/*/ 箱舟建造計画 ギュオー派内部検討室 /*/
百万人のうち十五万人
箱舟の仕様書を前に、ゼルブブスは無言で腕を組んでいた。
隣では、パナダインが端末に数字を打ち込んでいる。
人口、100万。
長期航行可能。
閉鎖生態系。
農業区画。
工業区画。
医療区画。
教育区画。
繁殖計画。
兵站。
防衛。
そして、ギュオーが赤字で追記した一文。
『敵の総攻撃を受けても単独で防衛可能な戦闘集団とすること』
パナダインは、端末の画面を見つめたまま言った。
「……つまり、種苗船ではなく要塞ですな」
ゼルブブスは低く唸る。
「閣下にそう申し上げる気か」
「申し上げません。ですが、数字はそう言っています」
端末に、戦闘員比率の試算が表示される。
危険度:高
想定環境:敵対勢力との事実上の戦争状態
必要戦闘員比率:約10~15パーセント
人口100万に対し、戦闘員10万~15万
ゼルブブスは、無言でその数字を見た。
10万。
いや、ギュオーの仕様を満たすなら一五万。
一五万人の戦闘員。
閉鎖系の船内で。
農業も工業も医療も教育も維持しながら。
しかも、相手はいつ総攻撃を仕掛けてきてもおかしくない。
「15万人を兵士として抱えるのは無理だ」
ゼルブブスは断言した。
「食料を食う。居住区を食う。訓練区画を食う。弾薬、整備、医療、指揮系統、全部が膨らむ。箱舟ではなく兵営になる」
パナダインが頷く。
「ですから、専業兵士ではなく予備役です」
「予備役?」
「全員に本職を持たせます」
画面が切り替わる。
戦闘員候補15万人。
平時職能:農業技術者、機関整備、医療補助、物流、教育、建築、環境管理、通信、資源処理。
有事職能:区画防衛、外殻修復、艦内治安、迎撃、強襲、被害復旧、避難誘導。
パナダインは、淡々と説明した。
「普段は農夫であり、技術者であり、整備員であり、医療補助員であり、物流担当です。警報が鳴れば獣化兵として戦闘配置につく」
ゼルブブスは少し考えた。
「国民皆兵か」
「より正確には、要塞化された生存共同体です」
「聞こえは良いな」
「聞こえだけなら」
パナダインは苦い顔をした。
「実態は、一歩間違えれば国家が破綻する動員率です。人口100万のうち15万人を戦闘可能状態へ維持する。訓練時間を確保し、獣化兵調整を行い、なおかつ本職を持たせる。普通の人間集団では不可能です」
「だから獣化兵か」
「はい」
獣化兵なら、平時は人間として働ける。
有事には変身して戦える。
武器を持つ兵士を常時15万人遊ばせるより、はるかに効率がいい。
だが、それでも容易ではない。
獣化兵としての適性。
職能。
精神安定。
集団生活能力。
閉鎖環境耐性。
家族形成。
繁殖計画への適合。
反乱リスクの低さ。
これらを全て満たす者を、15万人。
ゼルブブスは、ゆっくりと目を閉じた。
「……閣下の仕様は、いつも数字にすると重い」
パナダインは無言で頷いた。
/*/
候補者分類表が映し出された。
第一群:専任戦闘中核
人数:2万人
任務:強襲、防衛中枢、外部戦闘、艦内反乱鎮圧
第二群:職能兼任戦闘員
人数:8万人
任務:平時は主要生産・技術職。有事は各区画防衛
第三群:民兵予備
人数:5万人
任務:避難誘導、補給、損傷区画封鎖、軽戦闘、後方支援
ゼルブブスが言った。
「第1群2万人でも多い」
「ですが、ゼロにはできません。敵が外殻を破って侵入した場合、即応できる中核部隊が必要です」
「第2群8万人は?」
「ここが肝です。農業主任が獣化兵。水再生技師が獣化兵。保育区画の警備責任者が獣化兵。医療搬送班が獣化兵。普段は船を生かす仕事をし、有事にはその区画を守る」
「第3群は」
「戦闘員と呼ぶには弱いですが、獣化兵訓練を受けた民兵です。全員を前線へ出すのではなく、穴を塞ぐための人員です」
ゼルブブスは資料を見た。
理屈は通っている。
だが、それは机上の理屈だ。
実際には、100万人の閉鎖社会から、戦闘にも職能にも耐える者を15万人選ばなければならない。
しかも箱舟は種苗船である。
未来の人類を残すための船だ。
兵士だけを積めばいいわけではない。
子を産み、育て、教育し、技術を継承し、農業を維持し、病人を看て、廃棄物を処理し、船を直し続ける社会そのものを積まなければならない。
「戦闘員を増やせば、社会が痩せる」
ゼルブブスは言った。
「減らせば、船が落ちる」
パナダインが頷く。
「はい。閣下の要求は、そのぎりぎりです」
「ぎりぎりではない。すでに片足が崖に出ている」
「ですが、敵の総攻撃を前提にするなら、この程度は必要です」
ゼルブブスは、苛立たしげに息を吐いた。
「敵が誰であれ、箱舟を逃がすなら戦える船にするしかない。だが、戦えるようにすればするほど、種苗船として歪む」
「はい」
「100万人のうち15万人が戦闘員」
「比率としては15パーセント」
「狂っている」
「戦時下です」
「便利な言葉だな」
パナダインは否定しなかった。
/*/
さらに問題は、調整適性だった。
調整候補者15万人を選ぶだけでは足りない。
獣化兵として調整し、なおかつ本職を持てる者でなければならない。
単に強いだけの者は不要。
命令を聞くだけの者も足りない。
船内で暴れられては困る。
閉鎖社会で孤立されても困る。
子供を怯えさせる者も困る。
水耕農場を任せられない者も困る。
機関区でミスをする者も困る。
そして、戦闘時には恐怖で壊れても困る。
パナダインは、候補者条件を読み上げた。
「獣化兵適性A以上。職能技能B以上。閉鎖環境耐性B以上。家族・共同体適応C以上。精神安定性A。命令応答性A。反乱傾向なし。繁殖計画上の遺伝的偏りを避ける」
ゼルブブスは頭痛を覚えた。
「エリートだな」
「はい」
「兵士としても、技術者としても、共同体構成員としても使えるエリートを15万人」
「そうなります」
「それを選抜しなければ、ギュオー閣下の仕様は満たせない」
「はい」
ゼルブブスは、しばらく黙った。
そして、低く言った。
「アルカンフェル総帥は50億いるから好きなだけ選べと言った」
「はい」
「だが、実務担当者を殺しに来る」
「はい」
二人は同時に黙った。
言い過ぎたかもしれない。
だが、事実だった。
/*/
そこへ、ギュオーから通信が入った。
巨大なモニターに、彼の顔が映る。
『進捗は』
ゼルブブスとパナダインは即座に姿勢を正した。
「は。人口100万に対する防衛動員比率を再試算しております」
『結論は』
パナダインが答える。
「危険度高、敵総攻撃を想定するなら、戦闘員比率は10から15パーセント。最低10万、理想15万です」
『少ないな』
ゼルブブスの表情が一瞬止まった。
パナダインも目を伏せた。
ギュオーは当然のように続ける。
『箱舟が落ちれば全て終わる。種苗船である以上、守れなければ意味がない』
「ごもっともです」
『15万を基準にしろ』
ゼルブブスは、内心で呻いた。
やはりそう来た。
『ただし、専業兵士だけで15万を抱えるな。船が痩せる』
パナダインが顔を上げた。
『全員に職を持たせろ。農夫、技師、医師、教師、保育者、整備員、通信士。警報が鳴れば戦闘配置につく。平時は社会を回し、有事は船を守る』
ゼルブブスは、思わずパナダインを見た。
先ほどの案そのものだった。
だが、ギュオーの口から出ると命令になる。
『箱舟はただの船ではない。移動する国家だ。国家ならば、民は守られるだけでなく、守る側にも回らねばならん』
「国民皆兵体制、ということになります」
『そうだ』
ギュオーは笑った。
『だが、ただの民兵ではない。獣化兵だ。人間の国家ではできぬことが、我々にはできる』
その言葉には、ギュオーらしい自信があった。
そして、実際に間違ってはいなかった。
人間なら不可能に近い。
だが、獣化兵なら成立する可能性がある。
問題は、成立させる者たちの胃が死ぬことだった。
『選抜基準は厳しくしろ。戦えるだけでは駄目だ。船を支えられる者を選べ』
「御意」
『15万だ』
「はッ」
『箱舟は逃げるための棺桶ではない。生き延びるための城だ。城ならば、壁の内側に戦う民が要る』
通信は切れた。
/*/
沈黙。
長い沈黙。
ゼルブブスは、ゆっくりと椅子に座った。
パナダインは端末を見つめていた。
数字は変わらない。
100万人。
そのうち15万人。
戦闘可能。
職能あり。
共同体適応あり。
繁殖計画上も偏りなし。
獣化兵調整可能。
長期航行可能。
反乱リスク低。
ギュオー閣下の仕様。
ゼルブブスは、低く言った。
「……選抜リストを作るぞ」
パナダインは頷いた。
「はい」
「専業戦闘中核2万。職能兼任8万。民兵予備5万」
「教育課程も再設計します。職能訓練と獣化兵訓練を分離せず、統合します」
「農業訓練の後に戦闘訓練か」
「水耕農場防衛訓練です」
「保育区画は」
「避難誘導兼近接防衛」
「機関区は」
「損傷制御兼重装甲獣化兵配置」
「医療区画は」
「負傷者搬送型、感染隔離型、防衛補助型」
ゼルブブスは目を閉じた。
「種苗船とは何だったのだろうな」
パナダインは真面目に答えた。
「守られなければ種は残りません」
「正論を言うな」
「申し訳ありません」
二人は、再び端末に向かった。
箱舟は、希望の船である。
同時に、要塞である。
未来を運ぶためには、未来そのものが武装しなければならない。
100万人のうち15万人。
数字だけ見れば異常。
だが、敵の総攻撃を前提にするなら、必要。
ゼルブブスとパナダインは、その異常を制度に落とし込む仕事へ取りかかった。
ギュオーの仕様を満たすために。
そして、箱舟をただの棺桶にしないために。