/*/ 豊作の村 /*/
テレビでは、地方の農村からの中継が流れていた。
東京の喫茶店の小さな画面に映っているのは、青々と広がる水田だった。
稲の背丈は揃い、葉の色は濃く、風が吹くたびに一面が波のように揺れる。
画面の端には、クロノス環境管理局の小さな表示があった。
本日放送:関東北部農業指定区
第118次降雨調整後の作況報告
日照量:計画比101.2%
降雨量:計画比99.6%
病害虫発生率:平年比18%
中継のリポーターが、田んぼの畦道に立っている老人にマイクを向けた。
『今年の出来はいかがですか?』
老人は、日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑った。
「見りゃ分かるべ。こんなに揃った稲、俺の代じゃ見たことねえ」
隣にいた中年の女性が、鼻息も荒く割り込んだ。
「昔はねえ、雨が降らなきゃ干上がる、降りすぎりゃ根腐れ、台風が来りゃ一晩で終わりだったんだよ! それが今はどうだい。必要な時に雨が来る。晴れてほしい時に晴れる。暑すぎりゃ日差しを絞ってくれる。ありがたいなんてもんじゃないよ」
晶は、コーヒーカップに手を伸ばしかけたまま、動きを止めた。
テレビの中の女性は、さらに続ける。
「災害があれば、地元の先生方は視察だの何だので来るけどね。写真撮って、握手して、すぐ帰っちまう。ひどい時は最初から東京に逃げてる。こっちは畑が流されて、米が倒れて、牛舎が潰れてるってのにさ」
リポーターが少し困ったように笑う。
『先生方、ですか』
「議員先生方だよ!」
女性は、腰に手を当てた。
「口じゃ地元のため、農業のためって言うけど、雨を止めてくれたことがあるかい? 台風を弱めてくれたことがあるかい? 日照りの時に水を落としてくれたことがあるかい?」
周囲の農家たちが笑いながら頷く。
「ないな」
「補助金の書類ばっかりだったな」
「災害査定が来る頃には、こっちはもう借金して直してるんだよ」
「その点、クロノスは違うべ」
誰かがそう言うと、周りの空気が一気に熱を帯びた。
「そうだ。クロノスはちゃんと雨をくれる」
「晴れもくれる」
「台風も逸らしてくれる」
「今年なんか、田植えの三日前に予定通り雨が入ったんだぞ。あれがどれだけありがたいか、都会の人には分かんねえよ」
年配の男が、真顔で言った。
「昔は豊作すぎても困った。米価が崩れる。凶作ならもっと困る。借金になる。台風一発で一年が終わる。今は違う。極端な豊作も凶作もない。収穫が読める。倉庫も、出荷も、人手も、全部計画できる」
別の女性が大きく頷いた。
「こんなありがたいことはないよ!」
リポーターが問いかける。
『クロノスの気候管理について、不安はありませんか?』
その問いに、農家たちは一瞬だけ顔を見合わせた。
そして、最初の女性が、はっきりと言った。
「不安? そりゃ、空まで管理されるって聞いた時は怖かったよ。でもね、怖い怖いって言ってた昔の空は、私らを助けてくれなかった」
彼女は田んぼの方を見た。
「この稲は、嘘をつかない」
晶は、画面を見つめたまま息を呑んだ。
「雨が必要な日に雨が降る。晴れが必要な日に晴れる。雷も雹も、台風も、昔みたいには来ない。なら、ありがたいって思うよ。地元が水浸しになったら逃げ出す議員先生方より、毎年安定した雨と晴れをくれるクロノスの方が、よっぽどありがたい」
女性は、少し照れたように、だが胸を張って言った。
「先生と崇められるのは、あっちの方だわ!」
周囲の農家たちが、どっと笑った。
「クロノス先生か!」
「環境管理局先生だな!」
「来年も頼みますって拝んどくか!」
笑い声の中に、冗談だけではないものが混じっていた。
本気の感謝。
本気の信頼。
そして、本気の依存。
哲郎は、画面から目を離せなかった。
瑞紀が小さく言った。
「……嬉しそう」
なつきも頷く。
「本当に、助かってるんだね」
晶は何も言わなかった。
テレビの中では、農家の人々が収穫予定を話している。
今年は収量が安定している。
品質も揃っている。
出荷価格も大きく崩れない。
水害復旧費も不要。
病害虫の発生も環境管理で抑えられている。
農協の倉庫も、輸送業者も、加工業者も、前もって計画が立てられる。
農村にとって、それは奇跡だった。
空が読める。
雨が読める。
収穫が読める。
来年の暮らしが読める。
それは、都会の人間が思うよりずっと大きな救いだった。
「……悪いこと、なのかな」
晶が呟いた。
瑞紀が彼を見る。
「晶?」
「空を管理されるのは怖い。クロノスに感謝するのも、怖い。でも」
晶は画面の中の田んぼを見た。
「この人たちにとっては、本当に救いなんだ」
哲郎は静かに頷いた。
「農業は、天候に人生を握られるからな」
「今は、クロノスに握られてる」
晶の声は低かった。
「でも、その方が安全になってる」
誰も否定できなかった。
テレビの中で、老人がリポーターに向かって言っていた。
「昔はな、空を見上げるのが怖かったんだ。雲が出れば雨を心配して、晴れれば日照りを心配して、風が吹けば台風を心配した。今は違う。端末を見れば、来週の雨も、来月の日照も、秋の収穫予測も分かる」
老人は、少し照れくさそうに笑った。
「ありがてえよ。ほんとにありがてえ。米が実るってのは、こういうことだったんだなって思う」
その言葉は、晶の胸に重く響いた。
世界征服。
支配。
管理。
調整。
どれも恐ろしい言葉だった。
だが、田んぼの前で笑う人々にとって、それは別の言葉に変わっていた。
安定。
収穫。
生活。
来年。
希望。
なつきが、窓の外を見た。
東京の夜空には、太陽同期リングの淡い光がある。
「あれが、田んぼの雨も決めてるんだね」
哲郎が答える。
「雨そのものは地上の気象塔や海洋制御も関わるけど、日照と熱収支はリングの役割が大きい。全部つながってる」
「東京の夜空と、あの田んぼが?」
「ああ」
哲郎は頷いた。
「つながってる」
瑞紀はテレビの農村と、窓の外のリングを交互に見た。
「すごいね」
その言葉には、もう単純な驚きだけではなかった。
怖さも、感謝も、違和感も混じっていた。
晶は、画面の中の農家たちを見ていた。
彼らはクロノスを恐れていないように見えた。
少なくとも、今この瞬間は。
むしろ、逃げる議員より、約束通り雨をくれる支配者を信じている。
それは間違っているのか。
それとも、人間として当たり前なのか。
晶には分からなかった。
ただ一つだけ分かった。
クロノスは、武力だけで人類を支配しているのではない。
電気で支配している。
医療で支配している。
宇宙への道で支配している。
そして今は、雨と晴れで支配している。
テレビの中で、農村の人々は笑っていた。
「今年はいい米になるぞ!」
「クロノス様々だ!」
「先生方よりよっぽど頼りになるわ!」
その笑い声は明るかった。
だからこそ、晶には怖かった。
人は、救われれば感謝する。
たとえその救い主が、世界を征服した者であっても。
夜空のリングは静かに輝いていた。
明日の雨も、明後日の晴れも、もう自然だけが決めるものではない。
クロノスが決める。
そして農村の人々は、その決定を待ち望んでいる。
こんなありがたいことはない、と笑いながら。