/*/ クロノス軌道防衛管制室 箱舟一番艦 地球周回軌道 /*/
宇宙怪獣。
最初、その名は便宜上のものだった。
ウラヌスが別星系で作り出し、制御を失った星系制圧生物兵器群。
人類に理解しやすい名前が必要だったから、アルカンフェルはそれを宇宙怪獣と呼んだ。
だが、観測精度が上がるほど、その呼び名は冗談では済まなくなっていた。
彗星群。
地球各地の旧天文台は、当初そう呼んだ。
周期不明。
軌道不安定。
反射率のばらつき。
密度異常。
だが、クロノスの軌道監視網、月面観測施設、箱舟一番艦の深宇宙探査器官が解析した結果、それらは氷と塵の塊ではないと確定した。
群れだった。
生きた群れ。
しかも、その数は億のオーダーに達していた。
管制室の巨大画面には、太陽系外縁へ近づく光点群が映っている。
画面上では点にすぎない。
だが、その一つ一つが、都市を飲み込み、艦隊を食い破り、生命圏を資源へ変え得る生体兵器だった。
十二神将は、沈黙していた。
ギュオーでさえ、しばらく何も言わなかった。
カブラールは端末を睨みつけている。
クルメグニクの表情は硬い。
ハイヤーンの笑みも消えていた。
シンはいつも通り静かだったが、その沈黙は重い。
バルカスの老いた指が、観測値を何度も切り替えている。
だが、何度見ても結果は変わらない。
億。
億単位の敵。
こちらには十二の箱舟がある。
獣化兵軍団がある。
人造コントロールメタルの改良型もある。
ゾアロードがいる。
ギガンティックを纏うアルカンフェルがいる。
だが、それでも。
「これは」
最初に口を開いたのは、ギュオーだった。
声に、いつもの傲慢さは薄い。
「勝てないだろう」
誰も即座に否定しなかった。
否定できなかった。
ギュオーは画面を睨んだまま続けた。
「一体一体がどの程度かは知らん。だが、数が違いすぎる。億だぞ。迎撃線など、飲み込まれるだけだ」
カブラールが低く言う。
「増殖痕跡もある。太陽系内で資源を得れば、さらに増える可能性がある」
「ならば」
クルメグニクが静かに言った。
「種苗船を出すべきではないか」
その言葉で、管制室の空気がさらに重くなった。
種苗船。
十二の箱舟。
地球が敗れた時の保険。
外宇宙へ人類を運ぶための船。
それを今、逃避の手段として使うべきではないか。
言葉にしたのはクルメグニクだったが、同じ考えは多くの神将の中にあった。
ギュオーがアルカンフェルを見る。
「アルカンフェル。もはや迎撃戦力を整える段階ではない。選抜済みの乗組員だけでも積み込み、箱舟を外へ逃がすべきだ」
ハイヤーンも静かに言った。
「全員を救うことはできない。ですが、種を残すことはできる」
カブラールが続ける。
「全艦を出す必要はない。一部を防衛に残し、一部を逃がす。合理的にはそれが最も生存率を上げる」
それは反逆ではなかった。
むしろ、忠告だった。
アルカンフェルが作った種苗船計画を、今こそ使うべきだという進言だった。
ギュオーが言う。
「貴様が地球を守りたいのは分かる。だが、これは戦争ではない。津波だ。星系そのものを食う災害だ。地球に固執して全てを失う方が愚かではないのか」
アルカンフェルは、しばらく黙っていた。
巨大画面に映る光点群を見ている。
億の敵。
迫る死。
それを前にして、彼は不思議なほど静かだった。
やがて、ぽつりと言った。
「急に忠誠心が上がったな」
ギュオーの顔が引きつった。
「貴様、ふざけているのか」
「ふざけてはいない」
「ならばなぜ笑う!」
「笑ってはいない」
「正気なのか!?」
ギュオーの声が管制室に響いた。
それは野心家の怒声ではなかった。
地球の王座を狙っていた男が、初めて本気で地球ごと滅ぶ未来を見た声だった。
アルカンフェルは、ゆっくりとギュオーを見た。
「お前たちの正気と、私の正気は違う」
静かな声だった。
「何?」
「お前たちは現生人類だ。生き延びるために逃げる選択がある。種苗船を率い、外宇宙へ旅立ち、新しい星で始祖となる。それは正しい」
アルカンフェルの視線が、ギュオーからカブラール、クルメグニク、ハイヤーンへ移る。
「だから私は箱舟を作った。お前たちに船を与えると言った。民を連れていけと言った。五十億もいるのだ、好きなだけ連れていけとも言った」
誰も口を挟まなかった。
「だが」
アルカンフェルの声が低くなる。
「私は違う」
管制室が静まり返る。
「私は現生人類ではない。30万年前にウラヌスによって作られた、地球生命の指揮個体だ」
画面には、億の光点。
その手前に、青い地球。
「地球生命全体の責任者が、逃げ出す選択をするわけがないだろう」
ギュオーは言葉を失った。
アルカンフェルは続けた。
「お前たちは逃げてもよい。むしろ、逃げろと言う時が来るかもしれん。種苗船はそのためにある。人類を、動植物を、微生物を、文化を、技術を、記憶を積んで外へ出ろ」
そして、自分の胸に手を当てる。
「だが、私はここに残る」
その言葉に、シンが静かに膝をついた。
バルカスも深く頭を下げた。
だがアルカンフェルは、彼らを見なかった。
ただ、ギュオーたちを見ていた。
「私はこの星を離れない」
ギュオーが、低く言った。
「死ぬぞ」
「そうかもしれんな」
「滅ぶぞ」
「そうかもしれん」
「それでもか」
「それでもだ」
アルカンフェルは即答した。
「ウラヌスは地球生命を否定した。ならば、私までこの星を見捨ててどうする」
管制室の空気が、わずかに震えた。
「お前たちは王になれ。外宇宙で始祖となれ。人類の続きになれ」
アルカンフェルは、静かに告げる。
「私は地球で、最後の責任を果たす」
ギュオーは、しばらくアルカンフェルを睨んでいた。
やがて、吐き捨てるように言った。
「狂っている」
「そうだろうな」
「本当に狂っている」
「お前から見ればな」
アルカンフェルは、少しだけ笑った。
「だが、ギュオー。お前が王になりたいなら覚えておけ。王とは、最後に逃げられない者のことだ」
ギュオーの表情が止まった。
「民を逃がし、船を逃がし、種を逃がす。その後に残る者が必要になる。私はそれをやる」
ハイヤーンが静かに目を伏せた。
クルメグニクは深く息を吐いた。
カブラールは、画面の億の光点を見つめたまま呟いた。
「合理的ではない」
「合理だけで生命は残らん」
アルカンフェルは答えた。
「合理で船を出す。責任で地球に残る。両方必要だ」
バルカスが低く言う。
「閣下。箱舟各艦の出航準備を前倒ししますか」
「進めろ」
アルカンフェルは即答した。
「選抜を急がせる。ただし雑に選ぶな。船内社会が壊れれば、逃がしても意味がない」
「御意」
「一番艦は地球防衛拠点として残す。二番艦以降は、状況に応じて段階的に外宇宙航路へ移す」
ギュオーが顔を上げた。
「私の船もか」
「お前が王として出る覚悟を決めたならな」
「私が逃げるとでも?」
「逃げるのではない」
アルカンフェルは言った。
「民を連れて生き延びるのだ。言葉を間違えるな」
ギュオーは黙った。
その目の奥で、怒りと屈辱と、奇妙な理解が混ざっていた。
逃げる。
そう言えばただの敗北だ。
だが、民を連れて生き延びる。
そう言えば、それは王の務めになる。
アルカンフェルは、そこまで見越して言っている。
「選べ、ギュオー」
アルカンフェルは静かに言った。
「地球で私と共に死ぬか。船を率いて始祖となるか。どちらでもよい。ただし、どちらを選ぶにせよ、王を名乗るなら民を置いて逃げるな」
ギュオーは答えなかった。
答えられなかった。
初めて、王という言葉が重くのしかかっていた。
管制室の巨大画面には、なおも無数の光点が映っている。
彗星群。
宇宙怪獣。
ウラヌスの失敗作。
制御を失った星系制圧生物兵器。
億単位の死が、太陽系へ向かっている。
アルカンフェルは、その光を見上げた。
「迎撃計画を更新する」
彼は言った。
「勝てる計画ではない。負けても地球生命を残す計画だ」
誰も異論を挟まなかった。
「地球防衛戦、種苗船出航準備、乗組員選抜、軌道要塞化、月面資源投入、人造コントロールメタル改良、ミューオン・スキャナー差分記録。すべてを前倒しする」
バルカスが端末へ指示を飛ばす。
シンが各方面軍へ連絡を始める。
カブラールは研究データを呼び出す。
クルメグニクは乗組員選抜計画を開いた。
ハイヤーンは船内文化区画の再設計を始めていた。
ギュオーだけは、まだ画面を睨んでいる。
だが、やがて低く言った。
「私の船の軍事区画を再設計する」
アルカンフェルが横目で見る。
「理由は」
「民を連れて生き延びるには、兵力が要る」
「よし」
アルカンフェルは頷いた。
「それでいい」
ギュオーは不快そうに顔を歪めた。
だが、否定はしなかった。
億の宇宙怪獣が近づいている。
地球は、おそらく勝てない。
それでもアルカンフェルは残る。
そして十二神将には、逃げるのではなく、王として人類を連れて行けと命じた。
その日、クロノスの戦争は、勝利を目指す戦争から変わった。
敗北しても終わらせないための戦争へ。
地球生命を、星の海へ逃がすための戦争へ。