/*/ クロノス中央管理区画 総帥執務室 /*/
「バルカス」
「はっ」
「ヴァルキュリアだが、調整しておけ」
バルカスは、端末から顔を上げた。
「ヴァルキュリア・フォーシュバリ・リスカーでございますな」
「ああ。疾患の類が発生しないよう、予防しておけ」
バルカスは少しだけ目を細めた。
「市井からの要望で開発した、母体としての調整ですかな」
「うん」
私は頷いた。
クロノス統治下で、ゾアノイド調整は義務化していない。
新人類への革新は、個々人の自覚と自由意志によるべきである。
それが表向きの理念であり、実際にも無差別な強制調整は行っていなかった。
だが、問題はすぐに出た。
男性はゾアノイド調整によって寿命、疾患、慢性病、遺伝的欠陥から解放される。
ならば、女性はどうなるのか。
女性だけが病に残されるのか。
健康長寿と身体強化の恩恵から排除されるのは、保護ではなく差別ではないか。
そういう声が、市井から上がった。
当然の声だった。
最初期のクロノス医療局は、妊娠中の獣化が母体と胎児に及ぼす影響を理由に、女性調整に慎重だった。
それ自体は正しい。
戦闘用ゾアノイドのように獣化器官を持たせ、妊娠中に肉体構造が大きく変化すれば、母体にも胎児にも危険が大きい。
だが、それは女性を健康長寿から遠ざける理由にはならない。
そこで確立されたのが、女性用の非戦闘型調整だった。
獣化機能は付与しない。
変身機能も付与しない。
筋力や外骨格、戦闘器官も基本的には持たせない。
目的は、疾患予防。
老化遅延。
免疫安定。
内分泌系の安定。
妊娠・出産時の母体保護。
遺伝病の抑制。
そして青年期の延長。
結果として、出産可能年齢は大きく引き延ばされた。
それは少子化対策としても効果があった。
旧世界では、教育、就労、経済的不安、出産年齢の制約が複雑に絡み、子を持つ選択そのものが重くなっていた。
だが、健康な青年期が長く続き、妊娠・出産のリスクが下がるなら、人生設計は変わる。
クロノス統治がもたらした、皮肉な福祉政策の一つだった。
「ヴァルキュリアは監察補佐だ」
私は言った。
「人造コントロールメタルの管理に関わらせる以上、長期的に使う。疾患や老化で能力が落ちるのは困る」
「閣下のお気に入りですかな」
「人材としてな」
「左様で」
バルカスは、少しだけ面白がるように目を細めた。
「側女としては置かぬが、身体は整えておく。閣下らしい扱いですな」
「妙な言い方をするな」
「事実でございましょう」
「事実だが、言い方が悪い」
私は端末にヴァルキュリアの身体データを呼び出した。
現時点で目立つ疾患はない。
基礎体力も高い。
神経反応も良い。
監察官として鍛えられているだけあって、睡眠不足や精神的負荷への耐性も高い。
だが、だからこそ記録しておく価値がある。
「調整前の身体記録も取っておけ」
「全身の生体マップ、内分泌系、神経系、遺伝子情報、妊孕性、免疫履歴、脳内ニューロンマップまで含めますかな」
「できる範囲で全部だ」
「念入りですな」
「何かの時に役に立つだろう」
バルカスは、そこでほんの少しだけ表情を変えた。
「何かの時、でございますか」
「ああ」
人造コントロールメタル。
ミューオン・スキャナー。
人格保存。
ニューロンマップ。
種苗船。
宇宙怪獣。
今のクロノスでは、人間一人の身体記録が、いつ何に使えるか分からない。
病気の予防だけではない。
事故時の再生。
環境適応。
将来的な長期航行。
場合によっては、種苗船内での世代管理。
記録は武器だ。
「ただし、本人の同意は取れ」
「もちろんでございます」
「側女として差し出された女に、今度は無断で身体を調整したとなれば、面倒が増える」
「ヴァルキュリアならば、同意するでしょう」
「どうかな」
私は少しだけ考えた。
あの女は、有能だ。
そして面倒だ。
自分の身体を家の道具として扱われることには強い反発があるだろう。
だが、自分の能力を長期的に維持するための調整なら、受ける可能性は高い。
問題は、言い方だ。
母体としての調整。
その言葉だけを雑に投げれば、間違いなく刺さる。
彼女は側女として差し出された件を、まだ消化しきっていない。
そこへ母体機能だの出産可能年齢だのを前面に出せば、また変な方向へ拗れる。
「バルカス」
「はっ」
「説明は慎重にしろ。母体機能の話から入るな。まず疾患予防、健康長寿、長期任務適性だ」
「承知いたしました」
「その上で、女性用調整の本来目的と社会的意義も説明しろ。女性だけを健康長寿から外すのは不公平だという流れで確立された技術だと」
「ヴァルキュリアには、その方が響きましょうな」
「たぶんな」
私は椅子にもたれた。
「変身機能は不要だ」
「戦闘用にはしない、と」
「しない。あれに戦闘用ゾアノイド能力まで持たせたら、余計なことをする」
「そこまで警戒なさいますか」
「警戒する」
原作知識がある。
ヴァルキュリアは、自分の価値を証明するためなら危険物に手を伸ばす。
人造コントロールメタルを盗む可能性がある女だ。
そこへ戦闘能力まで持たせるのは、今は早い。
「健康長寿だけでいい。監察官として長く働ける身体にする。疾患を潰し、老化を遅らせ、神経系を安定させる」
「青年期延長型の調整でよろしいですな」
「ああ」
「妊孕性の保持は」
「本人に説明しろ。選択権は本人に置け」
「御意」
「リスカー家の意向は無視していい」
バルカスは、少しだけ笑った。
「それは痛快ですな」
「家の道具として差し出された女を、家の都合で調整する気はない」
「本人のため、そしてクロノスのため」
「そうだ」
その日の午後、ヴァルキュリアは人造コントロールメタル管理エリアから呼び出された。
バルカスは、調整案の資料を彼女に渡した。
ヴァルキュリアは一通り目を通し、眉を寄せた。
「女性用非戦闘型調整……」
「そうじゃ」
「獣化機能なし。変身機能なし。疾患予防、老化遅延、免疫安定、神経系保護、内分泌系調整」
「監察官として長期任務に耐えるには有用じゃろう」
「母体保護、妊娠時リスク低減、出産可能年齢の延長」
ヴァルキュリアの目が、少し鋭くなった。
「これは、私を母体として管理するための調整ですか」
「違う」
バルカスは即答した。
「少なくとも、閣下はそういう意図では命じておらぬ」
「では、なぜこの項目が」
「女性の身体を調整する以上、無視できぬからじゃ。妊娠可能な身体に手を入れるなら、母体機能と胎児への影響を考慮せねばならん。そこを無視した調整こそ危険じゃ」
ヴァルキュリアは黙った。
「この調整は、市井からの要望で確立されたものじゃ」
「市井から?」
「男だけがゾアノイド調整によって病と老いから解放されるのは差別だ、という声が出た。もっともな話じゃ。じゃが、女性に戦闘用獣化機能を付ければ、妊娠中の獣化で母体と胎児に危険が出る。そこで、変身機能を外した健康長寿型の調整が作られた」
「健康長寿型……」
「そうじゃ。戦闘力ではなく、人生の延長じゃ」
ヴァルキュリアは資料をもう一度見た。
表情が少し変わった。
警戒は残っている。
だが、怒りは薄くなっていた。
「閣下の命令ですか」
「疾患の類が発生しないよう予防しておけ、と仰せじゃ」
「なぜ私に」
「そなたを長く使うためじゃろう」
「道具として?」
「人材としてじゃ」
バルカスは平然と言った。
「側女として寝所に置かぬ代わりに、監察官として長く働ける身体にしておく。閣下らしい判断じゃ」
ヴァルキュリアは、少しだけ目を伏せた。
「私は、また身体を評価されているのですね」
「そうじゃ」
「否定しないのですか」
「身体を調整する話で、身体を評価せずにどうする」
「……バルカス翁は、本当に慰めが下手ですね」
「慰めておらぬ」
「分かっています」
ヴァルキュリアは資料を閉じた。
「調整前の身体記録も取る、とあります」
「全身の基礎記録じゃ。疾患予防にも使う。事故時にも役立つ。将来的には、ミューオン・スキャナーによるニューロンマップ記録とも連携できる」
「私の全情報をクロノスに預けるということですか」
「そうなる」
「危険ですね」
「危険じゃ」
「それでも受けるべきだと?」
「わしはそう思う。だが、閣下は本人の同意を取れと仰せじゃ。拒否権はある」
ヴァルキュリアは長く黙った。
自分の身体を、家に使われる。
側女として差し出される。
母体として期待される。
そういうものへの嫌悪はある。
だが、この調整は少し違う。
少なくとも、説明された限りでは。
健康を保つ。
長く働く。
病から逃れる。
自分の仕事を、自分の意志で続けるための身体にする。
それなら。
「受けます」
ヴァルキュリアは言った。
「ただし、記録へのアクセス権限は確認させてください。誰が、何を、どこまで閲覧できるのか」
「監察官らしい注文じゃな」
「当然です。私の身体情報ですから」
「よかろう。閲覧権限表を出す」
「それと、リスカー家への開示は」
「せぬ」
バルカスは即答した。
「これはクロノス内の職務上調整じゃ。リスカー家の娘としてではなく、監察補佐としての処置じゃからな」
ヴァルキュリアは、そこで初めて少しだけ安堵した顔をした。
「ありがとうございます」
「礼は閣下へ言うことじゃ」
「閣下へ?」
「リスカー家の意向は無視していい、と仰せだった」
ヴァルキュリアの目が、わずかに揺れた。
それは、彼女が予想していなかった種類の配慮だった。
「そう、ですか」
「そうじゃ」
「では、調整後に直接お礼を申し上げます」
「そうせよ」
バルカスは端末を操作し、調整槽の予約を入れた。
ヴァルキュリアは保管庫の方を振り返った。
人造コントロールメタル。
未完成の王冠。
自分が自分でなくなる危険物。
それを監察するために、自分の身体を整える。
皮肉な話だ。
だが、悪くない。
「バルカス翁」
「何じゃ」
「私は、母体としてではなく、監察官としてこの調整を受けます」
「それでよい」
「もし誰かが、それを別の意味に利用しようとしたら」
「記録を持って殴れ」
「物理的にですか?」
「必要ならの」
ヴァルキュリアは、少しだけ笑った。
「では、そのように」
こうして、ヴァルキュリア・フォーシュバリ・リスカーは、側女ではなく監察官として、女性用非戦闘型調整を受けることになった。
それは彼女を獣に変えるものではない。
戦闘用の怪物にするものでもない。
病を遠ざけ、老いを遅らせ、長く職務に耐える身体を与えるものだった。
そして同時に、彼女自身が自分の身体を、家のものではなく、自分の職務のために選び直す行為でもあった。