/*/ クロノス統治数年後 軌道上 箱舟出航後 /*/
四隻の箱舟が、地球軌道を離れていった。
ギュオー。
ハイヤーン。
クルメグニク。
カブラール。
四神将は、原初分割ゾアクリスタルを地球へ残し、独立型複製ゾアクリスタルを額に宿して外宇宙へ旅立った。
人類の種子を運ぶために。
地球が敗れた時、人類を絶やさないために。
管制区画の巨大な窓の向こうで、四つの光がゆっくりと遠ざかっていく。
アルカンフェルは黙ってそれを見ていた。
村上征樹も、その隣で見送っていた。
ギュオーたちが置いていった原初分割晶は、すでに総帥直属保管庫へ移送されている。
いつか相応しい者が現れれば与える。
選出には数百年かかるだろう。
つい先ほど、アルカンフェルはそう言った。
だから村上は、自分には関係のない話だと思っていた。
数百年。
人間一人の時間ではない。
クロノスという組織の時間。
アルカンフェルの時間。
少なくとも、今日明日の話ではない。
そう思っていた。
アルカンフェルが振り返るまでは。
「では、バルカス」
総帥の声は、いつも通り静かだった。
バルカスが一歩前に出る。
「御意。何をなさいますかな、総帥」
「ギュオーに与えていたゾアクリスタルを、マサキに移植せよ」
管制区画の空気が止まった。
村上は、一拍遅れて自分を指差した。
「えぇぇ」
声が裏返った。
アプトムが吹き出した。
「数百年とは」
肩を震わせている。
「おい、今さっき数百年って言ったよな? 言ったよな? 数分だったぞ」
村上はアプトムを見る余裕もなかった。
「総帥。待ってください。今、何と」
「ギュオーの原初分割晶を、お前に移植する」
「聞き間違いじゃなかった」
「なぜ聞き間違える」
「聞き間違いであってほしかったからです」
アプトムが笑いをこらえきれずに言った。
「マサキ、数百年級の人材だったんだな」
「黙ってください」
「おめでとう、新鮮な神将候補だ」
「黙ってください!」
村上はアルカンフェルへ向き直った。
「総帥。説明をお願いします」
「宇宙怪獣と戦うのに、プロト・ゾアロードのままでは困る」
あまりにも簡潔だった。
簡潔すぎた。
村上は額を押さえた。
「困る、で人の額にギュオーのゾアクリスタルを移植しようとしないでください」
バルカスが、興味深そうに村上を眺めた。
その目は完全に研究者の目だった。
「いや、理にはかなっておる」
「博士まで」
「ギュオーに与えていたゾアクリスタルは、むしろお主との方が適合率が高そうじゃ」
村上は固まった。
「……僕と?」
「そうじゃ」
バルカスは偉そうに言った。
「お主はテストボディのまま五年以上ノーメンテナンスで生き抜き、クロノスと暗闘していた。普通なら、とっくに崩れておる。だが、お主は生き延びた。神経系も、思念波受容も、自己修復も、異常な粘りを見せた」
「粘りって」
「褒めておる」
「褒め方が研究材料なんですよ」
バルカスは聞いていない。
「メンテナンス時の調査でもわかっておる。お主の身体は、プロト・ゾアロードとしてはかなり無茶な状態に置かれていた。それでなお安定していた。あれは単なる偶然ではない」
アプトムが眉を上げた。
「つまり、マサキは出来損ないじゃなくて、耐久テストを勝手にクリアしてたってことか」
「その通りじゃ」
バルカスは頷いた。
「五年を超える無整備環境での生存、クロノスとの暗闘、精神的負荷、戦闘回避、潜伏、情報戦。それらを受けても、調整体としての構造が破綻しなかった。これは神将化適性を見る上で、相当な材料になる」
村上は嫌そうな顔をした。
「僕の苦労を、適性検査の代わりみたいに言わないでください」
「代わりではない。実績じゃ」
「嫌な実績ですね」
バルカスは鼻を鳴らした。
「ギュオーめが嫉妬するから言わなんだがな」
アプトムが、ついに声を出して笑った。
「本人がいないところでひでぇこと言われてるぞ、ギュオー」
村上は顔を引きつらせた。
「待ってください。つまり、博士は前から分かっていたんですか」
「ある程度はな」
「なら、なぜ黙っていたんです」
「言ったじゃろう。ギュオーが嫉妬する」
「理由がしょうもない」
「しょうもなくはない。神将の嫉妬は面倒じゃ」
アプトムが頷いた。
「そこは分かる」
「分からないでください」
/*/
アルカンフェルは、静かに言った。
「通常なら、原初分割晶を与える相手の選出には数百年をかける」
「はい」
村上は慎重に答えた。
「だが、通常ではない」
その一言に、村上は反論できなかった。
地球は宇宙怪獣との戦争を前にしている。
四隻の箱舟を外宇宙へ送り出した。
人類の存続そのものを保険にかけている。
通常ではない。
その通りだった。
「マサキ」
アルカンフェルは続けた。
「お前は民間出身でありながら、クロノス中枢で意見を通している。私に対しても、神将に対しても、バルカスに対しても、必要ならば異を唱える」
バルカスが少し不満そうに髭を撫でた。
「わしを並べる必要はあるのかの」
「ある」
アルカンフェルは即答した。
「お前はプロト・ゾアロードとしての基礎適性も持つ。統治倫理、対市民政策、調整制度、宇宙怪獣対策、人造コントロールメタル管理。すでに中枢情報を理解している」
「理解したくてしたわけではないものも多いです」
「結果として理解している」
「結果で押し切らないでください」
「そして何より」
アルカンフェルは村上を見た。
「お前は、私の言葉を止める」
アプトムが笑った。
「ああ、それは大事だな」
村上は嫌な顔をした。
「それが神将適性なんですか」
「重要だ」
アルカンフェルは真顔で言った。
「私の周囲には、強い者は多い。だが、私に“それは外へ出せません”と言える者は少ない」
「そのためにゾアクリスタルを移植するんですか」
「それだけではない」
「今の比重、かなり大きく聞こえました」
アプトムが腹を抱えた。
「神将権能、広報ブレーキ枠」
「嫌すぎます」
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バルカスは、すでに術式の概算を頭の中で組み始めていた。
「ギュオーの原初分割晶は、出力も癖も強い。野心の強い個体に与えるには向いていた。だが、野心だけでは晶は使いこなせん」
「それ、ギュオーに言ったら本当に怒りますよ」
「だから言わなんだ」
バルカスは平然としていた。
「お主の場合、野心は薄いが、耐久性がある。逃げる、耐える、疑う、止める、考える。戦闘向きではないように見えて、生存と統制には向いておる」
村上は複雑な顔をした。
「褒められている気がしません」
「褒めておる。ギュオーより神将らしくないところが良い」
「ますます分かりません」
「分からんでよい」
バルカスは言った。
「神将に必要なのは、力だけではない。力を振り回さずに済ませるだけの精神のしぶとさじゃ。お主はそこが妙に強い」
アプトムが横から言った。
「マサキ、褒められてるぞ。しぶといって」
「僕はゴキブリか何かですか」
「五年ノーメンテで生き延びたなら、だいぶ近いんじゃねぇか」
「本当に黙ってください」
アルカンフェルは、二人のやり取りを気にせず続けた。
「宇宙怪獣相手に、プロト・ゾアロードのままでは足りない」
「それは分かります」
「ならば補う」
「方法が極端なんです」
「敵も極端だ」
短い返答だった。
そして、それは正しかった。
宇宙怪獣は、人間の倫理や段階的合意を待ってくれない。
プロト・ゾアロードのままでは、前線で役に立つどころか、足手まといになる可能性すらある。
「私は、四神将を外へ出した」
アルカンフェルは言った。
「地球が敗れた時のためだ」
「はい」
「ならば、地球に残る側も整える必要がある」
「それは分かります」
「空いた原初分割晶を、ただ保管庫に眠らせておく余裕はない」
村上は黙った。
アルカンフェルは続ける。
「ギュオーの晶は、ギュオーのものだった。だが、晶は地球に戻った。相応しい者がいるなら使う」
「それが僕だと」
「そうだ」
「買いかぶりです」
「そうかもしれん」
アルカンフェルはあっさり言った。
「だが、他にいるか?」
村上は答えられなかった。
今のクロノス中枢で、原初分割晶を与えられるだけの生体適性を持ち、なおかつアルカンフェルの命令に従うだけでなく、必要なら諫める者。
獣神将たちの権力感覚も、市民社会の恐怖も、両方を理解している者。
プロト・ゾアロードとして、すでに人間から半歩外へ出ている者。
そして、テストボディのまま五年以上も生き延びた者。
候補は少ない。
少なすぎる。
アプトムが、珍しく茶化さずに言った。
「まあ、嫌だけどな。マサキ以外に渡すくらいなら、マサキの方がまだましってのは分かる」
「嫌だけど、を強調しないでください」
「嫌だからな」
村上は深く息を吐いた。
/*/
「拒否権はありますか」
村上は問うた。
アルカンフェルは、少しだけ黙った。
そして言った。
「ある」
村上は目を見開いた。
アプトムも少し驚いた顔をした。
バルカスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「ただし」
アルカンフェルは続けた。
「拒否するなら、プロト・ゾアロードのまま宇宙怪獣戦に出るな。後方で統治補佐に徹しろ」
村上は黙った。
「前線へ出るつもりなら、受けろ」
「……それは、選択肢なんですか」
「選択肢だ」
アルカンフェルは言った。
「弱いまま戦場へ出る自由までは認めん」
アプトムが小さく呟いた。
「総帥らしいな」
村上は、しばらく何も言えなかった。
拒否すれば、後方に残れる。
少なくとも、無理やり額にゾアクリスタルを埋め込まれるわけではない。
だが、その場合、宇宙怪獣戦の最前線には出られない。
前線へ出るなら、受けるしかない。
それは暴君の命令であり、同時に戦時司令官の判断でもあった。
「僕が受けた場合」
村上はゆっくりと言った。
「ギュオーの晶は、本当に僕に適合するんですか」
バルカスが答えた。
「確証はこれから詰める。だが見込みは高い」
「高いんですか」
「高い」
バルカスは断言した。
「ギュオーは晶の出力に合っていた。お主は晶の負荷に合っている」
「違いが分かりません」
「ギュオーは力を引き出す器じゃ。お主は壊れず受け止める器じゃ」
村上は言葉を失った。
バルカスは続ける。
「宇宙怪獣戦では、単に大出力を出すだけでは足りん。壊れず、狂わず、判断を保ち、帰ってくる必要がある。お主の五年間は、その適性を示しておる」
アプトムが少しだけ真面目な顔になった。
「帰ってくる適性、か」
村上は黙った。
その言い方だけは、少し重かった。
「危険は」
村上が問う。
「ある」
バルカスは即答した。
「人格圧迫、思念波過負荷、支配衝動の肥大、ギュオー晶の残留癖との衝突。楽な手術ではない」
「やっぱり危ないじゃないですか」
「神将になるのが安全なわけなかろう」
バルカスは偉そうに言った。
「子供の入学式ではないのじゃぞ」
「例えが嫌すぎます」
アルカンフェルは静かに言った。
「だから、今すぐ移植するとは言っていない」
村上は固まった。
「……さっき、バルカスに移植せよと」
「準備を命じた」
「言い方が完全に即日手術でした」
「そう聞こえたか」
「聞こえました」
アプトムが笑い出した。
「マサキ、よかったな。今日は額を開けられないってよ」
「全然よくないです」
/*/
アルカンフェルは、遠ざかる四隻の箱舟をもう一度見た。
「数百年かかる選出とは、平時の話だ」
その声は低かった。
「だが、今は宇宙怪獣が来る。人類の時間は短い」
村上は黙って聞いていた。
「ならば、候補を見つけた時点で育てる。待っている余裕はない」
「僕を神将候補として育てる、と」
「そうだ」
「ギュオーの後任として?」
「違う」
アルカンフェルは即座に否定した。
「お前はギュオーの後任ではない。ギュオーの晶を使うだけだ」
村上は、少しだけ目を伏せた。
その違いは重要だった。
ギュオーの野心。
ギュオーの王冠。
ギュオーの失敗。
それを引き継ぐわけではない。
ただ、彼が置いていった原初分割晶を、人類防衛のために使う。
「正式な神将就任は、適合試験後だ」
アルカンフェルは言った。
「まずは移植準備、適性検査、段階的同期。宇宙怪獣戦に間に合わせる」
バルカスが頷く。
「段階的同期ならば、プロト・ゾアロードとしての調整経路を利用できる。急激に神将出力へ押し上げるよりは安全じゃ」
「安全なんですか」
「比較的な」
「比較対象を聞きたくありません」
「聞かん方がよい」
村上は頭を抱えた。
アプトムがにやにやしている。
「よかったな、マサキ。数百年待たずに出世だ」
「出世じゃないです」
「じゃあ何だよ」
「事故です」
アルカンフェルが静かに言った。
「任命だ」
村上は即座に返した。
「本人から見ると事故です」
/*/
しばらくして、村上は諦めたように息を吐いた。
「分かりました。適性検査までは受けます」
バルカスが片眉を上げた。
「検査だけか」
「検査だけです」
「面倒な」
「僕の身体です」
その一言に、アルカンフェルは少しだけ目を細めた。
先日、自分が言ったことを思い出したのだろう。
私に他人の意思で子供を持てと言うのは民主的か。
私の人権とやらを侵害しているのではないか。
村上は、その理屈をそのまま返していた。
アルカンフェルは短く言った。
「よい」
バルカスが不満そうに見た。
「総帥」
「検査から始めろ」
「御意」
バルカスはアルカンフェルへだけ丁寧に答えた。
そして村上へ向き直ると、すぐに偉そうな口調に戻った。
「逃げるでないぞ、マサキ。検査だけで一週間はかかる」
「長いですね」
「当然じゃ。原初分割晶を額に入れるのだ。歯医者の予約とは違う」
「その例えも嫌です」
アプトムが笑った。
「額の歯医者」
「黙ってください」
/*/
管制区画の窓の外では、四隻の箱舟がさらに遠ざかっていた。
地球を離れ、太陽系の外へ向かう船。
そして地球には、四つの原初分割晶が戻った。
その一つ。
ギュオーが持っていた晶。
野心と反逆と王権の象徴だったものが、今度は村上征樹の額へ移植されようとしている。
数百年かかるはずだった選出は、数分で候補者を見つけた。
ただし、それは平和な時代の栄誉ではない。
宇宙怪獣との戦争に間に合わせるための、戦時昇格だった。
アプトムは、まだ笑っていた。
「数百年とは」
村上は深くため息を吐いた。
「僕が一番聞きたいです」
アルカンフェルは、遠ざかる箱舟を見ながら言った。
「時間がない」
その一言で、笑いは少しだけ消えた。
外宇宙へ旅立つ四神将。
地球に残された原初分割晶。
迫る宇宙怪獣。
プロト・ゾアロードのままでは足りない村上。
すべてが、一つの結論へ向かっていた。
アルカンフェルは静かに言った。
「マサキ。お前には、ギュオーより上手く使ってもらう」
村上は顔をしかめた。
「比較対象が不吉すぎます」
アプトムが笑った。
「そこは同感だな」
バルカスは鼻を鳴らした。
「使いこなせ。晶のせいにはさせんぞ」
村上は、遠ざかる箱舟と、自分の未来の額を想像して、もう一度深くため息を吐いた。
「……本当に、数百年とは何だったんですか」
誰も答えなかった。
答える必要もなかった。
クロノスの数百年計画は、宇宙怪獣の接近によって、あっさり前倒しされた。
そしてその前倒しの中心に、村上征樹が立たされていた。