/*/ 獣化兵ファイトではなく、武神の稽古 /*/
試合開始から十分。
世界中の視聴者が、ようやく異常さを理解し始めていた。
リングに上がっているのは、グレゴール、ガーゴイル、ラモチスといった筋力増幅型獣化兵。
通常の人間なら、一発でもまともに受ければ終わる。
鉄板を曲げ、車両を持ち上げ、コンクリート壁を破砕する肉体を持つ格闘家たちである。
だから大会発表当初、視聴者の多くは思っていた。
これは獣化兵同士の超重量級格闘大会になる、と。
アルカンフェルも獣神将形態になる。
重力制御で巨体を投げ飛ばす。
空中を飛び、衝撃波を放ち、人間には知覚できない速度で戦う。
そういう光景を想像していた。
実際は違った。
アルカンフェルは、人間形態のままだった。
重力制御を使わない。
念動力も使わない。
空間を歪めない。
獣神将としての特殊能力を、何一つ見せない。
ただ立ち、歩き、避け、受け流し、崩す。
それだけで、獣化兵格闘家たちを圧倒していた。
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【実況】総帥だけ人間形態なんだが
1:名無しの格闘ファン
獣化兵ファイトになると思ってた。
2:名無しの市民
総帥だけ人間形態で草。
3:名無しの格闘ファン
草と言うか、重力制御も何も使わず技術だけで獣化兵を圧倒してるんだけど、あの人。
4:名無しの市民
今の投げ、何をした?
5:名無しの柔道経験者
分からん。
6:名無しの柔道指導員
原理は分かる。
できるとは言ってない。
7:名無しの市民
どういうこと?
8:名無しの柔道指導員
相手の踏み込みに合わせて、重心の移動先を消した。
そのまま肩と肘を制して落とした。
9:名無しの市民
ガーゴイル型を?
10:名無しの柔道指導員
ガーゴイル型を。
11:名無しの市民
体重差は?
12:名無しの柔道指導員
考えたくない。
13:名無しの格闘ファン
中継を見てたうちのおじいちゃん師範が泡吹いてる。
14:名無しの市民
救急車呼べ。
15:名無しの格闘ファン
物理的にじゃない。
興奮してる。
16:名無しの市民
紛らわしい。
17:名無しの格闘ファン
「今の足捌きをもう一度映せ」って画面に食いついてる。
18:名無しの映像局
超高速映像を再生します。
19:名無しの市民
映像局来た。
20:名無しの格闘ファン
爺ちゃんが止めろって言ってる。
21:名無しの市民
なんで?
22:名無しの格闘ファン
「遅くしても分からんものは分からん。かえって己の未熟さが分かる」って。
23:名無しの市民
重い。
24:名無しの師範
足裏の接地が異常だ。
25:名無しの市民
別の師範来た。
26:名無しの師範
相手が押した瞬間だけ床を踏ませている。
それ以外は相手の力を床へ逃がさない。
27:名無しの市民
何言ってるか分からない。
28:名無しの師範
私も見えているだけで、再現できるとは言っていない。
29:名無しの格闘ファン
またそれか。
30:名無しの市民
総帥、武道家としてどのくらい強いの?
31:名無しの師範
比較対象がいない。
32:名無しの市民
もう武神じゃん。
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実況席には、世界各地から集められた武術家、格闘技指導者、運動生理学者が座っていた。
だが、解説は次第に少なくなっていた。
説明できないからではない。
原理そのものは、彼らにも理解できる。
重心。
力の方向。
骨格。
関節。
呼吸。
視線。
間合い。
相手の無意識の反射。
どれも人間が古くから研究してきたものだった。
問題は、それらすべてを同時に、寸分の狂いもなく実行していることだった。
『今の動きについて、解説をお願いします』
実況に促され、老齢の拳法家がしばらく沈黙した。
『……相手は右拳を囮にして、左肩から組みに入りました』
『はい』
『総帥閣下は、右拳を避けていません』
『避けていない?』
『拳が当たらない位置へ、あらかじめ相手の身体を動かしたのです』
実況が黙った。
『相手の攻撃を見てから避けたのではありません。攻撃を出す際に必要となる踏み込みを利用して、攻撃の軌道そのものを変えた』
『それは可能なのですか』
『理屈では』
『実際には?』
『私には無理です』
拳法家は、少し悔しそうに笑った。
『おそらく、この場にいる誰にも』
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四人目の挑戦者が、リングへ上がった。
グレゴール型を基礎に、下半身の瞬発力と関節可動域を重点強化したキックボクサーだった。
獣化した身体は、二メートルを大きく超える。
胸郭は厚く、脚は人間の胴ほどもある。
だが、そのステップは軽い。
前足で小さく間合いを刻み、フェイントを入れる。
巨大な身体が、ほとんど音を立てずに左右へ揺れる。
アルカンフェルは、静かに構えていた。
挑戦者が踏み込む。
下段。
中段。
同じ軌道から、直前で角度を変えた上段回し蹴り。
アルカンフェルは、最初の二発を足捌きだけで外した。
三発目。
腕で受ければ、獣化兵の蹴りをまともに受けることになる。
アルカンフェルは、わずかに前へ出た。
蹴りの威力が最大になる前。
膝が伸び切る前。
足首ではなく、相手の腰へ手を添える。
次の瞬間、巨大な獣化兵の身体が空中で横を向いた。
「なっ――」
蹴りの回転力を殺さず、方向だけを変えた。
挑戦者は自らの勢いで一回転し、床へ落ちる。
しかし、即座に受け身を取った。
起き上がった顔には、恐怖ではなく笑みが浮かんでいた。
「今の、俺の蹴りを使ったな」
「そうだ」
「力を止めずに、向きだけ変えた」
「止める必要がない」
アルカンフェルは静かに答えた。
「力は、すでにお前が用意していた」
挑戦者の笑みが大きくなった。
「最高だ」
観客席から歓声が上がる。
「もう一度だ!」
獣化兵は再び踏み込んだ。
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【疑問】負けてる獣化兵が全員楽しそうなんだが
1:名無しの市民
獣化兵なのに顔が楽しそうに見える。
2:名無しの格闘ファン
見えるんじゃない。
楽しんでる。
3:名無しの市民
技術でボコボコにされてるのに?
4:名無しの格闘家
だからだよ。
5:名無しの市民
分からない。
6:名無しの格闘家
自分より強い奴と戦える。
自分の技を全部出せる。
出した技を、もっと上の技術で返してもらえる。
7:名無しの市民
授業みたいなもの?
8:名無しの格闘家
そんな生ぬるいものじゃない。
9:名無しの市民
稽古?
10:名無しの格闘家
命が沸く。
11:名無しの市民
なんなの、この人たち怖い。
12:名無しの格闘ファン
人権団体と同じ感想になってて草。
13:名無しの獣化兵選手
総帥閣下が人間形態で相手してくださる意味を考えろ。
14:名無しの市民
本人来た。
15:名無しの獣化兵選手
獣神将の力で吹き飛ばすのは簡単だ。
だが、それでは我々の技術を測れない。
16:名無しの格闘ファン
だから同じ土俵に降りてきた?
17:名無しの獣化兵選手
違う。
18:名無しの市民
違うの?
19:名無しの獣化兵選手
同じ土俵だと思っていたら、その土俵が山頂にあった。
20:名無しの市民
格好いいこと言うな。
21:名無しの格闘家
俺も次の大会に出る。
22:名無しの医療局
まず検査を受けてください。
23:名無しの市民
医療局来た。
24:名無しの格闘家
筋力増強型への再調整を希望する。
25:名無しの医療局
競技目的のみの再調整は、適性審査の対象です。
26:名無しの格闘家
適性はある。
27:名無しの医療局
自己申告は審査結果ではありません。
28:名無しの市民
格闘家を止められるの医療局だけだな。
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控え席のハンマー・ジョーは、試合を重ねるたびに笑みを深くしていた。
「三十万年か」
隣のレスラーが言う。
「そのうち数千年、武術を研鑽したらしい」
「総帥からすれば、ちょっとした暇潰しだったんだろうな」
「暇潰しでこれかよ」
リングでは、アルカンフェルがグレゴール型選手の突進を半歩で外し、その腕を取って膝から崩していた。
筋力ではなく、姿勢を壊す。
速さではなく、相手が動く前提を奪う。
獣化兵の巨体が床へ触れる直前、アルカンフェルは腕を緩めた。
落下の衝撃まで調整している。
相手を壊すためではなく、技術を示すための投げだった。
ジョーは低く笑った。
「暇潰しじゃねえよ」
「何?」
「あの人、本気で覚えたんだ」
レスラーがリングを見る。
「何のために?」
「知らねえ」
ジョーは肩を回した。
「敵が来るまでの暇潰しかもしれねえ。人間を理解するためかもしれねえ。自分の身体をどこまで使えるか試したかっただけかもしれねえ」
そして、獰猛に歯を見せる。
「理由なんか、どうでもいい」
アルカンフェルは、何千年も一人で積み上げてきた。
その時代ごとに現れた戦士と戦い。
技を見て。
原理を理解し。
己の身体で試し。
失われた流派の技すら、自身の中へ残した。
人間が師から弟子へ、親から子へ受け継いできた武術の歴史を。
アルカンフェルは、一人の肉体の中で途切れさせず、積み重ね続けてきた。
「三十万年生きた獣神将が、数千年だけ武術家をやってた」
ジョーは言った。
「それで武神ができ上がった」
レスラーが苦笑する。
「笑えねえな」
「俺は笑える」
「なんでだよ」
「そんな相手と、これから戦える」
ジョーの目は輝いていた。
「笑わずにいられるかよ」
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そして、ついにハンマー・ジョーの名が呼ばれた。
観客席が大きく揺れる。
ジョーは立ち上がり、リングへ向かった。
すれ違いざま、先ほど敗れた獣化兵格闘家が声をかける。
「気をつけろ」
「何にだ」
「強さじゃない」
獣化兵は、まだ楽しそうに笑っていた。
「技を返されるぞ」
「望むところだ」
ジョーはリングへ上がった。
アルカンフェルは、人間形態のまま待っている。
「待たせたな、総帥」
「待ってはいない」
「そうかい」
ジョーは構えた。
筋力増幅型獣化兵の巨体が沈む。
床がわずかに軋んだ。
だが、その姿勢に無駄はない。
何百、何千時間と反復された構えだった。
アルカンフェルはそれを見て、ほんの少し目を細めた。
「よい構えだ」
ジョーの口元が吊り上がる。
「そいつはどうも」
「来い」
「ああ」
ジョーの全身から、歓喜に似た闘気が立ち昇った。
「武神に、人間の拳を教えてやるよ」
ゴングが鳴った。