/*/ ジャービル派 種苗船人員選抜室 /*/
ジャービル・ブン・ハイヤーンの種苗船は、ギュオーの箱舟とは思想が違っていた。
ギュオーが作ろうとしたのは、逃げる城である。
敵の総攻撃を受けても落ちず、人口一〇〇万のうち十万から十五万が戦闘配置につく要塞国家。
種苗船でありながら、実質的には戦艦。
国民皆兵。
生存のために、船そのものを武装させる構想。
それに対して、ジャービルの船は違う。
戦うための船ではない。
保存するための船である。
生命。
知識。
血統。
技術。
作物。
医学。
教育。
空気。
水。
土。
そして、人間が人間として増えていくための環境。
それらを持ち去り、長い時間をかけて別の土地へ根付かせる船。
だから、戦闘員の比率は低く設定された。
人口一〇〇万。
専任戦闘員、および高度保安要員は、0.5から1パーセント。
五千人から一万人。
ギュオー案の十五万人と比べれば、あまりにも少ない。
だが、カシムとハルーンは、その数字そのものに三時間も悩んではいなかった。
男性乗員は全員、獣化兵として調整済み。
獣化兵は、獣神将に絶対服従する。
それは教育でも忠誠心でもない。
DNAレベルで刻み込まれた設計原理である。
獣神将が命じれば、獣化兵は止まる。
獣化を解く。
武器を捨てる。
膝をつく。
拘束を受け入れる。
必要なら、その場で自死すら躊躇わない。
だから、この船では「男性獣化兵による暴動をどう鎮圧するか」は議題にならなかった。
止まるからである。
止まらない獣化兵という前提そのものが、この船の設計には存在しない。
カシムとハルーンが苦しんでいたのは、別の問題だった。
「保安要員一万人を、どこに置くかだ」
カシムは、船内構造図を睨んでいた。
「暴動鎮圧だけなら多すぎる。だが、事故対応、外殻損傷、原生生物対策、調整槽防衛、医療区画警備、大気制御施設の保護まで含めると少ない」
ハルーンが端末を操作する。
「この船で恐れるべきは、獣化兵の反乱ではない。船内システムの破綻だ」
画面に項目が並ぶ。
想定脅威:
火災
酸素循環異常
水再生施設の故障
調整槽事故
出産区画・医療区画の混乱
外殻損傷
デブリ衝突
未知原生生物侵入
食料生産区画の汚染
非獣化兵女性・児童・高齢者の避難誘導
パニックによる二次被害
カシムは低く唸った。
「つまり、武装警察というより災害救助隊だな」
「武装警察兼災害救助隊だ」
ハルーンは訂正した。
「必要なのは、敵兵を殺す者ではない。火災区画へ入れる者、毒性ガスの中で救助できる者、外殻に出てデブリを排除できる者、医療区画を守れる者、群衆を殺さず誘導できる者だ」
「戦闘能力だけでは足りない」
「戦闘能力だけなら、男性乗員の大半が持っている」
ハルーンは淡々と言った。
「問題は、誰を専門保安要員にするかだ。農業主任を保安隊に引き抜けば、食料計画が痩せる。医療技師を警備に回せば、出産計画が詰まる。外殻作業員を増やせば、水再生区画の整備が遅れる」
カシムは、数字を見て顔をしかめた。
「一万人で足りる理由は分かっている。だが、一万人しか使えない理由も分かる。だから厄介だ」
「そうだ」
ハルーンは頷いた。
「この船は、兵を増やせば安全になる船ではない。兵を増やせば、生存と繁殖のリソースが削れる船だ」
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基本方針は明確だった。
人口:一〇〇万人
専任保安・戦闘要員:五千‐一万人
男性乗員:全員、獣化兵調整済み
女性乗員:生存・繁殖・閉鎖環境適応調整済み
調整拒否者:乗船対象外
反クロノス思想強固な者:乗船対象外
暴動対策:獣神将ジャービルの思念波命令により即時停止
保安隊の主任務:事故対応、救助、区画防衛、外部脅威処理
カシムは、改めて表を見た。
「調整拒否者は乗せない」
「乗せない」
「有能な医師でも」
「乗せない」
「農業技術者でも」
「乗せない」
「教育者でも」
「乗せない」
ハルーンの答えは変わらなかった。
「この船は、調整を前提に設計されている。調整を拒む者は、空気循環に穴を開ける者と同じだ」
「ひどい言い方だ」
「だが、閉鎖船内では近い」
ハルーンは静かに言った。
「地上なら思想の違う者を抱え込める。都市は広い。逃げ場もある。議論もできる。だが、種苗船は違う。酸素も水も出産計画も教育も、すべてが閉鎖系だ。根本の前提を拒む者を乗せれば、船内社会が割れる」
「なら、最初から乗せない」
「そうだ」
カシムは深く息を吐いた。
非情だった。
だが、議論の余地は少なかった。
ジャービルの船は、自由社会の縮図ではない。
生き延びるための器である。
器の形を拒む者を、中へ入れる余裕はなかった。
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ジャービル・ブン・ハイヤーンは、八世紀に実在した錬金術師の名を持つ男だった。
イスラーム圏の民族衣装を思わせる装備をまとった、壮年の男性。
落ち着いた声。
深い皺。
指先には、金属と硝子を扱う者特有の慎重さがある。
彼は、大気を支配する。
酸素濃度。
気圧。
湿度。
毒性粒子。
煙。
通路の気流。
火災時の燃焼条件。
閉鎖空間内の呼吸環境。
それらを、蒸留器の中の気体を扱うように制御する。
この船に乗る獣神将は、ジャービルただ一人である。
クルメグニクはいない。
合体はできない。
魔人形態は取れない。
だが、それはジャービルの戦闘能力が不足するという意味ではない。
彼は独立した獣神将である。
単独で獣神将としての戦闘形態を取り、戦闘を遂行できる。
大気制御能力は、船内でも船外でも強力だった。
敵を窒息させる。
火炎を消す。
毒性粒子を遮断する。
圧力差で装甲を歪ませる。
通路ごと気流を封鎖する。
爆発を抑え込む。
逆に、酸素濃度を上げて燃焼を誘導する。
彼は、戦闘神将であると同時に、船内環境そのものを握る管理者だった。
だから、クルメグニクがいなくても問題はない。
魔人形態を取れなくても、戦闘能力に不足はない。
ただ、ジャービルの船は、彼を前線の切り札として使うより、船全体の秩序と環境制御の中枢として置く設計になっていた。
彼は王というより、空気だった。
普段は意識されない。
だが、逆らうことはできない。
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カシムは、保安隊の最終配分案を読み上げた。
中央保安隊:二千
居住区巡回隊:千五百
機関・大気・水再生区画防衛:二千
災害救助隊:千五百
外殻作業・デブリ排除隊:千
調整槽・医療区画警備:千五百
予備即応隊:五百
ハルーンが眉を動かした。
「予備即応隊が少ない」
「その代わり、大気・水再生区画と医療区画を厚くした。船は人が暴れて滅びるのではなく、空気と水と出産が止まって滅びる」
「正しい」
「居住区巡回隊は千五百で足りる」
「男性獣化兵は思念波で止まるからな」
「そうだ。巡回隊は暴徒を殴るためではない。揉め事の初期対応、女性・児童・高齢者の保護、事故の発見、生活不安の吸い上げが主になる」
ハルーンは頷いた。
「では、専任戦闘職というより、保安・救助・環境維持の混成組織だな」
「その通りだ」
カシムは言った。
「戦闘員比率〇・五から一パーセント。数字だけ見れば薄い。だが、男性全員が獣化兵調整済みで、獣神将命令に絶対服従する以上、船内反乱への備えは別枠で考える必要がない」
「むしろ問題は、獣神将命令で停止した後に、現場をどう復旧するかだ」
「そうなる」
カシムは苦く笑った。
「反乱を鎮圧する軍隊ではなく、命令で止まった人間と壊れかけた設備を片付ける部隊か」
「種苗船には、その方が合っている」
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そこへ、ジャービル本人が入室した。
淡い砂色の外套。
緑と金の刺繍。
腰には曲刀のような装具。
彼が歩くと、室内の空気がわずかに澄む。
埃が静かに脇へ流れた。
カシムとハルーンは立ち上がった。
「閣下」
ジャービルは、二人の端末を見た。
「まとまったか」
カシムが答える。
「はい。専任保安・戦闘要員は最大一万人。ただし、主眼は暴動鎮圧ではなく、環境維持区画、医療・調整槽、外殻作業、災害救助に置きます」
ハルーンが続ける。
「男性乗員は全員獣化兵として調整済み。獣神将命令への絶対服従を前提とします。したがって、男性暴動鎮圧のために大兵力を割く必要はありません」
ジャービルは頷いた。
「当然だ」
その声は穏やかだった。
「獣化兵は、獣神将に逆らわない。逆らえるような者は、船に乗せる前に除外される」
「御意」
「調整拒否者は」
「乗船対象外です。有用職能者であっても例外なし」
「よい」
ジャービルは、画面に映る船内図を見た。
「この船は、すべての者を救う船ではない。選んだ種を残す船だ」
カシムは、慎重に問うた。
「閣下。地上では批判されるでしょう。調整拒否者を排除し、男性全員を獣化兵化し、獣神将命令を船内秩序の中枢に置く。自由社会とは言えません」
「言えぬな」
ジャービルはあっさり認めた。
「だが、私は自由社会を積むとは言っていない。種苗船を作ると言った」
会議室が静まった。
「船に必要なのは、議論より先に空気だ。思想より先に水だ。自由より先に、子が生きて育つ環境だ」
「はい」
「地上で生きられる者は、地上に残ればよい。船に乗る者は、船の条件を受け入れる者だけだ」
ハルーンが記録する。
調整拒否者:乗船対象外。
男性乗員:全員獣化兵調整済み。
女性乗員:船内生存・繁殖・閉鎖環境適応調整済み。
専任保安要員:最大一万人。
主任務:災害救助、環境維持区画防衛、外殻作業、医療・調整槽警備、未知生物対策。
船内男性暴動:獣神将命令により成立しない。
ジャービル:単独獣神将として戦闘形態を有し、戦闘能力に不足なし。魔人形態は不要。
ジャービルは、最後の行を見て少しだけ笑った。
「魔人形態は不要、か」
カシムが慌てて頭を下げる。
「失礼しました」
「構わん。事実だ」
ジャービルは言った。
「合体できぬことと、戦えぬことは違う。私は一人で獣神将だ」
その一言で、部屋の空気がわずかに重くなった。
カシムとハルーンは、改めて思い出した。
この男は、穏やかな錬金術師ではない。
大気を支配する獣神将である。
船内の男たちは、彼の声に逆らえない。
船内の空気もまた、彼の意志から逃れられない。
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最終案は、ギュオー案とはまったく違うものになった。
ギュオーの箱舟は、武装した城である。
百万人のうち十五万人が戦闘配置につく。
外敵と戦うため、民を兵にする。
対して、ジャービルの種苗船は、制御された庭である。
専任保安要員は五千から一万人。
最初から調整に反発する者は乗せない。
男性は全員、獣化兵として調整済み。
獣化兵は、獣神将に絶対服従する。
思念波命令に抗うことはできない。
必要なら、その場で命を捨てる。
それほどの服従性を、DNAレベルで刻み込まれている。
だから、この船は男性暴動対策に大兵力を割かない。
暴動は止められるからだ。
止まらないという前提が存在しないからだ。
保安隊が恐れるのは、反乱ではない。
火災。
水の汚染。
酸素循環の停止。
調整槽事故。
出産区画の混乱。
外殻破損。
未知生物。
パニック。
そして、命令で停止した後に残る物理的な被害。
クルメグニクはいない。
魔人形態は取れない。
だが、ジャービルは単独の獣神将として戦闘形態を持ち、戦闘能力に不足はない。
彼は前線の巨兵ではなく、船の空気そのものとして君臨する。
戦う城ではなく、制御された庭。
外敵を撃ち破るためではなく、内側を腐らせないための船。
それが、錬金術師ジャービル・ブン・ハイヤーンの種苗船だった。