/*/ 抗議活動が格闘興行になった日 /*/
世界統一格闘演武大会《ヒューマン・チャレンジ》の中継が終わった頃。
人権団体の本部では、誰一人として祝杯を挙げていなかった。
壁面モニターでは、試合後のハンマー・ジョーが笑顔で記者に囲まれている。
> 「総帥は化け物みてえに強かったよ。獣神将としてじゃねえ。武道家としてな」
>
> 「次は近代格闘技を教えてやる。俺たちの時代にだって、積み上げたものはあるからよ」
その発言に、記者席から歓声が上がった。
人権団体の代表は、無言で映像を止めた。
「……うちの抗議活動だったはずなのに」
誰も答えない。
「統一管理制度に対する抗議だったはずです」
代表は机に両手を置いた。
「市民の自由と、国家による情報支配について問題提起したはずです」
若い職員が、気まずそうに言った。
「はい」
「それがなぜ、世界最大の格闘興行になっているんですか!」
会議室に声が響いた。
「代理決闘人を名乗る格闘家が押しかけてきて!」
「総帥が公開試合を受けて!」
「各国のプロモーターが群がって!」
「最後には世界統一大会です!」
別の職員が、小さな声で答える。
「放送権収益の一部は、競技者引退後支援と救急医療へ回るそうです」
「そういう話をしているのではありません!」
「すみません」
代表は椅子へ座り込んだ。
机の上には、今回の一件をまとめた広報資料が積まれていた。
抗議声明。
公開討論。
住民投票。
アルカンフェルの決闘発言。
格闘家たちの代理決闘人立候補。
世界統一格闘演武大会。
どこで道を誤ったのか、改めて見ても分からなかった。
/*/
団体の法務顧問が、ゆっくりと言った。
「無理ですよ」
代表が顔を上げる。
「何がですか」
「あの独裁者、頭が武人すぎます」
「だからといって、諦めるわけにはいきません」
「諦めろとは言っていません」
顧問は眼鏡を外し、目頭を押さえた。
「ただ、私たちと生きている時代が違う」
「同じ時代に存在しています」
「暦の上では」
顧問は、止められた中継映像を見た。
ショートパンツ姿でリングに立つアルカンフェル。
獣化兵格闘家の拳を技術だけで流し、重力制御も使わず投げ倒している。
「私たちは、人権、法、手続き、少数者保護という言葉で話します」
「当然です」
「あの人は、支配、庇護、忠誠、挑戦、勝敗という言葉で世界を見ている」
「それでは現代社会の統治者とは言えません」
「でも行政制度は現代的です」
「そこが問題なのです」
代表は強く言った。
「思想は古代の征服者なのに、行政だけが異様に効率化されている。だから市民は危険性を忘れる」
「忘れてはいません」
若い職員が口を挟んだ。
代表が見る。
「市民は、危険だと分かった上で使っています」
「それを受容と呼ぶのです」
「はい。でも、知らずに騙されているわけではないと思います」
職員は少し迷いながら続けた。
「病院に行ける。仕事がある。子供が学校へ通える。税負担が以前より公平になった。その利益と、管理される危険を比較して、今は利益の方が大きいと判断している」
「その判断が将来も正しい保証はありません」
「だから、私たちが必要なんですよね」
代表は黙った。
/*/
「違う価値観があることを、示し続ける必要があります!」
代表は改めて言った。
「強者が支配し、弱者が従う。それだけが世界の原理ではない」
「それは認めますが……」
法務顧問は困った顔をした。
「何ですか」
「相手も、違う価値観が存在すること自体は否定していません」
「否定しています。戦う気概もない者の文句は聞かないと言った!」
「その前に、請願、討論、投票、議会活動を認めています」
「最後には決闘を申し込んだでしょう!」
「統治権そのものを放棄しろと言われたからです」
「それでもです!」
「はい。それでも異常です」
顧問は即座に認めた。
「民間人へ決闘を申し込む最高権力者は異常です」
「ならば――」
「ただ、こちらが『強者の理論だ』と批判したら、格闘家たちが『なら俺たちが代理で戦う』と出てきた」
会議室が静かになった。
「その結果、総帥は代理決闘ではなく、政治的要求を外した公開試合として受けた」
「論点をずらしたのです」
「おそらく本人は、ずらしたつもりもありません」
「そこが余計に悪い!」
「私もそう思います」
顧問は深く息を吐いた。
「あの人は、抗議を弾圧するより、正面から受け止めて別の形にしてしまう」
「無力化しています」
「しかも、受け止めた先で本人が一番楽しそうに戦う」
「楽しんではいません」
若い職員が言った。
「総帥閣下、ほとんど表情を変えていませんでした」
「周囲の格闘家が楽しそうだったんです!」
「はい」
「なぜ抗議した側だけが疲弊しているんですか!」
誰も答えられなかった。
/*/
広報担当が端末を操作した。
「現在の世論調査です」
表示された結果を見て、代表の顔が固まる。
> 統一管理制度を巡る一連の騒動について
>
> 人権団体の問題提起は必要だった:六十八パーセント
> 統一管理制度は維持すべき:八十四パーセント
> 《ヒューマン・チャレンジ》第二回大会を希望:九十一パーセント
「最後の数字は何ですか」
「格闘大会への期待です」
「聞いていません」
「同じ一連の騒動として調査会社が加えました」
「外してください」
「すでに報道されています」
代表は額を押さえた。
「つまり市民は、私たちの主張を必要だと思いながら、制度は維持し、大会はまた見たいと」
「はい」
「矛盾しているでしょう」
法務顧問が首を振る。
「矛盾していません」
「なぜですか」
「危険を指摘する者は必要。しかし制度は便利だから残す。格闘大会は面白かったからまた見たい」
「そんな軽い話で済ませてよい問題ではありません」
「市民にとっては、全部同時に成立するんです」
代表は反論しようとした。
だが、言葉が続かなかった。
/*/
若い職員が、慎重に提案した。
「次の声明では、制度廃止ではなく、閲覧権限と監察制度に絞ってはどうでしょう」
「妥協しろと?」
「具体化するんです」
「私たちの目的は、全市民一元管理そのものの危険性を――」
「それを訴えても、市民の大多数は廃止を望んでいません」
職員は言った。
「でも、誰が自分の情報を見たのか確認できる制度」
「権限外閲覧への罰則」
「保安局による包括照会の事後監査」
「誤登録の迅速な訂正」
「非常事態権限の期限設定」
「そういう要求なら、支持を得られるかもしれません」
代表は険しい顔をした。
「管理社会を前提として、その使い方だけを改善することになる」
「今の市民は、それを望んでいます」
「多数派が望めば正しいとは限りません」
「はい」
職員は頷いた。
「だから私たちは、少数派として言い続ける必要がある」
「ならば――」
「でも、言い続けることと、通らなかった要求をそのまま繰り返すことは違うと思います」
代表は黙った。
厳しい言葉だった。
だが、団体を辞めようとしている者の言葉ではなかった。
むしろ、続けるための言葉だった。
/*/
法務顧問が、机の資料を一つにまとめた。
「アルカンフェルは、こちらの価値観を理解できないわけではありません」
「理解していないでしょう」
「理解はしていると思います」
「なら、なぜあんな発言を」
「理解した上で、採用していない」
代表の顔が強張った。
「もっと悪いではありませんか」
「ええ」
顧問はあっさり答えた。
「だから、こちらも彼を説得し続けるしかない」
「戦わずに?」
「制度の中で」
「彼は最後には力を持ち出します」
「こちらは最後まで言葉と手続きを持ち出す」
「勝てると思いますか」
「すぐには無理です」
顧問は、映像の中のアルカンフェルを見た。
「ただ、今回一つ分かったことがあります」
「何ですか」
「彼は、挑戦する者を嫌ってはいない」
「格闘家ではない私たちにも?」
「おそらく」
顧問は少し苦笑した。
「ただし、彼の考える『挑戦』が、私たちの考える市民運動と致命的にずれている」
代表も、思わず苦い顔になった。
「次に会う時は、最初に言っておきましょう」
「何をですか」
「決闘はしません、と」
「代理人も立てません」
「格闘家の同席も断りましょう」
「当然です」
その時、受付から内線が入った。
『ハンマー・ジョーさんから連絡です』
会議室全員の顔が固まった。
「何の用ですか」
『第二回大会について、人権団体から何か新しい抗議予定はないか、と』
「なぜ聞くんです」
『また大会開催のきっかけになるかもしれないので、早めに知りたいそうです』
代表は静かに受話器を置いた。
「……違う価値観があることを」
誰も何も言わない。
「示し続ける必要があります」
法務顧問が頷いた。
「それは認めますが」
「はい」
「次は格闘家に知られないようにしましょう」
「そうしてください」