/*/ クロノス統治期 統合ウマ娘ライブ産業 /*/
クロノス統治後、娯楽産業で最初に起きた革命は、軍事でも医療でもなかった。
ライブだった。
調製体ウマ娘。
常人の四倍に達する運動能力。
それを支える心肺能力。
強化された横隔膜。
長時間の高速走行にも耐える循環器。
衝撃に耐える関節。
高負荷下でも乱れにくい呼吸制御。
そして、調製によって安定した声帯と共鳴腔。
それらを持つ彼女たちは、旧時代のアイドルライブの常識を破壊した。
激しいステップ。
全力疾走に近い移動。
跳躍。
回転。
隊列変更。
階段状ステージの上下。
長い花道を駆け抜けながらの歌唱。
にもかかわらず、口パクではない。
息が切れない。
声が痩せない。
音程が落ちない。
むしろ、走りながら声量が増す。
心拍が上がるほど、身体全体が楽器のように鳴る。
最初の統合ウマ娘ライブを見た観客は、冗談のように言った。
「これ、もう人間のライブじゃない」
そして、その通りだった。
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会場の照明が落ちる。
暗闇の中、巨大スクリーンに心拍数、速度、酸素摂取量が表示される。
旧時代なら、スポーツ中継で使われる数字だった。
だが、今はライブ演出だった。
イントロが鳴る。
ステージ奥から、五人のウマ娘が飛び出す。
走る。
踊る。
跳ぶ。
歌う。
最初のサビに入る頃には、観客の目は完全に奪われていた。
声が、厚い。
生歌だ。
なのに、ダンスは旧時代のトップアイドルの倍以上激しい。
ステージの端から端へ駆け抜け、空中で身をひねり、着地と同時に次の歌詞へ入る。
息継ぎはある。
だが、それが苦しさではなく、音楽の一部になっている。
肺が大きい。
声が強い。
身体が強い。
そして、何より、彼女たちは楽しそうだった。
観客席の若者たちは、叫んだ。
「本物だ!」
「口パクじゃない!」
「走ってるのに歌ってる!」
「声量おかしい!」
「これが調製体ウマ娘か!」
一曲目が終わった時、会場はすでに熱狂していた。
旧時代のアイドルライブで許されていたものが、その夜から許されなくなった。
激しいダンスだから口パクでも仕方ない。
歌唱は別録りでもいい。
踊りと歌を両立するのは難しい。
そうした言い訳は、調製体ウマ娘の前で崩れた。
できる者が現れてしまったからだ。
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芸能事務所は混乱した。
既存アイドルグループは、一夜にして古く見えた。
振付の難度。
声量。
ライブ持久力。
観客満足度。
SNSの拡散力。
すべてが比較された。
> ウマ娘ライブ見た後だと普通のアイドルライブが薄く感じる。
> 口パク文化、完全に終わった。
> いや人間と調製体を比べるなよ。
> でも同じチケット代なら生歌で走る方を見る。
> 既存アイドルが悪いんじゃない。基準が変わった。
> クロノスの調製、芸能界まで壊しに来た。
> 壊したんじゃなくて進化させたんだろ。
> 私も調製受けたい。
> ウマ娘になればステージに立てる?
> クロノス医療調製局の予約ページ落ちてる。
若者たちが、クロノスへ走り始めた。
軍へ入りたいわけではない。
獣化兵になりたいわけでもない。
戦いたいわけではない。
だが、あのステージに立てる身体が欲しかった。
歌いながら走れる肺が欲しい。
踊りながら声を失わない喉が欲しい。
観客席を揺らす脚が欲しい。
自分の身体が、才能の限界を決めるのなら。
その身体を調製したい。
そう考える若者が増えた。
クロノスは、すぐに制度化した。
芸能競技調製枠。
ウマ娘ライブ育成課程。
歌唱・運動統合適性試験。
心肺強化調製。
声帯保護調製。
舞台負荷耐性調製。
ただし、誰でも受けられるわけではない。
身元審査。
適性審査。
未成年の場合は本人意思と保護者同意。
調製後の芸能契約監査。
事務所による強制調製の禁止。
違法な闇調製の摘発。
クロノスは、若者の憧れが搾取に変わることを警戒した。
だが、それでも流れは止まらなかった。
ライブ産業は、調製体ウマ娘を中心に再編されていった。
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既存のアイドル業界は、抵抗した。
人間の魅力は不完全さにある。
努力の過程が大切だ。
調製された身体によるパフォーマンスは、スポーツであってアイドルではない。
人間が頑張る姿を、調製体の能力で押し潰すな。
そう訴えた。
だが、若い観客は残酷だった。
「でも、生歌じゃないじゃん」
「でも、踊れてないじゃん」
「でも、息切れてるじゃん」
「でも、ウマ娘ライブの方が楽しいじゃん」
市場は正直だった。
チケット売上。
配信再生数。
グッズ。
スポンサー。
海外展開。
調製体ウマ娘ライブは、既存アイドルライブを駆逐していった。
もちろん、旧来アイドルが完全に消えたわけではない。
小劇場。
地下ライブ。
未調製者限定イベント。
懐古型ファンコミュニティ。
人間らしい不完全さを売りにする小規模市場。
そこには生き残った。
だが、主流ではなくなった。
巨大アリーナを埋めるのは、調製体ウマ娘だった。
国際配信で億単位の視聴を集めるのも、調製体ウマ娘だった。
観客は、圧倒的な身体を見に来た。
そして、その身体から出る歌を浴びに来た。
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反発が最も強かったのは、意外にも伝統音楽界だった。
特にオペラ界隈である。
彼らは激怒した。
人間の声は、訓練と年月によって作られる。
呼吸、発声、共鳴、言語、解釈、役柄、舞台経験。
それらを積み重ねて、初めて声楽家は舞台に立つ。
そこへ、調製体ウマ娘が現れた。
若い。
美しい。
肺活量が異常に高い。
声量が豊か。
体幹が強く、姿勢が崩れない。
舞台上を走ってもブレスが乱れない。
音域も安定する。
しかも、クロノスの声帯調製によって喉を壊しにくい。
ある若手調製体ウマ娘が、コンサートのアンコールでオペラアリアを歌った。
軽い気持ちだった。
だが、その声量と安定性は、専門家を黙らせるほどだった。
翌日、オペラ界は声明を出した。
> 声楽芸術は、身体能力の競争ではない。
> 調製によって得られた声量を、伝統的声楽訓練と同列に扱うことに反対する。
> 劇場芸術を、調製体による身体性能展示へ変質させてはならない。
ネットはまた燃えた。
> オペラ界、怒る。
> でも上手かったよな。
> 声量すごかった。
> 技術と解釈は別だろ。
> でも声が届くのは正義。
> 調製体禁止部門でも作れば?
> 伝統芸能が身体チートにキレてる。
> いや百年鍛えた技術を調製で抜かれたら怒るだろ。
> でも観客は聴きたい方に行く。
伝統音楽界は、調製体部門と未調製者部門の分離を求めた。
クロノス文化局は、それを一部認めた。
伝統声楽部門。
未調製者声楽部門。
調製体声楽部門。
統合舞台部門。
分類は増えた。
だが、観客の流れは止まらなかった。
調製体ウマ娘の声は、広い会場に届いた。
マイクを通しても、身体の強さが分かった。
それは、理屈ではなく快感だった。
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クラウド・ゲート文化政策会議で、村上征樹は報告書を読んでいた。
「芸能調製希望者が急増していますね」
ヴァルキュリアが頷く。
「はい。特に十代後半から二十代前半の希望者が多いです。理由は、ライブ産業への参入、身体能力向上、声量改善、容姿調整、副次的な健康改善です」
アプトムが笑った。
「軍でも医療でもなく、ライブに憧れてクロノスへ走るのか。平和だな」
村上は苦い顔をする。
「平和ですが、危ういです。芸能事務所が若者に調製を迫る可能性があります」
「すでに摘発例があります」
ヴァルキュリアが淡々と言った。
「未成年候補生への圧力、違法契約、調製費用の借金化、事務所による身体仕様指定、歌唱適性偽装が確認されています」
アプトムが顔をしかめた。
「身体仕様指定って何だよ」
「身長、脚長、声質、耳尾形状、筋量、肌質、体脂肪率、舞台映えを事務所側が指定する契約です」
「最悪だな」
「禁止しました」
バルカスは、少し不満そうに言った。
「技術的には可能じゃがの」
村上が即座に言う。
「博士、そこで可能と言わないでください」
「可能なものは可能じゃ」
「若者の身体を商品仕様にするのが問題なんです」
ヴァルキュリアが記録する。
「芸能調製における本人意思確認を強化。未成年者への事務所主導調製禁止。調製費用の債務化禁止。身体仕様指定契約は無効」
アルカンフェルは、静かに聞いていた。
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「なぜ、歌にそこまで集まる」
アルカンフェルが問う。
村上は少し考えて答えた。
「人間は、強い身体に憧れるんです。ただ、戦場の強さだけではありません。美しさ、声、踊り、表現。そういうものにも憧れる」
「戦うためではない力か」
「はい」
アプトムが笑う。
「総帥には一番分かりにくいかもな」
アルカンフェルは否定しなかった。
「そんなことはない……だが、若者がクロノスへ来る」
「来ています」
「ならば、利用できる」
村上が即座に警戒する。
「総帥」
「兵にしろとは言っていない」
アルカンフェルは言った。
「クロノスを恐怖だけで見る者は多い。だが、歌い、踊り、走る者を見て、クロノスの調製を希望する者がいる。それは統治に有利だ」
ヴァルキュリアが頷く。
「文化政策上、非常に有効です。調製体ウマ娘ライブは、クロノス調製技術への心理的抵抗を大きく低下させています」
村上はため息をついた。
「やっぱり利用するんですね」
「当然だ」
アルカンフェルは言った。
「だが、搾取は潰せ」
「そこは安心しました」
「搾取で壊れた者は、歌えぬ」
アプトムが笑った。
「理由がクロノスっぽいな」
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オペラ界からは、代表団が抗議に来た。
伝統声楽協会の理事長は、白髪の老歌手だった。
彼は、アルカンフェルの前で怯まずに言った。
「総帥。声楽は、肺活量の競技ではありません」
アルカンフェルは、静かに彼を見た。
「そうなのか」
「そうです。声量だけなら、調製体ウマ娘は確かに強い。ですが、言語、役柄、悲劇、宗教性、人生経験、呼吸の間、声の老い。それらを含めてオペラです」
村上は、内心で感心した。
この老人は、恐れていない。
アルカンフェルを前にして、芸術の領域を守ろうとしている。
老歌手は続けた。
「調製された若い身体が、豊かな声でアリアを歌う。それは素晴らしい。しかし、それだけで百年の劇場文化を置き換えられると言われれば、我々は反発します」
アルカンフェルは、しばらく考えた。
「ならば、残せ」
「は?」
「お前たちの劇場を残せ。未調製者声楽部門も、伝統声楽部門も残せ。調製体と競う必要がない場を作れ」
老歌手は、わずかに目を見開いた。
「認めていただけるのですか」
「私は、不要なものを嫌う。だが、人間が必要とするものを無理に潰す趣味はない」
アプトムが小声で言う。
「たまにまともなこと言うんだよな」
ヴァルキュリアが記録する。
「伝統声楽保護枠の設置。未調製者部門、歴史的劇場支援、調製体声楽との明確な区分表示。統合公演は任意」
老歌手は深く頭を下げた。
「感謝します」
アルカンフェルは淡々と言った。
「ただし、観客が来るかは別だ」
老歌手は苦笑した。
「それは、我々の責任です」
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調製体ウマ娘のライブは、その後も拡大した。
アリーナ。
ドーム。
軌道エレベーター記念公演。
月面低重力ライブ。
ステージは広がり続けた。
彼女たちは走りながら歌った。
踊りながら声を響かせた。
観客は、その身体能力に酔った。
同時に、その歌に泣いた。
クロノスの調製技術は、また一つ、人々の抵抗を溶かしていった。
獣化兵は怖い。
思念波は怖い。
身体を変えられるのは怖い。
だが、あのステージに立てるなら。
あの声で歌えるなら。
あの身体で世界を走れるなら。
そう考える若者は増えた。
クロノスは、恐怖だけで支配しているのではない。
憧れでも、人を引き寄せ始めていた。
それが、統合ウマ娘ライブの本当の意味だった。
銃を捨て、調製槽へ向かう者がいた。
病を治すために、調製を望む者がいた。
美しくなるために、調製を望む者がいた。
そして今、歌うために調製を望む者がいた。
人間は、自分の身体を超えたがる。
クロノスは、その願いに答えてしまう。
だからこそ、誰も止められなくなっていった。