「総帥が贅沢をなさらないと、困ります」
経済局員が、青い顔で言った。
アルカンフェルは首を傾げた。
「なぜだ」
「富裕層が金を使いません」
「使わねばよいのではないか」
「よくありません!」
広報局員が机に手をついた。
「総帥が毎日、軍用施設の食堂で栄養効率の良い食事をなさっていると、企業経営者も地方名士も高官も、豪華な会食を開きづらくなるのです!」
「質素でよいことではないか」
「質素が美徳になりすぎると、高級料理店、工芸品、宝飾、服飾、建築、芸術支援が死にます!」
経済局員が資料を出した。
「旧時代の王侯貴族や富裕層の消費には問題も多くありました。しかし、彼らの消費によって職人、芸術家、料理人、織物職人、建築家、楽士、宝飾職人が支えられていた面もあります」
村上征樹が頷いた。
「経済循環としては正しいです。上層が過度に萎縮すると、奢侈産業そのものが縮小するか、表から消えます」
アプトムが笑った。
「つまり総帥に金を使えって話か」
「違います!」
広報局員が即座に叫んだ。
一瞬置いて。
「……いえ、違わないです! でも言い方!」
アルカンフェルは少し考えた。
「私は黄金の浴槽など必要とせぬぞ」
「誰もそこまでは求めていません!」
さらに考える。
「では」
アルカンフェルが顔を上げた。
「メジロ牧場を復活させよう」
「はい?」
経済局員の動きが止まった。
「競馬文化と育成技術の保存にもなる。土地も施設も必要だな」
アルカンフェルは端末を取り出した。
「予算は五十億もあれば良いか」
「総帥?」
「ナイスネイチャのバースデードネーションのクラウドファンディングもやっていたな」
広報局員が嫌な予感を覚えた。
「……はい」
「一億入れよう」
「そうですが、違います!」
経済局員と広報局員が同時に叫んだ。
アルカンフェルが眉を寄せる。
「何が違う」
「確かに文化支援です!」
「産業支援でもあります!」
「富裕層による資金循環の模範にもなります!」
「では問題ないではないか」
「今回の議題は、総帥ご自身にもある程度の格式ある消費をしていただきたいという話です!」
「私は金を使っているぞ」
「使い方が全部、文化保護か寄付なんです!」
「悪いのか」
「悪くありません!」
広報局員は頭を抱えた。
「悪くないから困るんです!」
「そうか」
アルカンフェルは端末を見た。
「では、ノー斬レイク牧場にも二億寄付しよう」
「増やさないでください!」
「なぜだ。あそこは厩舎がもう限界だったはずだ」
アプトムが真顔になった。
「なんで詳しいんだよ」
「以前、資料を読んだ」
「何の資料だよ」
「引退馬支援と牧場設備の状況だ」
「そういうの自主的に読んでるのかよ」
「必要だろう」
「何にだよ」
「寄付する時に」
アプトムはしばらく黙った。
「……お前、金持たせると本当に全部そっちへ流すな」
「有効に使っているだけだ」
経済局員が机に突っ伏した。
「そうなんです。そこなんです」
村上が静かに補足した。
「総帥。今の三件は非常に有意義ですし、政策上も問題ありません」
「そうだろう」
「ですが、これは投資と寄付です」
「金を使うという点では同じだ」
「市場へのシグナルが違います」
「どう違う」
村上は少し考えた。
「たとえば総帥が、各地域の最高水準の仕立屋へ礼装を発注する」
「服はある」
「そこで終わらないでください」
「まだ着られるぞ」
「そういうところです」
ヴァルキュリアが静かに口を挟んだ。
「閣下が一着の服を十年、二十年と着続ければ、それを見た上層階級が『新しい礼装を作るのは浪費ではないか』と考え始める可能性があります」
「まだ使えるものを捨てる必要はないだろう」
「捨てる必要はありません。増やしてください」
「同じでは?」
「違います」
即答だった。
アルカンフェルは、しばらく考え込んだ。
「しかし」
「はい」
「消費せよと言っても、世界は私のものなのだから、自分の金が循環しているだけなのだがな……」
部屋が静かになった。
アプトムが顔を上げた。
「さらっと世界征服者の理屈を出すなよ」
「違うのか?」
「法的には違います!」
経済局員が叫んだ。
「クロノス統治下の企業や市民の財産は総帥個人の私有財産ではありません!」
「統治領という意味だ」
「その言い方も危険です!」
村上が眉間を押さえた。
「総帥。ここで所有権哲学を始めると議題が三日延びます」
「そうか」
「今日は、総帥の生活を少し豊かにしてください、という話です」
「生活を豊かに、か」
アルカンフェルは少し考えた。
そして。
「ならば、今日のランチはウーマーイーツでM店から取るとしよう」
「そうだけど、違います! 足りません!」
職員たちが揃って叫んだ。
「なぜだ」
「いつもの施設食堂からファストフードの宅配に変わっただけです!」
「配達料も払うぞ」
「そこではありません!」
「店まで行かずに食事が届くのだ。十分な贅沢ではないか?」
「総帥の贅沢基準が庶民すぎます!」
アルカンフェルは少し考えた。
「分かった」
経済局員たちが期待を込めて顔を上げる。
「お前たちの分も頼むとしよう。何が良い?」
「そういう意味でもありません!」
また全員が叫んだ。
アプトムが腹を抱えて笑い出した。
「駄目だ。こいつに贅沢させるの無理だろ」
「私は譲歩したぞ」
「どこがだよ!」
「一人分ではなく全員分だ」
「福利厚生に変換するな!」
アルカンフェルは不思議そうだった。
「他人にも食事を与える方が豊かではないか?」
広報局員が頭を抱えた。
「考え方としては良いんです!」
「では何が問題だ」
「総帥ご本人の消費水準を上げてください!」
「昼食を宅配にした」
「一段しか上がってません!」
「それ以上となると……」
アルカンフェルは端末を見た。
「セットにするか」
「ポテトを追加する話ではありません!」
アプトムがとうとう机を叩いて笑った。
「総帥、経済局が泣いてるぞ」
「なぜだ。かなり贅沢したつもりなのだが」
「お前の贅沢、配達料とセットメニューかよ」
「普段より高いぞ」
「そういう問題じゃねぇ!」
ヴァルキュリアは口元を押さえた。
少し笑っていた。
「閣下」
「何だ」
「本日の昼食については、皆様の分までご注文なさってよろしいと思います」
「そうか」
「ですが、それとは別に、公式晩餐会では一流の料理を召し上がってください」
「分かった」
「式典では仕立てた礼装をお召しください」
「分かった」
「各地の工芸品も、実際に使用してください」
「分かった」
「そして、できれば『まだ使えるから』という理由だけで二十年間同じものを使い続けないでください」
「……努力しよう」
広報局員が感動した顔になる。
「総帥が努力するとおっしゃった!」
アプトムが笑う。
「世界征服より難しそうだな」
「世界征服は目的が明確だった」
「贅沢は目的が分からぬ」
「こっちの方が難しいのかよ」
/*/ 宮廷経済という解決 /*/
バルカスが髭を撫でた。
「ならば総帥専用の儀礼宮殿を建設し、内装には各地の最高級素材を用い、近習は遺伝子段階から美観を調整した――」
「やめてください!」
統治局と広報局が同時に叫んだ。
バルカスは不満そうだった。
「先ほどよりは議題に沿っておるではないか」
「途中までは!」
「近習のところで全部台無しです!」
シンが腕を組む。
「しかし、宮殿という案そのものには一理あるのではないか」
「シン閣下?」
「世界統一政体の儀礼施設として、各地域の工芸技術を集約する場所を設ける。それならば総帥個人の享楽ではなく、文化展示施設として説明できる」
プルクシュタールも頷いた。
「定期的に内装や調度を更新すれば、工芸産業への継続発注にもなる」
経済局員の目が輝いた。
「それです!」
広報局員も頷く。
「ただし『総帥専用豪華宮殿』ではありません!」
「名称が重要なのか」
アルカンフェルが尋ねる。
「非常に重要です!」
ヴァルキュリアが冷静にまとめた。
「要は、総帥個人が享楽に溺れるのではなく、総帥府が各地の産業を公的に庇護している形にすればよいのでしょう」
「それです!」
経済局員が食いついた。
「総帥府晩餐会。地方工芸品の公式採用。季節ごとの統治局式典。戦没者追悼、復興記念、宇宙防衛功労式典。そこで一流の衣装、料理、器、音楽、建築、花卉、照明を使います」
村上が補足する。
「総帥の贅沢ではなく、文明維持費として扱う」
「はい!」
「職人への発注は透明化する。特定企業との癒着を防ぐため、地域別・分野別にローテーション制」
「はい!」
「選定基準も公開する。伝統性だけでなく、新規工房や若手職人にも枠を設ける」
「はい!」
「総帥本人には最低限の参加だけ求める」
「……はい!」
最後だけ少し勢いが落ちた。
アルカンフェルが言った。
「私が食事をする必要はあるのか」
広報局員は真顔で答えた。
「あります」
「なぜだ」
「総帥が一口も召し上がらない晩餐会は、料理人が泣きます」
「では食べよう」
「ありがとうございます!」
「服も着る必要があるのか」
「あります」
「今の白いものでは駄目か」
「普段はそれで構いません。式典では各地の服飾技術を採用してください」
「毎回か」
「毎回です」
「面倒だな」
「産業政策です」
「ならば仕方ない」
アプトムが横で笑った。
「地球経済のために飯食って着替える総帥」
「茶化さないでください。かなり重要です」
「で、メジロ牧場は?」
アルカンフェルが尋ねる。
「復活させてください」
経済局員は即答した。
「そこは止めないのか」
「止める理由がありません」
「ナイスネイチャへの一億は」
「寄付してください」
「ノー斬レイク牧場への二億は?」
「設備更新計画を確認の上で、どうぞ」
「では三つとも進めよう」
「はい」
「今日の昼食は?」
「M店で構いません」
「お前たちの分も?」
「……お願いします」
「何が良い?」
一瞬。
会議室が静かになった。
経済局員が小さく言った。
「私はてりやきで」
広報局員も続いた。
「ダブルチーズを」
村上がため息をついた。
「私はコーヒーだけで」
アプトムが笑った。
「俺は一番でかいセット」
アルカンフェルは端末へ入力した。
「分かった」
ヴァルキュリアが訊ねる。
「閣下は?」
「チーズバーガーでよい」
広報局員が反射的に叫んだ。
「総帥だけ一番安い!」
「好きなのだが」
「……では、せめてセットにしてください」
「分かった」
「ポテトも?」
「ああ」
「飲み物も?」
「ああ」
広報局員は目頭を押さえた。
「総帥がセットを……」
アプトムが笑う。
「何の感動だよ」
「一歩です!」
「文明の?」
「総帥の贅沢への!」
アルカンフェルは首を傾げていた。
/*/ 公式方針 /*/
数日後。
統治局、経済局、文化局、広報局の共同名義で、新たな方針がまとめられた。
クロノス総帥府における文化産業保護および公式格式消費に関する基本方針
クロノス総帥府は、個人的奢侈ではなく、文明文化の保護および産業振興を目的として、公式儀礼、晩餐会、文化式典等において各地域の高級工芸、料理、服飾、音楽、建築技術、花卉その他の高度技能産業を積極的に採用する。
これは総帥個人の享楽を目的とするものではなく、統治下における高度技能産業の維持、職人層の保護、技術継承、地域経済循環の促進を目的とする。
採用品の選定過程は原則として公開し、特定企業・工房への恒常的利益供与を避ける。
伝統産業に加え、新規工房、若手職人、新技術についても一定の採用枠を設ける。
また、総帥個人による文化保存、競技文化、動物福祉、芸術活動等への私費支援については、利益誘導とならない範囲において妨げない。
その末尾には、経済局の強い要望で一文が加えられた。
総帥本人も、公式行事において採用品を実際に使用するものとする。
アルカンフェルはそこを読んだ。
「これは必要か」
村上が答えた。
「必要です」
「展示しておくだけでは?」
「駄目です」
「料理も?」
「召し上がってください」
「衣装も?」
「着てください」
「器も?」
「使ってください」
「面倒だな」
「経済政策です」
「……そうか」
アルカンフェルは少し考え。
「ウーマーイーツも経済政策に含まれるか?」
「日常消費には含まれます」
「ならば今日の昼食も経済政策だったな」
「そこまで大きく言わなくていいです!」
/*/ 掲示板反応 /*/
【公式】総帥府、文化産業維持のため「格式消費」を制度化
001:名無しの市民
総帥、経済のために贅沢することになる。
002:名無しの経済民
上流消費が萎縮すると本当に職人が死ぬからな。
003:名無しの市民
でも総帥本人は贅沢する気ゼロ。
004:名無しの一般人
経済局
「金使ってください」
総帥
「分かった。メジロ牧場を五十億で復活させる」
005:名無しの市民
違う、そうじゃない。
006:名無しの一般人
総帥
「ナイスネイチャのクラファンに一億入れる」
007:名無しの市民
だから違う。
008:名無しの一般人
総帥
「ノー斬レイク牧場にも二億寄付しよう。あそこは厩舎がもう限界だったはずだ」
009:名無しの市民
さらに増えた。
010:名無しのアプトム観察班
アプトム
「なんで詳しいんだよ」
011:名無しの一般人
俺も思った。
012:名無しの競馬民
総帥、引退馬界隈の設備事情まで把握してるの?
013:名無しの市民
資料読んでるらしい。
014:名無しの一般人
で、経済局が
「あなた自身にも使ってください」
って説明した結果。
015:名無しの市民
どうなった?
016:名無しの一般人
総帥
「今日のランチはウーマーイーツでM店から取るとしよう」
017:名無しの市民
庶民。
018:名無しの一般人
広報局
「そうだけど、違います! 足りません!」
019:名無しの市民
そりゃそうだ。
020:名無しの一般人
総帥
「贅沢ではないか?」
021:名無しの市民
総帥の贅沢基準、配達料。
022:名無しの一般人
しかも職員に怒られた結果。
023:名無しの市民
何した?
024:名無しの一般人
「分かった。お前たちの分も頼むとしよう。何が良い?」
025:名無しの市民
福利厚生になった。
026:名無しの経済民
違うんだよ総帥。
027:名無しの市民
でも職員は普通に注文したらしい。
028:名無しの一般人
そこは食うんだ。
029:名無しの広報局に同情する者
会議が昼までかかったので。
030:名無しの市民
お疲れ様です。
031:名無しの一般人
総帥
「世界は私のものなのだから、自分の金が循環しているだけ」
032:名無しの市民
突然世界征服者に戻るな。
033:名無しの法律民
所有権的には違います。
034:名無しの古代王研究民
統治権と所有権が本人の中で若干混ざってそう。
035:名無しの市民
古代王だからな。
036:名無しの一般人
でも実際の金の使い道。
メジロ牧場復活。
引退馬支援。
牧場厩舎改修。
文化財。
芸術。
博物館。
037:名無しの市民
世界を私物化してる奴の私物化の方向が公共事業なんだよ。
038:名無しの一般人
そこが面倒。
039:名無しの経済民
今回の問題は総帥本人の消費が増えないことです。
040:名無しの市民
総帥に百億渡す。
総帥
「文化財を守ろう」
041:名無しの一般人
一千億渡す。
総帥
「宇宙開発に回そう」
042:名無しの市民
一兆渡す。
総帥
「世界のものだろう?」
043:名無しの一般人
無敵。
044:名無しの服飾民
だから服買ってください。
045:名無しの料理民
良い物食べてください。
046:名無しの器職人
器も使ってください。
047:名無しの市民
経済局、世界総帥を王侯貴族にするところから始めないといけないのか。
048:名無しの歴史勢
本人は王侯貴族より古いんだけどな。
049:名無しの市民
なのにファストフード宅配で贅沢した気になる。
050:名無しの一般人
文明の進歩って何なんだろう。
051:名無しのアプトム観察班
アプトム
「世界征服より贅沢する方が難しいのかよ」
052:名無しの市民
たぶん本当に難しい。
053:名無しの一般人
なお総帥、本日の昼食。
054:名無しの市民
何食った?
055:名無しの一般人
チーズバーガーセット。
056:名無しの市民
安い。
057:名無しの一般人
最初は単品だった。
058:名無しの市民
広報局頑張った。
059:名無しの公共倫理教師
本日の授業。
「質素は美徳だが、権力者の過度な質素は市場への圧力にもなり得る」
060:名無しの学生
また出る。
061:名無しの公共倫理教師
追加問題。
「世界を自己の統治領と認識する絶対君主に、個人消費の概念を説明せよ」
062:名無しの学生
無理です。
063:名無しの公共倫理教師
模範解答もまだありません。
064:名無しの市民
結論。
経済局
「贅沢してください」
総帥
「牧場を復活させよう」
経済局
「それもしてください」
総帥
「寄付しよう」
経済局
「それもしてください」
総帥
「M店を宅配しよう」
経済局
「足りません」
総帥
「ではお前たちにも奢ろう」
経済局
「そうじゃない」
065:名無しの一般人
人類、世界総帥に贅沢させることすら一苦労。