/*/ 総帥、リングに上がる /*/
世界統一格闘演武大会《ヒューマン・チャレンジ》、決勝演武。
挑戦者は、各地の公開選考試合を勝ち抜いてきた獣化兵格闘家たち。
いずれもグレゴール型、ガーゴイル型といった筋力増強型をベースに調整されている。生体武器は持たない。あくまで徒手空拳、純粋な格闘技としての戦いに特化した調整体だった。
対するは、アルカンフェル総帥。
リングの四方を埋めた観客席は、試合開始前から異様な熱気に包まれていた。
照明が落ち、入場ゲート側から低いざわめきが起こる。
ゆっくりと歩み出てきたアルカンフェルは、いつもの白いスーツではなく、白いガウンを羽織っていた。
それだけでも十分に異様だった。
世界の支配者が、格闘技のリングへ上がる。
その事実だけで、会場の熱はすでに天井へ届きかけている。
だが。
リング中央まで進んだアルカンフェルが無言でガウンを脱いだ瞬間、熱狂は一段階跳ね上がった。
その下にあったのは、簡潔な格闘用ショートパンツ姿だった。
無駄のない、洗練された肢体。
過剰な装飾は一切なく、ただ試合のためだけに整えられた姿だった。
客席が沸く。
「うおおおおおおっ!」
「総帥、ちゃんと試合する気だ!」
「いや、する気なのは分かってたけど、そこまで合わせるのかよ!」
「ショートパンツ姿の総帥って何だよ、反則だろ!」
実況席でも一瞬、言葉が遅れた。
『総帥閣下……リングウェアを着用です! 格闘用ショートパンツ姿! これは……これは会場が湧くのも無理はありません!』
解説がやや困惑した声で言う。
『挑戦者に合わせる、と事前に発言されていましたが……本当にそこまで合わせるとは思いませんでしたね』
リングサイドで村上征樹が小さく息を吐く。
「……なぜ?」
隣のヴァルキュリアが淡々と答えた。
「挑戦者に合わせる、と」
「……そうですか」
それ以上の説明はなかった。
アルカンフェルにとっては、それで十分だったのだろう。
戦う者の装いで戦う。
ただそれだけの話だった。
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ゴングが鳴る。
最初に出たのは、重量級のガーゴイル型格闘家だった。
全身の筋量は人間離れしている。肩幅は広く、腕も脚も太い。見た目だけなら、典型的な“鈍重な怪力型”だった。
だが、その先入観は開始数秒で砕け散った。
踏み込みが速い。
低い姿勢から、まるで獣のように滑る。
リングの反発を使った移動も滑らかで、巨体に似合わぬ切り返しを見せた。
『速い! 速い! ガーゴイル型とは思えない機動です!』
『ええ。単なる筋力増強型ではありません。重さに振り回されないための鍛錬が徹底されている。調整された肉体を、きちんと格闘技の身体として使いこなしている』
格闘家はジャブで距離を測り、次いで重いローを打ち込む。
さらに肩を入れて圧力を掛け、クリンチから崩しに行く。
筋力だけに頼らない、極めて実戦的な組み立てだった。
だが。
アルカンフェルは、人間形態のまま、それを受けた。
否。
受けてはいない。
流していた。
わずかな体捌き。
軸の移動。
接触の瞬間に力線を逸らす、信じがたいほど滑らかな受け流し。
まるで相手の力が、最初からそこへなかったかのように。
格闘家の前進圧が、ことごとく空を切る。
『うまい……!』
『これは……異様ですね。単純な反応速度でも身体能力でもない。力の来る線、重心の乗る位置、崩れる瞬間、そのすべてを先に読んでいる』
ガーゴイル型格闘家が、焦れたように踏み込みを深くした瞬間だった。
アルカンフェルの肩がわずかに回る。
片手が相手の腕を制し、もう片方が胸元へ触れる。
打った、というより置いたような一撃だった。
だが、その瞬間、巨体がわずかに浮き、次には崩れていた。
「っ……!」
格闘家は受け身を取りながら後退し、目を見開く。
会場がどよめいた。
『崩した! 今の一撃で、あの体格差を崩しました!』
『恐ろしいのは、力比べをしていないことです。相手の重心が最も脆くなる一瞬へ、最小の力を通している』
アルカンフェルは静かに言った。
「知識は力だからな」
リング内の全員が、その声を聞いた。
「人間としての戦い方を、数千年研鑽したこともある」
一瞬、会場が静まり返る。
それから、遅れて大きなどよめきが広がった。
「数千年って言ったか!?」
「さらっと言うな!」
「いや、総帥なら本当にやってるのが怖い!」
実況も苦笑交じりになる。
『数千年……まあ、総帥閣下ですから、冗談ではないのでしょう』
『人間が積み重ね、世代を越えて受け継いできた技術体系を、一人で延々と積み上げてきたということになりますね』
『そんなの勝てるのか!?』
『だからこそ、この舞台なのでしょう』
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二人目。
三人目。
軽量級のスピードファイター。
組み技主体のグラップラー。
連打と回転を武器にする打撃型。
獣化兵格闘家たちは、それぞれ異なる流儀でアルカンフェルへ挑んだ。
だが、そのたびに観客は思い知らされる。
総帥は、強いだけではない。
上手い。
それも常識外れに。
踏み込みを合わせて崩し、打撃の芯を外し、組みを逆用し、極めの入り口で先に相手の構造を折る。
人間格闘技の理が、そのまま極限まで洗練されたような動きだった。
筋力差も、反応速度も、当然ある。
だが、それ以前に技術の地平が違った。
挑戦者たちは、力負けする前に、技術で押し負けていく。
リングサイドのハンマー・ジョーが、思わず低く笑った。
「すげぇな……」
隣の拳法家が頷く。
「力が強いだけじゃねぇ」
ジョーの目は、完全に闘志で光っていた。
「武道家として、遥か高みに居やがる」
別の格闘家が、口元を吊り上げる。
「ははっ……」
その顔には悔しさと、そして歓喜が同時にあった。
「ぞくぞくしてきたぜ」
普通の人間なら、怖気づくだろう。
自分たちが挑もうとしている相手が、怪物的な身体能力だけではなく、武人としても完成の域にあると分かったのだから。
だが、彼らは格闘家だった。
高い壁を見て、諦めるのではない。
燃えるのだ。
勝てるかどうかではない。
挑めるかどうかが先に来る。
「……いいじゃねえか」
ジョーは拳を握った。
「こうでなくちゃな」
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次の試合。
今度の挑戦者は、グレゴール型の打撃特化選手だった。
ゴングと同時に、鋭い踏み込みから左右の連撃を見舞う。
アルカンフェルは最小限の動きでそれをいなし、返しの一撃を入れる。
だが、選手もただでは止まらない。
強化された肉体で無理やり軸を立て直し、さらに回転肘を差し込む。
その一瞬、アルカンフェルの頬を拳風が掠めた。
会場が爆発する。
『掠めた! 掠めたぞ!』
『有効打には至らない! だが、今のは確かに入射コースを作った!』
挑戦者本人は、一歩引いて、にやりと笑った。
「届きかけた」
アルカンフェルの口元も、ほんのわずかに笑ったように見えた。
「よい」
その一言で、挑戦者の目つきがさらに鋭くなる。
観客席から大歓声が飛ぶ。
強敵に認められる。
それだけで、格闘家には十分すぎる報酬だった。
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試合が進むほど、会場の熱は増していった。
これは処刑ではない。
一方的な蹂躙でもない。
圧倒的な高みにいる者が、全力で受け、測り、返し、挑戦者たちもまた全力でそこへ食らいついていく。
だからこそ、美しい。
だからこそ、熱い。
実況もすでに半ば叫んでいた。
『総帥、受ける! 返す! だが挑戦者たちも怯まない! この舞台、この光景! 世界中が見ています!』
解説が低く応じる。
『ええ。もはや単なる格闘技興行ではありません。これは、人類が積み上げてきた戦いの技術と、その極点にいる存在との対話です』
『対話、ですか!』
『殴り合いによる、ですが』
観客席の笑いと歓声が重なる。
その中心で、リングの上だけが異様に静かだった。
足音。
呼吸。
打撃音。
布が擦れる音。
それだけが、明確に世界を切り分けていた。
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試合の合間、控えの格闘家たちの間には、妙な高揚感が広がっていた。
「見たか、今の受け」
「見た」
「化け物だな」
「今さらだろ」
「いや、獣神将としてじゃねえ。武道家としてだ」
「……ああ」
誰も否定しない。
むしろ、その認識が共有されるほど、空気は燃えた。
「やべえな」
ジョーが歯を見せて笑う。
「ますますやる気が出てきた」
レスラーが呆れたように言う。
「普通は逆だ」
「普通ならな」
ジョーはリングの中央に立つアルカンフェルを見た。
人間形態のまま。
無駄なく。
静かに。
それでいて、誰よりも高く立っている。
「けどよ」
ジョーの声は、喜びを隠していなかった。
「頂上が高ぇ方が、登り甲斐があるだろうが」
それに応えるように、周囲の格闘家たちも、獰猛な笑みを浮かべた。
恐怖はある。
力量差も分かる。
それでもなお、身体の奥から熱が湧く。
勝ちたい。
届きたい。
一撃でいいから、この高みに爪痕を残したい。
そういう生き物だからこそ、彼らはここにいる。
リングの上のアルカンフェルは、そんな挑戦者たちを見て、静かに告げた。
「次は誰だ」
その一言で、また歓声が爆発した。