日本vsブラジル記念。
頑張った!夢見せて貰ったから投稿
/*/ ネズミーランドの休日 /*/
ネズミーランドは、よく晴れていた。
青い空。
白い雲。
城を模した尖塔。
音楽。
風船。
焼き菓子の匂い。
そして、どこまでも続く人の波。
クロノス統治下に入って以降、世界各地の大型娯楽施設は一時的に軍事管制下へ置かれたが、その後はむしろ以前よりも整備が進んだ。
治安は安定し、爆発物検査は徹底され、混雑管理は正確になり、怪我人が出れば医療用獣化兵が数分以内に駆けつける。
自由な世界ではなくなった。
だが、親が子を連れて休日に遊びに来ることは、以前よりも安全になった。
その光景を、アルカンフェルは穏やかな表情で眺めていた。
プラチナの髪。
少年のようにあどけない容貌。
だが、身長は百七十七センチあり、体格も細いだけではない。立っているだけで、妙に人の目を引く均整があった。
目立たぬはずがなかった。
まして隣には、長身の金髪美女がいる。
ヴァルキュリア。
日常服に身を包んでいても、その姿勢、歩き方、視線の置き方には訓練された者の美しさがあった。
二人は、人混みの中でひどく目立っていた。
子どもが振り返る。
若い女性たちが囁く。
カップルが一瞬だけ視線を向ける。
スタッフが、芸能人か何かかと迷うような顔をする。
だが、アルカンフェルは気にしていなかった。
彼は列に並んでいた。
ただ、並んでいた。
世界の支配者であり、獣神将たちの頂点であり、地球そのものの命運を何度も左右してきた存在が、紙カップを持った子どもや、ポップコーンを抱えた親子や、耳付きカチューシャをつけた学生たちと同じ列に、静かに並んでいた。
ヴァルキュリアは、それを少し不思議そうに見ていた。
「閣下」
「何だ」
「閣下は、人を見て楽しんでいらっしゃるのですか?」
アルカンフェルは、ゆっくりと頷いた。
「その通りだ」
答えは短かった。
だが、声は穏やかだった。
彼の視線の先では、小さな男の子が風船の紐を握りしめていた。
少し前では、母親がベビーカーの影を直している。
別の列では、老人が孫に何かを買い与えていた。
人々は待っていた。
笑い、文句を言い、写真を撮り、日差しを避け、また笑っていた。
それは何の作戦でもない。
何の儀式でもない。
何の崇拝でもない。
ただの休日だった。
「騒がしいな」
アルカンフェルは言った。
「はい」
「だが、悪くない」
ヴァルキュリアは、少しだけ表情を緩めた。
「閣下がそのように仰るのは、珍しい気がします」
「そうか」
「はい」
アルカンフェルは、人波から目を離さずに続けた。
「クロノスが支配した世界で、人間が列に並び、食べ物を買い、子を叱り、笑う。それを見ていると、統治の意味が少し分かる」
「統治の意味、ですか」
「そうだ。命令を通すことではない。生かしておくことでもない。こういう時間を潰さずに残すことだ」
ヴァルキュリアは、すぐには答えなかった。
彼女の中で、その言葉は少しだけ重かった。
クロノスは征服者である。
世界を奪った。
軍を折り、政府を従わせ、反抗する者を制圧した。
だが、その後に残ったものが、この光景でもある。
親子。
恋人。
友人。
休日。
遊園地。
笑い声。
アルカンフェルは、それを見ていた。
まるで、長く眠っていた者が、初めて春の市場を見るように。
「ヴァルキュリア」
「はい」
「何か気になるアトラクションはあるか?」
ヴァルキュリアは一瞬、返答に詰まった。
「私が、ですか」
「そうだ」
「閣下がお決めになるものかと」
「今日は任務ではない」
アルカンフェルは、淡々と言った。
「列に並んでみよう」
「すでに並んでおります」
「ならば、次もだ」
ヴァルキュリアは少し困ったように視線を落とした。
任務であれば簡単だった。
護衛。
警戒。
偵察。
危険排除。
人員配置。
動線確保。
その全てなら、すぐに判断できる。
だが、気になるアトラクションを選べと言われると、妙に難しかった。
「……では、あの水路を進むものを」
ヴァルキュリアは、遠くに見える船型の乗り物を指した。
人工の川を進む、子ども向けの穏やかなアトラクションだった。
アルカンフェルはそれを見た。
「戦闘性はないな」
「休日ですので」
「なるほど」
彼は、静かに頷いた。
「では、それに並ぼう」
ヴァルキュリアは小さく笑った。
「はい」
その笑みを見て、アルカンフェルは少しだけ目を細めた。
それから、思い出したように言う。
「そう言えば」
「はい」
「バルカスに、私が男色か聞いたのだな」
ヴァルキュリアの足が止まりかけた。
周囲の喧騒が、急に遠くなったように感じられた。
「……それは」
「聞いたのだろう」
「閣下」
「責めてはいない」
アルカンフェルは、まったく怒っていなかった。
むしろ、どこか不思議そうだった。
「人間は、そうしたことを気にする」
「気にします」
「私はあまり気にしてこなかった」
「存じております」
「だが、お前が気にしたならば、示しておくのもよいかと思った」
ヴァルキュリアは、ゆっくりと彼を見た。
アルカンフェルの表情は真面目だった。
あまりに真面目だった。
だからこそ、余計に返答に困った。
「何を、ですか」
「そうではないと」
ヴァルキュリアは、数秒間沈黙した。
列が少し進んだ。
前の親子が笑いながら詰める。
後ろの若者たちが、二人をちらちら見ながら何か囁いている。
その中で、ヴァルキュリアは声を落とした。
「今日のレジャーが、その穴埋めですか」
「そんなところだ」
あまりにあっさりと認められた。
ヴァルキュリアは、思わず目を伏せた。
頬にわずかに熱が差す。
任務なら表情を変えない。
戦闘なら動揺しない。
だが、これは任務でも戦闘でもない。
世界の支配者が、遊園地の列に並びながら、自分の誤解を正すために休日を用意したと言っている。
その事実は、どう処理すればよいのか分からなかった。
「閣下」
「何だ」
「そのような理由で、女性を休日に誘うのは、少し不器用かと」
「そうか」
「はい」
「では、どうすればよい」
真顔で問われた。
ヴァルキュリアは、さらに困った。
「……普通は、共に過ごしたいから誘う、と言うのではないでしょうか」
アルカンフェルは少し考えた。
「共に過ごしたいから誘った」
ヴァルキュリアは彼を見た。
その言葉は、先ほどよりもずっと静かだった。
冗談ではない。
言い直しでもない。
アルカンフェルは、本当にそう思っているらしかった。
「それに、誤解も解けるなら都合がよい」
「そこを付け加えるから不器用なのです」
「そうか」
「はい」
ヴァルキュリアは小さく息を吐き、それから微笑んだ。
「ですが、ありがとうございます」
「礼を言うことか」
「はい」
「そうか」
アルカンフェルは、また人々の方へ視線を戻した。
彼の表情は穏やかだった。
人を見ている。
列を見ている。
騒がしい世界を見ている。
かつて創造主に造られ、捨てられ、眠り、目覚め、征服し、支配した存在が、今は人間たちの休日を見ていた。
その隣で、ヴァルキュリアは歩く。
護衛としてではなく。
部下としてだけでもなく。
今日だけは、休日に誘われた一人の女として。
列が進んだ。
スタッフが笑顔で二人を案内する。
「二名様ですね」
アルカンフェルは頷いた。
「二名だ」
ヴァルキュリアは隣で静かに言った。
「はい。二名です」
小さな船が、水路の上で揺れていた。
周囲では子どもたちが歓声を上げている。
アルカンフェルは、その声を聞きながら、ほんのわずかに笑った。
それは総帥の笑みではなかった。
神の笑みでも、支配者の笑みでもない。
ただ、休日の雑踏の中で、人々の楽しげな姿を見ている男の笑みだった。