/*/ 総帥写真集、需要あり /*/
《ヒューマン・チャレンジ》終了から三日後。
統治局広報部には、出版各社から同じ内容の問い合わせが相次いでいた。
> 世界統一格闘演武大会《ヒューマン・チャレンジ》における、アルカンフェル総帥閣下の公式写真集を出版したい。
最初は格闘技専門出版社だった。
次にスポーツ写真誌。
美術書出版社。
ファッション誌。
歴史資料を扱う国営出版局。
さらに、普段は俳優や歌手の写真集を扱う出版社まで企画書を提出してきた。
希望されている写真は、どの社もおおむね共通していた。
白いガウンを羽織り、暗い入場路を歩く姿。
リング中央でガウンを脱ぐ瞬間。
格闘用ショートパンツ姿で構える全身写真。
巨大な獣化兵の拳を片手で逸らす場面。
ガーゴイル型の巨体を、最小限の動きで投げる瞬間。
挑戦者へ「よい」と告げた時の、わずかな表情の変化。
試合終了後、白いガウンを肩へ掛け、格闘家たちと並ぶ姿。
広報部職員が、企画書の束を見た。
「……需要があるようです」
村上征樹が尋ねた。
「格闘技の技術資料としてですか」
「それもあります」
「歴史資料として?」
「それもあります」
「では、主な購入希望層は?」
職員が需要調査の結果を表示した。
> 格闘技ファン
> 武術研究者
> 獣化兵競技者
> 美術・人体構造研究者
> 一般女性層
> 一般男性層
> 総帥閣下の支持者
> 購入理由を回答しなかった層
最後の項目が最も多かった。
村上が少し黙る。
「購入理由を回答しなかった層とは」
「匿名予約希望者です」
アプトムが横から資料を覗いた。
「見りゃ分かるだろ。総帥の格好いい写真を手元に置きてえんだよ」
「もう少し表現を選んでください」
「世界を支配している美形の男が、ショートパンツ一枚で獣化兵を投げてたんだぞ。売れねえ理由があるか?」
「表現を選んでくださいと言いました」
ヴァルキュリアが淡々と付け加えた。
「ガウンを脱ぐ場面に対する掲載希望が突出しています」
村上はさらに黙った。
「技術資料として?」
「購入希望者の回答欄には、特に記載がありません」
アプトムが笑った。
「そういう需要だよ」
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企画は、アルカンフェル本人にも報告された。
「写真集?」
アルカンフェルは、試作された表紙案を手に取った。
表紙には、リング中央で構える彼の横顔が使われている。
銀白色の髪は後方へ流れ、鍛えられた上半身には試合用の照明が当たっていた。
対面には、巨大な獣化兵の輪郭がある。
「映像は既に公開されている」
「静止画には別の需要があります」
ヴァルキュリアが答えた。
「姿勢、筋肉の収縮、足運び、接触時の角度などを詳細に確認できます」
「武術資料か」
「その需要もあります」
「他には」
室内が少し静かになった。
村上が慎重に言う。
「総帥の姿そのものを見たい、という需要です」
「……ああ」
アルカンフェルは、試作見本をもう一度見た。
中身が転生者でなければ、理解できなかったかもしれない。
だが彼は知っていた。
写真集。
グラビア。
保存用、観賞用、布教用。
通常版と特装版。
店舗別の購入特典。
大型ポスター。
未公開カット。
表紙違いを理由に、同じ写真集を複数冊購入する者までいる。
世界の総帥となって長い。
だが、そうした文化を知らないわけではない。
むしろ前世の記憶がある分、需要の方向性を正確に理解してしまった。
「そういう需要か」
アルカンフェルが言った。
村上が顔を上げる。
「ご理解いただけましたか」
「理解している」
ヴァルキュリアが、ほんのわずかに目を止めた。
「どの程度まで理解されているのでしょうか」
「格闘技資料として欲する者だけではないのだろう」
「はい」
「私の肉体、姿、表情を観賞する目的で購入する者がいる」
室内が静まり返った。
アプトムが吹き出した。
「総帥、分かってんじゃねえか!」
「なぜ笑う」
「いや、あんたがそこまで直接言うとは思わなかった」
村上は咳払いした。
「否定はいたしません」
「ならば許可する」
ヴァルキュリアが確認する。
「武術記録写真集として、ですか」
「用途を限定する必要はない」
「限定しない?」
「購入した者が、何を見るかは購入した者の自由だ」
ヴァルキュリアは沈黙した。
その返答は、彼女の想定していたどの処理区分にも入らなかった。
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写真の選定作業では、別の問題が起きた。
出版社の編集者が、一枚の写真を大型端末へ表示した。
獣化兵の拳を受け流す直前。
アルカンフェルが半歩だけ踏み込み、上体をわずかに捻った瞬間だった。
美しい写真だった。
全身の筋肉は過剰に力まず、それでも次の動作へ移る張力が見える。
長い銀髪が動きに合わせて流れ、視線だけが挑戦者の重心を捉えていた。
「見開きで使用したいと考えています」
編集者が言った。
ヴァルキュリアが写真を拡大した。
「総帥閣下の姿勢から、次の動作へ移る予備運動が解析できます」
「やはり掲載不可でしょうか」
「安全保障上の検討が必要です」
そこで、アルカンフェルが言った。
「掲載せよ」
ヴァルキュリアが振り向く。
「しかし、この姿勢は総帥閣下の戦闘技術の一部です」
「公開試合で見せたものだ」
「静止画として高精細に公開すれば、詳細な解析が可能となります」
「構わぬ」
「構わないのですか」
「見て学べる者がいるなら、学ばせればよい」
アルカンフェルは写真を見た。
「写真一枚から技術を盗める者ならば、それだけの価値がある」
「総帥閣下に対抗する技術として利用される可能性もあります」
「それで私を倒せるようになるなら、挑戦を受けよう」
ヴァルキュリアが黙った。
村上が小声で言う。
「総帥に安全保障上の懸念を説明する際、本人を倒せる可能性を論拠にするのは難しいですね」
「承知しています」
アプトムが笑う。
「むしろ強くなって来いって思ってるぞ、こいつ」
「その通りだ」
「ほらな」
編集者は恐る恐る尋ねた。
「では、掲載許可ということで」
「許可する」
「ありがとうございます!」
ヴァルキュリアは写真の掲載欄へ承認印を付けた。
表情こそ変わらない。
だが、処理速度がほんのわずかに遅かった。
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次に表示されたのは、試合開始前の写真だった。
白いガウンを脱ぎ、格闘用ショートパンツ姿になった瞬間。
アルカンフェルの全身と、背後で沸き立つ観客席が収められている。
編集者が言った。
「こちらは、写真集の中央見開きに使用したいと考えています」
ヴァルキュリアが資料を確認する。
「武術技術の解析価値は低い写真です」
「はい」
「歴史記録としての情報量も、先ほどの写真より少ない」
「はい」
「それにもかかわらず、需要調査では最も人気が高い」
「はい」
「理由は?」
編集者は言いにくそうにアルカンフェルを見た。
アルカンフェルが先に答えた。
「そういう需要だ」
ヴァルキュリアが再び止まった。
「総帥閣下」
「何だ」
「その表現で理解を示されると、私としては処理に困ります」
「なぜだ」
「総帥閣下の身体を観賞する目的の出版物を、統治局が公式に承認したことになります」
「事実ではないか」
「事実ですが」
「大会は公開されていた。姿も既に全世界へ放送されている」
「はい」
「本人である私が許可している」
「はい」
「参加格闘家の権利も保護されている」
「はい」
「何が問題だ」
ヴァルキュリアは数秒間、回答しなかった。
論理上は問題がなかった。
総帥本人が同意している。
試合は公開行事である。
写真に不名誉な加工もない。
収益配分も明確。
本人の尊厳を侵害しているわけでもない。
ただし。
世界の統治者が、自分のショートパンツ姿に対する需要を正確に理解し、その上で公式写真集への掲載を許可している。
それを、どの行政文書へどう記載するべきか。
ヴァルキュリアにも即答できなかった。
「外部向けの許可理由は、どのように記載すべきでしょうか」
「需要があるため」
「そのままでは困ります」
「では、文化的需要に応じた」
「まだ直接的です」
村上が助け船を出した。
「大会の歴史的記録と、市民からの出版要望に応えるため、でよいでしょう」
「採用します」
ヴァルキュリアは即座に入力した。
> 許可理由:大会の歴史的記録を保存し、市民からの文化的・資料的需要に応えるため。
> 内部補足:総帥閣下は観賞目的を含む需要を認識した上で許可。
> 備考:内部補足は外部非公開。
アルカンフェルが尋ねる。
「なぜ非公開にする」
「説明が難しくなるためです」
「理解して許可しただけだ」
「それが説明を難しくしています」
アプトムが腹を抱えて笑った。
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さらに選定作業が進む。
「こちらは、挑戦者へ手を差し出している写真です」
「掲載せよ」
「こちらは、試合後に白いガウンを肩へ掛けた横顔です」
「よい」
「こちらは、試合中に髪が乱れ、額に汗が流れている接写です」
「許可する」
ヴァルキュリアが確認する。
「この写真には、技術資料としての価値はほとんどありません」
「そうだろうな」
「歴史記録としても、類似した写真が複数あります」
「そうだな」
「それでも掲載するのですか」
「編集者が必要だと言っている」
編集者が強く頷いた。
「必要です」
「なぜでしょう」
編集者は一瞬迷った。
「……表情が非常に良いためです」
アルカンフェルが写真を見る。
確かに、普段の公務中にはほとんど見せない表情だった。
挑戦者の技を見て、わずかに目を細めている。
喜びとも、感心とも取れる。
戦いを理解する者に向けた顔だった。
「掲載せよ」
「承知しました」
ヴァルキュリアは承認処理を行った。
次の写真。
ガウンを脱ぐ途中、背中を見せている。
「こちらも――」
「掲載せよ」
「まだ説明していません」
「説明は必要か」
編集者が答えた。
「必要ありません」
「そうか」
ヴァルキュリアが、編集者とアルカンフェルを交互に見た。
「総帥閣下は、写真集文化にお詳しいのですか」
「一般的な構成は理解している」
「一般的な構成」
「表紙、巻頭、見開き、連続写真、接写、未公開カット、撮影後記」
編集者の目が輝いた。
「よくご存じで!」
「特装版には大型ポスターを付けるのだろう」
「まさにその予定です!」
「店舗別特典で表紙違いの写真を付ける案もあるか」
「検討しています!」
「総帥」
ヴァルキュリアが遮った。
「これ以上、出版社へ具体的な助言を与えないでください」
「なぜだ」
「企画が拡大します」
「需要があるなら、応じればよい」
「既に通常版、限定版、特装版、地域別仕様の四種類が企画されています」
「では、十分ではないか」
「今の発言によって店舗別特典版が追加される可能性があります」
編集者は、既に端末へ何かを入力していた。
ヴァルキュリアは無言でその手元を見た。
「……追加する気ですね」
「市民の需要に応えるためです」
「私の言葉を使わないでください」
/*/
写真集の正式名称は、アルカンフェルの意向によって、総帥単独を強調しすぎないものに変更された。
> 世界統一格闘演武大会公式写真集
> 《HUMAN CHALLENGE――挑む者たち》
「私だけの写真集ではない」
アルカンフェルは言った。
「格闘家たちがいなければ、試合は成立しなかった」
参加選手たちの試合写真。
調整前の練習風景。
獣化後の肉体確認。
リングへ上がる直前の表情。
アルカンフェルへ挑む瞬間。
敗れた後にも笑っている姿。
それらも、大きく掲載されることになった。
ただし。
通常版の表紙はアルカンフェル。
限定版の外箱もアルカンフェル。
付属する大型ポスターもアルカンフェル。
予約特典の写真カードも、最も人気が高いのはアルカンフェルだった。
ハンマー・ジョーは、それを聞いて笑った。
「まあ、売れる顔は分かるからな」
「不満はないのですか」
記者に尋ねられ、ジョーは肩をすくめた。
「俺たちは中身で勝負だ」
「総帥閣下は?」
「顔も中身も強え。そこは認めるしかねえだろ」
/*/
【朗報】総帥、写真集需要を完全に理解していた
1:名無しの市民
総帥「そういう需要か」
2:名無しの市民
分かってるの!?
3:名無しの格闘ファン
武術資料需要のことだろ。
4:名無しの出版社
観賞目的を含む需要です。
5:名無しの市民
出版社来た。
6:名無しの市民
総帥が自分のショートパンツ姿への需要を理解して許可したってこと?
7:名無しの広報局
表現に注意してください。
8:名無しの市民
広報局来た。
9:名無しの格闘ファン
技術を解析される写真も許可したらしい。
10:名無しの武術家
本当か?
11:名無しの出版社
「見て学べる者がいるなら、学ばせればよい」とのことです。
12:名無しの格闘家
武神。
13:名無しの市民
安全保障は?
14:名無しの格闘家
写真一枚で総帥を倒せる奴がいたら、総帥本人が喜ぶだろ。
15:名無しの市民
否定できない。
16:名無しの一般女性
ガウンを脱ぐ場面の見開きはありますか。
17:名無しの出版社
あります。
18:名無しの一般女性
買います。
19:名無しの一般男性
背中の写真は?
20:名無しの出版社
収録予定です。
21:名無しの一般男性
技術研究のために買います。
22:名無しの市民
本当に?
23:名無しの一般男性
観賞もします。
24:名無しの市民
正直でよろしい。
25:名無しの出版社
限定版には大型ポスターが付属します。
26:名無しの市民
総帥が提案したって聞いたぞ。
27:名無しの広報局
提案ではなく、一般的な写真集構成について言及されただけです。
28:名無しの市民
詳しすぎない?
29:名無しの広報局
回答を控えます。
30:名無しの市民
広報局が困ってる。
31:名無しの市民
ヴァルキュリア様も困ってたらしい。
32:名無しの職員
「理解した上で許可されると処理に困る」と。
33:名無しの市民
分かる。
/*/
発売前の予約数は、当初予定されていた初版部数を大幅に上回った。
通常版。
大型限定版。
高速撮影による武術解析別冊付き特装版。
各選手のプロモーターが用意した個別写真カード付き地域版。
さらに、出版社ごとに表紙写真が異なる流通限定版まで追加された。
ヴァルキュリアは、最終的な商品一覧を見た。
「増えています」
「需要に応えた結果です」
出版社の編集者が答えた。
「当初より三種類増えています」
「総帥閣下から、店舗別特典という言葉を聞きましたので」
「総帥閣下は、実施を命じていません」
「文化的助言として参考にしました」
ヴァルキュリアはアルカンフェルを見る。
「総帥閣下」
「何だ」
「ご自身に対する需要を理解しても、出版社へ知識を与えないでください」
「誤った企画で失敗するよりよいだろう」
「総帥閣下が売り方まで理解していると知られる方が、広報上の説明が困難です」
「なぜだ」
「市民が、総帥閣下に妙な親近感を持ちます」
「支持が高まるなら問題はない」
「そういうところです」
ヴァルキュリアは珍しく、わずかに疲れたように答えた。
/*/
発売日。
書店入口には、白いガウンを肩へ掛け、リング中央に立つアルカンフェルの大型写真が掲げられた。
その下に、短い宣伝文がある。
> 神ではなく、武人として立った日。
村上は宣伝文を見て言った。
「大仰ではありませんか」
出版社の担当者が答える。
「総帥閣下の承認済みです」
村上がアルカンフェルを見る。
「許可されたのですか」
「写真集の宣伝文として理解できる範囲だ」
「理解できてしまうのですね」
「当然だ」
店内では、老武術家が超高速連続写真を食い入るように見ていた。
若い格闘家は足運びのページを開き、指で軌道を追っている。
美術家は、筋肉と骨格の連動を確認していた。
一般客は、ガウンを脱ぐ場面の見開きを開いたまま動かなかった。
購入する理由は、それぞれ異なる。
技を学びたい者。
歴史を保存したい者。
人体を描く参考にしたい者。
総帥の姿を手元へ置きたい者。
理由を聞かれても答えたくない者。
アルカンフェルは、その全てを理解していた。
理解した上で、許可していた。
ただ一人。
その事実を行政文書へ落とし込まなければならないヴァルキュリアだけが、最後まで困っていた。