために行動できる者は貴重だ」
バルカスは沈黙した。
研究者としてではなく、クロノスの重鎮として、私の言葉の意味を測っている顔だった。
「王、でございますか」
「ああ」
「ギュオーめの野心を、王の資質と?」
「地球上では危険な野心だ。だが、場所を変えれば資質になる」
「場所を変える?」
「種苗船だ」
バルカスの目が、はっきりと変わった。
知らない計画名を聞いた研究者の目ではない。
私が何かを隠していたと察した、側近の目だった。
「種苗船、でございますか」
「そうだ」
私は遺跡宇宙船の外殻へ向き直った。
「私は地球を守る。一歩も引くつもりはない」
それは本心だった。
この星を捨てるつもりはない。
この星で生まれた生命を、ただ逃がして終わりにするつもりもない。
私はアルカンフェルだ。
三十万年前、ウラヌスに作られた地球生物の指揮個体。
地球生命の責任者。
たとえその役割が、ウラヌス自身に否定されたものであっても。
「だが、万一に備えなければならない」
バルカスは何も言わない。
ただ、聞いている。
「いずれ世界を統一したら、死海を巨大な調整槽として使う」
「死海を……」
「恒星間宇宙飛行が可能な宇宙船を作り出す。死んだ遺跡宇宙船から得た構造情報、みなかみの船の観測記録、ウラヌスの聖櫃の残存中枢、そしてクロノスの生体工学を総動員する」
バルカスの呼吸がわずかに深くなった。
興奮している。
当然だ。
死海を調整槽にするなど、普通の研究計画ではない。
国家予算どころの話ではない。
世界を統一し、地球規模の資源と労働力と生体技術を握って初めて可能になる、狂気じみた計画だ。
「最初の船は、宇宙怪獣と戦うための足場にする」
「戦闘拠点としての船、でございますな」
「そうだ。地球防衛のための前進拠点。外宇宙で戦うための足場。地球に敵を近づけないための壁だ」
「では、種苗船とは」
「二番船以降だ」
私は言った。
「ギュオーたちには、種苗船に積んだ資材と人員を連れて、外宇宙へ旅立ってもらう」
バルカスが目を細めた。
「ギュオーめを、外宇宙へ」
「ああ」
「追放ではなく?」
「追放ではない。王として旅立たせる」
言葉にすると、我ながらとんでもない話だった。
だが、これはかなり現実的な保険でもある。
ギュオーを地球に置けば、必ず王座を狙う。
クルメグニクも、ハイヤーンも、カブラールも、それぞれの欲望と思想で動く。
地球という一つの盤面に押し込めれば、彼らは互いに食い合い、クロノスの中枢を揺らす。
だが、外宇宙へ出せばどうか。
種苗船。
人員。
調整体。
人類の遺伝子バンク。
獣化兵技術。
農業資材。
工業プラント。
調整槽。
生体工学ラボ。
そして、たどり着いた可住惑星。
そこで必要なのは、従順な官僚ではない。
本当に王になろうとする者だ。
「寿命のない獣神将たちは、長い航行に耐えられる」
私は続けた。
「宇宙怪獣に気取られるからワープ航法は使えない……数十年、数百年、あるいはそれ以上の航行の果てに可住惑星へたどり着いた時、彼らは新たな王となる。現地環境を調べ、持ち込んだ人類と生態系を根付かせ、生存圏を確立する」
「人類の生存圏を、外宇宙に」
「そうだ」
バルカスは、しばらく黙っていた。
目はすでに研究者のものになっている。
死海調整槽。
恒星間生体宇宙船。
種苗船。
外宇宙への人類拡散。
その全てを、頭の中で組み立て始めているのだろう。
「閣下」
「何だ」
「ギュオーめが、そのような役目を素直に受けるとお考えで?」
「受けないだろうな」
私は即答した。
バルカスの顔がわずかに歪む。
「では」
「だから、王座を渡す」
「王座」
「地球の王座ではない。船の王座だ」
私は淡々と言った。
「お前は地球の王になりたいのだろう。ならば、まず一隻の船を治めてみせろ。人類を積み、資材を積み、技術者を積み、調整体を積み、未知の星へ向かえ。そこで民を死なせず、文明を根付かせ、新しい人類圏を作れ。そう言ってやる」
「それは、ギュオーめにとって屈辱では」
「同時に誘惑でもある」
ギュオーは王になりたい。
ならば、王座を見せればいい。
ただし、その王座は地球ではなく、外宇宙へ向かう種苗船の玉座だ。
そこには民がいる。
資源がある。
責任がある。
逃げ場のない航行がある。
そして、たどり着いた先には、誰も支配していない星がある。
「王となる気概があり、そのために本当に行動できる人材は必要なのだよ」
私は言った。
「従順なだけの者では、種苗船の王は務まらない。長い航行の中で、反乱も起きる。資源不足も起きる。未知の病も、環境不適合も、他の種苗船との衝突もあり得る。そこで必要なのは、王になりたいと本気で思い、そのために動ける者だ」
「ギュオー、クルメグニク、ハイヤーン、カブラール……」
バルカスは名を並べた。
敬称はない。
アルカンフェル以外の獣神将を、バルカスは基本的に呼び捨てる。
ギュオーだけは、ほとんど吐き捨てるように「ギュオーめ」になる。
「彼らの野心を、地球外へ向けるのですな」
「そうだ」
「地球に残せば不安定要素。外へ出せば、開拓王」
「言い方は悪いが、その通りだ」
バルカスの口元が、わずかに歪んだ。
笑ったのかもしれない。
「閣下らしい、実に恐ろしい配置でございます」
「恐ろしいか」
「ええ」
バルカスは静かに答えた。
「ギュオーめを殺すのではなく、王座を与えて地球の外へ送り出す。しかも人類存続の保険として使う。常人の発想ではございませぬ」
「私は常人ではないからな」
「ごもっともでございます」
私は小さく肩をすくめた。
中身は元オタクだが、身体と立場は常人どころではない。
とはいえ、これはただの思いつきではない。
原作知識で知っている。
野心家を雑に殺せば、別の穴が開く。
危険人物を全て粛清すれば、組織は従順にはなるが脆くなる。
王になりたい者は、危険だ。
だが、王が必要な場所に置けば、働く。
「もちろん、完全な自由を与えるつもりはない」
私は付け加えた。
「種苗船には基幹制約を刻む。積荷の人類、遺伝子バンク、調整槽、航行中枢の破壊は禁止。他船への無許可攻撃も禁止。地球への攻撃も禁止。王として統治は認めるが、種を絶やす権限は与えない」
「首輪付きの王、でございますな」
「そうだ」
「ギュオーめが聞けば、怒り狂いましょう」
「怒らせておけばいい。怒る元気があるなら、王として働ける」
バルカスは、今度こそ小さく笑った。
「閣下。ギュオーめには、酷な褒美でございますな」
「だが、あいつが本当に王になりたいなら、これ以上の試練はない」
私は観測窓の向こう、遺跡宇宙船の外殻を見た。
この船は、地球を離れるためのものだった。
ウラヌスの道具。
だが、今はクロノスの研究対象であり、私の未来計画の土台でもある。
「私は地球を守る」
もう一度、私は言った。
「だが、地球だけに全てを賭けるのは、地球生命の責任者として怠慢だ」
バルカスが深く頭を垂れた。
「死海調整槽計画、記録いたしますか」
「まだ正式記録には残すな」
「では、私の記憶にのみ」
「ああ。今はそれでいい。ギュオーめにも、ハイヤーンにも、まだ聞かせる段階ではない」
「シンには」
「いずれ話す。あいつには実務を考えさせる必要がある」
「承知いたしました」
バルカスは、さらに深く頭を下げた。
その背中には、老研究者の興奮と、クロノス創設者としての覚悟が同居していた。
「閣下」
「何だ」
「このバルカス、必ずや死海を船の胎にしてみせます」
「寝ながらやれ」
「……閣下」
「お前はすぐ寝ないからな。世界統一も死海調整槽も、お前が干からびたら始まらん」
バルカスは少しだけ沈黙した。
「努力いたします」
「努力ではなく命令だ」
「……御意」
まったく。
宇宙怪獣も、ギュオーめも、カブラールも、種苗船も面倒だが。
バルカスを寝かせるのも、同じくらい面倒かもしれない。
私は遺跡宇宙船の外殻を見上げながら、そう思った。