地下避難区画では、人々が眠れずにいた。
壁面モニターには、淡々と避難情報だけが流れている。
敵の映像は出されていない。
宇宙怪獣の群れ。
外縁観測網に映る、星を覆う黒い影。
それをそのまま映せば、恐怖が増すだけだからだ。
それでも、人々は端末で探す。
外縁観測網の簡略表示。
軌道砲台の稼働率。
月面基地の防衛ライン。
箱舟の出撃準備。
そして、ある短い軍報。
『新兵科、宇宙機動殖装隊を編成中。
選抜獣化兵による宇宙怪獣迎撃任務に投入予定』
誰かが呟いた。
「獣化兵が、宇宙で戦うのか」
「強殖装甲を着るらしい」
「強化外骨格みたいなものか」
「思念波が効かなくなるって聞いたぞ」
「大丈夫なのか」
「分からない」
分からない。
その言葉が、今の地球圏そのものだった。
宇宙怪獣に勝てるのか。
箱舟は間に合うのか。
新しい兵士たちは暴走しないのか。
クロノスは正しい判断をしたのか。
誰にも分からない。
だが、準備は進んでいた。
人類は、ただ地下で震えているだけではなかった。
月面で砲台が動く。
軌道都市で防壁が閉じる。
箱舟が目を覚ます。
そして、獣化兵たちが複製強殖装甲ユニットの前に立つ。
日本では、地下深くに設けられた統合準備区画に、自衛隊の志願者たちが集められていた。
陸上自衛隊。
海上自衛隊。
航空自衛隊。
その中には、第一空挺団の隊員たちもいた。
彼らは、現実の戦場を知る者たちだった。
降下。
潜入。
包囲。
孤立。
味方が来る保証のない場所へ、最初に投げ込まれる者たち。
だからこそ、志願書に名前を書く手は早かった。
選抜の結果、彼らの一部は量産型ゼクトールに調整された。
重装甲。
高出力。
高熱戦能力。
宇宙空間での短時間戦闘に耐える基礎体。
その上から、人造強殖装甲を纏う。
獣化兵の能力と、強殖装甲の出力。
それは強力だった。
だが、同時に危険でもあった。
長時間の殖装は、認知機能に負荷をかける。
思念波による統制は届きにくくなる。
クロノスの支配系統から、一時的に逸脱する可能性がある。
説明を受けた隊員たちは、誰も笑わなかった。
「クロノスの支配から逸脱するって話だぞ」
一人が言った。
「それだけ必死なんだろう」
別の男が答える。
「長時間の殖装で、認知症みたいになる可能性があるって言ってたぞ」
「ああ」
「それでもやるのか」
第一空挺の隊員は、少しだけ黙った。
整備ベイの向こうでは、人造強殖装甲ユニットが眠っている。
青白い装甲。
生体組織のような接続部。
まだ誰のものでもない、戦うための外骨格。
彼はそれを見て、静かに言った。
「守るために自衛隊になったんだ」
誰も口を挟まなかった。
「今やらないで、いつやるんだ」
その言葉に、隣の男が小さく息を吐いた。
「怖くないのか」
「怖い」
「俺もだ」
「なら、ちょうどいい」
「何がだ」
「怖いなら、まだ人間だ」
隊員たちは、笑わなかった。
ただ、少しだけ肩の力を抜いた。
その頃、アメリカでも同じような説明が行われていた。
北米統合防衛区画。
かつての軍事基地は、クロノス統治後、国家の軍ではなく地域防衛軍として再編されていた。
それでも、そこに集められた者たちの顔つきは変わらない。
レンジャー。
グリーンベレー。
海兵隊特殊作戦群。
海軍特殊戦部隊。
空軍特殊戦術部隊。
旧時代なら、国家のために戦った者たち。
今は、地球のために志願した者たち。
彼らの前にも、人造強殖装甲が並んでいた。
アメリカ製の兵器ではない。
クロノスが管理し、バルカスの系統が整えた生体兵装。
それを、かつてクロノスに征服された国の兵士たちが受け取る。
ひどい皮肉だった。
だが、その皮肉を笑う者はいなかった。
「これを着たら、指揮リンクが切れる可能性がある」
説明官が言った。
「君たちは、上位思念波による即時停止命令を受け付けない可能性がある」
アメリカ兵の一人が、腕を組んだ。
「つまり、信用されてるってことか?」
「逆だ。危険視されている」
「同じことだろ」
別の兵士が笑った。
「俺たちに自由意思を残したまま、宇宙怪獣にぶつけるんだ。相当切羽詰まってる」
「故郷は?」
「テキサス」
「家族は?」
「地下避難区画だ。妻と娘が二人」
「なら行く理由はあるな」
「お前は?」
「ニューヨーク」
「家族は」
「いない」
「じゃあ、何で行く」
その男は、少し考えた。
「昔、俺たちは国旗のために戦うと教えられた」
「ああ」
「今は、地球のために戦えと言われている」
「気に入らないか?」
「いいや」
男は、人造強殖装甲を見上げた。
「やっと看板と中身が一致した気がする」
少しだけ笑いが起きた。
だが、その笑いはすぐに消えた。
彼らも知っていた。
これは英雄の出撃ではない。
帰還を約束された任務ではない。
敵は、国家でも、テロ組織でも、反乱軍でもない。
宇宙から来る、理解不能の捕食者だった。
イギリスでは、別の静けさがあった。
かつての連隊本部を改装した地下施設。
そこに集められたのは、SAS、SBS、空挺連隊、近衛系部隊から選抜された志願者たちだった。
彼らは派手に騒がない。
説明を聞き、質問をし、必要な危険を確認し、静かに署名する。
人造強殖装甲の前に立つ彼らの姿は、どこか葬儀に似ていた。
「女王陛下のため、という言葉はもう古いのかもしれないな」
一人が呟いた。
隣の兵士が答える。
「陛下はまだおられる」
「だが、戦争を命じる方ではない」
「それでも、国民はいる」
「国も、形を変えた」
「ああ」
沈黙。
そして、一人が言った。
「なら、今は何のために行く」
少し離れた場所で、年長の下士官が答えた。
「家へ帰るためだ」
「帰れると?」
「分からん」
「では、なぜ」
「帰る場所を残すためだ」
その言葉は、英国兵たちに妙に馴染んだ。
大げさな演説ではない。
旗を振る言葉でもない。
ただ、帰る場所を残す。
それは、彼らにとって十分だった。
フランスでは、もっと露骨だった。
外人部隊。
海兵歩兵。
特殊作戦司令部。
憲兵介入部隊。
旧国家の誇りと、反骨と、皮肉をまとめて背負った者たちがいた。
クロノスの将校が危険性を説明し終えた時、フランス兵の一人が手を上げた。
「質問がある」
「何だ」
「これを着ると、クロノスの命令を無視できる可能性があるのだな」
「無視できる、ではない。思念波統制が阻害される可能性がある」
「つまり、命令を無視できる可能性がある」
説明官は、少しだけ眉をひそめた。
「解釈するな」
「兵士は解釈する」
周囲に小さな笑いが起きた。
別の兵士が言う。
「フランス人に、自分の意思で戦える兵器を渡すのは危険では?」
「自覚はあるのか」
「誇りはある」
「厄介な誇りだ」
「だが、今回は役に立つ」
彼らの前に並ぶ人造強殖装甲は、静かに脈打つように見えた。
ひとりの外人部隊員が、低く言った。
「故郷を捨てた者でも、地球は捨てられん」
それを聞いたフランス兵が、煙草を取り出そうとして、施設内禁煙の表示を見て舌打ちした。
「まったく。宇宙怪獣と戦う前に煙草も吸えないとは」
「帰ってから吸え」
「なら、帰る理由が一つ増えたな」
また少しだけ笑いが起きた。
その笑いは、恐怖を消すためのものだった。
恐怖は、どこにでもあった。
日本にも。
アメリカにも。
イギリスにも。
フランスにも。
そして他の国にも。
ドイツの降下猟兵。
イタリアの特殊部隊。
ポーランドの機械化部隊。
インドの山岳兵。
オーストラリアの特殊空挺。
韓国の海兵隊。
ブラジルのジャングル戦部隊。
ロシア系旧軍人部隊。
アフリカ統合防衛軍の精鋭。
国の名は残っていた。
軍の誇りも残っていた。
だが、指揮系統は変わっている。
国境を越えた統合防衛。
クロノス統治局の上位戦略。
箱舟と軌道砲台と月面防衛線。
その中で、旧国家の兵士たちは、もう一度、自分たちの意味を問われていた。
誰に命じられたから戦うのか。
クロノスか。
旧国家か。
神将か。
総帥か。
そうではなかった。
彼らは、強殖装甲を受け取ることで、むしろ命令から少し離れる。
思念波は届かなくなる。
上位存在の支配から外れる。
暴走の危険もある。
認知機能を失う危険もある。
それでも、彼らは志願した。
命令ではなく、意志で。
日本の準備区画で、第一空挺の志願兵が人造強殖装甲の前に立った。
隣の男が、もう一度尋ねた。
「怖いか」
「怖い」
「俺もだ」
「思念波が届かなくなるらしいな」
「ああ」
「それでも行くのか」
「行く」
「何でだ」
志願兵は、今度はすぐに答えた。
「地球が後ろにある」
遠くで、警報が鳴った。
戦闘開始までの時間が、また減った。
地下避難区画では、子供が母親の腕の中で眠っている。
老人が祈っている。
学生が端末を握りしめている。
誰かが泣き、誰かが黙り、誰かが壁面モニターを睨んでいる。
敵の映像は、まだ出されていない。
出せば、恐怖が増すだけだからだ。
だが、その代わりに、新しい映像が流れた。
各地の準備区画。
並ぶ人造強殖装甲。
そこに立つ志願者たち。
日本。
アメリカ。
イギリス。
フランス。
そして、世界各地。
彼らは皆、違う制服を着ていた。
違う言葉を話していた。
違う旗の下で訓練を受けてきた。
だが、今は同じものを見ていた。
背後の地球。
そして、前方の宇宙怪獣。
クロノスは、その長い歴史の中で初めて、思念波ではなく意志で戦う獣化兵を、宇宙へ送り出そうとしていた。
それは危険だった。
賭けだった。
だが、人類がただ支配される家畜ではないことを証明する、最初の出撃でもあった。
発進準備の灯が、青から赤へ変わる。
志願兵たちは、一歩前へ出た。
複製強殖装甲ユニットが、彼らを迎えるように開いた。
誰かが、最後に小さく言った。
「行こう」
それは命令ではなかった。
だが、全員が動いた。