アルカンフェル転生   作:ぶーく・ぶくぶく

35 / 37
クロノス様様だ!

/*/ 豊作の村 /*/

 

 

 

 テレビでは、地方の農村からの中継が流れていた。

 

 東京の喫茶店の小さな画面に映っているのは、青々と広がる水田だった。

 

 稲の背丈は揃い、葉の色は濃く、風が吹くたびに一面が波のように揺れる。

 

 画面の端には、クロノス環境管理局の小さな表示があった。

 

 

 

 本日放送:関東北部農業指定区

 第118次降雨調整後の作況報告

 日照量:計画比101.2%

 降雨量:計画比99.6%

 病害虫発生率:平年比18%

 

 

 

 中継のリポーターが、田んぼの畦道に立っている老人にマイクを向けた。

 

『今年の出来はいかがですか?』

 

 老人は、日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑った。

 

「見りゃ分かるべ。こんなに揃った稲、俺の代じゃ見たことねえ」

 

 隣にいた中年の女性が、鼻息も荒く割り込んだ。

 

「昔はねえ、雨が降らなきゃ干上がる、降りすぎりゃ根腐れ、台風が来りゃ一晩で終わりだったんだよ! それが今はどうだい。必要な時に雨が来る。晴れてほしい時に晴れる。暑すぎりゃ日差しを絞ってくれる。ありがたいなんてもんじゃないよ」

 

 晶は、コーヒーカップに手を伸ばしかけたまま、動きを止めた。

 

 テレビの中の女性は、さらに続ける。

 

「災害があれば、地元の先生方は視察だの何だので来るけどね。写真撮って、握手して、すぐ帰っちまう。ひどい時は最初から東京に逃げてる。こっちは畑が流されて、米が倒れて、牛舎が潰れてるってのにさ」

 

 リポーターが少し困ったように笑う。

 

『先生方、ですか』

 

「議員先生方だよ!」

 

 女性は、腰に手を当てた。

 

「口じゃ地元のため、農業のためって言うけど、雨を止めてくれたことがあるかい? 台風を弱めてくれたことがあるかい? 日照りの時に水を落としてくれたことがあるかい?」

 

 周囲の農家たちが笑いながら頷く。

 

「ないな」

 

「補助金の書類ばっかりだったな」

 

「災害査定が来る頃には、こっちはもう借金して直してるんだよ」

 

「その点、クロノスは違うべ」

 

 誰かがそう言うと、周りの空気が一気に熱を帯びた。

 

「そうだ。クロノスはちゃんと雨をくれる」

 

「晴れもくれる」

 

「台風も逸らしてくれる」

 

「今年なんか、田植えの三日前に予定通り雨が入ったんだぞ。あれがどれだけありがたいか、都会の人には分かんねえよ」

 

 年配の男が、真顔で言った。

 

「昔は豊作すぎても困った。米価が崩れる。凶作ならもっと困る。借金になる。台風一発で一年が終わる。今は違う。極端な豊作も凶作もない。収穫が読める。倉庫も、出荷も、人手も、全部計画できる」

 

 別の女性が大きく頷いた。

 

「こんなありがたいことはないよ!」

 

 リポーターが問いかける。

 

『クロノスの気候管理について、不安はありませんか?』

 

 その問いに、農家たちは一瞬だけ顔を見合わせた。

 

 そして、最初の女性が、はっきりと言った。

 

「不安? そりゃ、空まで管理されるって聞いた時は怖かったよ。でもね、怖い怖いって言ってた昔の空は、私らを助けてくれなかった」

 

 彼女は田んぼの方を見た。

 

「この稲は、嘘をつかない」

 

 晶は、画面を見つめたまま息を呑んだ。

 

「雨が必要な日に雨が降る。晴れが必要な日に晴れる。雷も雹も、台風も、昔みたいには来ない。なら、ありがたいって思うよ。地元が水浸しになったら逃げ出す議員先生方より、毎年安定した雨と晴れをくれるクロノスの方が、よっぽどありがたい」

 

 女性は、少し照れたように、だが胸を張って言った。

 

「先生と崇められるのは、あっちの方だわ!」

 

 周囲の農家たちが、どっと笑った。

 

「クロノス先生か!」

 

「環境管理局先生だな!」

 

「来年も頼みますって拝んどくか!」

 

 笑い声の中に、冗談だけではないものが混じっていた。

 

 本気の感謝。

 

 本気の信頼。

 

 そして、本気の依存。

 

 哲郎は、画面から目を離せなかった。

 

 瑞紀が小さく言った。

 

「……嬉しそう」

 

 なつきも頷く。

 

「本当に、助かってるんだね」

 

 晶は何も言わなかった。

 

 テレビの中では、農家の人々が収穫予定を話している。

 

 今年は収量が安定している。

 

 品質も揃っている。

 

 出荷価格も大きく崩れない。

 

 水害復旧費も不要。

 

 病害虫の発生も環境管理で抑えられている。

 

 農協の倉庫も、輸送業者も、加工業者も、前もって計画が立てられる。

 

 農村にとって、それは奇跡だった。

 

 空が読める。

 

 雨が読める。

 

 収穫が読める。

 

 来年の暮らしが読める。

 

 それは、都会の人間が思うよりずっと大きな救いだった。

 

「……悪いこと、なのかな」

 

 晶が呟いた。

 

 瑞紀が彼を見る。

 

「晶?」

 

「空を管理されるのは怖い。クロノスに感謝するのも、怖い。でも」

 

 晶は画面の中の田んぼを見た。

 

「この人たちにとっては、本当に救いなんだ」

 

 哲郎は静かに頷いた。

 

「農業は、天候に人生を握られるからな」

 

「今は、クロノスに握られてる」

 

 晶の声は低かった。

 

「でも、その方が安全になってる」

 

 誰も否定できなかった。

 

 テレビの中で、老人がリポーターに向かって言っていた。

 

「昔はな、空を見上げるのが怖かったんだ。雲が出れば雨を心配して、晴れれば日照りを心配して、風が吹けば台風を心配した。今は違う。端末を見れば、来週の雨も、来月の日照も、秋の収穫予測も分かる」

 

 老人は、少し照れくさそうに笑った。

 

「ありがてえよ。ほんとにありがてえ。米が実るってのは、こういうことだったんだなって思う」

 

 その言葉は、晶の胸に重く響いた。

 

 世界征服。

 

 支配。

 

 管理。

 

 調整。

 

 どれも恐ろしい言葉だった。

 

 だが、田んぼの前で笑う人々にとって、それは別の言葉に変わっていた。

 

 安定。

 

 収穫。

 

 生活。

 

 来年。

 

 希望。

 

 なつきが、窓の外を見た。

 

 東京の夜空には、太陽同期リングの淡い光がある。

 

「あれが、田んぼの雨も決めてるんだね」

 

 哲郎が答える。

 

「雨そのものは地上の気象塔や海洋制御も関わるけど、日照と熱収支はリングの役割が大きい。全部つながってる」

 

「東京の夜空と、あの田んぼが?」

 

「ああ」

 

 哲郎は頷いた。

 

「つながってる」

 

 瑞紀はテレビの農村と、窓の外のリングを交互に見た。

 

「すごいね」

 

 その言葉には、もう単純な驚きだけではなかった。

 

 怖さも、感謝も、違和感も混じっていた。

 

 晶は、画面の中の農家たちを見ていた。

 

 彼らはクロノスを恐れていないように見えた。

 

 少なくとも、今この瞬間は。

 

 むしろ、逃げる議員より、約束通り雨をくれる支配者を信じている。

 

 それは間違っているのか。

 

 それとも、人間として当たり前なのか。

 

 晶には分からなかった。

 

 ただ一つだけ分かった。

 

 クロノスは、武力だけで人類を支配しているのではない。

 

 電気で支配している。

 

 医療で支配している。

 

 宇宙への道で支配している。

 

 そして今は、雨と晴れで支配している。

 

 テレビの中で、農村の人々は笑っていた。

 

「今年はいい米になるぞ!」

 

「クロノス様々だ!」

 

「先生方よりよっぽど頼りになるわ!」

 

 その笑い声は明るかった。

 

 だからこそ、晶には怖かった。

 

 人は、救われれば感謝する。

 

 たとえその救い主が、世界を征服した者であっても。

 

 夜空のリングは静かに輝いていた。

 

 明日の雨も、明後日の晴れも、もう自然だけが決めるものではない。

 

 クロノスが決める。

 

 そして農村の人々は、その決定を待ち望んでいる。

 

 こんなありがたいことはない、と笑いながら。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。