/*/ クロノス総帥、お忍びデート!? /*/
記事の見出しは、あまりにも軽かった。
クロノス総帥お忍びデート!?
某月某日、千葉・東京ネズミーランドで女性とアトラクションの列に並ぶアルカンフェル氏を目撃!
世界統一を達成した組織の総帥としては、意外すぎる庶民派休日!
村上征樹は、その記事を見た瞬間、無言で目を閉じた。
隣でアプトムが吹き出した。
「出たな」
「出ましたね」
「クロノス総帥お忍びデート」
「読み上げないでください」
「いや、これは読むだろ」
記事には、遠距離から撮られた写真が数枚掲載されていた。
人混みの中、白い服を着たプラチナ髪の青年めいた男が、長身の金髪美女と並んで歩いている。
背景には、ネズミーランドの城。
周囲には家族連れ、学生、カップル、風船、ポップコーン。
その中で、二人だけが妙に現実離れしていた。
アルカンフェルは列に並び、微笑んでいた。
隣のヴァルキュリアは、少し困ったような、けれど柔らかな表情で彼を見ていた。
記事本文は、さらに軽かった。
目撃者によると、アルカンフェル氏は特別通路を使うことなく、一般来場者と同じ列に並んでいたという。
「最初はモデルか俳優かと思いました。でも周囲がざわつき始めて、まさか総帥だとは……」
「女性の方もすごく綺麗で、二人とも目立っていました。SPらしき人は見えなかったので、本当にお忍びだったのかも」
世界統一を達成したクロノスの頂点に立つ人物が、休日に一般客と同じ列へ並ぶ姿は、意外にも庶民的。
一部では「クロノス総帥にも休日があるのか」「アトラクション待ち時間に耐えられるのか」「総帥でもファストパスは使わないのか」といった声も上がっている。
アプトムは、もう耐えられなかった。
「総帥でもファストパスは使わないのか、だってよ」
村上は額を押さえた。
「現行制度では、優先入場名称は変更されています」
「そこじゃねぇだろ」
「分かっています」
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記事は、娯楽記事としては非常によくできていた。
政治的な批判ではない。
クロノスへの恐怖を煽る記事でもない。
むしろ、奇妙に親しみやすい。
アルカンフェル氏といえば、クロノスを率い世界統一を成し遂げた、まさに現代史最大の人物。
その一方で、一般的な私生活はほとんど知られていない。
今回の目撃は、そんな“遠すぎる総帥”が、意外にも普通の休日を楽しむ姿として注目を集めている。
隣にいた女性について、クロノス側は現時点でコメントしていない。
ただし関係者筋によれば、クロノス中枢に近い人物である可能性が高いという。
はたしてこれは本当にデートなのか。
それとも、総帥による庶民生活視察なのか。
いずれにせよ、世界を統べる男がアトラクションの列に並ぶ姿は、なかなか見られない光景である。
「庶民生活視察」
アプトムが笑いながら言った。
「外れてないのが腹立つな」
「実際、総帥は人々を眺めて楽しんでいらっしゃいましたからね」
「じゃあデート兼視察か」
「その言い方はやめてください」
村上は、記事下部のコメント欄を確認した。
「総帥、普通に列並ぶんだ……」
「後ろに並んでた人、心臓止まるだろ」
「この顔で177cmで世界の支配者なのバグ」
「隣の女性が美しすぎる。誰?」
「クロノス怖いけど、こういう写真見ると妙に人間味ある」
「いや人間ではないのでは?」
「総帥でも待ち時間あるなら俺も頑張れる」
「クロノス統治下最大の衝撃。総帥はポップコーンを買うのか?」
村上は深いため息をついた。
「広報部が泣きますね」
アプトムは笑った。
「いや、喜ぶだろ。総帥のイメージ改善だぞ」
「改善の方向が制御不能です」
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その頃、ヴァルキュリアは件の記事を読んで固まっていた。
「……デート」
彼女の声は、わずかに低かった。
アルカンフェルは、同じ記事を見ても特に動じていなかった。
「休日だった」
「はい」
「共に行動した」
「はい」
「ならば、そう呼ぶ者もいるのだろう」
ヴァルキュリアは返答に詰まった。
その通りではある。
その通りではあるが、そう簡単に受け入れてよいものでもない。
「閣下。これは、広報上かなり大きな話になります」
「なぜだ」
「閣下の私生活が、ほとんど公開されていないためです」
「私生活というほどのものはない」
「だからこそです」
アルカンフェルは少し考えた。
「人々は、私が列に並ぶことを不思議がっているのか」
「はい」
「なぜだ」
「普通、世界統一組織の総帥は、一般客と同じ列には並ばないからです」
「並べばよい」
「そういう問題ではありません」
「順番を待つ制度なのだろう」
「はい」
「ならば待つ」
ヴァルキュリアは、また困ったように目を伏せた。
この方は本当に、時々ひどく素直になる。
支配者としては絶対的なのに、こういう場面では妙に公平だった。
アトラクションの列に並ぶ。
人混みを見る。
順番を待つ。
その行為に、彼は何の屈辱も感じていない。
むしろ、人間たちの営みを近くで観察する機会として楽しんでいた。
「しかし、記事の表現が……」
「お忍びデート、か」
「はい」
「間違いなのか」
ヴァルキュリアは、そこで完全に黙った。
アルカンフェルは、静かに彼女を見る。
「違うなら、訂正させる」
「……訂正は、不要かと」
「そうか」
「はい」
「ならばよい」
よくはない。
よくはないが、悪くもない。
ヴァルキュリアは、そう思ってしまった。
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中枢広報部は、対応に追われた。
政治案件ではない。
軍事案件でもない。
だが、総帥案件である。
それが一番厄介だった。
広報部員が村上に確認する。
「村上閣下。交際報道として扱われていますが、否定しますか」
「否定の必要はありません」
「肯定しますか」
「肯定もしません」
「では、どうしますか」
「休日に関する私的行動であり、安全上の問題はない。一般利用者への迷惑行為も確認されていない。以上です」
広報部員は、しばらく沈黙した。
「それだけですか」
「それだけです」
「相手女性については」
「答えません」
「ヴァルキュリア閣下であることは、ほぼ特定されています」
「答えません」
「総帥は本当に列に並ばれたのですか」
「並ばれました」
「特別待遇は」
「ありません」
「ポップコーンは」
村上は目を細めた。
「それは答える必要がありますか」
「世論上、かなり関心が高いです」
「……購入されていません」
「では、何か召し上がりましたか」
「この質疑は何ですか」
アプトムが横で腹を抱えていた。
「村上、答えてやれよ。総帥の食レポだぞ」
「やめてください」
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結局、クロノス広報部は短い声明を出した。
クロノス中枢広報局コメント
報道にある通り、アルカンフェル総帥が某日、東京ネズミーランドを私的に訪問したことは事実です。
当日は一般来場者と同様の動線を利用し、施設運営上の特別措置は最小限に留められました。
同行者については私的事項であるため回答を控えます。
なお、周辺警備および安全管理は通常の施設基準内で適切に行われており、一般来場者への影響は確認されていません。
この声明は、逆効果だった。
「私的事項!」
「否定しなかった!」
「同行者って言い方がもう公式」
「総帥、一般動線使ったの確定」
「最小限の特別措置って何?」
「つまり列に並んだのは本当なんだ」
「クロノス総帥がネズミーランドで順番待ちする世界」
記事はさらに拡散された。
翌日には、別のメディアが特集を組んだ。
総帥はなぜ列に並んだのか
クロノス統治と“庶民的支配者像”の新段階
村上はその見出しを見て、端末を閉じた。
「もう駄目です」
アプトムが笑う。
「諦め早いな」
「これ以上広報で制御すると、かえって燃えます」
「じゃあ放置か」
「はい。娯楽記事として消費されるのを待ちます」
「消費されると思うか?」
「思いたいです」
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その夜、ヴァルキュリアはもう一度、記事の写真を見た。
人混みの中のアルカンフェル。
自分の隣にいる彼。
世界の総帥ではなく、ただ列に並んでいる男の姿。
写真の彼は、穏やかな顔をしていた。
人を見ていた。
楽しそうだった。
そして自分は、その隣にいた。
「……お忍びデート」
小さく呟く。
言葉にすると、妙に落ち着かない。
だが、不快ではなかった。
そこへ、アルカンフェルが現れた。
「ヴァルキュリア」
「はい」
「記事を読んだ」
「はい」
「次は、ポップコーンを買うべきなのか」
ヴァルキュリアは、しばらく彼を見た。
そして、耐えきれずに笑った。
「そうですね。次は、買ってみましょう」
「味は何がよい」
「閣下がお選びください」
「では、人が最も並んでいる味にする」
「また列に並ばれるのですか」
「その方が、人がよく見える」
ヴァルキュリアは、柔らかく微笑んだ。
「では、お供いたします」
アルカンフェルは頷いた。
「二名だな」
「はい」
ヴァルキュリアは、少しだけ頬を緩めた。
「二名です」
世界を統べる者の休日は、またひとつ記事になるかもしれない。
だが、その時はもう少しだけ、二人とも慣れているだろう。
たぶん。