/*/まだいける?
未成年への調製圧力が問題になる一方で、統治局の想定していなかった事例も現れた。
地方都市に住む四十二歳の女性が、十五歳の娘より先にウマ娘調整を受けたのである。
娘は統合ウマ娘ライブを見て、自分もウマ娘になりたいと希望していた。
母親は反対しなかった。
だが、調製槽へ入った経験もない自分が、安全だとも危険だとも判断できないことに気づいた。
「子供へ受けさせる前に、私が受けます」
医療調製局の職員は、何度も確認した。
「保護者が先に調製を受けても、御息女の安全性を直接証明することにはなりません。年齢、遺伝形質、希望する身体仕様が異なります」
「分かっています」
「御自身がウマ娘型調製を希望されているのですか」
「娘に勧めるかどうかを考えるためです」
「それは御自身の意思と言えますか」
母親は少し考えた。
「娘へ“怖くないから行っておいで”とも、“危険だから諦めなさい”とも、知らないまま言いたくないんです」
面談は複数回行われた。
調製後の身体は元へ戻せない部分があること。
馬耳と尾を含む身体感覚が変化すること。
筋力や心肺能力が向上しても、使いこなすには訓練が必要なこと。
成人の場合、健康状態によっては若返りを伴う修正調製が行われること。
すべての説明を受けた上で、母親は本人の意思として調製を希望した。
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調製槽から出た母親は、予想していた以上に変わっていた。
長年の疲労が抜けた身体。
若い頃よりも滑らかに動く関節。
引き締まった脚。
高い位置に生えた馬耳。
感情に合わせて動く尾。
顔立ちも若返り、外見だけなら二十代半ばにしか見えなかった。
面会室へ入ってきた娘は、しばらく母親を見つめた。
「……お母さん?」
「そうよ」
「若くなりすぎじゃない?」
「お医者さんから説明は受けていたけど、私も驚いてる」
「私と姉妹みたいになってる」
「お姉さんに見える?」
「そこはお母さん」
母親は自分の馬耳へ手を伸ばした。
耳が指の動きを避けるように横を向く。
「これ、自分で動かしているつもりがないのに動くのよ」
「尻尾もすごく動いてる」
「どんな時に?」
「今、嬉しそう」
母親が振り返る。
尾は隠しようもなく左右へ揺れていた。
「本当だわ」
「楽しんでるじゃん」
「安全性を確かめているのよ」
娘は疑わしそうな顔をした。
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調製後の母親は、医療局の指導に従って身体訓練を始めた。
最初は歩行。
次に軽いジョギング。
平衡感覚と尾の使い方を覚え、強くなった脚へ関節の動きを合わせる。
一か月後には、近所の河川敷を毎朝走るようになった。
三か月後には、娘より早く起きて二十キロ走って帰ってくるようになった。
「お母さん、何を目指してるの?」
「身体が動くのが楽しくて」
「安全を調べるだけじゃなかったの?」
「動かしてみないと分からないでしょう」
「毎朝二十キロ走らないと分からないことなの?」
「調製後の持久力」
「絶対に楽しんでる」
母親は否定しなかった。
若い頃、走ることは好きだった。
だが、競技を続けるほど速くはなかった。
結婚し、子供が生まれ、仕事と家事に追われるうちに、走る習慣そのものを失った。
それが四十二歳になって突然、かつて想像したこともないほど自由に走れる身体を手に入れた。
本人が高揚しないはずがなかった。
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半年後。
母親は地元の市民マラソンへ出場した。
本人は当初、
「調製後の身体が長距離走でどう反応するか確かめるだけ」
と説明していた。
登録したのは調製体一般女子部門。
記録を狙う競技者だけでなく、健康のために走る市民も参加する部門だった。
娘は沿道で友人と一緒に母親を待っていた。
「お母さん、どのくらいで来るの?」
「初めてなんでしょう? 二時間くらいじゃない?」
「完走すれば十分だって言ってた」
先導車が見えた。
その後ろから、一人のウマ娘が走ってくる。
若草色の競技服。
額へ張りついた髪。
高く上がった馬耳。
大きく揺れる尾。
母親だった。
「え?」
娘が固まる。
母親は後続を大きく引き離し、女子部門の先頭を走っていた。
沿道の声援へ笑顔で応え、娘を見つけると大きく手を振る。
「見てるー!?」
「見てるけど!」
「お母さん、先頭だよ!」
「私も今、気づいたー!」
「嘘つけ!」
母親はそのまま調製体一般女子部門で優勝した。
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問題は、その後だった。
表彰式の仮設舞台へ上がった母親が、司会者からマイクを受け取った。
「初出場で優勝です。今のお気持ちは?」
「とても楽しかったです!」
「ウマ娘になられて、まだ半年と伺いました」
「娘が調製を受けたいと言ったので、危険がないか確かめるために、私が先に受けました!」
会場から拍手が起きた。
沿道にいた娘は両手で顔を覆った。
「その話まで言うの……」
司会者が笑う。
「御自身が市民マラソンで優勝するところまで、確認項目に入っていたのでしょうか」
「そこまでは予定していませんでした」
「ですが、見事な優勝でした」
「ありがとうございます!」
母親の尾が勢いよく振られる。
司会者が軽い冗談のつもりで尋ねた。
「ウマ娘の優勝者といえば、ウィニングライブですが――」
「曲、用意してきました!」
娘が顔を上げた。
「なんで!?」
母親は端末を取り出した。
すでに伴奏音源が登録されていた。
仮設舞台の音響担当者が困惑しながらデータを受け取る。
「お母さん!」
前奏が流れた。
母親は歌い始めた。
しかも、普通に上手かった。
調整によって強化された呼吸器。
マラソンを走り終えた直後とは思えない声量。
本人が密かに練習していた振り付け。
観客は喜び、手拍子が始まった。
娘の友人が端末を構える。
「撮っておくね」
「やめて!」
「もう配信されてる」
「お母さぁん!」
娘の悲鳴は、歓声と歌声にかき消された。
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映像は、その日のうちに世界中へ拡散された。
> 娘の安全を確認するため、母親が先にウマ娘調製。
> 若返る。
> 走り始める。
> 市民マラソン優勝。
> ウィニングライブ。
> 娘、絶叫。
短くまとめると、意味が分からなかった。
掲示板には反応が並んだ。
> 娘より先に夢をかなえるな。
> お母さん楽しそうで草。
> 「危険性を確認します」から、どうして優勝ライブまで行った。
> 身体が若返って走れるようになったら、そりゃ走るだろ。
> 娘は恥ずかしい。
> でも、ちょっと誇らしいだろ。
> 四十二歳で第二の競技人生が始まったのか。
> 子供のためだったはずが、母親本人の人生まで変わってる。
> 調製の影響、そういう方向もあるのか。
映像には、母親の歌へ合わせて揺れる観客の姿と、その場から逃げようとする娘を友人たちが引き止める姿まで映っていた。
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事例は、クラウド・ゲートの文化政策会議でも報告された。
ヴァルキュリアが淡々と資料を読み上げる。
「保護者先行調製事例です。本人の自由意思は確認済み。経過良好。調整後六か月で、市民マラソン調製体一般女子部門に優勝しました」
アプトムが画面を見ながら笑う。
「元気になりすぎだろ」
「さらに、表彰式で自主的にウィニングライブを行っています」
「親の方が完全にハマってるじゃねぇか」
バルカスは満足そうにうなずいた。
「調製後の適応状態は極めて良好じゃな」
村上は額を押さえた。
「問題はそこだけではありません」
「何が問題なのじゃ」
「この映像を見た保護者から、“子供へ受けさせる前に自分が受けたい”という相談が急増しています」
アプトムが言った。
「慎重でいいんじゃねぇの?」
「成人本人が望むなら止めません。ただし、親が受けて問題がなかったことは、子供の医学的安全性の証明にはなりません。それに――」
村上は映像を止めた。
画面には、舞台で熱唱する母親と、客席で顔を覆う娘が映っている。
「保護者自身が調製後の生活に夢中になり、当初の目的を忘れる事例も想定する必要があります」
アルカンフェルが尋ねた。
「本人が望んで調製を受け、競技へ出て勝った。何が問題だ」
「行政上は問題ありません」
「ならばよい」
「娘さんは非常に恥ずかしがっています」
「それは家庭内の問題だ」
アプトムが吹き出した。
「総帥、正しいけど冷てぇな」
ヴァルキュリアは制度文書へ新しい一文を加えた。
> 保護者が同型調製を受けた場合も、未成年本人への意思確認、適性検査および熟慮期間は短縮しない。
> 保護者本人の調製希望は、子供の代理体験ではなく、独立した成人本人の希望として審査する。
「これでよろしいでしょうか」
村上はうなずいた。
「お願いします」
バルカスが映像を見ながら言う。
「しかし、よい歌声じゃな」
「博士まで楽しむ側へ回らないでください」
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母親の優勝から一週間後。
娘は医療調製局で、改めて自分自身の面談を受けていた。
「お母様が先に調製を受けられましたが、あなたの希望に変化はありますか」
「少し待ちたいです」
「調製が怖くなりましたか」
「違います」
娘は深くため息をついた。
「私までウマ娘になったら、お母さんと親子ライブをやらされそうだから」
職員は記録端末へ入力する手を止めた。
「その可能性について、御家庭でよく話し合ってください」
「絶対に嫌です」
「調製を受けるかどうかとは、分けてお考えください」
「分かっています。でも、まずお母さんを落ち着かせます」
調製を受けたいという気持ちは、まだ残っていた。
だが、母親が先に走り出したことで、娘には考える時間が生まれた。
親が子供を舞台へ押し上げるだけではない。
親自身が、忘れていた舞台へ戻ることもある。
憧れは若者だけを動かすものではなかった。
四十二歳の母親もまた、自分から調製槽の扉を開き、走り、歌い始めていた。