/*/ クロノス日本支部 芸能調整計画会議室 /*/
運動特化調整体。
公式名称は、そう定められた。
民間からは早くも別の呼び名が広がっているが、公文書には載せない。
クロノス芸能部門女性部門所属。
本人の自由意思を前提とし、外部の親族、事務所、スポンサー、旧競馬団体が直接所有・支配することは禁じる。
競技、歌唱、舞台、配信、地域興行は、クロノス芸能部門と監察部門が管理する。
そこまでは決まった。
問題は、どう調整するかだった。
開発局の会議室には、バルカス、ヴァルキュリア、村上征樹、日本支部の研究者たち、芸能部門の責任者たちが集められている。
アルカンフェルは、中央の席で資料を眺めていた。
画面には、数種類の調整案が並んでいる。
第一案。
全員を規定出力へ揃える。
速度、筋力、心肺機能、跳躍力、回復力を一定値へ近づける調整。
安全で、競技規格を作りやすい。
だが、競争としては平板になる。
第二案。
身体能力の上限を段階別に分ける。
クラス制を導入し、同程度の能力帯で競わせる。
これも管理しやすい。
だが、どこか人工的だった。
そこで、端の席にいた開発局の若い研究者が、恐る恐る手を挙げた。
「発言してもよろしいでしょうか」
アルカンフェルが視線を向ける。
「言え」
研究者は一瞬だけ喉を鳴らした。
だが、目は怯えていなかった。
むしろ、資料を見ている間ずっと考え込んでいた者の目だった。
「競技として成立させるなら、一律に規定出力へ到達させるよりも、元の身体能力を倍加させる方が良いと思われます」
バルカスの眉がわずかに上がった。
アルカンフェルは無言で続きを促す。
研究者は続けた。
「未調整の人間にも、個体差があります。速い者、強い者、持久力のある者、反応が鋭い者、勝負勘のある者。馬型運動特化調整体を、規格品としての獣化兵ではなく、競争者として設計するならば、その差を残すべきです」
ヴァルキュリアが端末に記録する。
「つまり、絶対値を揃えず、元の才能を拡張する」
「はい」
研究者は頷いた。
「元々の素質、筋繊維、心肺、腱の弾性、神経反応、平衡感覚、勝負時の判断。それらを均一化せず、それぞれの個性として増幅する。残酷ですが、才能の差が出ます」
会議室が少し静かになった。
研究者は、それでも言い切った。
「ですが、競技にはそれが必要です。誰もが同じ調整値なら、観客はすぐに飽きます。才能の差があり、成長があり、故障からの復帰があり、期待を裏切る敗北があり、予想外の勝利がある。そうでなければ、スター選手は生まれません」
芸能部門の責任者が、思わず身を乗り出した。
「スター選手」
「はい。規格品ではなく、物語を持つ競争者です」
研究者の声には、熱があった。
「同じ耳、同じ尾、同じ出力では駄目です。調整で美しく、強く、速くなる。けれど、それでも最後には本人の才能と努力と勝負勘が出る。そこに観客は熱狂します」
バルカスが、ゆっくりと笑った。
「なるほど。獣化兵の量産思想とは逆じゃな」
「はい」
研究者は少し緊張しながらも頷いた。
「戦闘用なら規格化が正しいです。部隊運用、補給、命令系統、性能保証が必要ですから。しかし興行競技なら、完全な規格化は魅力を削ります」
アルカンフェルは、しばらくその研究者を見ていた。
それから短く言った。
「こいつを主任にしろ」
研究者の顔が固まった。
「……は?」
「この計画の主任だ」
会議室がざわめく。
バルカスは楽しげに頷いた。
「適任ですな」
ヴァルキュリアはすぐに端末を操作する。
「では、監察担当も付けます」
アルカンフェルは淡々と言った。
「当然だ。ただし監視をつけろ。この手合いはやり過ぎる」
研究者はぎくりとした。
「い、いえ、自分はそのような」
「やる」
アルカンフェルは断言した。
「競争者としての個体差を残す、という発想は良い。スターを生むには正しい。だが、スターを作ろうとして身体を壊す可能性も高い」
ヴァルキュリアが続ける。
「主任就任と同時に、監察部門の常駐を義務化します。調整倍率、安全域、故障率、引退後の医療保障、興行側からの圧力は全て監査対象です」
研究者は、青ざめながら頭を下げた。
「承知しました」
アルカンフェルは少しだけ表情を緩めた。
「萎縮するな。発想は採用する。だが、壊すな」
「はい」
「規格品ではなく競争者を作る。それはよい。ならば、競争者として生き続けられる設計にしろ」
「……はい!」
研究者の返事に、今度は熱が戻っていた。
その日、馬型運動特化調整体計画は方向を変えた。
一律出力型ではない。
素質倍加型。
元の身体能力を基準に、個体ごとの特性を増幅する。
瞬発型。
持久型。
末脚型。
坂路型。
芝向き。
ダート向き。
雨天に強い者。
短距離に強い者。
長距離で粘る者。
競技者たちは、規格化された獣化兵ではなく、才能の差と努力の差を持つ調整体として設計された。
そして数か月後。
第一回運動特化調整体競技大会が開催された。
会場は、再整備された巨大競馬場だった。
旧世界の競馬場は、一度は衰退しかけていた。
賭博の縮小。
娯楽の分散。
財政悪化。
動物福祉問題。
観客の高齢化。
だが、その日は違った。
若年層が押し寄せていた。
公共住宅から来た家族。
調整医療ステーションの職員。
獣歌隊のファン。
火星農業研修の候補生。
かつて競馬場など来たことのなかった若者たち。
スタンドは色で溢れていた。
勝負服。
応援旗。
配信カメラ。
屋台。
獣歌隊の前座ライブ。
馬型運動特化調整体たちの入場で、会場は大歓声に包まれた。
耳が揺れる。
尾が風を切る。
調整された脚が、芝を踏む。
彼女たちは獣化兵ではない。
戦闘器官はない。
だが、普通の人間でもない。
美しく、強く、速く、そして明らかに個体差があった。
小柄で鋭い加速を見せる者。
長身で大きなストライドを持つ者。
序盤は遅れても、最後に異様な伸びを見せる者。
観客は、すぐに理解した。
これはただの見世物ではない。
競争だ。
第一レース。
スタートの瞬間、会場の空気が爆発した。
芝を蹴る音。
観客の叫び。
実況の声。
耳を伏せ、尾で姿勢を取り、競技者たちが疾走する。
最終直線。
先頭を走っていた本命選手の外から、無名の競技者が伸びてきた。
調整前は地方の陸上選手だったという。
倍率だけなら高くない。
だが、腱の弾性と心肺の相性が異常によく、終盤で落ちない。
観客が叫ぶ。
実況が名前を叫ぶ。
彼女は差し切った。
競馬場が揺れた。
ただ勝っただけではない。
スターが生まれた瞬間だった。
その映像は、すぐに地球圏へ配信された。
火星居住モジュール工場の休憩室でも。
月面研究都市の食堂でも。
ラグランジュ農業コロニーの建設現場でも。
木星圏のアプトム便管制室でも。
人々が同じレースを見ていた。
アプトムはぼやいた。
「人間、こういうの好きだよなぁ」
リ・エンツイが静かに答える。
「競争と物語は、人間社会の古い娯楽だ」
「俺も走ったら勝てるか?」
「競技規則違反だ」
「分かってるよ」
クラウド・ゲートの観覧室でも、アルカンフェルたちは配信を見ていた。
会場の熱狂。
勝者の涙。
敗者の悔しさ。
観客の叫び。
獣歌隊のステージ。
競馬場に戻った活気。
バルカスは腕を組み、感心したように呟いた。
「……あれほど調整に拒絶を示していた女性体が、これほど調整に前向きになるとは」
ヴァルキュリアは、画面を見たまま淡々と答えた。
「耳と尻尾が付こうが、美容整形以上に自然に美しくなれると知れば、こんなものですよ」
バルカスは目を瞬かせた。
「そういうものかね」
「そういうものです」
彼女は続けた。
「それに、これは単に美しくなるだけではありません。速くなる。注目される。応援される。名前が呼ばれる。自分の身体が、競技と舞台と収入になる。拒絶感より、可能性が勝ったのでしょう」
村上が少し苦笑する。
「怖さは消えていないと思いますよ。ただ、怖さより先の景色が見えた」
「なるほど」
バルカスは画面を見つめる。
レース後の競技者たちが、息を切らしながら手を振っている。
耳が動き、尾が揺れ、観客が歓声を返す。
それは戦闘用獣化兵の社会認知とは、また違う熱だった。
獣歌隊が獣化兵への恐怖を和らげたなら、調整競走は身体調整への憧れを作り始めていた。
アルカンフェルは、静かに言った。
「人間は面白いな」
ヴァルキュリアが横目で見る。
「お気に召しましたか」
「気に入ったというより、よく燃える」
「欲望が、ですか」
「ああ」
アルカンフェルは競馬場の映像を見た。
富の再分配。
住宅。
医療。
宇宙開発。
それらは人間を生かす。
だが、こういう祭りは、人間を前へ走らせる。
「管理しろ」
彼は言った。
「だが、冷やしすぎるな。熱は必要だ」
ヴァルキュリアは頷いた。
「監察部門を常駐させます。競技者組合、医療部門、芸能部門、賭博管理、配信収益、引退後保障を連動させます」
「よい」
バルカスが、ぽつりと言った。
「次は飛行型の舞踏競技なども」
「バルカス」
「冗談です」
ヴァルキュリアが端末に入力する。
「記録しました」
「ヴァルキュリア嬢、最近厳しくないかね」
「必要ですので」
画面の中で、勝者となった競技者がインタビューを受けていた。
涙で声を震わせながら、それでも笑っている。
自分の耳に触れ、自分の尾を見て、少し照れくさそうに言った。
「この身体で走れて、よかったです」
その言葉が、配信で全世界へ流れた。
翌日。
運動特化調整体への志願相談は、前日の数十倍に増えた。
クロノス日本支部の開発局は悲鳴を上げた。
芸能部門も悲鳴を上げた。
監察部門は、さらに分厚い監査規定を作った。
そしてアルカンフェルは、報告書の数字を見て、少しだけ溜息をついた。
「宇宙怪獣より、こっちの方が増殖が速いな」
アプトムが笑った。
「人間の欲望を甘く見たな、総帥」
「見誤ってはいない」
アルカンフェルは答えた。
「だが、少し速い」
その表情は、困っているようで、どこか楽しげでもあった。