/*/ クロノス中央管理区画 人造コントロールメタル保管・監察エリア /*/
人造コントロールメタルの管理エリアは、静かだった。
白い壁。
多重認証扉。
生体認証。
思念波認証。
監察記録端末。
保管庫の奥には、封印状態の人造コントロールメタル・サンプルが収められている。
ヴァルキュリア・フォーシュバリ・リスカーは、その前に立っていた。
資料は読んだ。
危険性も理解した。
人造コントロールメタルは、ウラヌスの正規装備を模した複製品。
装着者に莫大な力を与える。
だが、記憶と人格の連続性を削る。
王冠であり、毒であり、未完成の災厄。
それを監察する職務を与えられた。
側女として差し出されたはずの自分が。
寝所ではなく、保管庫の前に立っている。
それは屈辱ではなかった。
少なくとも、単純な屈辱ではない。
むしろ、胸の奥には熱がある。
自分の能力を見られた。
家の道具ではなく、監察官として扱われた。
それは確かに誇らしい。
だが。
それはそれとして。
「バルカス翁」
ヴァルキュリアは、隣で端末を確認していた老博士へ声をかけた。
「何じゃ」
「閣下は、女性が好みではないのですか?」
バルカスの手が止まった。
老博士は、ゆっくりと顔を上げた。
ヴァルキュリアは表情を崩さない。
監察官としての顔を保っている。
だが、その質問は監察業務とは何の関係もない。
バルカスは数秒ほど黙った。
「……なぜ、ここでその質問が出る」
「確認です」
「何の確認じゃ」
「私が側女として差し出され、閣下がそれを拒まれた理由についてです」
バルカスは、端末から手を離した。
「閣下は、そなたを拒んだわけではない。職を与えられた」
「分かっています」
ヴァルキュリアの声は冷静だった。
「そのことには感謝しています。側女として寝所に置かれるより、こちらの方が私にとって価値があることも理解しています」
「ならばよいではないか」
「ですが」
ヴァルキュリアは、ほんのわずかに視線を落とした。
「それはそれとして、女として見られなかったのかと思うと、少し傷つきます」
バルカスは目を細めた。
ヴァルキュリアは美しい。
それは客観的事実だった。
名家の娘として磨かれ、監察官として鍛えられ、自分の容姿が武器になることも知っている。
その彼女が、側女として差し出され。
そして、寝所ではなく職務を与えられた。
誇りは満たされた。
だが、自尊心の別の部分が傷ついた。
面倒な話だ。
だが、人間とはそういうものでもある。
「閣下は、普通に女性を好まれる」
バルカスは言った。
ヴァルキュリアが顔を上げる。
「そうなのですか」
「そうじゃ。別に女を遠ざけておられるわけではない」
「では、なぜ」
「長く生きておられるからか、他の男のように貪るように、というほどではない」
バルカスは淡々と言った。
「閣下にとって、女を寝所に置くことは珍しいことではない。じゃが、それで政治や研究や軍務が歪むなら、そちらを嫌われる」
「私は歪ませると思われたのですか」
「思われたのじゃろうな」
即答だった。
ヴァルキュリアの眉が動く。
「随分とはっきり仰いますね」
「嘘をついても仕方あるまい」
「私は、そんなに危うく見えますか」
「見える」
バルカスは彼女を見た。
「そなたは有能じゃ。野心もある。自尊心も強い。家と父と兄への複雑な感情もある。そういう者を側女として寝所へ置けば、近いうちに己の価値をそこで証明しようとする」
ヴァルキュリアは黙った。
「あるいは、寝所に置かれたことを利用して、機密へ手を伸ばす。あるいは、利用されたと感じて憎む。どれに転んでも面倒じゃ」
「……閣下も、同じようなことを仰いました」
「なら、そういうことじゃ」
ヴァルキュリアは保管庫の強化ガラス越しに、封印されたサンプルを見た。
「つまり、私は女として魅力がないのではなく、面倒な女だと判断された」
「大雑把に言えば、そうじゃな」
「そこは否定してください」
「否定してほしいのか?」
「……いえ」
ヴァルキュリアは小さく息を吐いた。
「否定されても、腹が立つだけです」
「面倒じゃな」
「自覚はあります」
バルカスは少しだけ口元を緩めた。
そして、端末へ視線を戻す。
「それに、もう一つ理由があるかもしれん」
「もう一つ?」
「閣下のお子は、ただの人間としては生まれぬ可能性が高い」
ヴァルキュリアの表情が変わった。
「獣神将として?」
「少なくとも、それに近いものになるじゃろう」
バルカスの声は低くなった。
「閣下は地球生物の指揮個体じゃ。現生人類とは違う。もし子を成せば、その子はただの血縁では済まぬ。生まれながらにして、地球生命の指揮系統に関わる存在となる可能性がある」
「だから、慎重になっておられる」
「そう考えてよい」
ヴァルキュリアは、しばらく言葉を失った。
側女。
寵愛。
政治的な結びつき。
リスカー家が考えていたのは、おそらくその程度だった。
だが、アルカンフェルに子が生まれるということは、旧世界の王族に子が生まれるのとは意味が違う。
獣神将。
あるいは、それ以上の何か。
その子の母になる。
それは、栄誉などという軽い言葉では済まない。
恐怖に近い。
「リスカー家は、そこまで考えていなかったでしょうね」
「考えておらんじゃろうな」
バルカスは言った。
「血をつなげれば家が栄える。その程度の古い発想じゃ」
「私も、その程度の道具として差し出された」
「そうじゃ」
ヴァルキュリアは笑った。
薄く、冷たく。
「では、閣下は私を道具として受け取らず、危険物の監察官として使うことにした」
「そういうことじゃ」
「どちらにせよ道具ですね」
「人はみな、何かの道具じゃ」
バルカスは平然と言った。
「問題は、誰の、何のための道具になるかじゃ。家の見栄の道具になるか。閣下の寝所の飾りになるか。それとも、己の才で危険物を管理する道具になるか」
ヴァルキュリアは、バルカスを見た。
「バルカス翁は、慰めが下手ですね」
「慰めたつもりはない」
「でしょうね」
ヴァルキュリアは、もう一度サンプルを見た。
人造コントロールメタル。
力。
危険。
未完成の王冠。
もし自分がこれを手に入れれば。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
だが同時に、バルカスの説明が蘇る。
記憶と人格が削れる。
自分が自分でなくなる。
父に認められたい。
兄を越えたい。
リスカー家の道具で終わりたくない。
その思いすら、失われるかもしれない。
力だけ残って、自分が消える。
それは、勝利ではない。
「私は、閣下に試されているのですね」
「そうじゃ」
「危険物を前にして、手を伸ばすかどうか」
「それもある」
「それだけではない?」
「己の屈辱を、どこへ流すかじゃ」
バルカスは言った。
「寝所へ流すか。家への復讐へ流すか。危険物への欲望へ流すか。それとも、職務へ流すか」
ヴァルキュリアは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、開く。
「私は、職務へ流します」
「そうせよ」
「ですが、バルカス翁」
「何じゃ」
「いつか閣下に、女としても惜しいことをしたと思わせるくらいには、仕事をしてみせます」
バルカスは、しばらく黙った。
それから、少しだけ笑った。
「それくらいの意地なら、悪くない」
「お許しいただけますか」
「わしが許すことではない」
「では、閣下は」
「閣下も、おそらく笑われるじゃろうな」
「笑われるのですか」
「たぶん、こう言われる」
バルカスは、少しだけアルカンフェルの口調を真似るように言った。
「面倒な女だな、と」
ヴァルキュリアは、一瞬だけ目を丸くした。
そして、初めて少しだけ自然に笑った。
「それは、褒め言葉でしょうか」
「閣下の場合、半分くらいは褒め言葉じゃ」
「残り半分は?」
「本当に面倒だと思っておられる」
ヴァルキュリアは、今度こそ小さく笑った。
屈辱は消えない。
傷ついた自尊心も、すぐには癒えない。
だが、向ける先は見えた。
寝所ではない。
盗みでもない。
監察席。
人造コントロールメタルの保管庫。
未完成の王冠を前に、自分がどれだけ自分でいられるか。
それを証明する場所。
「では、仕事に戻ります」
「そうせよ」
「まずは、保管庫第三層の入退室記録を確認します。研究員の一人が、昨日予定より三分長く滞在しています」
「よく見ておる」
「監察官ですから」
ヴァルキュリアは端末を手に取り、保管庫の記録を開いた。
その横顔には、もう側女として差し出された女の迷いは薄い。
完全に消えたわけではない。
だが、今はそれでいい。
バルカスは、その姿を見て小さく頷いた。
「閣下の読み通り、使える女じゃな」
ヴァルキュリアは聞こえないふりをした。
だが、耳だけがほんの少し赤くなっていた。